2-6


 荷台を繋げてゆっくりと走る馬車は、半日ほどかけて暴走体に襲われた森を抜けて、更に奥にある丘のふもとに到着した。ちなみに以前より到着が早いのは、足跡を見つけて追跡する必要が無いからである。麓と言えども、ここは少し小高い場所であり、下には川が流れているようであった。そしてここから先の斜面は、足場は安定しているが、傾斜がややきついため、荷台をつけたままでは登れそうにない。そのため麓の岩場をキャンプ地として、二人は足でその小さな山を登ることにした。登り始めはまだ日があったが、頂に着くころには丁度日が傾きかけていて、今は水筒を取り出し、山の上で一服中、というところだ。


「しかし、なんだってこんな山の上に登ったんだ?」


 少女の方から、疑問の声があがる。水筒から口を離し、青年はその質問に答える。


「夜になれば、輝石の明りが見えるっつっても、夜にあちこち探すのも大変だろ? それなら、高い所から探してみて、目星をつければいいんじゃないかなと思ってね」

「ふむ、成程な。お前にしちゃ上出来じゃねーか」


 別に、誰でも思いつきそうなアイディアだが、少女が褒めてくれたので青年は素直に喜ぶことにした。


 そして少し経つと、辺りが暗くなり始めた。まだやや西日が射しているモノの、青年は荷物から望遠鏡を取り出し、右目にレンズをつけて辺りを見回した。遠くには、村の灯りが見え、その周りには荒蕪地が広がっている。しばらく探しても村以外に明りはなく、あったと思ったらそれは雲の合間の星明りであった。試しに、後ろも見てみるが、二人の昇って来た丘の奥は山になっており、まだ残雪の残る山のどこにも、明りは見受けられなかった。


(……しくじったかな)


 青年は、そう思った。五分かそこらそうしていたのが、まったく手がかりになる様なものは見つけられない。


「……おい、お前」


 少女が声をかけてきた。先ほどまで隣に居たはずなのだが、退屈で辺りを少し歩いていたのだろう。やや離れた所から声が聞こえた。


「んー? なんだ?」


 青年はレンズから眼を離さずに返事を返した。折角登って来たのだ、なんとしてでも見つけたい。さもなければ、文字通りにくたびれ儲けである。


「アレじゃねーか?」


 アレとは何だろうか。唐突に少女は語彙が残念になってしまったのだろうか。


「アレってなんだ?」

「だから、アレだよ……おい、望遠鏡を下げて、ちょっとこっちに来い!」


 青年は言われた通りに、望遠鏡を下げて少女の方まで歩いて行った。


「あー? だからなんだ……」

「アレだよ、アレ」


 そう言って、少女は指を斜め下に向けた。その先は、二人の居る丘と奥の山との間の渓谷部分の下であった。しかし、辺りが暗くなっているせいか、肉眼ではほとんど何も見えない。


「……お前の手の物は、なんのためにあるんだよ?」


 眼を細めて凝視している青年に対し、呆れたような声が飛んできた。確かにその通りだと、今度は望遠鏡を持って、少女が指差した方を確認した。奥地なので、まだ雪が残っているのだろう、レンズ越し雪が月明かりを反射して輝いているのが見える。少しずつ少しずつ筒をずらして行くと、雪が僅かばかり、鼈甲色に輝いている部分があるのを発見した。その辺りを注視すると、岩壁の一部分に穴が開いていて、そこから光が漏れているようだった。あそこなら、この山を迂回していけば、村から早馬なら三時間程度、という距離だ。荷台を付けたゆっくりな馬車でも、キャンプ地を朝一で出れば、昼には着けそうである。


「……君は本当に目がいいな」

「ふっふーん、だろ?」


 少女が少し得意げになって、胸を突き出している。割と打ち解けてきたおかげか、茶目っ気も見せてくれるようになってきた。


 そして、二人は来た傾斜を降りはじめた。夜で足元が見えにくいため、ゆっくりと降りたので、下りといえども登りよりもやや時間がかかって、キャンプ地へと舞い戻った。そして遅い晩飯を食べ終わり、ネイの淹れてくれたコーヒーを飲み終わったら、今日は寝るだけという所である。


「いやぁ……どうしよう、今まで持ったことの無いような大金が入っちゃうなぁ」


 袋に入れられるだけの輝石でも、相当な益が出るはずだ。それは、件のジーン・マクダウェルの賞金額に匹敵するくらい――とまではいかないにしても、数万の稼ぎにはなるはずである。青年は今のうちからなんだか興奮してしまった。


