8-3
テントの中の人だかりも大変な物だった。しかし、恐らくこの巨大テントの設営にかなり時間を設けていたのだろう、内部の作りはしっかりしている。長時間の視聴を疲れずに観賞できるようにするため、椅子が階段状に並べられ、上の方の席からでもしっかりと舞台が見えるようになっていた。とはいえこれから行われるのは雑技ではなく劇なので、席でステージを囲むような形ではなく、椅子と現在幕の下ろされた舞台が対面し合う形となっていた。ちなみに二人の席は真ん中辺りでで、比較的ゆったりとステージが見える場所であった。
少し薄暗いテントの中に、唐突にスポットライトが当たる。それを合図に、どよめいていた観客席が静まり返り――そして、舞台の幕が上がった。
壇上には、座長のフレディに照明が当てられている。男の後ろには、舞台のセットなのだろう、街を模したな
「紳士淑女の皆さま方、よくお集まり下さいました! こちらで行われますのが今回の催しの大目玉! 我がWWCのプリマドンナを主演とした歌劇でございます!」
フレディは、こういうのは慣れた物なのだろう、つつがなく進行を続けている。時々小粋なジョークを挟むことで、文字通りに場をわかせている。
「さぁ、前置きはこれくらいにいたしましょう……それでは皆様、どうかお楽しみください」
座長からゆっくりとスポットライトが移っていき、その焦点は舞台袖から現れた、水色の美しい衣装を纏った金髪の少女に合わせられた。
♪ 青い空 白い雲 あぁ 素晴らしき この世界 ♪
その歌声で、あれがグレース・オークレイなのだとやっと気がついた。しかし、まさかミュージカルであるとは青年も思っていなかった。
グレースの歌が一フレーズ終わると、歌声と共に、ステージの前の楽器隊が静かに音楽を奏で始め、グレースと反対側の袖から何人かの無頼漢風の男たちが登場した。
♪ おぉ キレイなチャンネーがいるじゃーん オレたちと、いいことを…… ♪
男たちの下品な歌声と音楽が、銃声と共にかき消される――なんと、グレースが実銃を抜き出し、男たちの被っている帽子を撃ち抜いたのだ。
そして再び軽快な音楽が鳴り出し、呆気を取られていた観客席から歓声が巻き上がる。
「ほ、本物を使ってるのか?」
小声で、珍しく青年の左に座るネイが耳打ちしてきた。ちなみに少女が珍しく青年の左側に居るのは、知らぬ人間を右手側に置きたくないという彼女なりの処置らしい。
「あぁ、WWCのウリらしい。優秀なガンスリンガーを雇って、本物の銃を使う劇ってなことで人気なんだ」
「へぇぇ……でも、大丈夫なのか? いくら腕が良くったって、しくじる時だってあるだろ?」
「ま、こんな言い方らしたら悪いが、人間ってのはアクシデントも好きだからな……そん時はそん時で、評判になるんだよ」
悪評だって評判だ。しかも良い評判よりもよほど周りやすい。
そんな風に小声で話をしていると、舞台の方で動きがあった。歯車が回り始めたと思うと、背景の書割が動きだし――今度は、屋敷の内部の様な背景になった。
「うぉ!? なんか凄い装置だな!?」
ネイが驚きで、少し大きな声を出してしまう。周りの観客に睨まれ、少女は顔を真っ赤にして小さくなった。確かに、劇中にあまり物音を立てるのも失礼だろう。青年も静かに劇を見守ることにした。
上映されている劇の筋書きは、どうやら青年が知っているお話を、現代娯楽風に書き変えたオマージュのようであった。
あらすじはこうだ。ある地方に、とある名士の娘の姉妹が居た。
妹のコーネリアがグレースの役らしい、素直で快活、父を誇りに思っており、銃の腕も素晴らしいという設定だ。
対して姉のメリルは、老いた父の偏屈に、ほとほと嫌気がさしているようであった。
ある日、姉妹の父が、自らの老後を厄介かける代わりに、自らの資産の半分を二人に分け与えようという話を出した。だが、ただでは渡さない、偏屈な上に愛情に飢えた男なのだろう、自らを愛していることを証明出来たら、という条件付きだった。
