8-2
◆
「あら、ネイ。なんだか嬉しそうね?」
自らの姉貴分、マリア・ロングコーストが、優しい笑顔で話しかけてきた。
もう夜もふけ、後は寝るだけ、というところで、ベッドの上で枕を抱きながら、少女はふと今日の出来事を思い出していたのだった。
「うん、今日、ネッドのこと、色々と知れたんだ。聞いてみると、アタシと結構境遇が似ててさ……」
「あら、やっぱりお似合いね?」
「ば、馬鹿! アタシは、別にそんな……」
言われて、勢いで否定してしまったが、何故マリアの言葉を否定する必要があったのか、少女は自分でもよく分からなかった。
だけど、恥ずかしいけれども、なんだか嬉しい様な、そんな気持ちになった。
「ふふ。まぁ、何にしても良かったわね」
「あぁ……なんだか、最近いいことばっかりだ。マリアとも会えたし……それに、友達も出来たんだ」
「へぇ……どんな子?」
マリアも寝間着の準備が出来たのか、隣のベッドに座って少女に向き合った。しかし、なかなか色っぽい寝間着姿で――対して、自分は肌着にズボン、なんとも色気のない感じであった。
「……ネイ? どうしたの? なんだか、ボーっとしちゃって」
「い、いや、大丈夫……それで、どんな子かって話だったよな? その子、グレースって子なんだけどさ。記憶喪失って、大変な境遇なんだけど、明るい奴で……それになんだか、リサに似てるんだよ」
リサ、という名前を出した瞬間、マリアの表情が優しい笑顔から、驚いたようなものに一変した。。
「……マリア?」
「え、えぇ……良かったわね……」
マリアは寝間着でも外さず付けている胸の十字架を握りしめ、俯いて小さく首を振った。
「……マリア、リサのことを何か知ってるのか?」
「いえ……スプリングフィールドを出されてから、一度も会っていないから……だから、驚いちゃっただけ。貴女と会えただけでも奇跡的な確率だったでしょうに、そのうえリサとまで、なんて、なかなか、ね……」
確かに、この広い大陸で、こんな短い時間に一気にマリアとリサと会えるなんて、僅かな確率だろう――ちなみに、昨晩ジーンのことは既に話してあった。ジーンとマリアは大の仲良しだったので、ショックも大きかったようだけれど、しっかりと納得もしてくれた。
「そ、れ、よ、り、も~……ネイ、貴女、もしかしてだけど……さっき、私のパジャマを見てたの?」
「そ、そんなことないよ? 別に、なんか自分のが子供っぽいなーとか、そんなの、全然……」
そう言うと、マリアは意地悪そうに笑った。
「なるほどなるほど~。でもネイ、貴女も、もう十七ですから。もう少し女らしい格好をするのも、いいかもしれないわね?」
「……アタシはいいよ、そんなの、別に……」
言いながら、少女はごろん、と反対を向いた。図星を突かれて、気まずかったのだ。
「うーん、そうかしら? ネッドさんも、喜ぶかもしれないわよ?」
「ど、どーしてアイツの名前が出てくるんだよ……?」
「さぁって、どうしてかしらねぇ?」
「……もーいい。アタシは寝る」
そして目を瞑った。なんだかもやもやするので、早く眠ってしまいたかった。
「ふふ……それじゃ、おやすみなさい、ネイ」
マリアが明りを消したらしい、瞼の裏からでも暗くなったのが分かった。
結局、あれこれ考えてしまい――そして、しばらくして、意識が落ちかけた時に、扉の開く音がした。どうやら、マリアが出ていったらしい――きっとベルの様子でも見に行ったのだろう、ちょうど睡魔が猛烈に来ている所だったので、少女の意識はそこで途切れた。
◆
保安官の事務所で懸賞金を受け取り、二人はセントフランの一角で休んでいた。
今朝は少女の機嫌が悪かった、というわけでもないのだが、なんだか変な調子だった。しかし現在、アイスクリームを持たせると、すっかり機嫌も良くなっていた。
