第3話 死霊使い

 運が良かったというべきなのか、くだんのピクシーはすぐ近くにいた。

「こいつですか、秀翠に悪戯してたのは」

「見つけた瞬間逃げ出したところを見るに、そうみたいね」

「しかし驚くほどあっさり済んだね…」

 女子寮を出て男子寮へと向かう道すがらで偶然発見した、俺の膝くらいの背丈しかない頭でっかちな妖精は、見つかったとわかった瞬間に全力で逃げ出す姿勢をとり、そして速攻で転んだ。

「アンタも妖精種の端くれなら、空くらい飛んで逃げなさいよ。その背中の羽はなんの為にあるの」

「下位の妖精だから飛べないんじゃない?多分その羽は妖精としての『象徴』の役目しか果たしていないよ」

 それぞれの種族には、それぞれの『存在の象徴』があるらしい。妖精種の場合は『妖精の薄羽うすばね』であり、それを実際に実用できるかどうかは種族の階位による。

 なにやらキーキーと地団駄を踏んで喚いている、小人のような妖精の言葉は俺の“干渉”を聴覚に集中させてもわからない。聞き取ること自体はできても、その言語まで解読できるわけではないらしい。ここら辺は妖精語を理解しないとダメってことなのか。

「なに言ってんですか?こいつ」

 なんかピクシーは俺を見上げて怒っているようだ。

 妖精種との対話が可能な二人がピクシーの意思を読み取って翻訳してくれる。

「ええと、『何もない地面で転んだのはお前のせいだ、顔面強打した。どうしてくれる』って怒ってるわね」

「それ俺のせいか?」

 単にこいつが鈍くさいだけだと思うが。

 ピクシーはさらにキーキーと何事か喋りながら俺の脛を蹴ってくる。

「『お前の中に宿ってるおかしな力の干渉を受けて運悪くこけた。だからお前のせいだ』だってさ」

「あ、あー…はいはい」

「幸の力ね」

 俺の意識から生まれた、『逃げようとしているピクシーを捕まえたい』という考えと連動して幸の力が発動したようだ。俺にとっては捕獲対象が運良くすっ転んでくれて追いかける手間が省けて助かったが、当のピクシーからしてみれば運悪く捕まってしまったわけか。

「まあ、顔面強打は悪かったよ。ってか妖精種には幸の力を感知できるんだな」

「実際に自分の身体に干渉されれば大体気付くと思うよ。他者に働いてる力までは流石にわからないだろうけどね」

「っていうか、元を正せば悪いのはアンタじゃないの。因果応報よ」

 閃奈さんは同族にも厳しい。ピクシーはしゅんとして項垂れた。

「で、何でこんなことしたの?大方、人間を驚かせたかったとかってオチなんでしょうけど」

「…あれ?この気配…」

「はい?どうしました蓮夜さん…っとと」

 蓮夜さんが唐突にあらぬ方向に顔を向けたのと同じタイミングで、俺のケータイも震えた。さっきと同じ電話によるバイブで、ディスプレイに表示された相手も同じ。

「今度はどうしました日和さん。死霊なら退治しましたよ」

『うんうん、それはご苦労様。で、それ関連でこれから起こることを伝えるんだけど』

 電話の主はあくまでも呑気な口調で続ける。片方の耳で通話の声を聞き取りながら、俺は蓮夜さんが妙に焦った様子で発する声も聞き分けていた。


「閃奈、夕陽…構えて。この感じは」

『続けて来るよ』


 まるで示し合わせたように二人の声が繋がる。


『本日二度目の襲来、相手はもちろん、』

「死霊だ」




      ーーーーー

「…どーなってんのよ、これは」

 ピクシーから事情を聞き出そうとしていた閃奈さんは、うんざりした表情で背後を振り返った。俺もその視線のあとを追う。

「三体、ね。一体につき一人を仕留める計算でやって来たのかしら」

 中空に浮かぶ三つの黒い影。目を凝らすまでもなく俺がさっき倒したのと同種の存在、死霊だった。

「夕陽がやっつけたのも含めると四体。普通に考えてこんなのって」

「ありえないわね。自然に発生した現象じゃないわよ、これ」

「…日和さん、説明をどうぞ」

 まだ繋がったままのケータイに向けて訊ねる。

『私が説明するまでもなくそこの双子はもう理解してると思うよ。君だって大体わかってるでしょ。自然に起こりうる限度を超えてる。となれば』

 人為的な死霊の生産、か。

「あとでかけ直します」

『くれぐれも無茶はしないように。なんなら双子に任せて帰ってきてもいいから』

「いやそれは流石に」

 気が引けるというか。

「いいわよ夕陽、下がってなさい。さっきのとは違って、怨念の密度が異常に濃いわコイツら」

「熟成された憎しみって感じだね。…この一件、とんでもない外道が絡んでるよ」

 みたいね、と返事しつつ、閃奈さんは引っ掴んだピクシーを俺へと投げ渡してきた。それを片手で受け取る。

「そいつの面倒は任せたわ夕陽。蓮夜、わかってると思うけど」

「ああ、わかってるさ。でも…」

 躊躇いがちに、蓮夜さんは死霊を見上げる。

「本当にどうしようもないのかな?せめて浄化させて昇天させたりとか」

「諦めなさい。死霊は、死んでも死に切れないほどに憎悪を抱えた死者から生まれるモノよ。その時点で、もう魂は真っ黒。救済の道は滅する以外に無いわ。それでもできないってんなら夕陽と一緒に下がってなさい。この程度ならあたし一人で事足りるし」

