第4話 日常の学校
朝、目覚ましの鳴る十分前に目を覚ます。
「…」
体は起こさずに、そのまま天井を見ていた眼球を横にずらす。
幼い少女が、俺の腕を抱き枕のように全身で抱えて眠っていた。言うまでもなく座敷童子の幸だ。
いつも着ている和服は、今は着ていない。あんな着付けされた格好じゃあ横になっても寝苦しいだろうと思い、ずっと前に俺が供物として捧げることで人間の衣服に着替えたらどうかと提案した。それならベースが概念種の幸でも触って着衣することができるからだ。
それ以来幸は就寝時に寝間着に着替えるようになった。
手足を折り曲げて、俺の二の腕辺りに顔を埋める幸は、名を体現するかのように幸せそうな寝顔でくうくうと小さな寝息をたてていた。
長い髪はシーツの上に広がり、朝の陽光を受けてキラキラと光を照り返している。まるで傷んでいない綺麗な髪だ。着ている純白のシャツと対照的に、その色は艶々しい黒。
印象としては幼き大和撫子といったところか。着ているのがワイシャツではなくいつもの和服だと、なおさらそう感じる。
幸は白い長袖ワイシャツ を着ていた。それだけを着ていた。
俺が学校に着ていくものの一着なのだが、今では完全にこの子の寝間着と化していた。
それ自体は別に構わないんだが、寝る時だけとはいえ上一枚だけしか着てないのはどうなんだろうか。仮にも女の子だぞ。
上下で分かれた服というのを幸は好まないようで、俺のワイシャツ以外着たがらない。洋服は、和服とはまた違った感覚で窮屈なのだろう。
だからといって別に俺のを使う必要はないと思うんだが、新しいのを買ってやると言っても幸は頷かない。これがいいんだそうだ。
ちゃんと洗ってはいたが、それでも前まで男である俺が使っていたものだ。色々気になる。時々鼻先に袖や襟元を押し付けて深く息を吸ってるのを見ることがあるが、汗臭いんだろうか。不快な思いをさせているのかな、と思うとやっぱり新しいちゃんとした寝間着を買ってあげた方がいいのかもしれないと考えてしまう。
いつものことながら、完全密着されてるので起き上がれない。いや朝なんだし普通に幸を起こせばいいんだろうけど、どうにもこの寝顔を見てると起こすのを躊躇ってしまう。
ピピピ、ピピピ、ピピピ。
そして結局、目覚まし時計が鳴るまでそのままの状態で幸の寝顔を見つめるのだった。
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「おはよう」
二階の自室からまだ寝ぼけ眼の幸を抱えて降りてくると、日和さんが台所で目玉焼きを作っていた。
「おはようございます」
朝の挨拶を返し、幸を椅子の上に乗っけて俺も台所に立つ。
「なんか手伝うことありますか?」
「いんや、特にないよ。…あぁいや、あった。ご飯を盛ってくれるかな?」
「わかりました」
大中小と分かりやすい三つの茶碗を取り出し、炊飯器の蓋を開けて炊きたてのご飯をよそう。
「日和さんは、今日は何か用事あるんですか?」
しゃもじ片手に日和さんへ確認する。目玉焼きが一つできていた。
「うん、仕事だよ。まぁ、そう遅くはならないと思うから」
「…珍しい」
遅くならないことが、ではなく、続けて仕事が来ることが、だ。
日和さんの本業は『異能』や人外絡みの騒ぎや事件に介入して、その場その場で最善と思える方法で解決すること。あるいは指定された依頼内容を忠実に遂行すること。
だがいくら事件があっても依頼されなければ仕事にはならない。そして、人外への認識を持ち、なおかつ日和さんという『異能』絡みを専門に扱う万屋の存在を認知している者は少ない。つまり依頼に当たっての大前提をクリアした依頼人自体が極めて稀ってことだ。そりゃ依頼も来るはずがないが、こればかりは宣伝するわけにもいかないし、したって大半の何も知らない人間からインチキ扱いされるだけだ。
だから、今回のように連続で仕事を受けるというのはとても珍しい。ちょっとした祝い事レベルだ。