「ふぅん、でも、数万あったって、荒っぽいことやってりゃすぐに無くなるぞ?」

「……さすが、一回に数万稼ぐお方は、言う事が違いますねぇ」


 その認識の違いに、改めて少女と自分は生きる世界が違う事を自覚した。自分は、小悪党を掴まえてそこそこの賞金を稼ぐのがせいぜいだが、ネイは最低一万以上を標的に立ちまわって生きてきたのだ。金銭感覚に違いがあるのも、頷ける話であった。

 などと少し意気消沈していると、カップを一口、その後少女が口を開いた。


「しかし、お前さ、そんな金を手に入れて、どうするつもりなんだ?」

「いや、まぁ、生きていくために……」

「そーじゃなくってさ……お前、ずっと賞金稼ぎやって生きてくつもりか? 何か、目標とか、夢とか無いのかよ?」


 そう言われて、青年は何故だか心が抉られるような想いがした。それはきっと、あまり見ないように奥の方に仕舞っていた箱を、少女がふと、何の気なく開けてしまったような、そんな感覚だった。


「夢、ねぇ……夢かぁ……」


 そう、考えたことも無かった、とまでは言わないにしても――少女が言っていたように、人に銃口を向けた分だけ、人に狙われるのだから、賞金稼ぎという稼業でずっと生きていけるはずがないのだ。

 だが、結局今のままでなんとなく生きていけるのだから、若さに任せてなんとなく生きてきてしまった。しかしそれは、果たして生きていると言ってよかったのだろうか。それは、死んでいないだけであった気がする――そう、自分は人の自由を売って、自分の自由を買って、そして、それだけだった。大望のために資金を貯めているだとか、世のため人のために悪人を掴まえているだとか、そういう目標など掲げていなかった。勿論、賞金がかけられるような連中を、世にのさばらせておくのもマズイのだが、そう考えれば、何の哲学も無しに、ただ息をして、飯を食って、人を掴まえていた自分が、酷く矮小な存在に感じられた。


「……他人のことを聞くには、まず自分からって、大佐から習わなかったか?」


 青年は苦しくなって、質問を質問で返すことにした。相手の話を聞いて、そして、何か上手い事を思い浮かべばよし、ないなら相手に話すだけ話させて、煙に巻いて寝てしまえばいい。


「習ってねーよ、そんなこと……でも、アタシの目標は、この前言っただろ? 施設の生き残りを探すことだって」

「あぁ、そうだな……そう言ってたな」


 そして、この差だ。少女は人の脅威となる化け物を倒して賞金を稼ぎ、かつての仲間を探すという、しっかりとした目標を持っている。それがどんなに困難で、文字通り不毛の荒野に一輪の花を探すような大業だとしても、それをやり遂げる意思がある。


「もし……見つか……見つけた後は、どうするんだ?」


 見つからなかったら、そう聞こうと思った。青年は哀しい程に後ろ向きでなので、最悪の場合を考えてしまう習性がある。しかし、それを相手に強要するのも違うと、それは分かっているつもりだった。


「うーん、そうだな……うん、見つからないかもしれないな」


 そう言う少女は、哀しそうに笑った。


「アタシだって、分かってるんだよ……この広い世界で、人一人を探すのだって大変で……しかもアタシ達の場合、あんまり事情も言えないだろ?」


 そう、あまり事情を言うのはマズイ。まず、秘密裏に行われていた人体実験など、信じられない可能性が高い。次に、仮に信じられたとしても、それを悪用しようとする連中が出てくることだってあり得る。第三に、もし以前の実験関係者に見つかった場合、過去の罪を隠ぺいするために何をしてくるか分からない。そして何よりも、あまりに強大な力に、理解の無い人々が怯えてしまって――最後の点に関しては、きっと少女は身を持って感じていることであろう。


 青年がそのように考えていると、ネイはポンチョの下から赤の腕を出し、それを眺めながら呟くように続ける。


「しかも、生きてるかだって、分かんねーんだ……そんなの、見つかる訳ない。分かってるんだよ、アタシだって、そんなことは……」


 その時の表情は、哀しそう、とは違ったものであった。その右の腕では掴めない理想を、半ば諦めているような――そんな表情であった。


「アタシは……アタシはきっと、居場所を探してるんだ……アタシが居てもいい、そんな場所を……そこに辿り着くのが、アタシの夢……」


 そして、その赤を星の海に投げ出して、誰に言う訳でもない、そんな様子で言葉を紡ぐ。


「……そして、いつかこの腕を認めてくれる……許してくれる、そんな場所に辿り着けたら……」


 何故、少女が許しを請う必要があるのだろうか。それは、誰とも知らない大人が、勝手に少女に押し付けた物だ――それは、君が背負う罪でも何でもないのに――何故、少女が罰ばかりを受けなければならないのだろうか。