「……しかし、何にしてもさ。マリアと一緒に住むのはマズイと思うんだよ」
「そうかもなぁ。折角ルイスと良い雰囲気なのに、ぶち壊しにするのもな」
昨晩もルイス邸に泊めてもらったのだが、ずっと厄介になる、というと話は別だし、マリアはルイスに孤児院での出来事は伏せているらしい。そうなれば、ネイが一緒に住むのは何かと都合が悪いのも仕方のない話である。
「うん。それであの村住むにしても、アタシ一人じゃ生活は……」
新しいポンチョの下から、右腕を出して眺めている。あの小さな村では、自給自足に物々交換で十二分にやっていけるだろう。だがそれは、他人が絶対的に必要とするのであり、マリアという仲間が居ても、むしろそのマリアに迷惑をかけてしまうかもしれないことを考えれば――その身に呪いを受けている少女が確あの村で暮らすという選択肢は、確かに得策ではないかもしれない。
「ま、あんま暗い顔をしなさんなって。折角の好物の味が、分かんなくなっちまうだろ?」
青年は解け始めているアイスを指差した。
「……あぁ、そーだな。まぁ、もうちょっと色々考えさせてくれ」
そこまで言って、ネイは解けて垂れないように、一生懸命アイスと格闘し始めた。それを眺めているのもなんだか面白かったのだが次第に手持無沙汰になり、青年は辺りを見回した。
「……? なんだ、アレ?」
あるモノが目に留まった。並ぶ屋根の向こう、少し拓けた高台の方に、何やら高い柱が建てられている。とはいえまだ建設中のようで、所々に布がかけられていたり、人々が柱を組みあげているようだった。遠くから見ると、小人が一生懸命何かを造っているように見えた。
しばらくそれを眺めていると、どうやら食べ終わったらしい、左の指先をぺろ、と舐めて、ネイが答えた。
「お前にわからねーもんを、アタシが知る訳ないだろ?」
「いやまぁ、そうかもだけど……しかし、あんな細長くっちゃ人が住める訳でもない。なんかの記念碑か何かかな?」
「……あれは、電波塔です。北部の主要都市では、着々と完成品があがっているんですよ」
辺りの雑踏をかき分けて、こちらまで聞こえた声に青年が振り向くと、そこには輝くブロンドの美しい乙女、グレース・オークレイが立っていた。
「……電波塔?」
「えぇ、電波塔です。私も細かいことは分からないんですけど、なんでもある場所から電波、とかいうものを発信して、アレで受信することで、色々出来るようになる……とか?」
得意げな顔は次第に困り顔になり、最後は疑問形だった。グレースも、良く分かっていないのだろう。そして言い終わってしばらくしたら今度は怒り顔になった。とはいえ、頬をふくらませて抗議を示そうとしているだけで、本気で怒っているというわけではないらしい。
「とにかく、二人とも探しましたよ? 全然サーカスの方に来てくれないんですもの」
「いや、わりーなグレース。ちょっと、色々あってさ……あ、でも探し人が一人見つかったんだ!」
「……え?」
そこで、グレースは一瞬止まった。
「あの、マリアさんって方ですか?」
「あぁ、そうなんだよ!」
ネイは嬉しそうに報告している。グレースはネイの嬉しさにつられたのか、次第に笑顔になってきた。
「そうなんですか! 良かったです! 私も、お会いしてみたいなぁ、マリアさんと」
「それなら、一緒に行くか? これからもう一回、会いに行こうと思ってたんだけど」
「是非! と、言いたい所なんですけど、私はショーの方が忙しいので……WWCでの公演が、落ち着いてからですかね」
グレースは残念そうに目を伏せた。だがすぐに明るい調子になり、顔を上げる。
「でも、先に約束したのは私ですよ!? だから、ショーを見に来てくださいよ。今日設営が終わって、これから開幕なんです!」
