2-10 在りし日の彼女

 制服姿の彼女もまた、真剣な眼差しで診察室の椅子に座っていた。

 珍しく患者が来ない土曜の午後、一人の高校生とみられる女の子が山賀の病院に訪れたのだ。未成年の客は珍しくないが、大抵は派手な格好をしている子か、ある種病んでいる子ばかりで、彼女のように真面目そうな雰囲気の子が来る事は無い。

 山賀が電子カルテを開いてメモを取りながら彼女に聞く。


「はい、じゃあ名前と連絡先、生年月日も聞いた所だし本題にいこう。

 今日はどういった理由でここに訪れました?」


 制服姿の女の子、当時まだ十六歳ほどの白鳥怜美は真っ直ぐに山賀を見据え、一言言った。


「脂肪吸引をお願いしたいんです」

「……脂肪吸引?」

「はい」


 怪訝な顔をして山賀は目の前の少女を見つめる。本気で彼女は言っているのか?


「……とりあえず、ちょっと上下脱いで下着になってもらえるかしら」


 山賀のこの要求にも臆する事なく、すぐに脱ぐ怜美。彼女の背中には美しい白い羽が生えていた。山賀は一瞬、その羽の白さ、艶に見惚れてしまう。同時に、どこかで見たような気がした。既視感? いやそんなはずはない。

 改めてスタイルを見ると、十分痩せている。そして発育も良い。バランスが取れて美しいプロポーションを保っている。何が不満だというのだろうか。これ以上痩せれば、生理不順やその他さまざまな不調が彼女に襲い掛かるのは容易に想像できた。

 今のこの世でも、世の中の女性の願いというものは不変である。美しくある事。だからこそ山賀のクリニックにも人が来るというものだが。

 あまりにも美しさを求めるが故に、過激で危険な方法に走る人々が後を絶たない。例えそれが間違った方法で全く効果が無かったとしても、試さずにはいられない。そして必ず後悔する。

 山賀は彼女の手を両手で包み込むように握った。いきなり手を握られたので怜美は少しばかりたじろぐ。


「いい? あなたの体形は誰が見てもうらやむくらいに整って美しいものよ。むしろ、これ以上体重を落としたら痩せこけたニワトリみたいにみすぼらしくなる」

「……そんな事ありません。私はまだ太っています」

「あなたは客観的に自分を見れなくなってる。その思い込みを一度解かなきゃならないわね」


 山賀はちょうど捨てようと思っていたチラシから一つの広告を抜き出して彼女に見せる。


「天使の羽……コンテスト?」

「要は次世代のグラビアアイドルだか役者を見出す為のコンテストね。私の見立てならあなたはどちらでも行けると踏んでるわ」

「でも……」


 自信なさげにうつむく怜美。山賀は怜美の肩を両手でがっしりとつかみ、正面から彼女を見据えて真剣な眼差しで見つめる。


「美容整形外科医の私の見立てを信じなさい。少なくともあなたは壇上に立てるレベルである事は私が保証する。気軽に出ればいいのよ。何気なく立っているだけでも、あなたは皆の衆目を集める雰囲気があるんだから」


 そこまで言われて、ようやく怜美もそんなものなのだろうかという面持ちになる。


「それでだめだったら、改めて私と検討してみましょう。どこをどうすべきか」

「わかりました。……ありがとうございます。あの……それで、服はもう着てもいいですか?」

「ああ、ごめんごめん。もう着ていいよ、寒かったでしょ」


 怜美は制服を着て、席を立つ。次に荷物置きのカゴに入れていたカバンを手に取る。カバンの中には教科書やノートがみっちり詰まっていて、いかにも重そうだ。

 そのカバンの中から、財布を取り出す。ブランド物ではなく、高校生という身分に釣り合った地味な財布だ。彼女は不安げに中身を見て、こちらに尋ねる。


「……今回のお代は?」

「無料でいいわよ。何か施術したわけでもないし時間がかかったわけでもないからね。何かあったらまた来なさい」

「あ、ありがとうございます!」

「大会の結果、教えに来てね。楽しみにしてるから」

「はい!」


 礼儀正しく頭を下げて、怜美は病院から去っていった。病院に来たときよりも足取りは軽く、表情も明るくなっているようにはうかがえた。

 山賀は怜美が去った後、カルテを編集しながらひとりごちる。

 

「なんていうか、ああいう風に自分が適正体重にあるっていうのに太ってると思い込んでる子、多いな。全く嘆かわしい」


 山賀の額には険しい皺が寄っていた。メディアによってつくられた価値観に乗せられる彼女たちもだが、それを全く悪いと感じていない情報発信者たちにも我慢がならない。その価値観のおかげで、どれだけの不幸な女性が生まれているのか少しは省みるべきなのだ。