さて、オリジナルとは違って、本作ではそこは結構な改ざんがなされている。どのように愛を表明しようか、妹のコーネリアは自室にこもってあれこれと考える。父を愛していて、喜ばせたいという一心なのだろう、壇上の机に向かう少女が想いを歌に込めている。
♪ 私の瞳はいつだって貴方を見ている だから 好きな物はなんでも知っている ♪
ブロンドの乙女がキラキラと輝いている。その輝きは、決してライトに照らし出されているからだけではないようだった。
しかし、何故だろうか、今の彼女の方が、舞台にいるにも関わらず、青年には余程自然体に感じられた。むしろ、普段の方が演技をしているような――そんな違和感に襲われた。
♪ でも 貴方の瞳は私を見てはくれない それを私は知っている ♪
一転して、哀しみにくれるコーネリア。そう、父はむしろ姉の方を愛していて、あまり妹のことを見ていないのだ。男特有のアレだろうか、追われると逃げたくなる、父の気持ちは、そんな所か――いや、むしろ脚本が悪いのだろう、普通自分をこんなに愛してくれている娘を軽んじる父などいるものだろうか。青年は、この舞台の幕がどのように下ろされるのか、大体の予想はついていた。最後のお涙ちょうだいのために、わざとこんな設定にしているに違いないのだ。
演技や歌曲はともかくとして、筋のお粗末さに呆れかえり、青年は気分転換にふと、隣を見た。自分とはまったく逆で、黒髪の乙女は食い入るように舞台を見つめている。父の顔も知らない少女は、何を持って父への愛の歌を聞いているのか――だが、その瞳は舞台の魔法に魅入られているようだった。
歯車の周る音に青年も視線を戻すと、背景が屋敷の今のような場所に変わっているのが見えた。壇上には一人の、本来はそこまで歳も取っていないのだろうが、顎鬚など小道具で老人風を装った男と、姉妹とが対峙していた。
「……して、我が娘たちよ。どのようにして私を喜ばせてくれるかね?」
実の娘にそんなセリフを吐くのは、かなりマズイ気がするのだが、まぁ他に表現もしようが無かったのだろう。しかしなんだかイヤらしい表現だったにもかかわらず、グレース扮するコーネリアは目を輝かせて、一歩前に進み出た。
「はい、お父様。私、一生懸命考えました……お料理を作ったのです。私は、遺産などいりません。ただ……」
ただ、愛してくれさえすればそれでいい、そういうことなのか――だが、姉のメリル役がコーネリアの前に進み出て、父に向かって芝居臭く、いや芝居なのだが、大げさに叫び出した。
「お父様! コーネリアの料理を食べてはいけません! 見ていてください……」
姉が指を鳴らすと、舞台の袖から一匹の犬を――とはいえ、アレは人形かなにかのようだが――男が現れた。その男はコーネリアの手から乱暴に皿を取り上げて、連れてきた犬に料理を食べさせた。するとその犬の人形が、ぱたりと倒れた。
「お分かりになりましたか? コーネリアは料理に毒を盛り、お父様と私を亡き者として、遺産を総取りしようと計っていたのです! あぁ、なんという恐ろしい子でしょう! 貴女は、悪魔の子だわ!」
事前に観客は、一生懸命料理を作るコーネリアの姿を見せつけられている。つまり脚本としては、これはメリルの計略だ、そう言いたいのだろう。
「お、お父様違うのです、私は……!」
必死に弁明しようとするコーネリア。だが父は妹の方など見向きもしない。
「あぁ、やはり私に必要なのはお前だ、メリル」
姉に対して優しく微笑む父親。それを何やらしたり顔で眺める姉。そしてわなわな体を震わせながら後ずさる妹――それは悲しみからなのか、それとも怒りからなのか――そして舞台の袖までコーネリアが下がった時、なんだか妙な音が聞こえ始めた。
「……? なんだ?」
ネイが小声でつぶやく。青年も耳を澄ませてその音の正体を手繰ろうとする。なんだか、何かが軋むような――。