二つ目の目玉焼きを作り、三つ目に着手しながら日和さんも苦笑混じりに頷く。
「まったくだよ。こんなチャンスは滅多にないし、がっぽり稼いでくるさ 」
「またそんな金、金って…」
言いかけて、ふと俺は自分をぶん殴りたくなった。
元々、日和さんは金になんてさして興味を示さない人だ。読書が趣味だからよく様々な本を買ってくるが、それ以外にこの人が個人的に何かを買うところを見たことがない。せいぜいが家庭用品とか消耗品の補充や買い足しぐらいのもので、それすら仕事で稼いでくる金額の一割にも満たない。
残りはどうしてるかと言えば、おそらくほとんどは俺の為に消えている。
小さい頃からずっと育ててもらってるんだ、それまでの養育費だけでも結構な額になる。今だって高校に通えているのは日和さんが(金を含め)必要なものを全部負担してくれているからである。
「ん?どうしたんだい夕陽」
いつもの調子でこっちに振り向く日和さん。出来上がった三人分の目玉焼きを皿に乗せる様子を眺めながら、俺もいつもの調子を意識して返す。
「…いや、なんでもないです。頑張ってください」
日和さんはそういうのを気遣われるのを嫌う。自然体で接することが、一番彼女にとって気楽なのだろう。これまでもそうだった。これからもそうしなければならない。
「んむ。頑張るさ。君も、君のしたいことを好きにしなさい」
そう言って、器用に三つの皿を持ってウィンクしてみせた。
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「ああそうだ、夕陽」
朝食を済ませて学校へ向かう為の準備をしていた俺へ、ココアを飲みながら文庫本を読み始めた日和さんが顔を上げて呼ぶ。
「はい、なんすか」
「君は今日も死霊の一件を探るつもりかい?」
「まあ一応、そのつもりですけど」
それを聞いて、日和さんの視線は俺からテーブルの対面に座っている幸へ向く。
「なら、学校行く前に幸の力を受けていった方がいい。“幸運”は何かと良い方向へ働くからね」
まだ眠気が残っているのか薄目で頭を前後左右に揺らしていた幸が、自分の話を持ち出されたらしきことを理解すると、ぶかぶかのワイシャツのままよたよたと歩み寄って来る。そのまま倒れこむように俺の腰へしがみついた。
「…」
「頼めるか?幸」
こくりと頷くと、幸の体から淡い光が放たれる。腰に回された両手から俺の体へと光は移動し、俺の全身に行き届くとそのまま光は溶け込むようにして消えていった。
「それから、それも持ってっていいよ」
日和さんが視線で『それ』を示す。その視線の先は居間の端っこであり、そこには柄から切っ先まで全てが真っ黒な木刀が適当な感じで立て掛けてあった。
「あれ日和さんのじゃないんですか?」
「そうだけど、別にいいよ。破魔の力が籠められた特別製だから、結構使えるよ。何があるかわからないからね、護身用に持っていきな」
言われて、その木刀を持ってみる。見た目以上にずしりとした重さを感じる、芯の部分に鉄でも入ってるのか。振り回すにはそれなりの筋力が必要になりそうだ。
「破魔って言っても、該当するのは人外全般だからそこら辺は気を付けてね。人間種以外に当てると、大体かなり痛がるから。あと『異能』の力を通す性質があるから君の“干渉”を通せば概念種にもダメージは入る」
「へえ…」
両手で持って間近でよく見てみると、その真っ黒の木刀にはびっしりと何かが書き込まれていた。墨か何かで書かれた梵字みたいな文字が木刀の表面を隙間なく埋めている。真っ黒に見えたのはそのせいだ。
「な、なんかこれ…呪われてたりしないですかね?」
一度装備したら二度と外せなくなりそうな不気味な代物だ。
「その文字の一つ一つに力が宿ってるんだよ。
「…」
ぎゅう、と。腰に回された幸の両腕に力が入る。木刀から幸へ視線を転じてみれば、俺を見上げる幸の表情はどことなく淀んでいるように見えた。
(嫌がってる…?)
