3-17:ひと昔のこと
柄山が訪れてから一週間後。
ようやく取り掛かっていたシノギがひと段落し、希愛の見舞いに来た石橋。
「え? 柄山のオヤジが見舞いに来てくれた?」
希愛の一言に、石橋はにわかにうろたえる。
「何だか忙しい合間を縫って来てくれたの。いっぱいのお土産持ってきてくれた!」
「そうかぁ。そりゃ良かった。……ちょっと山賀先生とお話ししなきゃいけない事があるから、部屋で待っててくれないか。すぐ済むはずだから」
「でもなるべく早く戻ってきてね」
「ああ」
病室を出た後、石橋は考え込む。
口では良かったと言ってみたものの、内心驚いた。
なぜ柄山はわざわざ一人で見舞いに来たのか。
どうして来るとき自分に連絡を入れなかったのか。仮にも自分は希愛の保護者だ。
それを差し置いて一人で会うだけの理由でもあったのか。
どうしても心に引っかかり、石橋は柄山に連絡を入れてみる。
大抵は留守電になるはずだが、どうか。
「おう、隆之じゃないか。どうした」
思いがけず、繋がった。
「どうしたじゃありませんよ。一人でいきなり希愛に会いに来るなんて、どういう風の吹き回しですか?」
「なんだそんな事か。単純に希愛の事が心配だったからに決まってるじゃないか。なんせ俺は希愛の爺代わりなんだぞ」
お前と同じような思いを抱いているんだ、と言われると石橋も次の言葉に詰まってしまう。希愛に会いに来たのは数えるほどでしかないが、その時の猫かわいがりするような姿を見ていると、その言葉をいくらかは信じても良いのかもしれない。
だが、それだけで本当にやってくるとはどうしても思えなかった。
柄山の立場や忙しさを考えれば。
「なんだ、疑ってるのか」
「いや、大親父の仰る事を疑うなんてそんな」
「忙しい合間を縫って来てるんだぜ。孫思いの爺だと思わんか?」
「自分で言わんでくださいよ」
「とにかく用件はそれだけか? もう切るぜ。あと1時間後に会合が控えてるんだ」
「ああ、はい。つまらない事に煩わせて申し訳ありません」
「いいよいいよ。お前からの電話ならなるべく出るからな」
そう言って通話は切れた。
「椎香に聞いてみるしかねえか」
電話をポケットにしまい込み、石橋は診察室に向かう。
診察室では、山賀がいつものように難しい顔をしながらカルテの編集を行っていた。
デスクには電子書籍端末が置かれており、書籍からいくつものデータが中空に表示されている。何かの資料だとは思うが、石橋には何が書かれているのかさっぱりわからない。
何年か前、この診察室に訪れた時は雑然と書籍や資料が散らばっていた。
今はそういう物は無くなっている。全てをこの電子書籍端末にまとめたのだろうか。
おかげで医療器具や机、患者を寝かすベッド以外には何もない殺風景な部屋になっている。診察室としてはそれで用が足りるから良いのだろうが。
診察室の中は消毒液の匂いが漂っており、鼻にツンと匂う。
「相変わらず、安物を使っているのか」
「別にいいでしょ。何の用?」
山賀は眼鏡を外してこめかみを指で押さえながら石橋を見た。
「柄山のオヤジがここに一人できたってのは本当かい」
「本当よ」
「マジか」
「私も来たときは目を疑ったもの。あの人がそんな殊勝な人だとはとても思えなかったし。しかも希愛ちゃんについて、何か有益な情報があったら教えるって言ってたし」
「マジかよ」
「私としては、日本トップの暴力団の情報網があるって言うのは有難い話だけどね。ただ今のところ、ゴシップみたいな話しか来てないんだけどさ」
言いながら山賀は中空に浮かんでいた一つのウィンドウを閉じた。
「そうか、わかった。ありがとう」
「石橋君も希愛ちゃんについて、何かわかったら教えてね」
石橋は診察室を後にし、希愛の待つ病室に戻ろうと廊下を歩く。
階段を上りながら考えていた。
山賀が言うように、柄山のオヤジはあそこまで殊勝な人物ではなかったはずだ。
何時の間にそんな人間になったのだろう。
