1-5 遺伝子バーリトゥード
僕が本気の、いや本来の力を解放してから既に3分経過した。
周囲の手下達の熱狂は最高潮にまで達している。
とどめだ、ラッシュだ、などと言った声が飛び交っているが、連中は外からしか見ていないからそんな事が言えるのだ。
…やはりこの男、蟹江敬一は本当に強い。その点については尊敬に値する程だ。
戦う前はいくらキメラ人でも僕には敵わないだろうと侮っていたが、その認識は改めなければならない。
彼は僕のパンチを避け、ガードし、やむを得ず打たれる場合は打点をずらして最小限のダメージにとどめようとする。
攻撃のみならず、防御面の技術もかなり高いものがある。これには驚きを隠せなかった。
普通の対戦相手であれば、スピードの速さについていけずにもろに顔面やボディにパンチをもらって悶絶するか、仮にガードしたところでさばき切れずに防戦一方となった所に、パンチを上下に振り分けてやればサンドバッグと同じ状態になる。
ガードの上から戦意喪失するまで叩いてもいいし、ガードの隙間が空いた所でアッパーカットなりフックなり入れてしまえばそれで終わりだった。
一度も打たれる事無く、勝ってきた。それが僕のファイトスタイルだったのだ。
ボクシングのインターハイも、空手の組手も、ほとんど相手に打たせる事など無かった。
綺麗な顔で、体で、リングから、試合場から僕はずっと降りて来たのだ。
それがどうだ。今は僕の体という体に、顔の至る所にあざが、内出血が出来ている。
流石に優勢とはいえ、スキを見せれば鋭い一撃が飛んでくる。
今も僕の右フックを果敢に前進して左腕で止め、そのまま密着して僕の首を両腕で抱えて膝蹴りを打ち込んできた。
肉体を覚醒させて強化したとはいえ、良い所にもらえばキメラ人といえど痛いし悶絶もする。
「ぐ、うっ」
たまらず、僕は手打ちながら彼のこめかみを殴る。ごつん、という鈍い感触がある。
もう一度膝蹴りが来る。
これも耐えながら、もう一度僕も、今度は逆のこめかみを殴る。
ここは我慢比べだ。どちらかが音を上げたら勝負の流れは傾くだろう。
手打ちでも、僕の力なら脳を揺らす事が出来る。良い所に打撃が入れば力も緩むかもしれない。
予想通り、打撃を嫌がって組み付きから転がしに掛かろうとした。
「甘い」
逆に、僕はわずかに彼に勝る腕力で無理やりに首相撲を振りほどき、肩を両手で押して突き放す。
体勢が崩れた彼に対して踏み込んで、肝臓に強烈なボディブローを打ち込んだ。
「ぐはっ」
内臓を強かに打たれて呼吸できず、彼は空気の塊を絞り出すように口を大きく開く。
その後、呼吸を整えようとしているが浅い呼吸を繰り返すばかりでダメージの回復には至らない。
「良い所に決まったね。どう、参ったするかい」
「…まだまだ、これくらいどうってことはねえよ。掛かって来いよ猫野郎」
強がりを見せているが顔が青ざめている。ダメージはかなりのモノだろう。
「良い度胸だ。本当に君は強い。僕が保証しよう。」
「…褒めても何も出ねえぞ」
「褒めてなどいない、心の底からそう思っただけだ。だからこそ全力でねじ伏せる。
君は僕にこれだけ本気を出させたのだから自分を誇っていいんだぞ」
「うるせえ、そんな事どうでもいい。…彼女を返せ」
「それは、出来ない頼み事だな」
僕は息を大きく吸い込み、止めた。
「では、さようなら」
ダン、と大きくリングを踏み、跳躍した。
「なっ!?」
彼は僕の姿を見失い、周囲をきょろきょろと見まわしている。
「何処を見てやがるんだ?もっとよく周りを見てみな!」
不良どもが囃し立てる。
そうだ、僕はそこいらには居やしないぞ。
「…まさか!?」
ようやく、マットに映る影に気づいたようだ。
しかしもう遅い。
「でやあっ!」
跳躍の高さに加えて回転の勢いを加えた浴びせ蹴りが、彼の脳天に綺麗に決まった。
何メートル跳んだだろうか。少なくとも身長の2、3倍くらいの高さは跳躍出来たと自画自賛しよう。
衝撃によろめき、流石に膝をつく彼。
すかさず背後に回り、彼の首に僕の右腕を巻き付け、左手でしっかりと右手をホールドする体勢に入る。
幾ら組み技に長けているとはいえ、この状態になってしまえば「詰み」だ。