「……グレース、危ない!」
そう叫んだのは、舞台上のメリル役の女性だった。必死な様子でグレースの元まで駆けより、その身を押し倒した。
直後、グレースのすぐそばにあった柱の根元が、音を立てて崩れ始め――支えを失った柱の上部が、グレースを護った女性の上へと倒れ込むのが見えた。
唐突に起こったアクシデントに、観客が一斉に慌て始めた。辺りは、絶叫の嵐である。何本もの柱で支えられているテントは、倒壊こそしなかったものの、天井の布が垂れてきている。皆一斉にテントの外へと我先へと駆けだして行った。
「み、皆さん落ち着いてください! テントは壊れませんから! ゆっくりと避難して……!」
事態を収拾しようとして、大慌てでてきた座長の言う事など、誰も聞いてはいない――青年の視界に、座長の後ろに居るグレースが入ってきた。
青年は、特別に目が良い訳ではない。見間違えた可能性もある。しかし――。
「……アタシ達も、避難するか?」
ネイに声をかけられ、青年は我を取り戻した。
「あ、あぁ……そうだな……」
そう、きっと見間違いだ。そうに違いない。青年はそう自分に言い聞かせた。
こんな大混乱を見て、狂喜に満ちた表情を浮かべるような――そんな子だとは思いたくなかった。
とりあえず今日は早めの閉園という形になった。あんな事件の後では、それも仕方が無いことではあろうが。
団員達の大半は、設営を立て直すために総員で仕事をしているようだった。それを青年は掘立小屋のガラス窓から眺めていた。現在部屋の中には、青年以外にネイ、座長と、それに先ほど怪我をしたメリル役のリリアンという女性、そして看護しているグレースが居る。
「……サーカスには、魔物が住んでるってなことで、皆大はしゃぎさ。払い戻しは一切なかったよ」
人間なんて、案外そんなものである。恐怖体験も終わればスリリングな経験として、尾びれ背びれをつけて面白おかしく語る。こんなことだからゴシップという物はよく売れるのだ。
「しかし、この続きの公演をどうするか……リリアンは、幸い足の骨折で済んだが、彼女は当分舞台に立てまい」
フレディは手で顔を抑えながら、かぶりをふった。
「まぁ、あんなことの後ですし、劇は中止にした方がいいんじゃ……」
「それは、勿論そうしたいのは山々なんだがね。だが、実は此度の公演は特別だったんだよ」
「特別って言うのは?」
「……最終日に、なんと大統領が、わざわざここまで見に来てくれることになってたのだ。それで今回のお題目は、ちょっと高尚な感じにしてたんだよ」
成程、それならばわざわざWWCが、少々高尚な旧宗主国の名作悲劇に手を出していたのも頷ける。
「あぁ、誰かいないものか……歌えて腕の立つ、そんな女性が…………うん?」
そこで、座長は青年の隣に居る少女をじっと眺めた。
「……そうですよ! ネイさんなら歌えますし、それに化け物退治できる程強いんですから、うってつけです!」
手をぱん、と叩いて、グレースが同意した。だが、青年はそれに賛同できなかった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。ネイを舞台に立たせるなんて、そんなこと……」
如何に適任と言っても、ネイは人前に立つのが苦手であるし、何より意地悪な姉の役をやらせるなど、青年は納得できなかった。
「うん……さすがに、ちょっと無理……」
相手の望みに応えられないのが心苦しいのだろう、少女は俯きながら小さく漏らす。だがすぐさまグレースが駆け寄ってきて、少女の左手をとった。
「お願いしますネイさん! 今回の劇は、それこそWWCの命運がかかってるんです! わざわざいらっしゃる大統領の期待を裏切ってしまったら、それは……!」
「で、でも……」
潤む目のグレースに、ネイはたじろいでいるようだった。それに乗じるかのように、座長の方からもう一撃加えられた。
