2-11 澱

 シガーバーでの戌井刑事とのやり取りからの翌日、日曜日。

 本来なら日曜日は休診で誰も居ない遺伝美容整形外科、ベイビーリザードだが、今日は違った。

 待合室や受付の電気は消えているが、診察室だけは電気が点灯している。

 そして椅子に座っている人影が二つ。

 山賀と戌井刑事だ。二人とも電子カルテと紙に残されたカルテを眺めている。

 そのカルテに記載された名前は、白鳥怜美と鴨井悠。どうにか手がかりはないだろうかと何度も読み返す。

 というよりも、山賀にとって白鳥怜美について関連がある人物と言えば悠しか思い当たらなかった。あれほどまでに怜美についてこだわりを持っていて彼女を神のように崇めていた。と考えれば、彼女の癖や好みやその他様々な事を知ってそのうえで成りすましていてもおかしくはない。

 

「当時はどこまで、この鴨井悠とやらの手術を行ったんだ?」


 あごの無精ひげをさすりながら戌井が尋ねる。


「悠が持ってきた羽の移植までよ。そういえば、悠に移植した羽も怜美の羽となんだか似てるんだけど……まさか」


 ふと何かを思い立ったのか、山賀は診察室の奥の戸棚から簡易遺伝子調査キットを取り出し、未だに保管していた、悠へ移植した羽の一部と比較した。

 予想した結果が出て、山賀は眉をひそめる。


「やっぱり……この二つのハクチョウの羽の遺伝子、同一のものだわ」

「同一だと、どうなるんだ?」

「キメラ生物というのは、一つの体に二つ以上の遺伝情報が異なる細胞がまだらに存在している生物の事を言うの。それらは混ざり合う事はなく、それぞれの遺伝情報を保ったまま。白鳥怜美の場合、ハクチョウの体の特徴が発現したのは背中の羽だけなの。で、何故鴨井悠がそれを持っていたか? おのずと答えは見えてくるわね」

「どう考えても、付け回して羽が落ちるか、何かの拍子で羽を摘まみ取ったか……のいずれかだろうな」


 呆れ声を上げながら、戌井が懐から煙草を取り出して火を点ける。

 少し難しい顔をして、煙を吐いた。

 

「……同じ羽を付けていたという事は、あの医者に殺されたのは白鳥怜美ではなく鴨井悠という可能性もあるな」


 戌井の言葉を聞いた時、山賀は心臓が跳ねるような感触を覚えた。

 殺されたのは悠かもしれない。

 にわかに顔色が青ざめ、冷や汗が体をつたう。叫びたくなる衝動を押し殺し、言葉を絞り出す山賀。

 

「……まだそうと決まったわけじゃないわ」

「……そうだな。失言だった」


 流石にこの発言は軽率だったと戌井も感じたのか、反省の言葉を述べる。


「いいわ。それにしてもどうやって本物か偽物か判断しましょうかね」

「殺された方の体の欠片か細胞かさえあれば簡単なんだがなぁ」

「見つからないもの愚痴っても仕方ないでしょ」

「……血液型はどうだ?」

「二人とも同一なのよね。ありきたりの血液型で珍しくもない」

「じゃあ、手術痕を見るのはどうだ? 君が手術した鴨井悠なら背中と羽の所に痕が残ってるんじゃないか?」


 戌井のその発言を聞くや否や、山賀の表情は一気に険しくなる。

 まるで敵をにらみつけるかのような視線に、思わず身を縮める戌井。

 山賀はつかつかと診察室の棚の一角へと歩き、青いバインダーを取り出して戌井の方へ手荒く投げつける。

 慌てて受け取った戌井がそれを開くと、中には写真が収まっていた。写されているものはどれも手術前、手術後の患者の体だ。手術後の部位の写真を眺めても綺麗に縫合されており、数カ月経過した写真では傷痕はほぼなくなっていた。

 広範囲に及ぶ美容整形手術であっても傷痕は最小限にとどめる気づかいがなされており、何故この病院が闇であるにも関わらず人が途切れることなく訪れるのか、その理由の一端がわかるような気がした。

