1-4 ミックスドマーシャルアーツ

なんでも初めが肝心だと言われる。

格闘、喧嘩においても例外ではない。如何に最初に相手の出鼻を挫くか、闘争意欲を削ぐか。或いはその最初の一撃で倒してしまっても良い。

俺も少ないながらも、アマチュアながら総合格闘技の試合(キメラ人枠)に出た事がある。

そういう試合形式であれば、戦う日にちが決まっているのでそれまでに、相手がどのような形で戦うのか調べられる。

接近戦で殴りかかってくるのか、遠間からチクチクと殴ってポイントを稼いで判定勝ちを狙うのか。

また総合格闘技では打撃のみならず、組み技・寝技などもあるので、打撃を主体に戦うのか、組み技・寝技メインか、両方を駆使して戦うのか。

試合の日までにジムの人と共にトレーニングを積み、対戦相手のスタイルを模したスパーリングを行い、今までの相手の戦いぶりを録画した動画があれば穴が開くまで見る。そうやって癖や弱点を掴み、試合に臨む。

だが喧嘩ではそうはいかない。

喧嘩は相手がどのような戦い方をするのか、何か武道や格闘技をやっていたのか、武器の有り無しはどうか。

全てがわからない。その時の状況に応じて瞬時に判断しなければならず、常に最悪の状況を想定しなければならない。

であれば、最初に出鼻を挫いて闘争意欲を削ぎ、かつ意表を突いた攻撃をして一撃で倒したい。


俺は、コーナーから思い切り走り、跳躍した。


「チェストぉっ!!」

「!」


クレオは俺の出した技に驚きの表情を見せながらも、素早く反応して顔の前に両腕を上げ、腕を交差させるように防御の構えを取った。

飛び蹴りはガードした腕に当たり、蹴りの勢いでクレオは少し後ずさりするも、大したダメージは負っていない様子を見せた。

やはりこいつには奇襲でも大技はそう簡単には当たらないようだな。


「奇襲としては悪くない案だった。だが僕にはこんな大技はそうそう当たりはしない」

「そんなのはわかってるさ。挨拶代わりだ」


蹴りを受けた衝撃を抜く為に腕を振り、クレオは改めて構えを取る。

ボクシングの構えに似ているが、左手は軽く開いて腕を伸ばし、胸のあたりに置き、相手に手のひらを向けている。右手は自分の顎付近に置き、軽く拳を握っている。

足はこちらにつま先を向けているが、腰を軽く落としてボクシングよりは重心を低く取っている。

ボクシングの他にも空手をやっているからか、両方の構えを上手くミックスしたという感じの構えだ。

鋭く粘着質な視線をこちらに向け、殺意をじわりと体から滲ませている。


キックから着地したのちにすぐ俺も構えを取った。

左の手のひらを相手側に向け手を開く。右手も同じく開き、相手側に手のひらを見せるように構える。両手とも高さは胸の位置くらいに上げる。

上半身をやや前に傾け、腰を落として投げやタックルに行きやすい態勢を取る。

俺は打撃も出来るが、どちらかと言えば投げ、関節技の方が本来は得意だ。前の不良共の戦いでは披露する暇がなかったが、1対1の戦いなら存分に腕が振るえる。いくら打撃が鋭かろうが転がして関節を極めてしまえばこちらのモノだ。


…俺とクレオは、2メートルほどの距離を保ったまま対峙する。

相手は打撃、俺は組み技。どちらが先手を取るか。俺としては打撃をかいくぐって、或いはある程度の被弾は覚悟のうえで強引に突っ込んでタックルを決めて行きたい。

クレオが先に動き始めた。自らのリーチが届く距離にまで詰め寄り、せわしく動き回る。

肩を動かして左ジャブを出すかのようにフェイントをしたり、かと思えばボクシングの足さばきで俺の周囲を左回りに歩いて様子を見る等、その動きは極めて機敏だ。

この状態のまま30秒ほど経過したころだろうか。観戦している不良共が戦いが動かない事に焦れて来た。

不意に、クレオが俺から目線を切り、右を向く。

つられて、俺もその方向に視線を泳がせてしまう。


(しまった!)


その行動の意図に気づき、すぐにクレオに視線を戻すも奴はあっという間に距離を詰めてこちらに迫って来ていた。


「シッ」


ボクシング特有の呼吸音とともに、クレオの左手が俺の顎を下からの鋭い軌跡を描いて捕らえようとしていた。

予備動作が極めて読みづらいショートアッパーだ。

何とか反応して上半身を後ろに反らして紙一重で避けた所に、今度は右から大きく振りかぶったパンチを打ち下ろしてきた。

このパンチは普通であれば大振りなので気づけばかわせる、防御できる類のパンチだが、クレオの拳速はまるでプロのボクサーと遜色無い、いやそれ以上の速さで襲いかかってくる。