「ははっ、ごめんな、またなんか、こんな空気にしちゃって……」


 気がつけば、少女は両の腕で自分の足を抱いて座っている。それがなんだかいじらしくて、哀しかった。今にも泣いてしまいそうな、そんな自分を、精一杯慰めているようだった。


 結局、出会ってこのかた少女に与えられ物は、余りにも少ない。きっと、一時の気の慰めにしかなっていない。これでは、あまりにも情けない――結局、自分は少女のために何かしてやった気になっただけで、根本的な解決にはなっていないのだ。


 そう思った瞬間、青年の前に二つの道が現れた。それはまず、当初の予定通り、この仕事が終わったら素直に別れる道。結局、どこまでいっても他人は他人。そして自分と少女は、生きている世界が違うのだ。面倒事は、無理して背負わないのが自分の主義である。きっと以前までの青年であるならば、自分にそう言い聞かせていたであろう。


 だが、どうしてもそれでは納得できなかった。少女と出会って、そんなにまだ長い訳ではないが、どうにも放っておくことが出来そうにない。勿論、一緒に居て楽しいのも事実だ。少女自身は無自覚だろうが、一見乱暴だが根は素直で、可愛げがあって、青年の適当な言葉にも、きちんと適切に対応してくれる。危ない時もあったが、それ以上に、自分が充実していたことに、改めて気付いた。


 しかし何よりも、眼の前で自らの体を抱いている小さな少女に、笑っていて欲しかったのだ。


 気がつくと、少女は少し顔を上げ、青年の方をじっと見つめている。


「……おい、黙ってんなよ。アタシの夢は話したんだぞ? 今度は、お前の番じゃないのか?」

「……君はまったく、良いタイミングで声をかけてくれるね。丁度、思いついた所だよ」


 その返しに、少女は少し笑ってくれた。


「ふふっ、なんだよ。夢ってそんな即席なモノで良いのか?」

「いいんだよ。なんせ俺は、根っからの風来坊なんだからな。夢もひゅっと現れるもんなんだ」


 しかし、この目標は、さっと消し去ってしまう訳にはいかない。衝動的に決めたことかもしれない、情に流されただけかもしれない。でも、ここで口にすることで、覚悟をしっかり固めてしまいたかった。


「いいか、俺の夢はな? 俺の夢は……」


 青年は立ち上がって、おもむろに少し歩きだした。確かに言うつもりなのだが、なかなか言うのは気恥かしいモノがある。今まで人を避けてきた訳ではないが、深い付き合いは無いように生きてきた。だから、重大な決心を他人に告げることに、青年はあまりにも慣れていなかった。


 それにしてもいいのだろうか。やはり、格が違い過ぎるのではないか、そもそも、向こうからしてみたら有難迷惑かもしれない、一大決心を笑って流されたらどうしよう――。


「……おいお前、さっきからうーうー言ってるけど、大丈夫か?」


 気付かぬうちに唸っていたらしい。これは恥ずかしい。しかし、何時までも情けない姿を見せている訳にもいかない。カッコ悪いからイヤとか言われかねない。いや、カッコ良くもないのは確かなのだが。


(っと、いかんいかん! こんな風に思ってたら、埒が明かないぞ、俺よ!)


 そう思って、青年は一つ深呼吸をし、少女の方を向いて、覚悟を決めた。


「いいか、よく聞けよ……俺の夢は……!?」


 青年の言葉は、一発の銃声にかき消された。直後に、鈍い痛みが青年の肩に走る。幸い、致命傷ではない。銃弾は肩を抜けたようだ。しかし撃たれた衝撃と痛みで青年はよろよろと後ずさり、崖の手前で座りこんでしまった。


「ぐっ……!?」

「お、おい!? お前、大丈夫……!?」


 ネイが立ち上がって、青年の方に駆け寄った。だが、それがまずかったのだろう。異変に察して、戦う準備をしておけば、襲撃者に取り囲まれる前に、どうにか出来たかも知れないのだ。しかし現実はそうではなく、慌ただしい足音と、二人の方に向けられる無数の銃口、イヤにニヤついた男たちの顔が、囲んでいた焚火で照らし出された。成程、こんな遮蔽物も無い所で火を焚いていたのが失敗だったのだ。


