第3話 俺たちに明日はあるのか 下

3-1


 視界いっぱいに広がるのは、セピア色の光景。これは、遠い日の記憶。


 断崖絶壁に、一人の壮年と、二人の少年が追い詰められている。数多の銃声、そして、壮年の体から噴き出す液体――周りは白黒なのに、何故かそれだけ鮮明に赤い。二人の少年が、何やら叫んでいる。そして、一人の少年は、そのまま崖に突き落とされて――。




 そこで、景色が急激に入れ替わった。視界に広がったのは、テントの天井であった。次いで音、近くから火を焚く音が聞こえる。そして、自らの体に暖かい毛布がかけられている感覚。最後に、嗅ぎ覚えのある猛烈なタバコの香りを感じた。


「……眼が覚めたか」


 その声に、ネッドは上半身を起こす。鈍い痛みは残っているモノの、右肩に白い包帯が巻かれており、しっかりと手当てされているのに気付いた。


「……おかげさんで。命を救われたのは、これで二度目だなトッツァン……いや、ワナギスカ酋長」


 そして、声の主の方に向き直る。その声は、以前に聞いたことがあるものであった。見れば、頭に大きな鳥の羽根の飾りを付けた、老年の男性が、右手にタバコのパイプを持ち、あぐらをかきながら座っている。その顔に刻まれた皺は、あれこそ海千山千とでもいうのであろうか、人生の荒波を乗り越えて刻まれてきたモノに相違なかった。


「久しぶりだな、ネッド・アークライト……今度は、どうしてあんな所に居た?」


 ポピ族の酋長は、口から大いに煙を吐き出しながら、青年に質問を投げかけてきた。


「五年前と同じさ……追い詰められて、崖から落とされた」

「だが、あの時は銃で撃たれていなかった……あのころよりも、なお悪くなっている」

「はは、違いない……しかし、縁があるね」

「それが、お前の本質なのだ。お前が、望むとも、望まぬとも……」


 青年は、自らの眉がひそまるのを感じた。この酋長は良い人なことは間違いないのだが、如何せん、彼が口から仕切りに吸ったり吐いたりしているモノと同じように、人を煙に巻く癖がある。


「何って言ってたっけ……えぇっと……」

「お前の本質は、紡ぐこと……その糸に紡がれて、人は集う。此度の邂逅かいごうも、お前の本質に魂が引き寄せられたのだろう」

「あぁ、成程成程、それそれ……とにかく、助かったよ、ありがとう」


 青年は話半分に体を布団から起こし、近くに置いてあったコートに手をかけた。テントの外には、茜色に染まるポピ族の即席の集落が見える。


「……どれくらい寝てた?」

「丸一日だ」

「そうか……」


 そして、コートの下に、ネイの拳銃とライフルの包みが置いてあることに気付いた。


「お前の物か?」

「……いいや、でも、これを届けないといけない相手が居るんだ……助けてもらっておいて不躾だけど、馬を一頭貸してくれないか?」


 そして荷物をまとめて、入口の方まで歩いた。体には違和感と痛みはあるものの、なんとか動けそうであった。


「まぁ、待て……今、大いなる意思【グレートスピリット】の声を聞いている所だ……」

「いや、悪いけど俺は急いでるんだ……」


 丸一日眠ってしまっていたのだ、ネイが鉱脈の場所を言ってさえいなければ、まだ大丈夫なはずだが――だが、遅すぎるという可能性もあり得る。そこまで思って、青年は足を止めてしまった。


(くそっ、あんな夢なんか見たから……!)


 失う事の恐ろしさを、青年は良く知っていた。父親同然に自らを鍛えてくれた師匠、頼り無いけれど、仲の良かった友人――それらを、同時に失った。それから、何となしに人を避けて生きてきた。失うくらいなら、最初からなければ、痛みも無いのだから。

 もし、間に合わなかったら、あの時と同じ痛みを味わう事になる。間にあったとしても、果たして自分に何が出来ると言うのだろうか。ジーン・マクダウェル一人でも、青年にはどうすることも出来ない相手だ。その上、もう一人――恐らく、あの男が敵だ。自分一人がどうあがいたって、どうにもできないのではないのか。