 一通り目を通した戌井に、山賀は詰問するかのような口調で言葉を投げる。 


「それら全部に目を通して、まだそんな事が言える?」

「そ、それは済まなかった」


 彼女の逆鱗を逆なでしてしまい、平謝りせざるを得ない戌井。

 自らの技量に関しては絶対的な自信を持っている山賀に対して、今の一言はあまりにも軽率過ぎるものだった。


「全く……私の腕前に対する冒とくよ」

「でもよ、遺伝子治療ならあれがあるんじゃねえのか? あれを使えば傷痕なんて残らずに綺麗にできるだろうよ。なんだって使わない?」

はね、ようやく公的に認められた技術でまだエビデンスに乏しいのよね。積極的に患者に使うにはちょっと私にはためらいがある。もちろん、患者が強く希望するのであれば私が反対する理由はないのだけれども。もう一つの問題として、非常にお金がかかるのよね。まだ一般的な治療方法じゃないし、保険も効かないから。まあ遺伝美容整形外科は元々保険効かないし私の所は割り増しでお金を取るんだけどね。だからお金払いが良い患者以外はしばらく見栄えだけの治療になるわ。元々物理的にやる美容整形の方を今までメインにしてきたから、それでいいっちゃいいんだけど」


 バインダーに留めたカルテに目を落としながら喋ってはいるが、怒りはまだ収まらなかった。仕方なく山賀も懐から煙草を取り出して、火をつける。

 白鳥怜美のカルテを見終えて、山賀は一度目を通した鴨井悠のカルテを今一度見直した。何か見落としているものはないか。ひとつひとつの項目を念入りに見ようとして、名前欄の隣にある項目を見て、彼女の背中には電流が走った。

 自分は今、何を見たのか?

 本当にそうであるのか?

 どうして今までこの大事な項目を見落としていたのか。

 あるいは、今までそうであるという事実をあえて頭の中から片隅へと追いやっていたのか、無意識的に。

 その姿が、あまりにもその事実とそぐわないがために。


「……おい先生、どうしたんだよ」


 挙動不審な様子の医者を心配し、声を掛ける刑事。


「そうだわ。なんで今まで気づかなかったのかしら。私ったら馬鹿ね」

「おい、何が見つかったんだ?」

「これ見てよ」


 言って、カルテを戌井に渡す。その項目を赤丸で囲んで。

 戌井もその項目を見て目を丸くし、口を手で覆う。そして何度も山賀とカルテを見比べては、小さい声でまさか、ありえないと何度も繰り返している。


「でもそれが事実なのよ。私もこの目で確認したもの」

「全くもって信じられない。これが本当だとしたら世の中の全員を疑っていかなければならなくなる」


 カルテのその項目を眺めながら、下唇を噛む戌井。

 

「そういえば貴方、警察なんだから悠の個人情報くらいすぐに漁れたんじゃないの?」


 山賀の言葉を聞いて、今度は戌井が顔をしかめた。


「バカ言うなよ。最近は警察の情報管理も厳しくなってて理由もなく、勝手に閲覧はできねえんだ。黙って閲覧しても履歴は残るし別人のアカウントを使ったらそいつに迷惑が掛かる。ただでさえ最近情報漏れが増えてるんだから勘弁してくれ。個人でできる事には限りがあるってあの時言ったろ?」


 長くなった灰を灰皿に落とし、煙草の煙を大きく吸い込んでため息のように吐く戌井。


「そうだったわね。それは失礼したわ」

「そうとわかったのは良いんだがどうするんだ?」


 質問に対して、山賀はにやりと笑って答える。


がわかってるなら、やるべき検査は簡単でしょう?」


 山賀は電子カルテを閉じて、なにやら今度はメールソフトを立ち上げていた。



* * * * *



 数日後。

 今日は平日であり普段なら患者を受けいれて診察を行っているところなのだが、ベイビーリザードの入り口扉に掛けてあるプレートは『本日臨時休診』となっている。

 病院の周囲は、普段ならば人通りがそれなりにあるのだが、今日に限っては全く人通りがない。誰もが息をひそめて建物の中に引きこもっている。

 時折乾いた、何かが破裂したような音が聞こえる。散発的だが朝から何度もこの辺り一帯に響き渡っている。この音はここの住民なら誰しもが聞き覚えがあるものだった。銃声だ。チンピラや三下のヤクザが良く持っているような、コピー物の安い拳銃の音だがもちろん人に当たればただでは済まない威力くらいはある。