「へへっ……この前はよくもやってくれたなぁ?」


 その中には、あの巨体、ペデロも含まれていた。


「ちっ……お前ら!」

「動くな! 動けば、その男を殺す!」


 夜の闇を裂く、峻烈な声が響く。しかしそれは、周りの下卑た男たちの物では無い、確かに女性の声であった。


「ちっ……!」

「……こちらには、腕のいい狙撃手がいる。それは、先ほど証明しただろう? さぁ、得物を捨てな」


 ネイは悔しそうに抜こうとしていた左手を抑え、ポンチョをまくりあげて、周りに見えるようにしながらホルスターを外し、後方にに置いてあるライフルの方へと投げ出した。


「……お前一人なら、どうにか出来たかも知れないのにな。そんな足手まといを連れているから……なぁ?」


 そして、軽やかな足音が聞近づいてくる。そして焚火に照らし出されたのは、あの列車で見た、美しい銀髪だった。


「ネイ……裏切り者のネイ!」

「……!? お前、どうしてアタシの名前を……」


 その質問に対し、女はまず氷のような無表情を浮かべ、直後、何かに合点がいったのか、狂ったように笑い出した。


「あはははははははは! あー……そうだな、そうだそうだ……私はお前のせいで、随分と変わってしまったからな……まぁ、赤毛も好きじゃなかったが……」


 ネイはまず、戸惑ったような表情を浮かべたが、女の顔をしばらく凝視してから、その表情は驚愕の物に変わった。


「ジーン……赤毛の、ジーン……!」


 そう、それは青年が一度は打ち消した可能性だった。しかし、敢えて告げなかった理由は、身体の特徴が一致していなかったのもあるが、何よりも――少女の旧知が、このようにならず者になっているという可能性を告げるのが、やはりはばかられたからである。


「そう……お前を列車で見た時、なんだか懐かしい感じがしてね……」

「で、でも! お前、その髪……!?」

「お前のせいだよ、ネイ」


 そこで女は話すのを中断し、一気に背後から冷たいものを排出する。


「私は、裏切り者は許さない……さぁ……」


 ジーンは、腰に下げた得物に手を伸ばす。発せられるのは凍るような殺気――しかしそれは、どうにもやり切れない怒りを、どうにか抑えているような、そんな気配にも感じられた。それに対してネイは、ただただ茫然と、その女の所作を見守るばかりである。


 しかし、とにかくこのままではマズイ。青年は自らの左の肩を右手で抑え、痛みをこらえながら、どうにか事態を切り抜ける術を考えた。上手くいくかは分からないが、行動しなくては何も変わらない。とにかく、必死で思いついたことを叫んだ。


「ま、待て! 俺たちを殺したら、お宝の場所が分からなくなるぞ!?」


 しかし、そんなことでは女の殺気は止まらない。むしろ動揺したのは、周りの男たちの方である。ペデロがおっかなびっくりにマクダウェルに近づき、声を掛けた。


「お、おかしら……もしかしたら、例の鉱脈の話かも……」

「五月蠅い、声をかけるな」


 マクダウェルは、そんなことなどどうでも良いようである。しかし、さしもの冷徹女も、後ろから聞こえた銃声に、その殺気を抑えた。音のする方を向いてみれば、かなり離れた岩場の上で、外套で頭をすっぽり隠してしまった人影が、右手に持つイヤに長い銃身から煙を出しているのが見えた。青年は顔を見ようと注視するが、どうやらフードの下に更に仮面を被っているようである。


「……落ち着け、マクダウェル。我々の第一目標を忘れたか?」

、という言葉で括るんじゃないよ。私の、の間違いだろう?」

「それは、否定しない……だが、貴様も眼が後ろの付いている訳ではない。妙な真似をしたら、撃ち抜かせてもらうぞ……この距離では、さしもの銀刀も厳しかろう?」

「ちっ……だが、別に一人をやったところで、問題は無いはずだ」

「あぁ、そうだな」


 その瞬間、青年はその銃口が、自らの方に向いていることに気付いた。まずは自分の身を護らなければならない。幸い、周りの男たちも、マクダウェルも岩場の男を見ている。それならばと、立ち上がる勢いで、踵のシリンダーを起動した。


「確かに、一人で十分だ」


 闇夜の下で、岩場から煙が噴射した、その瞬間であった。ほぼ一瞬のズレも無く、青年の体に衝撃が走る――それは先ほどと同じような鋭い痛みであった。とっさに立ち上がって居なければ、心臓に刺さっていたであろう弾丸は、今度は青年の左足に突き刺さり、逆に衣服を強化してしまっていたせいか、体に残ってしまった。


(な、なんで……確かに、コートを強化して……!?)