「そうそう、もし変に目立ちたくないって言うんなら、それは大丈夫だ。化粧をすれば、女は化ける。誰も君だなんて気付かないよ」
そして更にそれに乗じて、グレースが更なる猛攻に出てきた。
「そうですよ、お化粧をして、綺麗なドレスを身に纏って……それで、歌を歌って、拍手を浴びるんです! 凄く気持ちいいんですよ!?」
ネイの肩が僅かに揺れた。そしてグレースと向き合って、真剣な表情を浮かべている。
「……アタシに、出来るかな?」
「ネイ!?」
驚いたのは青年だった。見世物になるのは御免だよ、とは彼女の言葉ではなかったのか。だが、先ほど熱心に芝居を見ていたことを思い出すと、もしかしたら少女も、あのステージに立ってみたいと思ったのかもしれない。
「出来ますよ! 絶対に!」
そこでネイに劇に出て欲しくない青年は、割って入ることにした。
「ちょっと待ってくれ。だって、そんなすぐに芝居が出来るようになるわけじゃないだろ?」
「いえ、ネイさんなら大丈夫です。だって、歌を一回聞いただけで覚えられる才能がありますし、とっても感受性豊かですもの。きっとすぐに役にのめり込んでしまいます」
青年の抗議を、グレースがすぐさまぴしゃり、と断ってしまった。
「それだけじゃない。そもそも、リリアンさんに失礼じゃないか」
その言葉にリリアンは上半身を起こし、辛そうだが気丈な笑顔で応える。
「……いいや、公演の成功が第一優先さ。私は、気にしないよ」
なんだか、段々と退路が絶たれている気がする。こうなれば、一番納得できない理由を突き出すしかない。
「……あの芝居の内容……大分改造はされてるが、オチは……」
「オチ? そうだ、途中で終わっちゃったからな。最後、どんなふうに終わるんだ?」
ネイの質問にはっとしたのか、グレースと座長は伏し目がちになる。そして一旦ネイから離れて、グレースは机の上にあった台本を、ネイに手渡した。ネイはト書きの後半部分をじっと見つめている。青年も後ろから、それを眺めて――やはり、予想通りの展開だった。
「……ほら、ネイ。こんな役を、君がするべきじゃない」
「……アタシにぴったりかもな。この役」
「あぁ、そうだろうとも……えっ!?」
「あんがとな。でも、さっき見ててさ、アタシもちょっとやってみたいって気持ちはあったんだ……だから、さ」
台本を閉じ、ネイは一座の方を見つめた。
「アタシでよければ、やってみるよ」
その一声に、一座の者たちの顔が一気に明るくなった。
「本当ですか!? ネイさん、ありがとうございます!」
「すまない。本当に恩に着るよ」
「私の代わり、頑張ってね」
諸々が諸々に礼を述べる。ネイは少し居心地の悪そうに、だが周りに受け入れられている暖かさの方が勝ったのだろう、満更でもない顔をしている。これでは納得していないのは青年一人になってしまった。
「……なぁ、駄目かな?」
少女が、不安げな目でこちらを見てくる。しかし少女が自分からやりたいというのならば、その意思は尊重してあげたい。
「はぁ……ここで俺が反対したら、悪者みたいになっちまうだろ? 君がやるって言うなら、俺も応援するよ」
青年は笑顔を作って返した。少女も笑顔で頷いた。
そこでフレディが手を叩いた。
「よし、そうと決まればすぐに衣装を用意しないとな! まず、仕立屋を呼んで……」
「……え!? ちょ、ちょっと待って、それは困る!」
座長をネイが慌てて制止する。確かに、右腕を見られるのもマズイし、触れれたらもっとマズイ。
「うん? なんでだ? 舞台用の衣装が無いと困るだろう? リリアンと比べると君は小さいし、新しく作らないと……」
「あ、アタシの方でなんとかするから! だから、大丈夫だ!」
そう言って、少女は困ったような顔で青年を見た。だが、どうしようか――青年はすぐに策が思い付いた。
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