1-5
「いづぅ……あったま痛ってぇ……」
ネッドは頭を片手で頭を押さえながら、空いた手で馬車を操縦している。
「はぁ……さっきからそればっかだな、お前。飲み過ぎには注意しろよ、まったく……ふぁ」
後ろの簡素な荷台から、可愛らしい声の忠言が、欠伸混じりで飛んできた。
「おや、なんだか眠たそうで……」
「うわっ、酒臭! こっち向くな、お前!」
「……はい」
辺り一面、どこを見ても赤茶けた大地が広がっている。とはいえ、完全な砂漠なわけではなく、冬には短いながらに雨季もあるので、僅かな水で過酷な大地を生きる、たくましい植物もそこかしこに見えた。遠景には記念碑のようにそびえ立つ岩山があちらこちらに見え、その上にはやはり青空が広がっている。本当に、青年の二日酔いをあざ笑うかのように良い天気だった。
こんな様子では、自分達が果たしてどこに居るのかも分からなくなりそうではあるが、一応この先に村があることの証明として、最低限舗装された道のような物があり、それを辿っているところだった。とはいえ風に吹かれた砂埃で、本当に道かどうかも怪しいものではあるのだが。
「……でも、とにかくさ。酒を飲み過ぎると、体にも悪いんだしさ。ホントに気を付けろよ?」
しばらく無言で馬車を操っていた青年に、ネイがふと声をかけてきた。
「もしかして、知り合いにそういう人が居るのか?」
青年は振り向かずに答えた。少女の方から話しかけてきたのが珍しかったのもあるが、なんだか眼を合わせない方が、色々と話してくれそうな――そんな気がしたのだ。
そして少しして、恐らく、身の上話をしようかしまいか悩んでいたのだろう、それでもしっかりと返事を背中に返してくれた。
「あぁ、居たよ。アタシの育ての親が酷い飲んだくれだった」
居た、というところが引っかかったのだが、今はきっと割り込むべきではない。
「こんな風に、アタシは馬車の後ろに載って……いつも、背中を眺めてたっけ」
少女の声色は、なんだか寂しそうな、それでも想い出を慈しむような――。
「それで、いつも頭が痛い、頭が痛いって。それなら、お酒を飲むのをやめなよって言っても、最後までやめてくれなかったんだ……所でお前、なんでそんな深酒したんだ?」
「夜は、色々考えちまうからな。特に、暗いことばっかり考えちまう。だから……」
「だから、馬鹿になるために酒を飲む、か? 折角飲むなら、せめて美味しく飲むべきだと思うね、アタシは」
「いや、はは……ごもっとも」
なんだか、気の合いそうな、いや、気の合いそうだった御仁である。
「その人の名前、聞いてもいいかな?」
「……あんまり、話すなって言われたんだけどな。しかもお前、口が軽そうだし」
「軽いのは否定しないけども、分別はあるつもりだぜ?」
「そーかよ……そうだな。ウィリアム・J・コグバーン……知ってるか?」
そう言われてみれば、確かに聞いたことのある名前だ。
「コグバーン、コグバーン……って、南軍の猛将、コグバーン大佐か!?」
ウィリアム・J・コグバーン、市民戦争時の南軍の英雄である。とはいえ、ネイの養父がコグバーン大佐ならば、彼女の戦闘技術にも頷けるというものである。
「そうらしいな。ま、アタシにとっちゃ、ただの酔いどれ親父だったけど」
「しかし、戦死したって聞いてたけどな……」
「ところがどっこい、五年前までは生きてたよ……ま、噂の一人歩きのおかげで、のんびり余生を過ごせるって笑ってたけどな」
「そうだったのか……酒が原因で?」
しばらくの沈黙。振り返ってみると、少女は足をたたんで両の腕で抱き、頭を膝につけてじっとしている。どうやら、青年の視線にも気付いていないようだった。
「……まぁ、原因の一つだろうけどな。戦死って言うのは、半分は正解で……アタシを連れだすのに、結構な怪我を負ってさ。そっちが、大きかったんだと思う。でも……」
そこで、少女のか細い告白は途切れてしまった。気になるワードはあった。連れ出す、とはどういうことなのか。
他にも聞きたいことはたくさんあったのだ。例えば、少女の赤い包帯――やはり、術式が刻まれている。昨日の列車では能力は使っていなかったから、アレが少女の力に関係するものなのだろうが、実際どんな能力なのかは分からず仕舞いだった。仕事の前に何が出来るのかを聞いておきたかったのだが、しかし今は質問できる雰囲気でもない――そう思っていると、少女がふっ、と顔を上げた。そして、眼は合ったが、視線はそらさず、少女は苦笑いを浮かべた。
