3-16:入院生活

 新宿区三番街にある美容整形外科、ベイビーリザードの病床にて寝転がる少女。ビルを一つ間借りしているとはいえ、建物自体はそれほど大きくない。

 とはいえ、手術は頻繁に行われるので最上階となる三階にはそれなりに入院患者用の部屋が設けられている。今は希愛しか入院しているのはいないが。

 希愛の居る部屋には、ベッドの他には採光用の鉄格子が掛けられた窓、壁に掛けられたアナログ時計、そしてベッドを仕切る白いカーテンしかない。ベッドサイドには小さなテーブルと来客用の丸椅子、小さな冷蔵庫にテレビが置かれている。

 希愛の腕には点滴が施されており、思うように体が動かせない状況にある。

 この点滴には体を治すための大事な薬が入ってるから、抜けたりするような激しい運動は禁じられているし、自分から抜こうとしてはダメだと女の先生には言われているのだが、どうにももどかしくてよくない。もちろん、あの先生の言う事は正しいと頭では理解しているのだが、心が納得してくれない。

 その先生は石橋と随分と親しく、率直に言えばあまり気に入らなかった。胸がつかえてもやもやするのだ。

 そもそも、体はちゃんと動くし、気分だって悪くないのにおとなしくしていろと言われる理由がよくわからなかった。

 初めての入院で、慣れない事ばかりで希愛は頬を膨らませている。

 入院時に差し入れてもらった本と漫画は全て読み切ってしまった。

 アニメも全部見てしまった。

 石橋はできるだけ見舞いに来る、と言ってくれてはいたが仕事が忙しく、入院してから一週間のうちに来れたのはその中で二日くらいだ。

 午前十時ちょうどを刻んだアナログ時計の秒針の音だけが部屋に鳴り響く。


「つまんない」


 何度も読み返した児童小説をベッドサイドテーブルに置いて、希愛は天井を仰いだ。

 つながれた点滴を眺めて、ため息を吐く。

 この点滴さえなければ、と何度恨めしい思いをしたか。

 一応、点滴を下げているスタンドを転がしながら院内を散歩することは可能だが、思い切り体を動かせないのはやっぱりつまらない。昨日スタンドを思い切り走らせながらそれに乗って遊んでいたら、先生にめちゃくちゃ怒られた。


「でもあれは看護婦のお姉ちゃんが悪いよねえ」


 体が動かせなくて退屈と愚痴ったら、キックスケートして遊ぼうよ、とまるで自分と精神年齢が変わらない子どもっぽいお姉ちゃんが最初に言い出した。その人も希愛以上に怒られていたけど。