「人外全般に効果を発揮するものだからね、対象を選べるわけじゃないから幸にもその影響はある」
幸の様子を見て、日和さんが説明してくれる。つまり人間以外には好まれない力を放ってるってことか。
「夕陽、はいこれ。パス」
とりあえず幸が可哀想だから木刀を手放そうとした時、日和さんが椅子に腰掛けたまま片手で何かを放り投げてきた。わからぬままに受け取ると、それは細長い布地の袋のようだった。
「竹刀袋、ですか?これ」
「んむ、見た通り。内側に特殊な札が縫い付けてあってね。そこに入れてる間はそれの影響は外側に出ない」
試しに持ってる木刀をその中に入れて、末端から伸びる紺色の紐で縛ってみる。
「どうだ?幸」
確認してみると、幸はこくこくと頷いて平気だという意思を示す。
「すいませんね、何から何まで」
「いんや、どうせそのまま持ってくわけにはいかなかったでしょ。いつの時代の不良だよって」
「いや袋のことだけじゃなくてですね、この木刀に関しても」
仕事じゃないなら動かないという姿勢を取りつつも、俺が動くとなれば手助けしてくれる。今までもこの人はそうだった。
「まぁ、心配だからね。でも私が関わったらすぐに終わっちゃうだろうし、それじゃ意味ないでしょ」
ココアを飲みながら、日和さんは読んでいた本に栞を挟んでから閉じる。そのまま俺の目を見て続ける。
「君は強くならなくちゃいけない。君が誓った約束の為にね。人と人以外、双方から双方を守る力を得なくちゃダメだ。だから強くならないと、心身共に。だから経験しないと、様々な状況を」
「だから俺にやらせるんですか、子供がおつかいをこなすみたいに」
「単純にその意味もあるし、単純に人手が足りないからってのもある。君の手に負えない面倒な仕事を私がする間に、君には細々としたゴタゴタを解決してもらったりしてるからね」
俺が日和さんの小間使いとして働かされることについては、別段思うところは無い。元々俺から志願したことだし、これまでの返し切れない程の恩に報いる意味でも、これは学生生活以上に重視しなければならないことだ。
だが、俺が強くなる為の段階を踏む形で、実際に犠牲者まで出ている事件を扱うのはどうなのだろうか。不謹慎が過ぎないか。
「君がどう思うかは勝手だよ」
まるで俺の心を読み取ったかのように、日和さんは口を開き続ける。
「ただ、現実に何者かによる被害は出て、それは食い止めなくてはならないこと。そして、解決さえしてしまえば、それを成したのが誰であっても関係ないこと。それは私であっても妖魔の双子であっても君であってもだ」
だから、俺がやるのが一番いい。一番弱い俺が、事件を解決に導くついでに、経験値を積むという副次的なボーナスを得て一石二鳥になることが。
そう言いたいらしい。
「…でも、実際はそれだけの問題じゃないですよ。弱いってことは、それだけ手こずるってことです」
それはそのまま、被害の拡大を誘発しかねないリスクがあるということ。他の誰かがやれば誰も何も犠牲にならずに済むはずなのに、それを俺がやってしまったが故に多くの犠牲を払ってしまう。そんな恐怖がある。
「であっても、双子は学校と寮を最優先で守り攻めには回れず、私も仕事じゃないから直接的な解決には関与しない。なら誰がやれる?」
解法もやり方も教えて、答えだけは言わないような、そんな言い回しで日和さんは変わらぬ口調で言う。
「俺がやるのはいいんですよ。ただ、リスクを理解してるのに平然と俺に任せるのはどうなのかな、と思うのです」
まるで日和さんは俺が強くなるのに必要な舞台と状況だけを提出して、その間に犠牲になったもののことをまったく考えてない、いや気にしていないかのような印象を受ける。
「まぁ、私にとって大切なのは君だけだからね。だから君には私の保護が無くても簡単に死なないように強くなって欲しいし、ぶっちゃけそれ以外のことは重要じゃない。どうでもいいのさ」
どこまで本気かわからないが、この人があまり冗談を言わないのを知ってる身としては全部が本音のように聞こえた。
「いずれは私を超えて欲しいね」
「俺に人間をやめろと仰るのか」
何をどうやったらこの怪物様を超えられるのか、見当もつかない。仮面でも被って吸血鬼にでもなればいいのか?