 だがそれでも、青年は心の内に燃やすものを、どうしても消すことが出来ずにいる。しかし、どうすればいいのか――。


「お前、死に魅入られてしまったようだな」


 背後から投げかけられた言葉に、青年は心の臓を貫かれた想いがした。


「な、何を言って……?」


 力無く背後を振り向く。そこには酋長の、煙を吐く仏頂面があるだけである。


「いや、なお悪い……お前が選ぼうとしている道は、許されざる道だ」


 そして、酋長はもう一吸い、パイプに口を付けて、大きく息を吸い込んだ。


「死は、恐れるに値しない。全ての生き物は大いなる意思から欠片かけらを受け取り、この地に産み落とされ……そして死ねば、グレートスピリットに欠片を返還するだけだ。魂は本来、永劫不滅なのだ」


 そして、また煙を吐き出す。そして酋長は青年を真っ直ぐ見据えて続けた。


「だが、お前が今進まんとする道は……袋小路だ。その魂は繋がれる所を失い、許されず、永久に消滅する」

「……それは、死ぬってことと、どう違うんだ?」

「分からぬ……だが、そのような未来が見える……そして、そう遠くない未来だ」


 青年は、神を信じている訳ではない。それは、自らが幼いころから身近にあった信教以外の、ありとあらゆる宗教も含まれる。だから、普段だったならば酋長の与太話も、笑って流せるはずなのである。

 死ぬ、消える――勿論、こんな世の中で賞金稼ぎをしてきたのだ、そのような恐怖を感じたことは何度もあった。だが、これほどまでに明確に死を意識するのは――やはり、少女の右腕のせいであったのだろうか。


 それでもなお、青年は道を変えたくなかった。だが、もし今日に撃たれて死んでしまうならば――結局は、少女を助けだしても、彼女の心にもう一つ、哀しい記憶を植え付けるだけだ。だから、どうしても一つだけ、確認しておかなければならないことがあった。


「なぁ、トッツァン……俺に、明日はあるのか?」

「危険でない方の道を選べば、あるいはな……」

「俺が聞きたいのは、それじゃない。そう遠くない未来ってのは、何時かだってことだ」


 そこで、酋長はもう一吸い、そして吐き出し、パイプを逆さにして火種を落とした。


「……今日かもしれん、明日かもしれん……だが、もう少し先かもしれん。それ以上の事は、グレートスピリットは語ってくれなかった」

「そうか……それだけ分かれば十分さ」


 そして、青年はテントの外へと、再び歩き出した。


「……どうしても、行くのか」


 その声は、今までの落ち着いた調子と違って、少しだけ力が無かった。青年は酋長の心配を少しでも払拭するため――むしろ、自らを奮い立たせるために口を開く。


「……心配してくれるのは有難いんだけどな。ただ、俺は預言とか、信じない性質なんでね。特に、自分に都合の悪い内容なら尚更……勿論、人の信仰を否定する気も無いし、何を信じようと、その人の勝手だと思ってる。でも、だからこそ、俺は俺の信じた道を往きたいんだ」


 実際、捻くれ者の青年のことである、安全だ、などと言われた方が、返って危険を感じて足踏みをしたかもしれない。だが、きっと何と言われたって、青年の決意は揺るがなかったであろう。


「俺はこの五年間、生きてなかった……死んでなかっただけなんだ。でも、やっと見つけたんだ……勇気を出そうって思った。もう一度、誰かのために……誰かと、手を繋ごうと思ったんだ」


 そして、自らの手を眺めて見る。そこには、二十年間付き合ってきた己の右腕が、あまりにも頼りなさそうに存在していた。だが、頼り無い、では困る。これから、強くあの小さな手を引いていかなければならないのだ。

 だから、青年はその手をぐっと握り締めた。弱くても、見栄でも何でも良い、とにかく、今から取りかかる大仕事を、なんとかやりきれるだけの強さを求めて、指先に力を込める。


 そして、精一杯の強がりで笑顔を作り、酋長の方へと振り返ってみせた。


「心配すんなってトッツァン。俺は、死なないから……それでお宅らの神様の、度肝を抜いて見せるぜ」


 返事は聞かない。とにかく、急がなくてはならない。青年は、近くに居た若い先住民に声をかけ、「一頭馬を貸してくれ、酋長から許可はもらってるから」と言うと、すぐに馬に跨り、ポピ族のキャンプを後にした。