「そっか、そういうことなら……」
ネイが青年に目配せした。別に、すぐさま発つ理由も無いし、青年もWWCのショーには興味があった。
「それじゃあ、せっかくだし見に行ってみるか」
「わぁ! ありがとうございます、ネッドさん!」
喜びの余りなのか、グレースは青年の所に走り寄ってきて、両手で青年の右手を取った。以前と同じように、しっかりと握られる――だが、今度は顔を赤くして、すぐに手を離してしまった。
「ご、ごめんなさい私ったら。はしたなかったですね……でも、ずっと貴方達のことを考えていまして」
「い、いや、そんなことは……」
絶世の美少女が恥じらう様に、青年はやはり動揺してしまった。しかも、天下の往来で――WWCの噂は、大陸に広く知られているはずで、まだ所属半年と言えでも、これからスターになるであろう彼女にあらぬ噂でもたってしまったら申し訳ないというか、しかも先ほど名前で呼ばれたような――とにかく青年は焦った。
「……おい、お前さ……」
青年の背中に、ネイの声が突き刺さる。何だか、マズイ気がする――青年は冷や汗を垂らしながら振り返ると、そこには寂しいような、困ったような少女の顔があった。
「……ごめん、やっぱなんでもねーよ」
少女は荷台から飛びおりて、グレースの横に立った。
「さ、案内してくれよ。グレースが活躍するの、楽しみだな」
「えぇ! 私、頑張っちゃいますから! 見ていてくださいね、ネイさん!」
二人とも笑顔だった。けれど、一人の笑顔は、なんだか作り物のようだった。
サーカスに着くと、グレースの顔パスのおかげで、二人は中へ無料で入ることができた。
柵で囲まれた敷地の中には、様々な見世物が並んでいる。現地の人の協力もあるのだろう、食べ物の出店も賑わっているようだった。中央には巨大なテントが鎮座しており、恐らくアレがショーの目玉であるということは容易に予想できた。
「うぉ!? なんじゃアレ!?」
女の子がなんじゃ、なんて言うのも難じゃとも思ったが、ネイが楽しんでいるようで何よりである。
現在、眼の前で東洋人の男が、棒の上の皿をくるくる回す芸をしているところだった。
「すげーな、どうやってバランス取ってんだ? アレ」
目の前の東洋人の何が凄いかと言えば、両手どころか片足にまで棒を乗せている所であった。
「いやぁ、きっと棒の先に糊かなんかで付けてるんだと思うよ」
しかし、青年の煽りが聞こえたのか、男は不敵に笑い、棒をふっ、と突きあげた。棒に押された何枚もの皿が宙を舞い――割ってしまったらもったいないなどという青年の予想をさくりと裏切り、男は再び器用に棒の上に皿を乗せ、そして回転させ、イイ笑顔で再びこちらを見た。
「おぉ……すげーな!」
男の得意気な笑みに、少々癪な気持ちもしたが、隣で少女が楽しそうにしているので、青年は吉とすることにした。
グレースとは「準備がある」とのことで、一旦別れることになった。なので、今はいつも通りに二人きり――とは言い難いような状況で、とにかく見世物みたさに集まった人々で、柵の中が埋め尽くされていた。普段はカードや世間話、他には酒くらいしか娯楽も無いのだから、物珍しさに人が集まるのも頷ける話だった。
「しっかし、それにしても人多すぎだろ……おい、ネイ、大丈夫か?」
「あ、あぁ。まぁ、人ごみは苦手だけど……おっと」
ネイはぶつかりそうになった子供をよけて、再び青年の方に向き直った。
「……これだと、はぐれちゃいそうだな」
「そうだなぁ……それじゃあ……」