そんな話をしていたら、いつも家を出て登校する時間を五分ほど過ぎていた。
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とはいえ、元々早めに出る習慣を身につけていた俺に死角はなかった。五分程度遅れたからって遅刻に繋がるほどではない。
木刀が収まった竹刀袋を肩に担いで、ゆったりと歩く。
歩き慣れた道を行きながら、ぼんやりと考える。
(死霊、今夜も出るのかな)
死霊とは生きた人間の強い怨念から生まれるもの。その現象自体が、人の想像から発生している。人の想いが力を宿すとされる、その負の最たる例だ。
確認、及び撃滅された死霊は二十。つまり二十人もの生きた人間が既に犠牲にされている。
この近辺でもそこそこ噂になっているらしい人さらいの噂は、しかしそれほど広まっているわけでもないようだ。
日和さんが集めた情報によれば、消息が知れないのは反抗期の家出少年とか、駅前でわだかまっているホームレスの中年とか、すぐに癇癪を起こして家を出ていく主婦とか、そういう『いなくなってもそれほど心配されない』人達だ。
そういう人を狙って死霊の素体を選別しているんだろう。『すぐにいつものように姿を現すだろう 』と思われてる人達を。
どうにかしないとますます犠牲者が増える。
「あっ、ゆーくん!おーい!」
そんなことを考えながら黙々と歩いていたら、背後から元気一杯という感じの大声が俺を呼んだ。
振り返らなくてもわかる。朝からこんなアホなテンションな知り合い、一人しかいない。
「おはよう」
正面を向いたままそう言うと、背中をとんと押された。続けて跳ねるように眼前に出てくる。
やはり間違えようもなく、そいつは幽霊になったりならなかったりする女生徒の河江玲奈だった。
「おはよーおはよー。ダメだなぁゆーくんは、挨拶はちゃんと相手の目と顔を見て言わないと。礼儀、これ礼儀ですよ」
「はいはいおはようございます。これでいいんだろこれで」
人が真面目なこと考えてると、大体こいつに邪魔されてるような気がする。
ぞんざいに扱われたのが不服なのか、玲奈はぷくーっと頬を膨らませる。
「なんだよゆーくん、そのテンションの低さは。無気力系主人公はもう流行らないぞ?」
「なに言ってんだお前」
別に無気力なわけではない。好きなことは熱中してやるし、真剣なことは真面目に取り組む。ただ朝くらいはちょっと心身共にゆったりと登校したい。
そんな俺の気も知らずに、玲奈は俺の隣をスキップ気味に歩く。左右で二つ結びにされた髪がひょこひょこと揺れる。
「今日はちゃんと身体持って来たんだな」
自分で言ってても違和感を覚える言い回しだが、意味としては間違ってないと思われる。
「うんまーね。ゆーくんがそうしろって言うから従ったんですよ?まったく感謝してほしいもんですなー」
「当たり前のことだろ。お前は肉体のある人間なんだから、きちんと
はーい、と気楽な返事をしたものの、実際のところはわかってないだろう。また幽体になって出歩くに違いないんだ。まあこれまでもこうしたやり取りはやってきたから今さら言い聞かせられるとも思っちゃいないが。
「そいえばゆーくん。結局あれからどうなったの?ご学友のお悩みは解消されたのかな?」
「解決はしたが、それより厄介な問題が出てきた。それだけだ」
あまり詳しく話すつもりもなかったので、そうやって適当に締め括る。
だがこの娘にそういう流れは通用しなかった。
「へーっ、なになにどしたの?ハプニング?トラブル?ゆーくん話してよねーねー」
とたんに興味を倍増させた玲奈が猫のようにじゃれついて背中に寄り掛かって加重してくる。
「暑い重い、やめろ馬鹿!仕事関連だから詳細厳禁だ。お前はすぐに首を突っ込みたがるからな」