「もっとも、そのおかげでメシにありつくことができるんだけどね……」


 自嘲するように山賀は口元を歪めて笑った。



 後日。山賀がいつものように診察をしていると、携帯に連絡が入った。

 通話相手を見れば白鳥怜美だ。忙しくてこのところメディアを全く見れていないが果たして彼女はどうなったのだろうか。通話ボタンを押し、電話に出る。


「もしもし、山賀です」

「あ、先生ですか! わたしです、白鳥怜美です!」


 怜美は弾んだ声で電話の向こう側から話しかける。その印象だけで大体何があったのかは雰囲気で伝わってくる。


「コンテスト出た? どうだった?」

「先生TV見てないんですか? まあいいや、私、優勝しましたよ!」

「そうか、それは良かった」

「私の固まった価値観やものの見方を、先生に砕いてもらって感謝しています。……本当に、心底そう思ってます」


 途中から声が上ずり、涙声になっている怜美。それくらい感極まっていた。


「でも、コンテストに優勝してからいっぱい仕事が入っちゃって、しばらくそちらに行けそうにはありません。報告が電話になっちゃったのもそのせいです。申し訳ありません」

「そうか、じゃあそのうちウチにサインでもして飾ってくれないか。これから、仕事とか立て込んでいるだろうから暇なときにでもこっそり来てくれ」

「はい! わかりました。必ず行かせていただきます! 先生、ありがとうございます」


 そうして、怜美からの電話は切れた。

 それにしても、壇上まではいくだろうという読みは当たっていたが、まさか優勝まで上り詰めるとは山賀自身も全く頭になく、今までの考え事がすべて吹っ飛ぶくらいの衝撃を受けた。だがめでたい事に変わりはない。あの、自分に自信が無くてうつむき加減の女の子が、一つのきっかけで空にはばたくような明るさを持って飛び立とうとしている。何よりも嬉しい事だ。

 必ず来る、という一言を胸に山賀は待ち続けていたが、電話で言ったように仕事が次々と舞い込んで病院に来る事はもちろん学校に行く事すら危うくなっていた。

 来ないまま一年、二年と経過していき、山賀も日々の業務に忙殺されていき、いつの間にか交わした約束も記憶の底へと沈んでいった。



* * * * *



「そういや約束してたんだよね」

「……いつか行きたい、行かなきゃとずっと思ってたんですけどね」


 グラスを傾ける山賀と葉巻をふかす怜美。

 それきり押し黙り、シガーバー『フラジャイル』のVIPルーム内はしばらく静寂に包まれた。時折二人がグラスを傾ける音と、煙を吐き出す音だけが響く。

 

「た、ただいま戻りました!」


 ようやくアコがサイン色紙を買ってVIPルームに戻ってくる。息を切らして肩を上下させて。色んなところを走りまわってようやく手に入れたのだろう。席に戻るや否や自らのグラスに残っていた酒をグッと飲み干し、アルコール度の高さにむせる。


「アコ遅いわよ、どこまで駆けずり回ってたの?」

「……一生懸命探してきたのにセンセイひどい」


 気分を損ねて拗ねてしまい、山賀を睨むアコ。

 

「まあまあ先生、アコちゃんは良く頑張ってるじゃないですか。それにこれでお目当てのサインが手に入りますよ」


 サイン色紙を渡された怜美は、いつもポケットに忍ばせている油性マジックペンのキャップを抜いてさらさらとサインを書いた。かなり手慣れている。


「はい、できましたよ」

「ありがとう、家宝にするわね」


 濡れてしまわないように、丁度持ってきていたビニール製のフォルダにサインを入れ、バッグに丁寧にしまう。


「これで、十年来のお願いが叶ったわね」

「十年……長かったですねえ。私もまさかこんな人生になるとは思ってませんでした。芸能界に入らせていただいて、流れで女優業を始めたらあれよあれよと人々から支持をいただいて……」


 ふう、とため息を吐く怜美。

 その瞳の色は暗く、乾いているように見える。


「……怜美、何かあったの?」

「いいえ、特には何も。ちょっと最近仕事が立て込んでて疲れてるだけですよ」


 ちらりと腕時計をみやると、怜美はわざとらしく声を上げた。


「あらもうこんな時間。そろそろ帰って寝ないと明日の仕事に差し支えちゃう」

「それは残念ね。また今度、ゆっくり飲みましょう」

「ええ、はい!」


 かつての学生のころと同じような明るい笑顔を向け、彼女はVIPルームの扉を開けようとすると、不意にこちらに向く。


「……」


 発声せずに口だけが動きかけたが、ぐっと口を結んでそのままさようならと言い、扉を開けて店から去ってしまった。

 部屋に残された二人は、彼女が残した雰囲気の余韻を感じながら何を言うわけでもなく、ただ酒を口に運んでいた。VIPルームに置かれた大きな振り子時計の時を刻む音だけが聞こえる。

 二人とも彼女の意味ありげな態度に気づかないわけがなく、何かを抱えていると感じていた。それも良い事ではなく、頭を悩ませるような事だろう。

 酔って楽しむ気分は消えはじめ、そろそろ帰ろうとする雰囲気をなんとなく醸し出した頃、今度はマスターを伴って一人の客がVIPルームに入って来た。

 

