8-4


「……それで、私に寸法を測って欲しいと?」


 楽しげな顔で、マリア・ロングコーストが聞き返してきた。


「う、うん……頼むよマリア。あとは、この馬鹿に任せるから」

「……俺がドレスを仕立てようってのに、この馬鹿と言われるのは心外だな」


 少女の衣服を作るれるのは、少女の右腕の秘密を知っている者でなければならない。それこそ肌着や外套などは、少し大きめのサイズでも買えば着ることが出来るが、立派なドレスとなればそうはいかない。だったら、少女の能力を知る自分が作ってしまえばいい、妙案だとも思ったのだが、速攻で壁にぶつかった。ネイの体のサイズをきちんと測らなければならないのだが、青年がそれをやっては少々マズイ。という訳で、比較的近場に居る、ネイのことを知る女性に頼みに来た訳であった。


「もちろん、構わないわよ。でも、意外だわ……まさかあの、引っ込み思案のネイが、舞台に立とうだなんて」

「ま、まぁ……いいだろ? 人生で、一回くらいさ……」

「確かに、そうかもね……それで、代わりと言っては何なのだけれど、こっちの頼みも聞いてもらえないかしら?」

「うん? もちろん、マリアの頼みなら聞くぞ? アタシにできること、ならだけど……」

「ありがとう、ネイ。どちらかというと、貴女にしかできない頼みというか……本当は寸法を測る、くらいじゃ代替できないような頼みなんだけれど……」


 そこでマリア・ロングコーストは一旦話を切った。本当に頼んでいいものか、悩んでいるようだった。


「私も、祝福された子供たち【エヴァンジェリンズ】のはしくれだけれど、戦う力は持っていないし……一応、今のところ村に被害は出ていないけれど、やはり放っておいたら、何時危険なことになるか、分からないから……正式な依頼なわけでもないし、賞金も出ないわ。でも手配書が周るまでに、被害が出ないとも限らないし……」


 ぼやかしてはいるが、どうやら暴走体の退治を続けてくれ、ということらしい。しかしマリアとしては同居人が襲われ、しかも幼い子供もいるのだから、近くに化け物がいるなどと、安心できるわけがない。


「お返しできる事なんか、こんなことと、後は寝る場所とご飯を用意するくらいしかできないけれど……」

「いや、分かったよマリア。アタシに任せてくれ」


 多分、意識したつもりも無いのだろう、だが青年は、しっかりと自分も勘定に入っていることが、なんだか嬉しかった。


「えぇ、お願いね……もちろん、貴方達も忙しいでしょうし、空いている時間でいいわ」

「そこは、大丈夫。サーカスの連中も忙しいみたいでさ。劇の練習は、これから毎日昼から二時間、あとは暇なんだ」

「えぇっと……そんな短い時間で、貴女大丈夫なの?」


 少女はふふん、という顔で台本のとあるページを開き、そのままそれをマリアに手渡した。


「……? これが?」


 訝しがるマリアを他所に、ネイは立ち上がって、居間の少し広い場所に立った。


「……あぁ、お父様。私が、このメリルめが、貴方のことを如何ほどに愛しているか、これでお分かりでしょうか? 大丈夫です、私がついております。ですから――――」


 ネイはそのまま、数ページのト書きをそのままそらんじた。それは決していい加減な物でないし、いつもの若干舌ったらずな喋り方でなく、しっかりとキャラに合わせて、感情も籠っていた。

 ここまでに来る間、少女は一生懸命に台本を読み込んでいたのだ。その成果なのだろうが――それにしても凄い集中力というか、暗記力である。


「……驚いた。まさか、もうセリフは全部覚えたって言うの?」

「いや、まだ全部じゃない。でも、多分明日には全部覚えられると思う。だから、後は振付とか、そういうところかな?」


 当然、知っているのとやれるのはまったくの別物だ。セリフや動作を全て頭に叩き込んだからと言って、それを正確に、しかも衆人の前で、緊張の中やるのでは、その難易度も跳ね上がるはずである。

 とはいえ、なんとかやりきりそうなところが、この少女の凄い所であると言ったところか。


「成程成程。それならそれで、しっかりと成功させなくっちゃね。それじゃ、さっそく寸法を測りましょう。さ、こっちに来て」


 席から立ち上がり、マリアは奥の診療所へと向かって行く。その背中を、少女が追いかけた。

 一人になって暇になった青年は、先ほどネイが淹れてくれたコーヒーの入ったカップを手に取った。まったく静かで――。


「さ、上着を脱いで?」

「べ、別にポンチョの上からでもいいんじゃねーか?」

「駄目よ、正確に測らないとなんだから……」

「……分かったよ」


 全然静かじゃなかった。向こうから微かに聞こえてくる声、それをついつい傾聴してしまう。


「あら、あらあらあら~。貴女、結構育ってるわね……着やせしてるって言うか、もうちょっと体のラインが出る服を着れば、それこそ凄いんじゃない?」

「あ、アタシはそんな別に……っておい、マリアやめろ! 変なとこさわんな!」

「いいじゃない。女同士なんだしぃ」


 なんということだろうか、何か色々とキているのではないだろうか。あの壁の、たった一枚隔てた板の向こうに、とんでもない桃源郷が広がっているのではなかろうか、美人のお姉さんと可愛らしい少女のあれやこれ、それって凄い――そう、自分だって日ごろ色々頑張っているのだ、そう考えれば少しくらい覗いたって罰は当たらないのではないだろうか、というかそもそも仕立てるのは自分だ、やっぱり実物も見ておかなければならない、というか見たほうがこう、イマジネーションがより鮮明になるというか――。