 ◆


 その後ろ姿を、ゆっくりとテントから出た酋長は眺めた。夕日に向かって走っていく、ダスターコートの男の姿を。


「……大いなる意思の預言は絶対だ。だが、そうだな……お前に良き未来が訪れることを祈っているよ」


 そう言って、酋長は再びテントにゆっくりと戻って行った。


 ◆


 しばらく馬を走らせて、すっかりと夜になってしまった。だが、急いで外に飛び出たものの、果たして連中はどこに居るのか。考えられる可能性は二つ。一つは奴らのアジトへネイを連れ込み、情報を吐き出させるために今もそこに居るか。二つ目の可能性としては、既に少女が情報を話してしまい、あの大人数で鉱脈になだれ込んでいるかのどちらかである。しかし、どちらの可能性も青年にとっては良い話ではなかった。何故なら、前者ならアジトの位置が分からないし、後者なら既に、少女は生かされていない可能性が高いからである。


 どうすればいいか悩んだ挙句、青年はとりあえず、ストーンルックに馬を走らせることにした。村に奴らのアジトを知ってる人がいるかもしれないというのが理由の一つであるが、もう一つは、奴らが鉱脈を一人占めにする際に、あの村が邪魔になる可能性があるから、排除にしにかかるのではないかと踏んだのである。


 哀しいことに、その予想は当たってしまったようであった。村はまだ遥かの彼方であるが、荒野を一人の人影が歩いている。だが、その影は余りに小さい――青年が馬でそのそばに駆け寄ると、そこには憔悴したあの少年、リチャードの顔があった。


「おい! しっかりしろ!」

「あ……おにいちゃん……」


 馬から降りて、青年は少年の体を支える。どうやら外傷は無いようで、まずは一安心、ここまで歩いて、疲れているだけのようであった。

 青年は荷物から水筒を取り出し、少年に少し飲ませた。そして、安心したのか、少し元気が出たのか、少年の方から事情を話し始めてくれた。


「……今日の朝、アイツらが来たんだ。あの、列車をおそった奴ら……アイツら、村の教会に集まって、その中におねーちゃんも……それで、ママが僕だけ、隙を見て逃がしてくれて……」

「うん、ここまで頑張ったな、リッチ」


 そう言って、青年は少年の手を握った。だが、やはりまだ少年は不安そうである。


「……おにいちゃん、これからどうするの?」

「あぁ、やることは一つ。俺は……」


 そこまで言いかけて、青年はリッチをどうしたものかと悩んだ。このままこの荒野に置いて行くのも、余りに可哀そうだ。だが、当然村に連れていくこともできない――少し悩んで、青年は少々過酷な回答を出した。それは勿論、少年にとってである。


「おいリッチ、お前、馬には乗れるな?」

「う、うん……」

「それなら、いいか、アッチにお前が鉄道に乗ってきた町、アンダーゲートがある。そこで、助けを呼んでくるんだ……残念ながら、お前の好きな連邦保安官は居ないから、普通の保安官に頼むんだ。行けるだろ?」


 青年は疑問では無く、念押しの形で聞いた。ただでさえ、一人で心細かったであろう少年には辛い仕事になるが、下手に村につれて行くよりも安全なはずだし、救援が来てくれるのも有難い――といっても、救援が来るまでには勝敗が決まっているだろうが。


 当然、リッチは困ったような、哀しいような表情を浮かべている。折角助けが来たと思ったのに、このように突き離されては、仕方の無いことであった。


 だが、何時までもここで問答をしている訳にもいかない。青年はきっ、と真面目な表情を作り、少年の肩を握った。その握る力が強かったせいか、少年の顔が僅かに歪んだ。


「いいか、ネイも言っていたはずだ。強いってのは、誰かのために行動できること……今、お前にしか出来ない、お前しか戦えない舞台があるんだ……分かるだろう?」


 青年の言葉に、少年の歪んだ表情が、徐々に引きしまっていく。握った肩から、想いが伝わるように――そして少年は最後には男の顔つきになり、力強く頷いた。


「いい子だ……いや、子、だなんて言ったら失礼だな。とにかく頼むぞ、リチャード」


 そして少年を乗ってきた馬に乗らせ、青年は背中を向けた。


「……おにいちゃんは、どうするの?」

「俺か? 俺はな……俺にしか戦えない舞台を、戦いに行くだけさ!」


 そうして、後ろを振り返らず走り出す。青年は後ろから聞こえて、遠ざかっていく蹄の音に、少しばかり勇気をもらえたような気がした。




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