「がっ、がはっ」
呼吸できずに、もがき苦しむ。
「落ちろ、落ちろ、落ちろっ」
右腕に力が入る。ここで振りほどけばまた仕切り直しだ。
「がっ!」
彼は白目を剥き、ぶくぶくと泡を吹き始める。
…勝負あったか。
チョークスリーパーホールドを解くと彼はマットに仰向けに倒れた。
僕の勝ちだ。手を高々と上げ、自分が勝者であることを周囲に告げる。
不良共の歓声が上がる。
「やっぱすげえ!強いぜボスはよ!」
「結局5分以上かかってたな!賭けは俺の総取りだぜ!」
「ははは!これで街も完全にボスの影響下ってわけだ、幅ぁ効かせられるぜ」
勝負がついたとわかり、5階で彼女と待機していた不良が降りてくる。
「勝ちましたね」
「ああ。しかし彼は本当に強かった。そこだけは認めざるを得ない」
「では、この女は好きにしてください」
ぐいとリングに上げられる鮫島百合恵。彼女の表情は悲嘆に暮れていた。
それはそうだ。何せ自分の彼氏が叩きのめされたのだからな。
しかし、それもすぐに掻き消える事になるだろう。僕の彼女になればその男よりも何倍も良い思いをさせられる。
僕は悠然と彼女に近づいた。
「どうだ。これで彼よりも僕の方が君にふさわしい、強い男だと証明できただろう」
「…」
「改めて言う。僕と付き合え。そうすればいい思いはたくさんさせられる。何不自由しない生活を送れるぞ」
彼女は黙ったまま、僕を睨みつけている。憮然とした顔をして、見ている。
「どうした?何が不満だ」
「貴方は今まで、そうやってずっと女の子を引っかけてきたの?」
「…何が言いたい」
彼女は再び押し黙った後、僕の目をしっかりと見据えて、言い放った。
「貴方は他人の事を物のようにしか扱ってないのね。自分の要求が通じなければ腕力や財力で物を言わせようとする」
「――っ」
「私はね、そういう人、世の中のどんな人よりも嫌いなの。例え、何も不自由しないお金持ちで、どんなものでも買えたり色んな所に旅行に行けるとしても、貴方と一緒では何も楽しくない」
「…」
「それよりも、好きな人と、例え近場でも散歩していける距離だとしても、そっちの方が貴方と付き合うより何倍も何十倍も、何万倍も良いに決まってる」
「このクソアマ!いい加減にしやがれ!」
先ほどまで彼女を抑えつけていた不良がナイフを突きつけようとすると、逆に百合恵は金的を背面蹴りで蹴り飛ばした。
「うごぉぉおおお」
悶絶し、前かがみに倒れる不良。手から零れ落ちたナイフを手に取り、僕に向けて構えた。
「貴方と付き合うくらいなら、ここで貴方を刺して捕まる方がよっぽどマシよ」
「…随分と好戦的なんだね。見かけによらず気も強いと来たか。それにしても、随分身のこなしが良いな、何かやってたかい」
「週末、習い事でバレエをやってるくらいで格闘技なんかやった事はないわ」
なるほど、ダンサーだったか。ダンサーの蹴りはヘタな格闘家よりも強いらしいが、ここでそれが確認できるとは思わなかったな。
しかし全く、二人とも僕の思い通りになろうとしない。こんなことは今まで無かった。
金にも権力にも靡かない人は今までいないと思っていた。何もかもが今日は初めてづくしだ。
「しかし、僕にナイフを突き立てようなんて無理だけどね」
「やってみなくちゃわからないでしょ!」
百合恵がナイフを腰だめに構え、突進してくる。
ヤクザがよくやるような刺し方だ。あれはあれで実に理に適ったやり方だが、いかんせんそれでも素人技だ。
僕は素早く彼女の側面に回り、ナイフを持っている手を手刀で叩く。
「あっ!」
ナイフは軽い金属音を立ててマットに落ちる。僕はすかさずナイフを蹴り飛ばし、リング外にナイフを落とした。
武器を失い、それでも僕を睨みつけるのを辞めない彼女。
「…」
「いい加減、抵抗は辞めて受け入れなよ。悪いようにはしない」
「嫌よ。それなら舌を噛み切って死んだ方がましだわ」
「本当にやりかねないな。おい、誰かタオルかハンカチ持ってきてくれ」
僕がリングの外の不良に目をやった瞬間、何故か嫌な予感がした。
「…?」
よくよくリングを見回せば、さっきまでそこで倒れていたはずの蟹江敬一が、見当たらない。
何処に行った?
