3-15:山賀ふたたび

 石橋が連絡してから3分後、白いワンボックスカーが音もなく現れた。

 車とは言いつつも既にタイヤを廃した車のフォルムは流線形をしており、いつ見ても格好悪いなと思う。石橋が所有している車は旧式で、タイヤで走る車だが、周囲の人々は今時そんな骨董品を動かすとは一体どういう了見なのかとよく問われるが、そんなのは些細な問題に過ぎない。税金がいくら掛かろうが、メンテナンスに手間が掛かろうが、昔の車のフォルムの良さとロマンには敵わない。あと何と言っても馬力が違う。アクセルを吹かした時の加速の良さはガソリンエンジンに敵うものはない。

 ワンボックスカーが止まり、助手席からは白衣を着て眼鏡を掛けた妙齢の女性が救急バッグを片手に姿を現した。


「患者は?」

「ここだ」


 青ざめた顔色をしており、呼吸も荒く汗をひどくかいている希愛。

 それを見てすぐさま処置としてアンプルを取り出し、注射する。

 注射をして少し時間を置くと、徐々に希愛の呼吸が落ち着き始め、顔色も幾分かは血の気が戻り始めた。ひとまずはほっと胸をなでおろす石橋。


「応急処置よ。それにしてもなんでこの子、こんなに衰弱してるの?」

「……話すと長い。あまりにも突飛すぎて信じてもらえるかもわからないが、信じてくれるのか?」

「色んな患者見てるからね。大抵の事では驚かないよ」


 額に皺寄せる石橋に対して、笑顔を見せる女医。その態度には、様々な経験に裏打ちされた自信が満ち満ちていた。


「それにしても、酷い顔をしているね。君もかなり強いはずなのに一体どんな奴にやられたんだい?」


 女医の問いに石橋は顎をしゃくって方向を示す。その先には倒れ伏している大男。

 胸に刻まれた深い傷とコンクリートの床に広がっている血だまりを見て、半ば無駄とは知りつつも女医は脈を取りに男の近くにしゃがみこんで首に手を当てる。そして小さく首を振った。


「まあ、死んでいるわね」


 立ち上がり、改めて周囲を見回す山賀。ボロボロの空きテナント部屋の状態を見て呟く。


「大きな爪にやられた男。そして建物をこれだけ破壊できる存在がどうやらいたらしい事。一体ここは何の動物園だったんだろうね? まあ、詳しい事はウチの病院で聞くとしよう。車に乗りな。君の怪我も診る必要があるしね」



* * * * *


 

「ああ、クッソ! 痛え!」


 暗い病院の一室で、石橋の叫び声がこだまする。

 ボコボコに殴られた顔は時間経過によって腫れあがり、見る影もない。

 その顔中には女性が美容の為によくやっている、パックのようなシートがべたべたと貼られていた。


「そのナノジェルシートを着けていれば、打撲傷くらいならすぐ治るから」

「確かに便利だが、この痛みと微妙に痒いのは何とかならないのか」

「損傷した組織を治している証拠なんだから、ちょっとは我慢しなさい」


 ついでに体の自然治癒力を高める薬剤を注射された石橋は、椅子にもたれて電子カルテを打ち込む女医を見つめる。


「それにしてもさ、一体何歳なんだ。山賀先生よ」


 年齢を尋ねられたか、それとも外見に反して揶揄されたかと見て、目線だけちらりと石橋を見やる山賀。


「女性に年齢を聞くのはマナー違反と教わらなかったかな?」


 鋭い視線に気おされる石橋。まだ彼がヤクザになりたての三下の若造だった頃に初めて山賀と出会った。彼女はその頃から見た目が全く変わっていない。


「今の世の中、金さえあればいくらでも若いころの状態を維持するのは可能なんだよ。ひとつ勉強になったね」

「その為にどれだけの金が必要なんだい、先生?」

「もちろん、莫大な金額が必要だ。だが私の専門でもあるからね。これは投資の一環だよ」


 そう。この病院の院長、山賀椎香の専門は美容整形だ。

 病院の名前は「ベイビーリザード」と言う。俗にモグリの闇病院と称され眉を顰められる存在ではあるが、訳ありな人々にとっては唯一通える病院だ。美容整形外科が専門とはいえ、どんな患者でも受け入れると謳っているだけにここの客層はバリエーション豊かである。例えば、未成年の男女や、やくざ者のような裏社会の人々などなどそれはもう様々な人種が訪れる。

 今日は本来なら休診日なのだが、石橋の頼みとあって山賀は断りきる事が出来なかった。急患が居るとなれば猶更だ。

 カルテを書き終えた山賀は椅子を回転させ、石橋の方へと向き直る。


「しかし君が拾った女の子、一体どういう人生を歩んできたらああなるんだ。体中に無数の傷や注射痕。手術の痕まである。それも乱暴に縫われているだけの、女の子の体という事を全く考慮しない雑な縫い方。医者として恥ずべき措置だこれは。しかも」