「ゆーくんが心配なんだよー、すぐ無茶するから」
玲奈の起伏の少ない体が押し当てられる。夏服だから生地も薄く、玲奈の体温がそのまま背中に伝わってくる。おかげでとても暑い。
「いつだったかも腕にギブスとかつけて来てたし、包帯ぐるぐる巻きの時もあったし!ゆーくんてば何かと怪我するんだもん、私的にはほっとけない系男子第一位だよ」
「ほっとけよ。好きでやってるんだから」
こめかみを掴んで無理矢理引き剥がす。
「やですー。なら私も好きでゆーくんに引っ付くだけだもん、助手ポジションだね!私のことはホームズ君と呼んでくれたまえ」
「なんでお前がメインなんだよ」
ワトソン君じゃねえのか。
「お、夕陽!」
はしゃぐ玲奈の顔面をがっちり右手で掴んで動きを牽制していると、横合いから俺の名前を呼ぶ男子生徒の姿が視界に入った。
「おっすしゅーくん!」
「おう玲奈、おっす。朝からなにイチャイチャしてんだ」
「男が女にアイアンクローを掛けてる光景が、お前にとっては『イチャイチャ』に見えんのか?」
結城秀翠。無自覚な霊感体質を持つ野球部の友人が、片手を挙げて挨拶してくる。それに俺と(顔面鷲掴みにされたままの)玲奈も応じる。
「ところでお前、なんでこんなところにいるんだ?」
寮生の秀翠が校外にいるのはおかしい。男子寮からそのまま学校行くはずなのに。
「いやお前に急いで言いたいことがあってさ!やっぱこういうのは直接会って言わないと…って」
秀翠は俺を見るなり首を傾げて、
「あれ、お前帰宅部だったよな?それとも部活以外でなんかやってたっけ」
なんて言ってくる。俺のアイアンクローから脱した玲奈もそれに乗っかる形で頷きながら同意する。
「うんうん、私もそれ聞こうと思ってた。剣道なんてやってなかったよね?ゆーくん」
どうやら二人は、俺が肩に担いでる竹刀袋に納まった木刀を見てそう言っているらしい。確かにこんなの持ってたら剣道か何かやってると思うだろうな。
「いや、なんもやってねえけど。これはあれだ、護身用だ。世の中なにがあるかわからんからな」
護身用、という言い分は間違いではないはず。詳しく話すとまた手間になるのでそうやって適当に誤魔化しておく。
「ふーん、へー。護身用、かあ…」
ただ、俺の事情をある程度知ってる玲奈は、俺の『護身用』という言葉に意味深な笑みを浮かべていた。
「そういや秀翠、お前の方こそどうだ。心霊現象は無くなったのか?」
誤魔化しついでに、一応は解決させたはずの心霊沙汰に関しても訊いておく。あれから、蓮夜さんが男子寮に死霊の思念が入り込まないように細工をしたらしいから、秀翠が無意識の内に浴びていた負の力による干渉は無くなったはずだが。
秀翠は途端に目を輝かせて、
「おお!そうそうそれだよ、頭痛腹痛幻聴肩凝り物音!全部まとめて無くなったぜ!いやーお前がやってくれたんだろ?すげえなやっぱ。ほんとお前は何者なんだよ夕陽!?」
わざわざそれを言う為だけに早めに寮を出て来たのか。学校で会ってからでもいいし、なんならメールとか電話とかでもよかったと思うんだが…妙なところで律儀なやつだ。
「どうでもいいけど今度なんか奢れよ」
秀翠は俺が何か普通じゃない力を持っていることは知っているが、逆にそこまでしか知らない。当然、人ではない存在が世に蔓延っていることも知らない。俺も余計なことは言わないようにしてるしなるべく関わらせないようにもしてる。人外関連は危ないことも多いからな。
(なんにしても、とりあえずは手掛かりが欲しいよなあ…)
秀翠と玲奈が他愛のない話をし始めた辺りで、俺も再び黙考する。
現時点で何もわかっていない。まずは相手が何者なのかを探るところからか。
(死霊を発生させること自体は、はっきり言ってそう難しいことじゃない)