「ボス!後ろ、後ろです!」
瞬間的に気づき、背後を振り向こうとするところで首のあたりに強烈な衝撃を受け、その時点で僕の記憶は一旦途絶えた。
---
どうやら、背後からの不意打ちは大成功だ。奴は倒れ、意識を失っている。
周囲の不良共は唖然とし、声を失っていた。4Fアリーナは静寂に包まれている。
「ふーっ、ふーっ、ふーっ…」
その中に、俺の荒い呼吸音だけが響いていた。
背後から女性の走ってくる音が聞こえてくる。百合恵だ。
「敬一君!!」
「わりい、百合恵にまで戦わせるような真似させちまった」
「いいの。いいのよ」
百合恵は涙を溜めて俺に抱き着いてきた。安心しきった、という表情だ。
しかしまだ終わりではない。
ここを無事に脱出する必要がある。俺一人ならいざ知らず、彼女を抱えて、となると少しきつい。
どうにかして逃がす手立てはないか?
「…この野郎、気絶はハッタリだったのかよ」
ようやく、ひとりの不良がつぶやく。
悪いな、一芝居打たせてもらったぜ。
…俺はカニの遺伝子を持つ男だ。
そして、カニの様々な特性を受け継いでいる。
カニは泡を吹くだろう?
気絶するフリをして、口から盛大に泡を吐き出して倒れる演技をしたというわけだ。
実際、あと数秒締め続けられていれば本当に意識を失って演技で済まなくなる所だったが結果オーライだ。
気絶したフリも奴の持つ動物的なカンで見破られるかと冷や冷やしたが、そのまま百合恵に意識が向かっていたおかげで助かった。
彼女にはちょっと悪い事をしたが。
さて周囲にはまだまだ不良が居る。ざっと30人、いやそれ以上だろうか。
4階のアリーナも中々に広いがそこが結構埋まる人数ともなるとどれくらいになるのか、数えるのも億劫になる。
俺は百合恵に耳打ちをする。
「百合恵。俺の背後に隠れているんだ」
「嫌、私も戦う。足手まといで居るのは御免だわ」
百合恵は手近なパイプ椅子を両手で持ち、構えた。
その心は俺にとっては嬉しいが、いかんせん彼女は戦力にはなりえない。
かといって、エレベーターまでこの人ゴミの中を突っ切っていくのは現実的ではない。
5Fの大浴場やサウナまで引っ込んで戦う?それも却下だ。
その施設の中からカギを掛けられる造りになっているのかわからないし、そこまで彼女を導けるかどうかすらもわからない。
現状可能性として最も助けられる確率が高いのは、リングから比較的近くにある4F非常階段出口から彼女を逃がして、出来るだけ時間を稼ぐ事だ。
1Fに不良が残っている可能性は十分に考えられる。しかし、外から叫び声を上げれば誰かが気づいてくれるかもしれない。
非常に分が悪い賭けだが…やるしかない。
俺は百合恵に再び囁く。
「君を守りながらでは十二分に俺が力を発揮できない。
君は逃げろ。逃げて、助けを呼ぶんだ」
「…」
「何、俺はこの程度の連中にさっさとやられる程ヤワじゃない。
時間稼ぎくらいできるさ」
「…わかったわ。じゃあ、何とかして道を切り開きましょう」
「おう」
俺と百合恵は頷き、まず俺が不良で満ちているリング周辺に降りる。
「掛かって来い雑魚ども!」
「うらあああああ!!」
不良共が殴りかかってくる。不幸中の幸い?とでもいうべきか、連中のほとんどは武器を持ってきていない。
観戦する事しか頭になかったようで、素手で殴りかかってきてくれる。
大きな左腕を振り回して不良をなぎ倒し、また右腕で不良の頭を掴んで投げ飛ばす。
多人数相手の戦いはとにかくまわりを巻き添えにする。一人ひとりの相手などやっていられない。
「きゃあ!」
背後から叫び声。反射的に振り向くと俺に続いて走って来ていた彼女が金髪の不良に肩を掴まれている。
「野郎!」
俺は咄嗟に手近にあったパイプ椅子をブン投げて不良の脳天にクリーンヒットさせる。
「ぐえっ!」