かろうじて反応が間に合い、俺の大きな左腕で側頭部を守るようにガードした。

グローブ越しのパンチであるはずなのに、骨の芯にまで衝撃が響いてくる。何かを握り込んでいるかと錯覚するくらい、重い。

パンチを放った後、クレオはいったん距離を取った。


「よそ見につられても僕のパンチを受けるとは、やるね」

「有名なボクシング漫画にもこのネタがあったからな。すぐに気づいて良かったぜ」


とはいえ、受けた左腕のしびれはまだ抜けない。

このパンチをかいくぐって懐に入り込むのは相当難儀な事だと思われる。


「僕からの挨拶は終わりだ、行くぞ」


矢継ぎ早の攻撃が続く。

左ジャブを打ったかと思えば、左足のミドルキックが脇腹めがけて襲い掛かる。これは丁寧にガードして最低限のダメージに抑える。

流石にパンチのみならず、キックも中々に良い物を持っている。しかし、パンチ程の鋭さ、キレはない。

一番に警戒すべきはやはりその両手から繰り出されるパンチだろう。

インターハイ優勝の経歴は伊達ではない。

真っ当にやっても勝ち目は少し薄いな。ここはひとつ揺さぶってみるか。

俺は打撃をガードしつつ、クレオに話しかける。


「どうした、俺のタックルが怖いか?チクチク遠距離からキックばかり打ってきて」

「…」

「お前のキックなんぞきっちり受けきればダメージになんぞならん。飛び切りの一発を打って来い。お前の得意技じゃなきゃあ、俺は倒せんぞ」


うまく挑発に乗せられるか?


「…ごちゃごちゃとうるさい奴だな。お望み通り、お前の顎を打ち抜いてやるよ」


癪に障ったのか足を止め、こちらを見据えるクレオ。

プライドが高いのは今までの会話でわかっている。そして自分の腕前にも自信がある。

だからこそ、相手に舐めた態度を取られるのは許せない。

いくらそれが罠だとわかっていても、罠ごとねじ伏せるのが真の強者、とでも奴は思っているのだ。


リング中央。

じりじりとお互いに距離を詰め、お互いのパンチが届く一歩手前の距離。

先に動いたのはクレオだ。

クレオは左のジャブを打って距離を見極め、続けて右のストレートを打ってきた。

高速のワンツーコンビネーション。顔面の中心を正確に狙い定めて放ってくるパンチは、瞬きすら許さない。

俺はジャブを右手で払い、ストレートは上半身を屈めて体を沈ませることでかろうじて避けた。

それでも、パンチは左頬をかすめた。

俺の頬から焦げ臭い匂いがする。

それほどまでに早かった。

しかし、これでチャンスを得た。

俺は奴の懐に潜りこんだ。

まだ奴がパンチを戻しきっていない今こそ勝負をかけるタイミング!

俺は素早くクレオの左側に回り込んで側面を取り、右手を奴の首に回した。


「ちいっ」


クレオは組み付かれる事を嫌がって離れようと俺の肩を押すが、もう遅い。

相手の首を地面に向けて力いっぱい引きながら左手をリングのマットにつけ、クレオの太ももに俺の両足を飛びついて絡ませ、その勢いで仰向けに転がした。


「蟹挟みか!しかし蟹江の野郎、ボスのパンチを掻い潜ってよくあそこまで接近できるもんだ」


観客の不良が驚きの声を上げる。

蟹挟み。柔道では禁じられている技だが総合格闘技では使える技だ。まだ経験が浅いであろう奴に対する奇襲としては十分に通用すると踏んで繰り出した。

目論見通りにうまくいったが、ここからどうする?


(いや、迷っている暇などない。一気に勝負を決める!)


馬乗り(マウントポジション)の体勢を取るべく、相手の腰の上に素早く飛び乗った。

これで下からパンチを繰り出されても手打ちだからほとんど効かない。

逆に、俺は上から体重を乗せたパンチを打ち下ろす事が出来る。


「このまま、お前が参ったするか気絶するまでパンチを打つ。悪く思うなよ」


淡々と、俺は拳を振り下ろす。

右、左。右、左。

殴る。殴る。殴る。殴る。

時折下からパンチが伸びるが、こちらの顔までには届かない。

パンチを出しても意味がないと悟り、顔を守る為に仕方なくガードを固めるクレオだが、ガードの上からお構いなしに殴る。

観客からはブーイングの嵐が飛び交うがそんなものは俺には関係ない。

俺は勝って無事にここを出るまでが使命なんだ。出来るだけ無傷で勝てるならそれに越した事はない。

恐らくこいつをぶちのめしても周りの不良共を相手どらねばならないだろう。だからダメージは最小限にするんだ。

パンチを打ち下ろすたびにクレオの顔の形が少しずつ変わっていく。

内出血により腫れ、口内を歯で切って血が垂れてきている。

…まだ気絶には程遠い。

奴の瞳はまだ光を失っていない。戦意を断ち切るにはまだまだ至らない。

もっと力を込めて殴るしかないかと覚悟を決めた時、不意に背筋にぞくりと冷たい物が走った。


「はぁ、はぁ、はぁ…」


呼吸を荒くしているクレオの様子が、おかしい。

髪の毛が、いや体中の毛がいつの間にか逆立っており、瞳孔の形がまるでトラやライオンのように細く縦長に変化している。

最も変化しているのは肉体だ。

脚、腕、胸筋、腹筋、背筋…。

全ての筋肉が戦いの前よりもビルドアップされている。

闘う前の、しなやかで引き締まったアスリートのような肉体から、まるでプロレスラーのような張りのある大きな岩の塊の如き肉体へと変貌していた。

これは一体どういうカラクリなんだ?まさか魔法や呪術のようなものでも使ったのだろうか?