ぼんやりと考え込んでいると、いつの間にか自分の足が止まっている事に気づいた。
ひゅうと風が吹き込む。
吹き込んだ風の方を見ると、窓枠の近くにふたつのちょっとしたソファがあった。
今日の見舞いの時間を作るために石橋は物凄い勢いで仕事を片付け(あるいは部下に投げまくって)て来た。
ソファに腰を下ろすと、どっと肩に疲労がのしかかる。
病室に戻る前に少しだけここで休もうか。
天井を仰いで、石橋はぼんやりと過去の事を思い出していた。
それはもう、何年も前の話だ。
尾熊組でようやく頭角を現し始めた頃に柄山に認知され、妙に気に入られて呑みにつれられた事があった。
何処のバーだったかはもう覚えていないが、VIPルームを借り切って、ソファで隣り合いながら二人は呑んでいた。周囲の護衛も退けて。
まだ柄山の頭はごま塩混じりでなく、黒々としていた。
その瞳も、今以上に鋭さがあったのを覚えている。
値段を聞くのすらうんざりするような高い酒を、安酒を飲むかのようにがばがばと呑む柄山の姿を見て当時の石橋は感銘を受けていた。やはりやくざとして生きる以上、好きな酒を好きなだけ飲めるようになり、部下に好きなようにおごれる甲斐性を持たなければ。
こうやってサシで飲みの席に誘ってくれるなど、よほど自分に期待しているはずだ。
「だから、お前も俺の直系の部下になれって誘ってるわけだよ」
「有難い申し出なのですが、俺はまだ尾熊組の組員ですから」
「だから尾熊組を辞めて、俺と盃を交わせって。俺が話を付けてやるから」
「組を辞めなくても盃自体は交わせるでしょう。ウチのオヤジのメンツを潰さんでくださいや」
「言わせてもらうがな、あいつは頭悪いぞ。将来間違いなくお前の障害になる。断言する。だからウチに来い」
酔いが回っているせいか、本音がボロボロ漏れる柄山に苦笑いするしかない。
その見立ては恐らく正しい。石橋自体、ウチのオヤジこと虎嶋の事は全く評価していなかった。ただの喧嘩馬鹿であり、直情径行に過ぎるあの男は、組の戦争において非常に活躍し、そのおかげで若頭にまで上り詰めた。
「そして今は組長になっているわけだが……お前、本当にその経緯に納得してるか?」
石橋は口をつぐむ。
尾熊組二代目の虎嶋は、禁忌と言われる親殺しを行って組長に就任したのだから。
本来ならそういう行為は認められる訳がなく、周囲の組が諫めるか或いは潰しに掛かるはずだった。
だが諫めようとした組は逆に追い返された。
潰しに掛かった組は、逆に虎嶋個人によって全て潰された。
今となっては誰も異を唱えようともしない。
力による支配もまた、やくざの世界の理だ。
「とはいえ、俺は先代組長には多大な恩と義理があります。それを果たすまではまだ辞めませんよ」
「まさか復讐でもするつもりか」
石橋の心臓が跳ねた。
「そんなわけないでしょう」
「声が震えてるぜ。やめとけよ。殺った所でリターンが無いし、勝算も無いだろ」
「組長にはなれるんじゃないですか」
「お前が虎嶋くらい力があるならな」
柄山に言われ、気づかないうちに握りしめていた拳の力を緩める。
柄山はカラになったグラスに瓶ビールを手酌し、ぐいっと飲んだ。
「なあ隆之。俺がどういう生まれか知ってるか」
「いえ」
聞いたことが無いというか、そもそもそんなことを聞ける間柄ではなかった。
「隆之の生まれはどこだっけ?」
「俺ですか。東京のスラム街ですよ。ごみためみたいな場所です」
「そうか、ごみためか。俺も似たようなところでな。被差別部落の特に外れの方で誰にも蔑まれる生まれだった。親も居なかったからごみ拾いから盗みから何から何でもやったよ」
「そう、なんですか」
「そのせいで警察には散々捕まったし、同じ生業してるやつには敵視されてボコられたもんだよ。ま、そのおかげで人の殺意とか悪意には敏感になれた。お前もそうだろう」
「ええ、まあ」
実のところ、柄山の言う事はよくわからない。