どうしたものか、手でも繋ごうか――確かに緊急事態と言うか、それこそはぐれる方が大変だ。そう考えれば、それもやむなしなのではないか。しかし、以前の青年なら冗談めかして言う事も出来たのだが、今となってはそれもかなり恥ずかしい。何より、それは少女が許してくれるか――ふと、青年の右手の袖が上がった。何かと思ってみれば、ネイが左手で、青年の袖を掴んでいた。
「は、はぐれたら大変だから……だから、仕方ないだろ?」
顔を上げれば、少女がやはり目を背けて、顔を真っ赤にしていた。
「……いや、かな?」
「い、いやいや!? 仕方ないっていうか、むしろ嬉しいよ!?」
「う、嬉しいとか……ばかなこと言うなよ……」
ごにょごにょ、といった調子で、消え入るような声だった。
それからしばらくは、上の空で見世物を練り歩いた。かわされる言葉と言えば「すごいな」「うん」くらいの応酬だった。
「……グレース、可愛いよな」
ふと、少女が言葉をこぼした。
「あぁ……まぁ、そうだな」
「なんか、お前気に入られてるよな」
「まぁ、そうかもな」
そこで、少女は一旦沈黙した。すぐ隣に居る少女、改めて見ると、本当に小さくて――どうしても見下ろす形になってしまって、今どんな顔をしてるか分からなかった。
「……アタシ、グレースの事、好きだよ」
「うん。イイことだと思う」
「でも、なんだろう……うん、羨ましいんだな。アタシは、あの子が……」
そんな自分を卑下することなんてない。そう言おうと思った。だけど、少女が今何を想っているのか――それを知りたいのも事実だった。
「可愛いし、綺麗で、素直で……何よりも……」
袖を掴む力が強くなるのを感じる。それは掴みたい何かを、必死に逃さないようにするかのようだった。
「……反対に、アタシは……あべこべだ」
男のような言葉使い、混血、左右非対称の腕。確かにあべこべな所はたくさんある。
そして、少女の袖を掴む力が弱くなり――今にも離れてしまいそうな、その瞬間だった。
「おぉ! NNコンビじゃないか!」
聞き覚えのある声に、青年は我に返った。ネイもそうだったのだろう、すぐさま袖を離されてしまった。声の方を見ると、座長のフレディが手を振ってこちらへ歩いてくるのが見えた。
「どうした、そんな慌てた調子で……ははぁ、いけないよアークライト君。彼女、十四歳くらいだろう? 対して君は二十歳かそこら、さすがに犯罪臭がするねぇ」
やはり客観的に見るとヤバく見えるらしい。青年はなんだか少し哀しくなった。
「というか、俺って二十歳くらいに見えます? 普段、もっと老けて見られるんですけど」
「うん? そりゃあ君、アレだよ。世の中のオッサンには、オーラで相手の年齢を見抜く力があるんだよ」
そこまで言って、フレディは自分で言ったことに笑いだした。自分にもいつかオーラが見えるようになるのだろうか、そんな気は全然しなかった。そもそもオーラとは何なのかも良く分からなかった。
「はぁ……オッサン、外してるぞ? こっちは十七なんだからな」
「おぉ? そうなのか? すまんすまん、言い忘れてたが、オーラが見えるのは同性限定なんだよ!」
そしてもう一度、座長は大笑いした。
「まぁ、冗談はさておき、オッサンも二十の時があったからな。だから年配者ってのは、同性に限りだが、雰囲気で相手の年齢がだいたいは分かったりするもんなのさ……と、そろそろ劇が始まるぞ? グレースが主役なんだ、見てやってくれよ」
「劇? 劇をやるのか?」
「なんだ、グレースから聞いてなかったのか? まぁ、それならそれで、サプライズを楽しめばいいさ。劇は中央のテントの中で行われる。道案内は、しなくってもいいだろう?」
フレディが、すぐ隣を指差した。見ればすぐ近くに、長蛇の列が出来ている。それはその先、テントの入口へと続いていた。
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