1-7 いつもの日常に

長い一日が終わり、また俺たちは普通の日常に戻った。

その後、調書を取る為にほぼ一日警察に拘束される羽目になったのはウンザリしたものの、被害者側で警察に協力した事もあって、概ね問題はなく事情聴取も終了した。

泰司、百合恵、それに香田も事情聴取に関してはもう二度と受けたくないと言わんばかりに疲れ果てていた。

更に俺と百合恵は現場検証に付き合う事もあって、警察の調査ってのは念入りにやるもんなんだなぁと他人事のような感想を抱く。

これで更に一日が潰れて中々大変だった。


不良達は大半が捕まり、戌井刑事に説教を受け、書類送検と言う形をとって終わった。

主犯であるクレオ=メッツェンについては、どう見積もっても少年院に移送されるのは間違いないだろうと思われていたのだが、何らかの取引があったのか彼も書類送検のみで終わった。

戌井刑事はそれに納得がいかず、上司に食い下がったらしいが、上司は不敵な笑みを作ってこう言ったという。


「戌井君。君は実に良くやったよ。あのメッツェングループの社長に貸しを作る事が出来たからな」

「…貸し…ですか?」

「そうだ。オフレコだが、社長は今後警察に対するあらゆる協力は惜しまないそうだ。御曹司の事については目を瞑ってほしいとな。

 また、警察庁OBの天下りも快く認めてくれた。今後とも良い付き合いをしてくれ、とな」

「…」

「不服かね?」

「いいえ。それで良いと判断されたのであれば、私からは何もございません。では失礼いたします」


戌井刑事は苦虫を噛み潰したような表情で、葉巻にマッチで火を着けて吸っていた。彼はキューバ産の葉巻が特にお気に入りだと言い、成程甘い芳香が辺りに漂っている。いわゆる紙巻き煙草とは一味違う風味のようだ。

戌井刑事は現場検証の場で、俺と百合恵が居るというのに独り言のように上司とのやり取りをつぶやいた。


「いいんですか刑事。そんな事俺等一般市民に滑らせちゃって」

「独り言だよ独り言。たまたま君等がここで聞いてただけだ。俺は何も喋ってはいないのさ」


葉巻をプカプカとふかし、明後日の方向を向いている戌井刑事。

警察は上下関係の厳しい集団で、例え何があろうとも上が決めた事には下は逆らえない。その悲哀に満ちた背中を見て、俺は何も言えなくなった。


「さ、現場検証の続きやろうか」


戌井刑事は葉巻の火を消し、ケースに入れて懐にしまい込んで俺や百合恵に再び事情を聴き始めた…。


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…事情聴取も終わり、ようやく学園の日常に戻る。

相変わらず、授業は退屈だ。数学なんか特に訳が分からないが、赤点を取る訳にはいかないので必死に食らいついてノートを取る。

学校が終わった後は、相変わらず俺は部活には入っていないのでそのまま帰宅する。

変わった所と言えば、百合恵が演劇部を辞めてウチの親が経営するジムのレディース部門に入った所だろうか。

あの事件のせいだと思うが、やっぱり自分が足手まといになった事がよほど心に残ったか傷ついたか、必死になって技の習得に努めようとしている。

俺もたまに覗きに行くが、鬼気迫る勢いでサンドバッグを殴り、トレーナーやコーチにフットワークや技の振り方、防御の仕方などを教わっている。

1週間に4日、それも放課後から数時間もみっちりトレーニングを積み、向上に余念がない。

これにはプロの格闘家の方々も驚き、また素質があると見込んで今度スパーリングを行う事にしたらしい。

肉体も、かなりビルドアップされて表面上にはわからないが、触ってみればかなりの筋肉がついてきた。腹筋は目に見えて割れてきているのがわかる。


「敬一君に頼ってばかりじゃいたくないし、自分でもある程度の脅威は振り払えるようになりたいの」

「それはわかるけど、あんまり無茶したらダメだよ」

「わかってる。でも楽しいわ。体を動かすことは嫌いじゃなかったけど、こんなにも自分が鍛えられてきてるのが実感できるの」


俺は少しばかり複雑な心境だが、まあ、ほぼ毎日俺んちに来てくれるのは悪い事ではないな。

俺の父親も百合恵の事を見ては、まさか俺に恋人ができるなんて夢にも思わなかった等と失礼な事を抜かしている。

しかし百合恵の格闘技の才能は認めていて、いずれはアマチュアの試合に出してみたいと言っている。俺としては反対なのだが、本人がその気なのだから止めようがない。こればかりは少し溜息が出る。


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…またある日。風の噂で、クレオが白虎高校を辞めた事を聞いた。

辞めてどこに行ったのかは誰にもわからない。しかし、妙に晴れ晴れとした顔で学校を後にしたらしい、という事は伝えられている。

クレオがトップから降りた後、白虎高校は荒れに荒れ、それを問題視されて運動・武道系の部活動の大会に関しては一切出場不可という通達が伝えられたという。

学校の理事長としては頭が痛い問題だろうが、今まで学校の馬鹿連中を放っておいたのが悪い。自業自得だ。


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そしてまたある日。

今日も今日とて、退屈な授業が終わり、繁華街に行こうか、それとも百合恵の叔父さんが経営している喫茶店で珈琲とケーキを百合恵と一緒に食べようかと二人で話し合いながら校庭を歩いていた。

すると、校門の前に一人の男が立って俺の行く先を阻んでいるではないか。

あの男には見覚えがある。


「香田。なんの用だ?」


香田はニヤリと笑い、上半身を脱いでシャツと制服のズボンだけの姿になった。


「あんときの手助けの借り、まだ返してもらってねえだろ?」


そういえばそうだった。しかし今は間が悪い。


「すまんが、それについてはまた後にしてもらえねえか?今忙しいんだわ」

「何だと!そんな事言いやがって一週間前もそうやってすっぽかしたじゃねえか!ふざけんなよ!」


そういえばそうだった。しかし今は本当に間が悪いのだ。

俺は百合恵の手を引き、猛然とダッシュして香田の脇をすり抜けた。


「あ、てめえ待ちやがれ!今度もすっぽかす気かこの人でなし!怪人カニ野郎!!」


すまんが今はお前にかまっている暇など無い。俺と百合恵の楽しいひと時の邪魔は誰にもさせないのだ。


「香田君には悪い事したわね」

「優先順位としては、あいつよりも俺たちの楽しみの方が大事だろ?」

「まあ、そうね」


あ、百合恵も悪いと言いつつ全然そうは思ってないな。まあ人の恋路の邪魔する奴は馬に蹴られて吹っ飛べばいいのだ。

香田は俺達に追いつく事も出来ず、学校の近くで何かを絶叫している。すまんな。今度こそ暇がある時に相手してやるよ。


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…何はともあれ、今日も今日とて俺達は平凡ながら楽しい日々を過ごしている。


俺達はどうして生まれたのか?キメラ人とは何者なのか。それはいずれ知りたいことではあるが、今は別に知らなくとも良い。

近くに、俺の事を真に理解してくれる人さえいればいい。

今この瞬間を精一杯楽しみたい。傍らに笑う、この人と一緒に。



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1-7:いつもの日常に END


第一章 学園カニ男 Fin

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