目の前の現実を俄かには受け入れる事が出来ず、困惑するしかなかった。


「ようやく、エンジンが掛かってきたよ」


一言、奴は低い声でつぶやいた。地の底から響くような声だった。

腹の底からの恐怖、嫌悪を呼び起こすような、そんな音だ。

思わず叫び声を上げそうになる所を、無理やり歯を噛み合わせて殺して喉でとどめる。


「ぜあっ!」


恐怖の叫びを、無理くり気合の声に変えて右の拳を打ち下ろすべく振りかぶる。

その瞬間、クレオの右腕が閃光のように俺の胸辺りを走った。

音が遅れて聞こえてくる。

そんな錯覚を覚えるほど早い腕の振りだった。


腕が空を切った刹那、皮膚は切り裂かれ、鮮血が噴出した。


「なっ!?」


まるで切れ味の良い刃物で皮膚を裂かれたかのような傷跡が三つ、俺の胸につけられていたのだ。

予想外の攻撃に動揺した俺はうかつにも腰を浮かしてしまった。

クレオはそこを見逃さず、ブリッジをして俺を更に浮かし、隙間を作る事に成功する。

その後素早く、かつ力任せに俺を両手で突き飛ばした。

ほぼ腕の力でしか押されていないというのに、俺は後ろに数歩下がらされてしまう。

…およそ人間の力とは思えないほど、強い。

強引なやり方でマウントポジションから離脱したクレオは、ゆっくりと立ち上がり、首をゴキゴキと鳴らしてため息を吐いた。


「さすがに、経験者の組み技は中々抜けられないものだね。もっとちゃんと逃げ方を覚えないとな」

「てめえ…一体どういう武器を仕込んだ?」

「武器?武器なんか持っていない」

「嘘を吐け!じゃあ俺のこの胸の傷は何だ!刃物でも仕込んでなければこんな傷が出来るかよ!」


クレオは、なんだそんな事かと言わんばかりの表情をし、俺に手の甲を向けた。

総合格闘技で使用されるグローブはオープンフィンガーグローブと呼ばれ、掴み技を行う為に指先が露出している。

露出している指先の更に爪を見ると、まるで獰猛な肉食獣のように鋭く、太い爪の形状をしていたのだ。


「…そう言う事かよ」

「今更隠すつもりもないが、僕はライオンの遺伝子を持っていてね。こんな風に爪がとても鋭い。

 だから人間の皮膚程度であれば容易く切り裂く事が出来るよ。もっとも、君の体は普通じゃないから少しばかり力が要ったが、その様子を見る限り同じことだったね」

「それになんだ、その体は。キメラと言えどそういう体質の奴は今までみた事がない」

「ああ、これは僕の特異能力さ。興奮して神経が昂ると肉体が変化する。何故かはわからないけどね。最も、この形態になって本気で喧嘩するのは君が初めてだ。今までは力をセーブしながら戦っていたが、思う存分力をふるって戦える事を嬉しく思うよ」


クレオは俺の事をまるでようやく求めていた、耐久力のあるおもちゃのように見据えていた。


冗談じゃねえ。


あんな体で、パワーで、まだ力をセーブしていたというのか。

今までは手加減をしていたというのか。

それであの強さか。

…底が知れない。

知らないうちに、鳥肌が立っていた。体毛が逆立つような、そんな感覚がする。

この感覚、感情。俺は知っている。

捕食される獲物が感じるものだ。

食われる恐怖。自分が殺される、死ぬという恐怖。

絶対的王者には敵わないという、本能に基づいた感情。

…おれはこいつに勝つことができるのか。

いや、出来るのかなど言っている場合ではない。

何度となく挫けそうになっても、勝たなければならない。

幾度となく、心で繰り返す。弱気になった精神を無理やり奮い立たせるように。


またも、構えたまま膠着状態に陥る。

しかし先ほどのような様子見による膠着ではない。

明らかに、相手はどのように攻めていくか迷っている節があった。

対しておれは、どのように戦えばいいのか迷っていた。懐に入るべきか、打撃なのか?どちらも悪いイメージしか思い浮かばない。

目前の狩猟者は不敵に笑った。かみ合わせた歯を、鋭い犬歯がはっきりと見えるほどに。


「とても楽しい。実に楽しい。本当に、初めての全力の戦いだ。全力を持って戦える!素晴らしい!胸が躍る!本気を出すのは初めてだから君が死んでも悪く思わないでくれ。その分、ちゃあんと弔ってやる!」


歓喜の表情を見せた獣は、猛り狂いながら俺の目前にまで迫って来ようとしていた。


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1-4 ミックスドマーシャルアーツ END

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