「ははっ、なんだか、ごめんな? 昨日は黙ってろ、なんて言ったのにさ。アタシの方からあれこれ喋って、勝手に辛気臭くなって……」
そういう少女が、なんだかいたたまれない。ここは、こちらが道化になって少し元気づけよう、そう思った。
「いやぁ、君の話なら、明るい話でも真面目な話でも、なんでもウェルカムだよ、俺は。むしろ、もっと色々聞きたいな」
「あはは、ばーか。ちょーしにのんな」
馬鹿なことを言った甲斐があってか、ネイは少し元気が出てきたように見えた。そう、こうやって馬鹿を言って、笑わせて、それでいいんだ。
「そうだ、今度はお前の話でもしてくれよ」
「あ、俺のこと、興味ある?」
「いや、全然ない」
「しょぼーん」
「もう突っ込まないぞ?」
「……手厳しいな。常に前より一段上のボケを所望すると申すのかね、君は。ずっと一緒に居たら、いつか世界が取れそうだな」
「そーゆーわけじゃねーよ! とにかく、興味があるわけじゃないけど、アタシのことばっか知られたら、不公平だろ? さぁ、話せ」
「うーん、そうだな……」
とは言っても、年頃の少女を楽しませられるような愉快な人生を送ってきた訳でもない。とりあえず、適当に切りだせば、何か思い出すかもしれない。
「アレは、俺が十七の時だったかな……」
「ふんふん」
さて、ここからどう繋げた物か。その時ふと少女の方を見ると、真剣な面持ちで耳を傾けている。
「……そんな真剣に聞いちゃって、やっぱり俺に興味があるんだ?」
「ばっ、そんなんじゃねーよ! ……もういい! アタシは寝る!」
そう言って、ネイは寝袋の詰まった袋を枕にして、そっぽを向いて横になってしまった。こんなにガタガタ揺れている車上では眠れもしないと思うのだが、身の上話の苦手な青年にとっては丁度良かった。
まだまだ、知りたいことはある。だが同時に、まだ時間もあるのだ。
遠景に、少しずつ木々も見え始めた。もうしばらく行けば、目的地に到着しそうであった。
村の様子は、遠くからでも一目瞭然であった。一言で言ってしまえば、寂れている。その印象は、村の入り口の木製アーチをくぐった後も変わることは無かった。一本の通りに面して家が立ち並んでいるが、通りには人っ子ひとりいない。最奥の少しだけ地面の盛り上がった地面の上にそびえ立つ教会があるが、木製の壁は砂と風に浸食されているのか、村の雰囲気に似合ってくたびれて見えた。
「……随分とさびしー村なんだな」
上半身を起こして、ネイが後ろから話しかけてきた。
「ぐっすりと眠れたかい?」
「あぁ、おかげさんでな……っと、お出迎えみたいだぞ?」
少女の視線の先を見ると、入口の隣の建物から、背の低い壮年の男が出てきた。
「あの、もしや……依頼を受けてくださる、賞金稼ぎの方ですかな?」
男はなんだか卑屈そう、とは言い過ぎだが、自信の無さそうな、なんだかやつれた顔をしていた。
「あぁ、俺と、そっちの子でね」
ネッドは馬車から下りずに、親指で後ろを指して見せた。壮年の男は指の先を見て、驚いた表情を浮かべている。
「え、あの……」
「ああ見えて、結構やる方らしいですぜ?」
後ろを振り向かずとも、少女がどんな表情をしているか容易に想像がつく。
「まぁ、とにかく詳しい話を聞かせて下さい。俺はネッド・アークライトです」
「これは失礼、私がこの村の保安官のアンソニー・デュボスです……と言っても、肩書きだけですがね。遠路はるばるどうも来て下さった。さぁ、馬車をこちらへ」
デュポスと名乗った保安官に通された役場の中は、表通りと同じく
「昔は、この村も結構賑わっていたんですがね。近くに、銀鉱がありまして……今は掘り尽くして、このざまですがね。コーヒーでよろしかったですかな?」
奥の扉から、デュボスがお椀に湯気の上がる三つのカップを乗せて現れた。
「えぇ、どうも……ほら」
ネッドが二つのカップを取り、ソファーの上で小さくなっているネイの前に一つ差し出した。
「……どうも」
少女は、保安官の方に向かって一礼し、恐る恐るカップを口にした。そして、文字通りの苦々しい表情を浮かべて、カップを机の上に戻した。
「……砂糖、あります?」
「えぇ、えぇ、ありますとも。はい、どうぞ」
少女に代わって青年が質問すると、机の上に砂糖の容器が置かれた。少女は保安官の方に小さく一礼し、小さじ一杯を黒い液体に放りこんで、そして再び一口、苦い顔をしてもう一杯、さじに手を伸ばしている。