「お、ネッドさん、相変わらずなんだかおかしな顔をしてるな?」

「うひっ!?」


 唐突に声を掛けられて、青年は変な声を出してしまった。


「な、なんだルイスさんか……音も無く忍びよらないでくれよ」


 昔、師匠に聞いたことがある。東洋の島国に、ニンジャとかいう素手でグリズリーの首を切り落とす様な恐ろしい体術使いがいると。もしかしたらルイスは、その関係者なのかもしれない。青年はそう思った。


「いや、別に普通に来ただけなんだけどね? ベルも寝ちゃったからさ」

「あ、あぁ……成程ね」


 呼吸を整える青年をよそに、ルイスもダイニングの椅子に腰かけた。そして診療所の方からきゃいきゃい姦しい声が聞こえるのを確認して、男は神妙な顔になって青年に向き合ってくる。


「……ところでネッドさん、実はちょっと相談があるんだ……」

「お、おぅ? なんだねルイスさん」

「実は……その、オレさ。マリアさんにプロポーズしようと思ってるんだけど……」


 ルイスの声が小さかったので、青年も一応それに倣って、小声で返すことにする。


「マリアさんも満更じゃなさそうだし、いいんじゃないか? 何か問題でも?」


 ベルだって懐いているし、若干調子がいいものの、ルイスは好青年に違いないのだ。祝福こそすれ、考え直せなどということは言う必要すらないはずである。


「……オレも、少し前までは結構いける感じかなーなんて思ってたんだけど……たまにマリアさん、夜中にどこかに抜け出してたりするんだよ。これって浮気って言うかさぁ、もしかしたらそういうのじゃないかなって、結構悩んじゃって……」

「うーん……でも、そういうことする人には見えないけどな」


 勿論、人は見かけによらないと言うし、清純そうなマリアでも、爛れた関係を求めて夜に舞う蝶になっている可能性は否定できない。


「どうしてもって言うなら、抜けだしてる所を尾行してみればいいんじゃないか?」

「そ、それもそうかもしれないけどさ。でも、そんなことするのはマリアさんのことを信じてない事になるし、それに後をつけてるってばれちゃったら……何より、オレの心配通りの展開だったら、立ち直れなくなっちまうよ……」


 そこでルイスは、机にばた、と上半身を倒れこませた。


 さて、どうしたものだろうか、他人の情事に首を突っ込むことほど、悪趣味なことは無い。失礼かもしれないが、そもそも青年にとってはマリアとルイスの関係など重要な問題でもない。かといって適当なことを言うのも不親切な気もしたが――だが、自分が代わりに尾行してやる、などとも言い難いし、青年はとりあえず思ってもいない慰めを言うしか無かった。


「まぁルイスさん、アンタの気持ちも分かるよ。でも、それこそ結婚するっていうなら、相手のことを信用しないと駄目だろ?」

「そうだよなぁ。やっぱそうなんだよなぁ」


 実際のところ、青年自身はつい先日まで色恋沙汰に無縁であったのだし、況や結婚をや、なのであるが、とりあえず相手は悩みを話して整理したいだけなのだろうから、こんなところでいいのだろう。


 そこで丁度、向こうもやることが終わったらしい、診療所の方から女二人が戻ってきた。見ればマリアはほくほく、といった表情で、一方のネイは顔を真っ赤にして俯いていた。


「いやぁ、ごちそうさまでした……って、ルイスさん。降りて来てたんですね」

「あ、あぁ、さっきね。ベルも寝たんで、ちょっとネッドさんと話をしていたところさ」

「成程、そうだったんですね……あ、ネッドさん、これをどうぞ」


 マリアが青年に近づいて来て、数字の書かれた紙を手渡してきた。成程、これがネイのサイズか――その数字を見て、まだ真っ赤になっている少女を見る。そしてまた、紙に目を戻し――。


(……何だろうコレ、なんだかすっごいいけないことをしている気がする)


 とは言っても、なんやかんや想像してしまうのは仕方が無い。女性のスリーサイズなどあまり詳しくはないものの、聞こえてきた声、そして何度か見たラフな格好を思い出す限り、やはり結構なものをおもちで――。


(いや、いかんいかん! あんまり、変なことを考えるな、俺よ!)