残虐性、惨忍性が強い者。嬲り痛めつける拷問のような行為に快楽を見出す狂った者は人間種の中にだっている。もちろん人外の中にも相当いる。
人間種から死霊が発生する程の苦痛を平然と加えられる者というのは、人間を含む全ての種族において該当される。
人道を外れたレベルでの苦痛を長時間において与え続ければ、死霊はいとも簡単に出来上がる。この時点では疑うべきは全種族というほかにない。
ただ、死霊を操る者というのは、それほど多くはない。
(問題は、それが人に付与された『異能』なのか、それとも人外勢の持つ能力なのかだが)
俺や玲奈のように、『多数の人々の願いや欲望を具象化した力』を所有する人間種の仕業なのか、それとも初めから存在の確立と同時に能力を所有していた人外勢の仕業なのか。
前者の場合、どこかしらで尻尾を見せそうな気はする。一般的に理解されない力を使っていたとしても、実際に使うのは生きて生活している人間だ。それなら、普通の事件のように足がつくか証拠が残るか、何かしら『人がやった痕跡』が残りそうなものだ。後者だった場合はそれらは当てはまらないだろうが。
(…まあ、日和さんが動かない以上、自力でどうにかするしかない)
情報集めも、解決も。
手掛かり集めに関しては、少し心当たりがないでもない。学校が終わったら当たってみるか。
その前に、寮長さんからも聞けることは聞いておこう。
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「あー、玲奈!やっと登校したわねこのー」
「なんでちょいちょい学校来ないのよあんたはっ」
「昨日は一緒にカラオケ行く約束だったじゃん!すっぽかすな!!」
「今日のショッピングもパスするつもりじゃないだろうなコラー!」
「あっはっは!ごめんねー、家でごろごろしてたい気分だったもんでついー!いやめんぼくないっ」
「おいシュウ、昨日は無事に眠れたのかよ?」
「おう、おかげさまで快眠だったぜ」
「なんだつまんね。なあ、新しく仕入れた怪談話してやろうか?」
「やめろ!せっかく安眠が戻ってきたってのにまた寝れなくなる!!」
「なー秀翠。まだ投球のフォームがいまいち安定しない感じなんだけど、なんでだと思う?」
「うーん、見てみないとわかんないな。放課後に見てやるよ」
玲奈と秀翠はクラスの人気者だ。いやクラスどころか学年レベルで人気があるんじゃなかろうか。玲奈は不登校だが持ち前の性格で、秀翠は爽やか野球少年で心霊関係と勉学が苦手という部分が完璧過ぎないあたりで人気があるらしい。両方とも顔立ちも整ってるし、相手が誰であっても態度を変えたりすることもしないしな。
クラスに入ってから囲まれ始めた二人から離れ、俺は窓際後ろから三番目にある自分の机へ向かう。途中で何人かのクラスメイトから挨拶を受け返しながら、木刀を下ろして机横の壁に立て掛けて学生カバンを机の上に放り投げる。そして椅子に座り、すぐさまカーテンを閉める。夏に窓際の席だと最悪だ、陽光が容赦なく突き刺さってくる。
「うーん…」
―――さて、どうしたもんか。
「おはよ~」
と、机に突っ伏しそうになった俺の頭上から声がした。顔を上げて、その声の主を見る。
「あー、
茶髪のロング。前髪も長く、両目が隠れてる。おかげで顔下半分の動きと身振り手振りでしか感情が読み取れないが、大体こいつはいつも上機嫌だ。いや確証はないけど、多分。声の調子からしても不機嫌ってことはないはず。
須藤胡桃。女子で、クラスメイトで、何考えてるのかよくわからないやつで、この学校に何人かいる能力者の内の一人。とは言っても、俺みたいに人外沙汰に関わろうとはしない。むしろ消極的というか、関わり合いにはなりたくなさそうな感じを見せている。それが普通だろうが。