「希愛ちゃん、元気?」


 ドアが大きな音を立てながら開かれ、昨日の騒ぎの元凶であるお姉さんが姿を現した。


「アコ姉ちゃん、そんな雑にドア開けたら先生がまた怒るって」

「先生、あんなに怒ったらそのうちシワが増えると思うんだよね」


 そのシワの原因は大体がアコのせいだと思ったが、何も言わずにいた。


「それで何の用?」

「何の用ってのはひどいな。点滴を変えるお時間ですよ。もう中身無いでしょ」

「ねえアコ姉ちゃん。私は元気だよ? 別にお薬入れる必要ないよね」


 希愛の素朴な疑問を聞いてアコは苦笑する。


「それを決めるのは、あたしじゃなくて先生だから」

「むぅ」


 あからさまに希愛の頬が膨れる。

 手早く点滴のバッグを変え、新たに針を刺す場所を伺うアコ。


「こっちの腕じゃなくて、今度は左腕にしよっか」


 と言い、アコは血管を一発で探り当てて針を刺した。


「アコ姉ちゃんの注射、全然痛くない! スゴイ!」

「先生にがっつり叩き込まれたからね。患者の事を思えば注射で何度も腕に針を刺すなんてありえないって言われてるし」

「アコ姉ちゃんはなんでここで仕事しているの?」

「もちろん、先生が好きだからよ」

「好きなの? あの先生が?」

「患者さんにはあんまり評判良くないかもね。でも、先生が一番誰よりも患者さんの事を考えてるんだよ」

「本当?」

「今はわからないかもね。いずれわかるよ」


 いずれわかるという言葉に、希愛は首を傾げていた。

 アコの処置が終わってすぐに、ちょうど白衣の女医が姿を現した。

 あからさまに希愛の顔が苦い物を口に入れてしまったかのような表情になる。


「うぇっ」

「調子はどうかな? 希愛ちゃん」

「元気元気! だから退院してもいいよね。山賀先生?」

「それを決めるのは私。ちょっと服の前はだけてね」


 言われ、希愛は着ている服の前を上げる。

 山賀は聴診器を当てたり、目や口の中を見る。一般的な医者のやる診断の一通りを行い、希愛の調子を伺う。


「もう服降ろしていいよ」

「で、どうなのセンセ」

「まだ入院必要ね。あと三週間くらい」

「えええええええええええええ」


 よりあからさまな不満を声に込める希愛だが、全く顧みない山賀。


「ワガママ言ってもダメなものはダメだから。もし脱走なんかしたら次は動けないように手足縛っちゃうし、入院日数ものばすからね」

「いーっ! それは嫌!」

「それが嫌ならおとなしくしてなさい」

「べーっ」


 希愛が思い切り舌を出すのを見届けながら、山賀は口の端を吊り上げつつ病室を去る。


「やっぱりあの先生嫌い!」


 感情を口にする希愛を、やさしく撫でるアコ。


「そう言わないの。先生はちゃんと希愛ちゃんの体の事を思ってるんだから」

「本当?」

「本当よ。先生が困ると私も困るから、あんまり変な事言わないでね。昨日の事ではあたしもめっちゃ怒られたし」

「むぅう」


 不満げな顔をしつつも、妙にウマが合うアコの言う事だからと自分に言い聞かせる。

 アコも処置を終えて病室を去り、部屋には静寂が訪れる。

 一週間の入院生活に既に飽いている希愛。どうすることもできず、ベッドにまた寝転がる。何度も読み返した小説を開いて、文字を目で追う。


「これがああなって、この先は……」


 先の読める展開ほど面白くないものはない。希愛は小説をサイドテーブルに置いた。

 テレビさえ見れればなとぼやく。光の刺激が体に良くないから、という理由でテレビの電源は抜かれて使用不可能になっている。ゲームも同様の理由でダメだと持ち込みできなかった。

 眠くもないけど目を瞑って無理やりに寝ようとしてみるが、目を瞑ったところで脳裏に浮かぶのは石橋やアリサ、学校の友達ばかり。

 

「あぁもう」


 ふと、廊下の方から足音が聞こえる。

 山賀がアコが履いているパンプスの音ではなく、石橋の革靴の音でもない。

 甲高い独特の音。カロン、カロンという音は希愛には聞き慣れしない音だった。


「誰?」


 引き戸のドアが開き、現れたのは一人の老人だった。

 黒のハットを被った、和服を着た小柄な老人。

 杖をついているものの足取りはしっかりしており、まだ衰えは感じさせない。

 カロンカロンという独特の音は彼の履いている下駄の立てる音だった。


「よぉ、嬢ちゃん。何時ぶりかな?」

「あ! 柄山のおじいちゃんだ! どうしてここに?」

「俺くらいになれば何でも知ってるもンさ。孫の事が気にならない爺なんているかい?」

「わーい! じいじ大好き!」


 柄山が来たと同時に、パタパタと小走りで来る音が一つ。


「柄山さん、来るなら先に連絡を入れてくれとあれほど言ってるじゃないですか」


 息を切らしながら次いで現れた山賀だが、一瞥し事もなげに言った。


「今日はお忍びなんだよ。悪いな。お前ンとこに連絡すると、他の所にも連絡いっちまうだろ?」

「それはそうですが……」

「すぐに帰るからちっとだけ目を瞑っててくれんかな?」

「わかりました。でも長居は禁物ですよ。ここにいる事がバレたら、とばっちりは私が受けるんですからね」

「わかったわかった。とりあえず二人きりにしてくれねえか」


 言われ、渋々ながら山賀は下がる。

 柄山は持っていた大きなバッグから、色々と土産を出す。

 新たな小説や漫画もさることながら、密かにネットにアクセスできる端末を持ってきたり、あるいはデザートと食べ物まで至れり尽くせりという内容で、希愛の瞳はひときわ輝いていた。


「冷蔵庫の電源は付いているんだよな? 食べきれないのはここに隠しておけよ。あとネット端末はあのうるさい医者には見つからないようにしとけよ。健康に悪いとか言い出すからな」

「うん! ありがとう!」

「うんうん。お前さんは相変わらずかわいいなあ」


 目を細め、希愛を見つめる。


「学校は変わりないか?」

「クラスのみんなも優しいよ」

「そうか」

「研究所で一緒にいたアリサとも再会できたし、タカ兄ちゃんも相変わらず優しいし、私、今が一番幸せじゃないかなって思う」


 満面の笑みを浮かべる少女を見て、ぐっと胸に来るものを覚える柄山。


「そうか……。所でな、お前さんに聞きたい事がある」

「何を?」

「大きな男に襲われたと聞いた。その時、なんで隆之はお前を守ってやれなかった?」

「違うのおじいちゃん。あれは私が悪いの。逃げろって言われたのに、私、いう事を聞かなかったの。だからあの怖いのに捕まって……」

「どんな状況でも大人なら守ってやらなきゃならんのだ。あいつはまだ修業が足らんな」


 憤慨する柄山を見て、希愛は俯いて涙ぐむ。


「ああ、そんなつもりで言ったわけじゃないんだ。すまんなぁ」

「うん……」

「お前さん、捕まった後の事は覚えてないのか?」

「わかんない。気が付いたら病院だったから」

「そうか」


 言葉は途切れ、二人とも黙り込む。

 口火を再び切ったのは希愛だった。


「ねえ、おじいちゃん」

「なんだ?」

「ヤクザっていうお仕事は、危ないお仕事なの?」


 聞かれ、柄山は答えに詰まる。

 ヤクザが危険な仕事であるのは言うまでもない。時には命を失う事だってあるし、その機会はいつ訪れるともわからない。三下が命を失う事が多いのは当たり前だとしても、偉くなってトップに上り詰めたとて何時襲撃に遭って殺されるかもわからない。柄山は正直に答える。