 そんな風に思ったのも束の間、足を撃たれた衝撃で、青年はよろめき――本来なら有るはずの、踵に戻ってくる地面の反動が無いことに気付いた。


「あっ……!」


 少女が、驚愕に眼を見開いて、そしてそのまま駆け寄って、恐らく無我夢中だったのだろう、赤い右の手を差し出してくる。青年はその手を取ろうとするが、残酷にも二つの手は互いに空を切って終わった。そして、青年の体は重力に引かれるがままになった。


 なんだか、時間が流れるのがゆっくりに感じられる――少女の顔が、悲痛なモノになるのが見える。そして――。


(あぁ……俺は、君にそんな顔をして欲しくないのに……)


 段々、少女の顔が見えなくなる。その代わりに、叫び声が聞こえてきた。


「ネッドォォォォオオオオオオオ!」


(……初めて、名前、呼んでくれたな……でも……)


 泣いてるんだろうな、泣いてるんだ――そう思った。


 ◆


「うわぁあああああ!」


 ダスターコートの男を追おうとする少女の外套を、ジーン・マクダウェルがひっ捕まえた。


「アイツはあっち、お前はこっち……しかし、勝手なことをしてくれたよ」


 そう言いながら、ジーンが後ろの岩場を睨みつける。


「いいや、気を使ったんだよ。十年来の旧知なのだろう? 出会ってすぐにさようならでは、もったいないのではないかと思ってな」

「ちっ……まぁ、いい。確かに、すぐに殺すのももったいないかもしれない」


 そう言って自分を納得させたかのように、ジーンは暴れる少女の方に向き直った。


「離せ……離せよッ!」

「ふぅ……お前は、昔からそうだった」


 そして、思いっきりぐい、とネイを引き寄せると、女は腹に一発、少女に打つには情け容赦の無い拳を叩き込んだ。


「がっ……!」

「昔から、聞きわけの無い子だったな……少し、大人しくしていろ」


 そして、ネイの上半身はぐた、と力無く崩れる。気を失った少女を半ば抱きかかえるような形になって、ジーンは部下の一人に命令を出す。


「こいつを、村まで運ぶんだ……ただし、気を付けろよ。コイツは死神だからな……右腕に触れれば、もれなくあの世に招待されるぞ」

「は、はぁ……?」


 当然、男は面食らった顔で呆然とする。それに対して、銀髪の女は、どこか憐れむような顔で少女を見つめながら呟く。


「嘘じゃないよ……コイツに関わると、皆死ぬんだ。さっきのあの男だってそうだっただろう?」


 それでも、訳が分からない、という顔をする男に、親分は少々いらついたような口調になって続けた。


「お前が馬鹿だと言う事は良く分かった。それなら、触れてみな。コイツの右手に触れれば、全てが分かるよ」


 親分の凄味に威圧されたのか、それとも、冗談のようでも触ったら死ぬ、というのが恐ろしかったのか、男はもう一人救援を呼び、腫れ物に触るかのような――むしろ、触りたくない、忌々しい物に触れるかのような調子で、二人がかりで運んでいった。

 ジーン・マクダウェルはその様子を、何故だか辛そうな面持ちで見つめていた。


 ◆


「はぁ……はぁ……!」


 体が、芯まで冷えているのを感じる。冬の明けたこの時期の水は、相当に冷たい。川に落ちた衝撃で意識が飛びかけたが、青年はある一つの信念のため、なんとか凍えるような川から這い上がった。


(……俺は、死ぬわけにはいかない……!)


 そして、近くの岩を背もたれにして、ベルトから細い糸が巻きつけられたボビンを取り出す。その糸に電流を流し、弾丸の刺さった足の傷痕に糸を突き刺した。


「うっ……ぐぅ……!」


 傷口に、更なる痛みが加わる。だが、ここで意識を飛ばす訳にはいかない。指先に違和感を覚えて、体内にある異物に糸を巻き付け、そのまま一気に引き抜いた。乾いた音と共に、赤く染まった鉛の玉が地面に転がった。そしてすぐに、傷口をその糸で縫い合わせた。


(ネイは、死神なんかじゃない……それを、証明するために……!)


 弾丸の抜けていた左肩も、同様に止血をした。立ち上がろうとするも、体に力が入らない。だが、ここで果てる訳にはいかないのだ。這うように動きだすが、肩も足もやられているのだ。ほんの少ししか動くことが出来ない。


 それでも、青年はもがくことを止めなかった。


(助けなきゃ……俺が……あの子を……笑顔に……)


 そこで、青年の意識が遠くなった。どこからともなく、馬の蹄の音が聞こえた気がした。



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