卒倒。百合恵にも危険が及ぶ方法だったが少し距離が離れていたので仕方がなかった。
百合恵は俺に密着するように背後に付く。パイプ椅子を持って、少しでもけん制になるように構えて不良達を睨みながら。
なぎ倒し、ブン投げて、殴り倒して。10数人を倒して道を切り開いて。
ようやく非常階段のドアまで近づいた。鍵を確認するが、中から開くようになっている。
多少の打撲や、クレオとの戦いによるダメージはあるものの、まだ戦える力は残っている。
アリーナにはまだまだ数えるのが相変わらず億劫なほどの不良共がひしめいているが、
これなら彼女を逃がしてしまえば、こいつらをなんとか掃討する事も出来るかもしれない。
「百合恵、逃げてくれ。俺はここで食い止める」
「…気を付けて、ね」
鍵を開け、鉄製の重いドアを開く百合恵。
しかし、彼女は下を見て歩を止める。
下からは、見覚えのある集団の姿があった。
「そんな…!」
「…ちっ、さすがにぬかりはねえか。バカばかりの集まりではないようだ」
チラリと俺が非常階段出口の先を見やると、下から1Fで待機していた不良達がこちらを目指して上がって来ていた。
しっかりと武器を用意している連中ばかり。数を見れば10人程度だろうが、挟み撃ちの形となってはこちらはもう打つ手がない。
…どうする。どうする?どうすべきだ?
「ハッハッハ!こんな事もあろうかと1Fの連中を非常階段から上がらせておいてよかったぜ!どうする?女をこっちに引き渡せばお前を助けてやってもいいかもなぁ~?」
不良のひとりが高らかに声を上げる。もう勝ちを見出したかのように。
「…野郎」
俺は歯軋りをするが、状況が好転するわけでもない。考えなければならない。状況を打開するための一策を。
しかし、良い方法が何も思い浮かばない。
その間にも、じりじりと不良共は近づいてくる。
(可能性は低くとも、少しでも目のある方に行くしかねえか)
俺は非常階段側に足を向け、少しでも不良達をなぎ倒せるようにパイプ椅子を両手に持った。
そんな時だった。
エレベーターから「4階です」という女性の合成音声が鳴り響いたのだ。
「ん?誰か応援呼んだのか?」
「いや、応援は非常階段からの連中だけのはずだが…?」
不良たちも想定していない状況らしい。
4Fに居る不良達は一斉にエレベーターの方を向いて、中から誰が出てくるのかを見張る。
ドアが自動で開き、中から出てきたのは薄い茶色のコートに身を包んだ、スーツを着た一人の中年の男性と、制服を着た警官数人だった。制服警官は警棒やさすまた等を持って武装している。
コートを着た男性は極めてごつく、厳しい顔つきをしている。数多くの事件を潜り抜けて来た事を伺わせるような、深い皺が目尻に刻まれている。
ずかずかとエレベーターから彼らは出てきて、コートの男性が声を張って言った。
「おやおや、メッツェングループの御曹司が女の子を拉致して連れ去ったっていう通報、まさかとは思っていたが本当の情報だったとはねぇ。これは重大な誘拐事件だってことわかってるか坊主ども!」
腹に響くような低く、ドスの効いた声で言う。声と雰囲気から醸し出される威圧感に、不良達は息をのむ。
男は周囲を見回し、俺と百合恵の姿を確認するとニヤリと笑った。
「あれが被害者の二人だな?」
と背後に隠れていた誰かに確認を取っていた。
「はい、間違いなくあの二人はおれの同級生です!」
聞き覚えのある声だった。
「まさか…」
「泰司君!?」
男の背後から現れたのは俺の友達、海老沼泰司だった。
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1-5:遺伝子バーリトゥード END
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