無難な返事をした俺の瞳を、胡桃の前髪で隠れた両目が凝視している…ような気がした。
「夕陽くん悩んでますな~」
「ああ」
「例によって人外沙汰の問題で~」
「…」
「それはとても面倒で~」
「…おい」
「それを個人の力で解決しようとしていて~」
「やめろ胡桃。それ以上読むな」
なるべく何も考えないようにしつつ、語気を強めにそう言い放つ。
「んふふ~」
俺の言葉を受けて、しかし胡桃は口元を綻ばせた。次いで首をゆったり左右に振るう。
「読んでないよ~。今のは、ただの予想で~す。私だってね~そうほいほいと人の考えを読むほど無遠慮じゃないよ~」
「そうかい。でも、そういう話はこういう場ではすんなよ。知らない人がほとんどなんだから」
溜息混じりに忠告しておく。
「で、俺になんか用なの?」
「用事がないと~、友達同士はお話できないんですか~?」
「なら話題を提供してくれ。俺から振れる話はそれほどないぞ」
ふむ、と胡桃はひとつ頷いて、
「なら~世界五秒前説について熱く口論しよ~」
「哲学的だな…」
しかも口論。討論じゃないんだな。哲学論なのに口論したってどうしようもないと思うんだけど。
「いや~?」
「朝に高校生が話す内容としてはなあ…。面白いか?それ」
「和田くんは乗ってくれるよ~?」
「知らんわ。他にはなんかねえの?」
前髪をちょいとつまんでいじる。胡桃が思考するときのクセだ。
そうしてまたひとつ頷くと。同じ調子で言う。
「箱の中の猫のお話はいかが~?」
「それも同じようなもんだよな」
さっきと同じ、議論しても無駄な話だ。答えなんて一向に出やしない。
「お前は解答の存在しない問題を話し合うのが好きなのか?」
「ゾクゾクしない~?人間にとって観測不可能な問題って~。いっそ神様にでもなっちゃえば全部わかっちゃうのかにゃ~なんて思っちゃったりしない~?」
「わかったところで、面白くはないだろ」
少なくとも俺はそう思う。
「何もかもわかってたら、人間生きてけねえぞ。好奇心だって生きる糧なんだから」
「好奇心は猫をも~ってやつだね~」
「今言ったのと逆の意味だけどな、それ」
わかってて言ってるなこいつ。
「なんの話してんのー?」
そこへ、女子グループの輪から外れた玲奈が小走りでやってくる。
俺が何か言う前に、胡桃が口を開いた。
「スカートをめくるまでは~、その女の子がパンツをはいてるのかどうかはわからないよね~って話をしてたんだよ~」
「おい待て」
そんな話はまったくしてな…あっ、まさかさっきの猫の話と絡ませてんのか!?
「…?私ははいてるよ?」
「知ってるわ!!」
きょとんとスカートの端をつまんで少し上に上げた玲奈が言う。
むしろはいてなかったら大惨事だよ!
「お~」
ぱちぱちと。いきなり胡桃は両手を叩いて拍手する。なんだなんだ。
「夕陽くんと玲奈ちゃんは、下着の有無を確認するような仲になってたんだね~」
「確認するまでもなく下着が無かったらそりゃ変態か痴女だろ!」
「私ははいてませんよ~」
「痴女か!」
口元はにこにこ笑ってるから、多分冗談でからかってるだけなんだろうとは思うが。…冗談だよな?
これで前髪に隠れた両目が笑ってなかったりしたら俺も笑えない。
「思春期の男の子だからさあ、そういう話題に食い付いちゃうのはわかる。よくわかる。でも場所を弁えような、夕陽。お前のことは大事な友人だと思ってるから、俺もしっかり忠告だけはさせてもらうよ。そういう話はさ、俺の部屋でゆっくりしようぜ、な?」
「…………」
完全に勘違いしてる秀翠がいつの間にやら背後の机に腰掛けていて、ぽんと俺の肩に優しくその手を置いた。
もう、めんどくさいからそういうことにした。
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