 山賀は別のファイルを開き、ある部分を拡大した。

 なにやら遺伝子がどうという記述がされているようだが、素人の石橋には具体的にどんな内容なのかさっぱりわからない。


「一体何なんだ、この文字列は」

「これはね。生物の塩基配列を記述したものだよ。彼女――希愛と言ったかな。この子は様々な生物の遺伝子がそれこそデータベースレベルで組み込まれている」

「は……?」


 あまりにも突飛な話に唖然としてしまう。

 希愛がキメラ人というのは、まあよくあることだろうと思える。実際今時、キメラ人でない人の方が希少なのだから。だが、データベースレベルのキメラ人とはなんなんだ?


「一言で言うと、彼女一人でノアの箱舟ができるってことよ」

「ああ、聖書の神様が大洪水を起こした時の話か。確かあらゆる生物のオスメスを船に乗せて大洪水の後の世界の為に備えたっていう」

「そう。誰が何を考えてこんな事をしたのかは知らないけど、随分と非人道的な事をやったものね。そのせいで彼女の体はボロボロよ」


 憤る山賀の姿を見て、石橋は思い出していた。

 いつも山賀は言っていた。医療とは人を救うためのものであり、けして人を弄ぶ為のものではないと。

 山賀は煙草を口にくわえ、火を点けて思い切り煙を吸い込み、吐き出した。


「あぁ胸糞悪い」

「医者がそんなにタバコ吸うなよ」

「ストレス溜まった時の解消法にはこれが一番なのよ」

「それで、希愛はどうなる?」

「んー、しばらくは希愛ちゃん、入院しないとダメね。体が衰弱しきってる」

「そうか。世話になるな」


 石橋が懐から電子マネー端末を取り出そうとすると、山賀は首を振って制止した。


「お金はいらない。その代り、彼女の体の秘密を探りたいの。いいかしら?」

「ああ。俺もそれは知りたいからな」


 懐からタバコを取り出して火を点ける石橋。その額には深い皺が刻まれている。

 あまりに強く額に力が入った為か、パックが剥がれかけて慌てて貼り直す。


「なにやってんのよ」

「うるせえ」


 山賀は笑いつつも、改めて姿勢を正して石橋に向き直った。


「こういうのは不快かもしれないけど、彼女は研究しがいのある存在なのよ。多数の獣の遺伝子をどうやって共存させているのか。普段はどうやって発現を抑制しているのか。そして発現させるときはどの要素がトリガーとなっているのか、どのようなプロセスを経て、キマイラ? みたいな複合獣の姿に変貌するのか。まさに彼女は遺伝子の宝庫ね」

「希愛はただの女の子だ。どんな体であろうとそれは変わらない。アンタ、あんまり研究者面するのはやめてほしいもんだな」

「もちろん、わきまえてるつもりよ。もちろん、ひどい事なんかしないから」

「ふん、どうだか」


 石橋は乱暴にパックを剥がし、ゴミ箱に投げつけた。


「あぁ、顔痒い」

「治りきってないのに無理やり剥がすからよ」

「ともかく、希愛の事お願いしますわ。俺は少しやることができたから」


 顔をかきながら診察室を後にしようとする石橋に、山賀は声をかけて呼び止める。


「ねえ、石橋くん」

「なんですか先生。改まって。その呼び方、最初に出会って以来だろ」

「彼女。もう一度、暴走したら死ぬわよ」


 告げられた事実を受け入れられず、石橋は唖然と立ち尽くす。


「それは、マジなのか」

「本当。過去のダメージの蓄積と、今回の遺伝子の暴走とあって、彼女の体は限界に近いわ。次、遺伝子の暴走があったら一気に衰弱が進んで死んじゃうでしょうね」

「どうしたら死なない?」

「あと10年は穏やかに過ごす事ね。石橋くんにこんな事言うのは、無茶かもしれないけど」


 山賀は二本目のタバコを点け、煙を燻らせる。


「穏やかに……か。わかった。努力する」


 足取り重く、病院の外に出る。

 昼過ぎに病院に入ったはずなのに、気が付けば空は茜色。夕暮れの雲は赤く染まっている。東の空は既に暗く、気の早い星が姿を輝かせていた。

 教団「方舟」が間違いなく希愛を標的にしている。何としても彼女は守らなければならない。わかっている。それは。

 だが。

 守り切る事が出来るのだろうか。今のままで。

 いっそのこと、逃げるべきなのだろうか。

 病院の扉の前で立ち尽くす石橋。

 答えはまだ、出ない。

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