 今現在、この辺りでは何が原因かは不明だが銃撃戦が行われているらしい。そのせいで人通りが全くない。

 当然、病院内にも人など居ないだろうと思われたが、そうではなかった。受付にはいつものようにアコが座りながら待合室のTVを退屈そうに眺めており、診察室には山賀と白鳥怜美が向かい合って椅子に座っていた。怜美の傍らにはマネージャーが銃声におびえながらも付き添っている。そして距離を置いて、護衛とみられる黒いスーツを着た男たちが待合室に立って周囲を警戒している。山賀が個人的に、彼女の為に雇った者たちだ。スーツの懐の部分が、不自然に盛り上がっている。

 怜美の姿は人目を忍ぶかのように地味な服装にまとめ、サングラスをかけて人相がわからないようにしている。少しばかり恐縮しているようにも伺えた。


「無理を言って来てもらって感謝してるわ」

「はい。最近、健康診断すら受ける暇もなかったのでちょうどいい機会ではありましたし、なんとか時間も作れましたので。でも、私の為にここまでする必要はないと思うのですが」


 怜美は申し訳なさそうに言う。


「いいのよ。最近の貴方、芸能レポーターに付きまとわれて行動もままならないのでしょう? 遠慮せずに人の好意くらい受け取ってもいいのよ」

「それにしては大がかりすぎませんか?」

「これくらいやらなきゃ、性質の悪い芸能レポーターは追い返せないからね。近寄ると危ないってわからせなきゃ」


 その時、病院の固定電話へ着信があった。

 アコが電話を取り、要件を聞いて山賀に取り次ぐ。


「もしもし変わりました山賀です。ええ、こちらの要望通りです。本当にありがとうございます。銃撃戦を演じていただいて。ええ、もちろん見返りもご用意してますよ。私が新宿三番街に所有している土地を一部あなたに贈呈しますし、あなたが望んでいる遺伝子美容整形においても無料でやらせていただきます。今後の付き合いも、どうぞよろしくお願いいたします。よしなに」


 ニヤリと不敵な笑みをこぼし、山賀は電話を置いた。


「あの、不穏な言葉が色々と聞こえたのですが……銃撃戦を演じた、とは?」


 聞いて当然の疑問が人気女優の口から発せられる。


「今この土地が危なければ、誰も近寄ってこないでしょ? 念には念をいれて、ってやつよね」

「でも、警察だって銃撃戦があったと通報があればこちらにやってくるのでは?」

「当然来るわ。でも警察だってバカじゃない。わざわざ危険のただ中に飛び込んでくるような勇敢な警官なんてほとんどいない。あらかた終わった所で証拠を集めて、後で銃撃戦をやっていた奴らを捕まえるだけよ。もちろん捕まる連中も上と繋がっているなんて事は全くない三下の奴らばかりだから、上の人々に追及の手が伸びる事も無い。第一喋れば殺されるからしらばっくれるわ。警察もそれを承知の上で捕まえて点数を稼ぐ。どちらにとっても旨味がある事よ」

「……先生。わたし、過去にあなたと会った回数は一回しかありませんでしたが、なんだか昔とはだいぶお変わりになられたようですね」


 一瞬だけ怜美は遠い目をして寂しげに言った。 


「十年も経てばなんだって変わるわ。あなただってそうでしょう」

「まあ、はい」


 曖昧な返事をして、二人とも黙る。

 重苦しい空気が足元を流れ、少しばかり時が過ぎる。

 その空気を払うように、恐る恐るながら口を開く存在があった。


「あ、あのぉ……そろそろ診察していただかないと。時間、迫ってますんで」


 診察室の隅っこでオブジェのように立っていたマネージャーだ。彼は腕時計で幾度となく時間を確認している。

 とにかく怜美は忙しい。スケジューラには仕事が秒刻みで記載されており、寝るのはほとんど移動時間だ。中には夢うつつの状態で仕事をしている時もあるだろう。ゆっくりとベッドで眠れるのは週に何度あるか。