それを見ているのも楽しかったが、お仕事の話をしなければならない。青年はデュポス保安官の方へと向き直った。
「えぇと、それで、依頼の件ですが」
「はい、はい……いえ、正直に先に申しますと、まさかあの賞金額で来てくれる方がおられるとは思いもよりませんでした」
デュポスは、少々ひきつった卑屈そうな笑顔で、額を拭いながら話を続ける。
「景気が良かったのは今は昔、銀で賑わったのも
ここで、保安官はちらと、青年の方を見た。まるで、救いでも求めるような、そんな眼である。
「三千も出すのは厳しい、と言う事ですか?」
恐らく、これが真意だろう、デュポスは目線を自身の膝に落としてしまっている。
「半分は正解で、半分は違います……そうですね、見ていただいた方が早いと思います」
そう言うとデュポスは立ち上がり、閉じていたカーテンを開いて見せた。
「……すいませんね、昼だというのに閉じていて。でも、アレを見ていると、どうにも憂鬱になってしまうのです」
表通りと反対の、役場の裏側が窓の奥に見える。そこには、十数本の十字架が立ち並んでいる。隣で、少女が息を飲む気配を感じた。
「正直に言えば、あの依頼書を出した時には、三千、捻出できるか、できないか……微妙な所でした。ですが、今なら……三千以上お出しできます。ただし、売るのに少々手間にはなると思われますが……」
つまり、この村に現金はほとんどないが、あの十字架の下に眠る人々の遺品を合わせれば、それなりの額になるのではないか――そういうことらしい。
「まあ、それも仕事の内容次第です。報酬の件は、内容を話しあって、それで決めましょう。さぁ、話してください」
正直、売る手間以上に、遺品を持ちだすのも気持ちが良いものではない。だが、この村が払える現金だけでは割に合わないかもしれない。いや、恐らく割に合わないだろうが。
「はい、はい、よしなに……まず、件の
保安官は、なんだか
「最初は、本当に何かと思いました。
「ちょっと待ってください、本当にそんなに大きかったですか?」
青年も話半分で聞いていたのだが、最後の部分だけ引っかかった。そんな巨大なものを相手に、三千ではやってられない。だが恐らく、熱が入り過ぎておおげさになっているのだろう。
「……ごほん、確かに、実際は、そうですね……幅二メートル、高さは一メートル、しかし尾まで含めれば、五メートル程であったでしょうか」
男は少し恥ずかしそうに訂正した。成程、そんなものか――もっとも、それでも十分すぎる巨大生物ではあるが。
「えぇ、それでは続きを……そして、なんとか追い払おうとしたのですが、如何せんその外殻の堅いこと! 散弾銃も、ライフル弾をもはじき返し、我々は成す術も無く……しかし、刺激したのがまずかったのでしょう、彼奴めの、文字通りの毒牙が、今度は我々の方へ向かってきたのです。村の男たちが、何人か囮なり、女子供を逃がし、我々は荒野へと避難しました。そして日も暮れて村に戻ると、巨大なサソリは居なくなっていました。囮になった男たちも、返らぬ人となってしまいましたが……」
そう言っては、再び窓の外に目を向けた。
「あの墓の下には、亡きがらはありません……ですが、せめてもという事で、墓標を作りました」
なんだか気の滅入る話である。ふと青年が横を見てみると、少女は真面目な面持ちで、保安官の下手な戯曲を一生懸命聞いていた。
「それから、彼奴も餌の味を覚えたのでしょう……しばらくすると、また村へと来ます。勿論、村を捨てることも考えました。ですが、ここは我々が慎ましいながらも切り拓いた土地……愛着があるのです。若い者はどんどん都会へと出て行ってしまいますが、私ども老人は、どうにも離れられなくて……しかし、放っておけば、亡きがらなき墓標が増えるばかりです。それで、依頼を出した次第です」
「成程ですね。ところで、デュポスさん。貴方、もしかして昔は詩人か何かを目指していたんじゃないですか?」
「あ、はい。よくお気づきになられましたね……」
壮年は、なんだか意外そうな顔をした。何故ばれたのか分からないらしいが、青年はちょっとした憂さ晴らしも終わったので話を続けることにした。
「さて、あと一点か確認しておきたいことが。獲物の外見的特徴は分かりました。それで、北東の方から来るとのことですが、具体的な住処は分かりますか?」