悪意や殺意に敏感になれるだなんて、何かの特訓でも積まない限りわからない類のものじゃないのか。柄山は酔って饒舌になって冗談を言っているだけかもしれない。
強い殺気くらいなら、最近何となく感じられるようにはなったが。
「俺はよ、今の地位にはまだ満足してねえんだ。若頭如きで終わるなんて思ってねえ」
ぐっとビールを飲み干し、また手酌する。
「カシラ、飲みすぎですよ」
「いいじゃねえか。夜はまだまだ長い」
「明日も予定、詰まってるんでしょう」
「馬鹿野郎、予定はてめえで決めるもんだ」
柄山はグラスに注いだビールをゆらゆらと揺らす。
「俺は絶対に竪菱組の組長になる。それが人生の第一目標だ。俺をゴミのように扱った連中を見返してやるのさ」
「その後はどうするんですか?」
「その後か。何も考えちゃいなかったな。何年か組長やったら引退して、国政にでも躍り出るか?」
「そりゃ無理でしょう。かなり昔ならあり得た話ですが今となっては」
「ちげえねえや」
二人の笑い声が部屋に響き渡る。
「とはいえな、今の竪菱組は人材が足りねえ。とびきり優秀な、お前みたいな奴がな」
言われ、石橋は頭を掻いた。
褒められることなど人生であまり無かっただけに気恥ずかしく、その上滅多に人を褒める事がない柄山が褒めるというのは本当に評価されているという証であり、誇らしかった。
いくらか酔いが手伝って口が滑っているとしても。
「重ねて言うが、ウチの組で、俺の下で働いてくれないか」
柄山の瞳がひときわ鋭く石橋を見つめる。酔いで緩んだ顔ではなく、引き締まった顔をしている。
「何度もお誘いいただいて本当に恐縮なのですが、俺も尾熊組でまず出世してみたいのですよ。自力でどこまでいけるかを突き詰めてみたいんです」
「そうか。それもそうだな。……しかし本当に残念だ」
柄山はそう言ってビールを飲み干し、空になったグラスを見つめていた。
ひゅうと吹いた風が頬を撫でる。
ソファに座って小休止のつもりが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
ぐっと腕と背筋を伸ばし、肩と背中をほぐしていると、目の前にはいつの間にか希愛が点滴をのスタンドを持ちながら石橋を見つめていた。
「遅いと思ったらこんなところで寝てる」
ふてくされ気味に口をとがらせて、拗ねていた。
「最近忙しくてな、疲れがたまってたみたいだ」
風がまた吹く。今度は湿った空気がやってくる。
窓から見える空を眺めると、徐々に鈍色の雲が空を覆っているのがわかる。
「なんか頭、重い……」
気圧の変化なのか、希愛は調子悪そうにぐずっていた。
「そろそろ時間だ。また明日来るよ」
「嫌」
「嫌って、ワガママ言わないでくれないか。これから残ってる仕事片付けるんだよ」
「嫌」
「困ったな」
こうやってワガママを言う希愛は久しく見ていなかった。
ぎゅっと石橋のスーツの裾を握る様は、初めて出会った時を思い起こさせる。
「ひとりが嫌なのか?」
希愛は答えないが、口を堅くぎゅっと結んでいた。
しかし俯き加減にしつつも、目だけは石橋を見上げている。
自分も入院していたことがあるからわかるが、入院してる時の孤独ほど寂しいものはない。
病院という場所の雰囲気のせいなのか、時折なにかがちらっと見えたような気がした時ほど、心細さを感じるときはない。
出来るだけ希愛の近くに、希愛の傍にいてやりたい思いはある。
だが自分の立場がそれをなかなか許してくれなかった。
……いや、それは単に怠けているだけだ。
時間は作るものだ。暇を見つけるものだ。自分はそのための努力をしていなかった。
石橋は携帯を取り出し、方々に連絡を取る。
「なにしてるの?」
「色々な予定のキャンセルと仕事の丸投げ」
「ふーん……。ってことは」
にわかに希愛の瞳が輝きだした。
「今日は一緒にお前の病室に泊まる事にしたよ」
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