「よう、楽しんでるか」


 新宿署の戌井刑事だ。部屋に入るなり、口の端をわざと釣り上げたような表情を浮かべながら山賀を見つめている。


「誰かと思えば、またか」


 姿を見るなり山賀が吐き捨てるように言う。

 出会った頃と比較して白髪はさらに目立っており、顔に刻まれた皺の数も目に見えて増えている。更に苦労を重ねているらしいが、その割に階級が上がらないのは命令違反も多いからだろうか。もっとも彼はそのような階級に興味を示さない。

 戌井はマスターに葉巻だけ注文してソファの中央に大きな音を立てて座った。

 マスターは若干煙たそうに戌井を見つつも去り、アコもしかめっ面をしている。二人とも戌井が苦手だ。マスターは店を経営する立場上、風営法をきっちりと守っているものの痛くもない腹を探られるのはやはり面白くない。たまにこうやって抜き打ちで警察の査察が来る事もある。もっとも戌井の今回の目的はそれではない。

 アコは単純に戌井の醸し出す雰囲気と吸ってる葉巻と煙草の匂いが苦手で近寄らないだけである。戌井には近寄ろうともせず、ソファの隅っこに座って彼を睨んでいる。

 注文された葉巻が部屋に届いて火を点け、おもむろに煙を吸い込み、そして盛大に吐き出す。葉巻は紙巻き煙草よりも煙の量が多い。天井に向かって吐き出された煙は吸気ダクトの回転によって生まれる空気の流れによって渦巻きながら消えていく。


「どうやって私らがここにいる事を知ったのよ」

「いいや全くの偶然だ。俺も葉巻を吸いにここに来たとこだったが、君らの姿を見かけてな。ちょうど頼みたい事があったからしばらく待たせてもらった。例の彼女がいると都合が悪いんでね」

 

 十年来の付き合いになる山賀が口を開いた。


「……ま、何もなくてあんたが来た事って、ほとんどないからね」


 山賀の額に自然に皺が寄る。大体戌井が持ってくる話は面倒ごとかろくでもない事ばかりだ。もっとも顧客につながる話もあるので有難くもあるが、迷惑でもある、扱いかねる客の一人であった。とはいえ無下にも出来ない。なんせ警察官なのだから。

 戌井は再び葉巻を吸い込み、煙をたっぷりと口の中で楽しんだのちに吐き出し、そのついでのように言葉も吐き出した。


「でだ。さっき君ら、白鳥怜美に会ってたろ?」

「……ええ。それがどうかしたの?」

「実は、彼女について調べてほしい事があってな」


 持ってきた黒い革製の鞄の中から、分厚い捜査資料を取り出して山賀に差し出した。


「実は先日、麻薬取締法違反で逮捕した美容整形外科医がな、変なことを言い出したんだよ」

「変な事?」

「白鳥怜美を手術して、失敗したから殺したってさ」


 戌井刑事は葉巻をふかし、煙を唇の両端から吹くように吐き出した。山賀はきょとんとした顔をしている。当たり前だ。先ほど紛れもない本人に会っていたのだから。

 

「嘘か冗談か、はたまた取り調べの時にすらヤクでもキメてたのかって感じだよな、こんな話」

「全くだわ。今日私が会ってた彼女はじゃあ一体誰なのって話だもの。それが本当だとしたら。それに、殺したとして死体の処理はどうするのよ」

「フッ化水素酸だか何だかにつけて溶かしつくしたってさ。現に家探ししまくったが本当に死体は残っていなかった。これからあいつの家からつながる下水道を調べるところだが、捜査には時間がかかるだろうな」


 戌井は苦虫を噛み潰したような顔をして、続ける。


「薬物反応調べてみたら、複数の薬物反応が出るわ出るわで、こいつの証言使えるのかって不安になってきてなあ」


 それを聞いた山賀は興味をなくして資料をパラパラと流し読みするにとどめた。本気で読んでもしようがなさそうだ。


「だが、奴の家の地下室を調べたら更に仰天するようなコレクションがあってな」


 資料をめくるうちに、山賀の指が写真を掲載したページに行き当たる。そこには綺麗にガラスケースにひとつひとつ収められた羽の写真があった。どれも見るに鳥類の羽と見受けられるが。


「その羽、鳥じゃなくてキメラ人たちから剥がして集めた奴なんだとさ」

「……随分と良い趣味してるわね」


 その中の一つの羽に、なんだか見覚えのある羽があった。

 山賀が見る限り、白鳥怜美の背中に生えている羽と全く同一のように思える。


「まさか……」


 山賀の脳内に様々な考えが駆け巡る。そんなはずがあろうものか。いやもしかしたらそうであるのかもしれない。いつから?いや本当にそうか?

 戌井は葉巻の灰が長くなっている事に気づき、灰皿に葉巻を置く。

 そして改めて山賀の方に向き直り、頭を下げた。

 

「ここからが依頼というか、頼み事なんだが……山賀医師。君にこの事件について、羽について、心当たりがある事なら何でも俺に教えてくれ。この通りだ」



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2-10:在りし日の彼女 END

 

 

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