 そう、イヤらしい意味でなく、青年は仕事をしなければならないのだ。後頭部をかきながらなんとか邪念を振り払い、深呼吸を一つ、青年は少女に声をかけた。


「えぇっと、それで? どんなドレスを作ればいいんだ?」


 青年に声をかけられ、少女が顔を上げる。今少女が纏っている外套は、彼女がデザインしたものだ。そう考えれば、彼女のセンスに任せれば間違いはなさそうである。


「うん、それじゃあマリア、紙と何か書くものを……」


 しかしネイはそこで言葉を区切って、何やら考え込むように左手を顎にあてて、そして少ししてから伏し目がちに口を開いた。


「……お前が考えてくれないか?」

「はい?」


 予想に反する答えが出て、青年は間抜けな調子で聞き返してしまった。少女はその声に反応して、一旦どうしようか悩んだものの、だけど今度はしっかりと目を合わせて、必死な調子で訴えてきた。


「だ、だからお前がどんなドレスにするか、考えてくれって言ったんだ!」

「い、いや、だってさ、俺センス無いし……」

「それでも! とにかく考えて欲しんだよ……」


 気力を使い果たしのか、また少女は小さくなってしまった。一部始終をみていたマリアが、楽しげに口を挟んできた。


「あらあら、いいじゃないですかネッドさん。能力で、すぐ出来るんですよね? ちょっと一着、作ってみてくれませんか?」

「うーん、そうですね……」


 青年は座ったまま踵を擦り、シリンダーを起動させた。そしてボビンを取り出し、とりあえず渡された紙に書かれているサイズに合うよう、なんとかそれっぽくドレスを作り上げる。既にコーヒーカップくらいしか置いてない机の上に、一着の服が完成した。とりあえず無難に、変な冒険はしなかったつもりだ――逆を言えば、装飾などほとんどない、無地の地味なドレスだ。そして出来あがったそれを、青年以外の三人が覗き見て――三人とも、微妙そうな表情になった。


「まぁ、確かに着れなくはなさそうだけど……」

「でも、舞台に出る訳でしょう? そう考えたら、もうちょっと装飾とか凝ってた方が……」


 ルイスとマリアが、あれこれと品評を言い合っている。ネイは出来たそれをじっと見つめて、だけど何と言えばいいか悩んでいるのだろう、


「……まぁ、俺の腕前なんかこんなもんなんで。だから、デザインは誰か他の人にやってもらった方が良いと思うんだけど……」


 正直に言えば、実力を見せれば皆折れてくれると思ったのだ。マリアはすまなそうな表情をしながらも、確かに、という表情で頷いている。ルイスはそもそも、ネイが舞台に出るということを聞かされていないので、なんだか良く分からないと言った調子だ。


 しかしネイだけは、今一度青年を見据えてきた。


「……それでも、大変だって、苦手だって言うのも分かるけど、でも……」


 でも、作って欲しいと言うのか。しかし最後まで言えずに、少女は再び俯いてしまった。

 しかし、そうは言われても責任は――そこまで思って、青年は自己嫌悪に陥った。


(……責任を取りたくないから頑張らないって言うのも、卑怯だよな)


 そもそも、ネイだって苦手の大衆の前に、文字通り大舞台に立とうと言っているのだ。それならば自分だって、苦手の一つや二つに挑戦しなければならないのではないか。


「……分かった。君が舞台の練習をしている間、俺は服飾の勉強でもしてみるよ」

「ほ、ホントか!?」


 少女の上がった顔は、嬉しさいっぱい、という感じだった。そんな表情をされたら、頑張らない訳にはいかない。青年はそう思った。


「あぁ、だけど一応、君もデザインを用意しておいてくれないか? 君のセンスなら間違いないし、それなら最悪の場合でも、ギリギリ直前で用意はできるからな」

「そ、そーだな。そういうことなら……」

「でも、もちろん保険があるからって手を抜く気は無いよ。君のために、全力でやる」


 少女が力強く頷く。青年も、これならば本気で取りかからねばと、決意を固めている所――。


「あらぁ……あらあら、ネッドさん……意外と恥ずかしいことを臆面も無く言うタイプというか、情熱的な人だったんですね……」


 マリアの一言に、一気に現実に引き戻された。確かに、また気障なことを言ってしまったかもしれない――見ればマリアは、私恥ずかしいですと言わんばかりに、手で顔を覆っている。いや、指と指の隙間から、楽しげな眼は見えているのだが。


「……なるほどなぁ。オレに足らないのはそういうところかぁ」


 ルイスもなんだか勝手に納得していた。


「ち、違うんですよ? 俺は別に、そんな気だった訳じゃないっていうか……」

「……じゃあ、どんな気だったって言うんだよ?」


 今度は少女は拗ねてしまった。


「いや、違うんだよネイ、これは……あー、とにかく、お互い頑張ろうぜ!?」


 青年はもはや、やけくそ気味にそんなことを言うしか無かった。


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