「そうだな。嬢ちゃんが結婚するところまで生きてみたいもんだが、こればかりはわからんなあ」

「じゃあ、おじいちゃん、引退する?」

「い、引退ぃ?」


 希愛の一言に思わず聞き返してしまう。


「本当ならね、タカ兄ちゃんにもお仕事辞めてほしいの。時々、なんだかすごく思い詰めた顔して帰ってくる事もあるし、怪我してた時もあるし。おじいちゃんにもタカ兄ちゃんにも危ない思いはしてほしくないから……」

「それが出来たらどんなに良いかって話だな」


 ふと、遠くを見つめる。年の割には若く見える顔立ちに、積み重なった地層のような疲れが垣間見えた。


「ともかく、俺も隆之もまだ引退はできないんだよ」

「そうなんだ……」

「だが、あいつがあの組を辞めるって言うなら話は別だな。俺が直接管理してる組に入るなら、今よりは安全な暮らしは保証する」

「本当?」

「ああ。爺ちゃんが約束する」

「じゃあ、約束ね!」


 約束の証として、二人はゆびきりげんまんを行う。


「ゆびきりげんまん、嘘ついたらハリセンボンのーます」

「ゆびきった! じゃあ、俺はそろそろ行かなきゃだから。また近いうちに見舞いに来るよ」

「わかった! 元気でね!」

「希愛も先生を困らせるんじゃないぞ」


 いそいそと荷物をまとめ、ハットを被って部屋を後にする柄山。

 通路を行き、三階から二階の階段に降りる踊り場のあたりに待ち構える人影が一つ。


「おや、これは山賀先生。どうしました?」

「貴方を待っていたんですよ」

「おお、これは話が速い」

「白々しい。どうせ見舞いはついでで、話を聞きに来たんでしょう。診察室まで来てください。知っている事をお話ししますから」


 二人は診察室の中に入る。

 今はちょうど昼の時間帯で休憩時間であり、患者は誰もやってこない。

 来たところで中に入れないように鍵を閉めているので無駄だが。

 診察室の中で、二人は向かい合う形で椅子に座る。


「それで、あの嬢ちゃんの秘密ってのはどんなんだい?」

「一言で言えば、全生物の遺伝子のデータベース、と言ったところでしょうか」

「ほほう、なるほどね。しかしそれだけじゃないだろう?」

「その遺伝子を制御して、思い通りの生物兵器を作る、いわばそのプロトタイプでしょうね。何故これだけの遺伝子を混ぜ込もうと思ったかは理解できませんが」

「あの子は制御出来てるのか?」

「暴走したという話を聞く限り、自分からの制御は不可能でしょう。命の危機に晒されると自分を守るために合成獣のような姿になるようですが……どちらにしろ次に暴走したら命を落とす危険性が高いですね」

「そうか。それは困ったな。嬢ちゃんを守る為に四六時中護衛を付けるという訳にもいかんしな。嬢ちゃんを保護した隆之のメンツもある。俺がお節介を焼くのもな」


 山賀は柄山の発言に、意外なものを見たという風に彼の顔を見る。

 意図を知ってか苦笑する柄山。


「おいおい。俺はあの子の爺代わりなんだぜ。あの子がどんな存在だろうと、俺にはかわいい孫だってのには変わりねえんだよ」

「大変失礼しました。という事は、柄山さんからも何かあり次第、私に支援していただけるのでしょうか?」

「そうだな。何か情報が得られ次第、共有しようじゃないか」

「助かります。今はどんな情報でも欲しいものですから」

「なあに、それで助かるなら安いもんさ。じゃあ、そろそろ俺は帰るとするか。こっそり組を抜け出してきたもんだから大騒動になってるはずだ」


 懐からスマートフォンの着信履歴を見ると、うんざりするほどの履歴が残されている。

 数秒間に一度の間隔で側近からの着信。

 柄山は彼らの慌てふためきようを頭の中に浮かべながら、にやりと笑い診察室を後にする。


「心配性な奴らばかりだ、本当に」

「それだけ貴方の身が大事なんですよ」


 山賀の言葉を背に受けながら、病院を後にすべく入口まで歩いていく。

 扉の前まで柄山が歩くと、既にエンジン音が外から聞こえてくる。

 扉を開ければ、そこには黒服の男が柄山の事を直立不動の姿勢で待っていた。


「探しました。勝手に居なくならないでくださいよ。今後の予定が狂います」

「たまには自由な時間を過ごしたいんだがな」

「引退してからになさってください」

「後を引き継がせたい奴が居ねえんだよなぁ」


 愚痴りながら、柄山は車に乗り込んだ。

 去っていく車を診察室の窓から見送る山賀。

 遠くまで行き、見えなくなったところで懐からタバコを取り出して火をを点け、紫煙を燻らせる。立ち上る煙は換気扇に吸い込まれ、けたたましい音と共に外に吐き出される。


「さて……午後の診察の準備、かな」


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