 怜美がこの病院に寄る時間も次の仕事場に無理を言って割いてもらったものなので、あまりに遅れるのは差支えがある。

 

「そうね。まあやる事自体は簡単だから。こっちに移動して」


 山賀と怜美は採血用のスペースに移動する。テーブルと丸椅子が置かれて白いカーテンで仕切られている程度の簡素なものだ。テーブルの上には腕を置く小さな白い枕と採血用のキットが置かれている。

 怜美の白くきめ細やかな肌に、山賀は指を這わせる。血管の位置を見て、探る。怜美の腕は細いので探る事自体は簡単だ。その後、手早くゴム管で軽く腕を縛って血管を浮き立たせてアルコール脱脂綿で採血する場所を消毒する。

 ヒヤリとした感触を受けて、少し震える怜美。


「……採血、苦手なんですよね」


 ぼそっとつぶやく。少し顔が青ざめているように見える。


「痛くないから大丈夫よ」

「痛みは我慢できるんです。でも、針が刺さるのと血がこんこんと湧き出るさまを見るのがなんだかダメで……目をつぶっててもその様子が脳内で鮮明に見えるんですよね。なんでなんでしょうねえ」

「早くに終わらせるから目を背けてて頂戴」


 山賀は注射器を用意すると、素早く針を刺して血液を採取する。血はニードルを通して湧き出てくる。赤く暗い色の液体は、注射器の中を徐々に満たしていく。顔を背けて、それを見ないようにしている怜美。やがて目盛りの指す場所まで血液が満たされると、山賀はニードルを彼女の腕から抜いてアルコール脱脂綿で刺した箇所を押さえる。


「はいおわり。しばらくこれで出血が止まるまで抑えててね」

「……はい」


 怜美の青ざめた顔色は、まだ戻っていなかった。かすかに震えてもいる。


「そんなに怖かった? 怖がらせてごめんね」

「いえ、いいんです」

「結果は一週間後に出るから、またその時に来て頂戴ね。待ってるから」

「はい」


 怜美はサングラスをかけ、荷物を手に取る。椅子から立ち上がろうとした時、彼女の足がもつれた。


「あっ」


 倒れそうになった所を、山賀が両手で抱えて抱きとめる。

 大分、軽い。まるでここに居ないかのような、羽のような存在感。

 化粧で大分隠してはいるが、積み重なった疲労は化粧の下からも顔を覗かせている。明らかに過労気味だった。


「今日はもう休まないと無理ね。点滴するからベッドに移動しましょう」

「それは、困ります。次の仕事が……」


 マネージャーが口をさしはさもうとしたところを、山賀は額に血管を浮き立たせて怒りを露わにした。


「あなた、彼女を何だと思ってるの? これ以上働かせたら間違いなく倒れて病院直行コースよ。長期入院もありうる。そしたら、誰が責任を取るのかしらね?」

「うっ」

「マネージメントがなってない、って言われるのは誰かしらね? そしてもし、彼女の価値がなくなる様な事があれば、事務所は大いに損失を被るでしょうね?」

「……」


 マネージャーは、これ以上何も言う事はなかった。

 スーツのポケットから携帯電話を取り出して、次の仕事先へ断りの連絡を入れ、事務所にも連絡を入れて説明をして、電話を切る。


「今週の残りの日にちのスケジュールをすべてキャンセルしました。これで良いでしょうか」

「……本当なら、彼女にはもっと休養が必要だけどしょうがないでしょうね」

「はい。……これ以上休まれると私どもも困りますので。彼女以上に、うちの事務所で稼いでくれる人はいませんから。社長も次のスターを探してはいるんですけどね」


 マネージャーも彼女の事をある程度案じてはいるが、それ以上に事務所の事も考えなければならない。天秤にかければどちらが優先されるかは自明であり、仕方のない事であった。