「いえ、ここ、というふうには特定できておりません……何せ、我々では近づくことすらままならないので。ですが、何せ巨大な足跡があります。それを辿っていけば、位置は特定できるのではないかと……」
「分かりました……あとは、何かありますか?」
「私の知る限りでは、今ので全てです……私も、無学ではありません。暴走体討伐の相場が、最低でも一万以上と言う事も重々承知しております。ですが、何卒、何卒……」
そこで青年は、ずっと押し黙っていたネイの方を向いて、意向を問う事にした。この依頼は、彼女の主導なのだから。
「さぁ、どうする?」
「どうするもこうするも……それが、アタシの仕事さ」
そう言いながら立ち上がって、少女は窓の外を一瞥した。そして真剣な表情を浮かべてから、フードを深く被って、何も言わずにもと来たドアを開けて出て行ってしまった。成程、確かにまだ日も高い。行くならすぐ、ということなのだろう。
「あ、あの……どういうことでしょうか?」
デュポスは、何が起こってるのか分からない、という調子でネッドに声をかけてきた。
「保安官の熱心な弁舌に、彼女は心を打たれたってことでしょうよ……さて、報酬は成功して現金三千ボル、用意しておいてください」
そう言って、青年も立ち上がる。何せ、自分が居なければ、少女はろくすっぽに移動することもできないのだ。青年にやる気がなくとも、少女にはある。それだけで十分である。
「他の事は、終わってから話しあいましょう……コーヒー二杯、ごちそうさまでした」
素直でない少女の分まで、お礼を言っておくことにした。
辛気臭いオフィスを抜けて外に出ると、ネイは既に馬車の上にあぐらをかいて鎮座していた。
「……おせーぞ」
「いやぁ、失礼失礼……さぁ、それじゃ行きますか」
青年は休んでいた馬を馬車へと繋ぎ、手綱を持って馬車を動かし始めた。寂れた村の真ん中を、ゆっくりと進んで行く。まず、獲物の足跡を見つけなければならないが、件の牧場の方へと行けばすぐに見つかるだろう。
「……おい、気付いてるか?」
後ろから、少女が小さい声を背中にぶつけてきた。青年も、勿論気付いている。強い風でも吹けば倒れてしまいそうな、そこかしこの木造の家の窓から、青年たちを見つめる視線があるのである。それは、警戒するような、期待するような、なんともいえない視線であった。
「田舎もんってのは、警戒心が強いからな。まぁ、悪気は無いんだろうよ」
「まぁ、そうだな……」
少女は左の手で、フードを抑えている。じろじろ見られるのは、好きではないのだろう。
「しかし、君はアレだな。なんだか、すぐに悪い奴に騙されそうだな」
「はぁ? なんだよ、突然に」
「あの保安官の話さ、別に嘘は言ってないと思うが……尾びれ背びれはついてると思うぜ? 人の話を真剣に聞くのはいいことだけど、一から十まで信じるのは、返って危険じゃないかな。相手はしっかり見ないとな。そんな人が良いと、何時か痛い目を見るぞ」
別に、何の気も無い、退屈を紛らわすためにかけた言葉だった。
「成程な……確かに。例えば、お前みたいな奴を、簡単に信用したら駄目ってことだな?」
「……これは一本取られたな」
確かに何かと親切ぶって、少女にあれこれ気にかけている。こんなもの、他意があると思われても仕方が無い。
「いややっぱり、俺だけは例外だよ。うん」
「はっ、言ってろよ」
この短期間で、少女は青年の扱い方を心得てきたようである。それがなんだか面白くて、青年は小さく吹き出してしまった。
「あんだよ……アタシ、なんか変なこと言ったか?」
「いいや、真っ当過ぎて、笑っちゃっただけさ」
などと言っている間に、町はずれの牧場――であった所に辿り着いた。元々は柵が巡らされていた居たであろう場所は、朽ちた木々が転がっている。砂埃や
「最悪、野宿になるだろうけど、大丈夫か?」
「別に、そのための準備はここにしてあるだろ?」
そう言って、少女は隣にあるサバイバル用具一式を叩いてみせる。
「後は、お前が変なことをしないと誓ってくれるなら、万事オーケーだ」
「僕は誠実で真面目で、嘘をつかない紳士です」
「あーそうかよ……成程、テメーの話は半分以下で聞くのが丁度いいな」
「……俺の話ほど、真面目に聞いてほちい……」
軽口を叩きあいながら、二人の捜索者は再び荒野へと躍り出て行った。
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