 

「私たちがいると休息にならないでしょう。怜美が良くなるまで外に出ています」


 マネージャーと護衛は扉を開けて、待合室へと行った。

 山賀は怜美に肩を貸して、二人でベッドのある場所まで移動する。

 白いカーテンで仕切られた、診察用のベッド。怜美は肩を貸してもらってようやくそこまで歩き、ベッドに半ば倒れ込むように横になる。

 点滴パックを用意し、怜美の腕に刺す山賀。点滴の液が一滴一滴落ちて管をつたい、彼女の体内へと入っていく。

 

「……すいません。こんな形で迷惑かけちゃって」

「いいのよ。最近あなた働きづめだったでしょう。たまには休息しないと体も心も壊れちゃう。ゆっくり休んで元気になってからここを出ればいいわ」


 山賀がそう言うと、怜美の瞳には涙が浮かび、零れ出た。

 

「本当に、疲れました。……愚痴をこぼしてもいいですか」

「好きなだけ吐いてすっきりしなさい」

「……最近彼氏と上手くいってないんです。もしかしたら彼はもう別れたがってるのかもしれない。私の仕事が忙しすぎてもう半年も会ってない。彼からすれば我慢の限界といった所かもしれません。私だって会いたいんですよ。でも、仕事がいっぱいあってその中で時間を作ることがどうしても出来ないんです。たまの休みがあれば、眠って疲れを抜いておかないといけないですし」


 最近の彼女は、映画や連続ドラマ、様々なCMの撮影が次々と舞い込んでおり、TVや他の媒体で見ない日など無かった。デビュー当時よりも更に働きづめているというわけだ。

 怜美には仕事で手を抜いたり、仕事を休むという発想があまりない。

 ここまで疲弊しても、倒れそうになるまで文句の一つも言わなかった。

 山賀はいつか彼女が壊れてしまうのを危惧していた。あまりにも真面目過ぎる。


「それに、警察からの事情聴取やら、芸能リポーターややじ馬からの過剰な追及。もう私の私生活なんてあってないようなものですよ。最近麻薬中毒の整形外科医が捕まって、変な事を言ったせいで余計に私に変な噂話もつきまとってくるし、もう何がなんだかわかりません。本当に疲れました。本当に、何のために私は生きているんですかね。そもそも私は誰なんでしょう。本当に私は、私なんですかね?」

「落ち着いて。考えずに、目を閉じてゆっくり眠りなさい。貴方は疲れているだけなのよ」

「……そうですね。疲れました。体も、心も」


 怜美は目を瞑る。


「……先生。家族ってなんでしょうね」

「家族。家族はよいものよ。いつでも暖かく迎えてくれるわ」

「私にはわからない。物心ついたときから施設暮らしだったから。強いて言えば施設の人が家族かもしれませんが、当時の私は上手く付き合う事ができなくて孤独でした。今でも、家族ってなんだろうなって思うんです。親とか兄弟とか、居たらたぶん楽しいんだろうなって思うんです。もう一人で誰も居ない家に戻るのは嫌なんですよ。暗くて、冷たくて、誰も待っていない部屋なんて」

「これからあなたが作るのよ。自分の家族をね」

「……作れるでしょうか。わたしに」

「できるわよ。人気者でしょ」

「演じてるだけですよ。ただ誰にでも好かれるように。あれは仮面です。本当の私はもっと暗くて、うじうじして悩んでるような女なんですよ……」


 喋っているうちに、いつの間にか寝息が聞こえてきた。

 心の中に沈殿した澱を吐き出して、少しは気が済んだのか落ち着いたようだ。

 それにしても、愚痴を吐き出せるような相手すらいなかったのかと山賀は首を振って嘆息した。


「やれやれ。こりゃしばらくカウンセリングもするしかないかな」


 待合室からは、TVから聞こえてくるバラエティ番組の笑い声が聞こえてくる。

 それは彼女が出演するはずであった番組の一つだった。


-----

2-11:澱 END


 

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