 前に出ようと一歩踏み込んだ閃奈さんを、蓮夜さんが片手で制する。軽い溜息、次いで深呼吸を一つしてから、

「やるよ。大丈夫、ちゃんと役目はこなすから。君と僕とで学校ここを護る。そういう風に約束したんだから、ねっ!」

 言い終える直前に、蓮夜さんが真上に拳を放つ。パァン!!という音が響き渡り、蓮夜さんの拳と見えない何かが衝突した。

(見えなかった…が、間違いなく死霊の攻撃だな)

 俺が視認できなかったのは単純に死霊の力が俺の“干渉”を大きく上回っていたからか、それとも速度そのものが速すぎて認識が追い付かなかったのか。…おそらくはその両方だとは思うが。

「この鈍器で殴られたような重圧…そうか、君は撲殺されたのか」

 呟き、続け様にやってくる攻撃を全て素手で相殺していく。蓮夜さんにはその全てが見えているのか、虚空に拳を振るうたびに大気中の塵や砂が衝撃で吹き飛ばされていくのが物理的に見える。

 だが力を振るっているのは三体いる内の一体のみ。残る二体はそれぞれ別個に動いていた。

「閃奈、そっちに行ったよ」

「んなことわかってるわ」

 中空の一体はどんどんと重圧の攻撃を重ねて蓮夜さんの動きを縫い止めている。その間に一体はその斜め後ろにいる閃奈さんへ矛先を向け、残る一体は地上に降り立った。“干渉”を集中させて見てみるに、どうやらその視線はこちらに向いているようだった。

(きっちり役割分担してるってことか。ますます死霊らしくないな)

 本来であれば生前の憎しみと怨みをそのままに、まったくの無差別攻撃を展開するのが死霊の典型であるはず。

「おいピクシー、動くなよ。そのままじっとしてろ、さもないと死ぬかもだぞ」

 首根っこを掴まれたままジタバタしている妖精に忠告する。俺の言葉を聞いて、一瞬ビクッと震えたピクシーは直後に電源が切れたように動かなくなった。わかりやすいやつだ。

(ヤバイな、閃奈さんの言った通りだ。さっき倒したのとはまるで違う)

 眼球に意識を傾けて“干渉”を使って見ても、輪郭が揺らいでいて原型が掴めない。かろうじて黒色の揺らめきが人型になっているような感じで見えるだけだ。力の差があり過ぎてレベルが追い付いていない感覚。こういう感じの相手は大概ヤバイと経験上理解できる。

(何倍ならやれる?攻撃を見切るには“干渉”を五倍で視覚に全集中、身体能力は…十倍くらいないと無理か)

 思案しつつ、右手を強く握る。左手はおとなしくなったピクシーを掴んでいるから使えない。“倍加”させた“干渉”でもって相手の出方を見る。五倍までしてようやく姿形が人に見えてきた。

(攻撃方法がさっきと同じ斬撃とは限らない。この死霊の死因が同じ斬殺でもない限りは多分———)

 次の瞬間、俺が理解できたのは対峙する死霊の腕が消えたということ。実際は俺の動体視力が追い付かなかっただけなんだろうが、俺には消えたようにした見えなかった。恐ろしい勢いで突き出された腕から放たれたらしき、見えない衝撃が空気を穿って俺の心臓へと到る…手前で、それは防がれた。

「アンタもじっとしてなさい夕陽。言ったばっかりでしょ、力は使い過ぎないようにって」

 閃奈さんの声だけが聞こえる。姿が見えないのは、俺の眼前を埋め尽くす土の壁があったからだ。

 刺し穿つ衝撃が俺に届くより先に、俺の足元から舗装されたアスファルトを突き破って土の壁が競り上がってきた。その壁が死霊の一撃を防御してくれたようだった。

(これ…精霊の力ってやつか)

 元素や属性に宿る精霊達の力を借り受けて行使される術。閃奈さんは五行法に則った術式を得手としてるから、今のは木火土金水の『土』に該当される力になるのか。

「土行の防壁に穴開けるなんて、中々やるわねえ。その貫通力からして、そっちの死因は大方刺殺ってところかしら」

「ッ、閃奈さん!」

 俺を襲ってきた死霊の攻撃を防いでいる間に、閃奈さんを狙っていた側の死霊は既に相当な距離まで迫っていた。ヤツの死因からくる攻撃方法は不明だが、明らかに射程範囲内だ。

「御免なさいね、少しだけ力を貸して頂戴」

 横目でそれを捉えていた閃奈さんが、見えない何かに向けて言葉を紡ぐ。

 直後にジャリンと金属質な音が鳴り、閃奈さんの周囲から地面を突き破って黒光りする鎖が何本も飛び出てきた。その鎖は正確に迫り来る死霊へと矛先を向け、腕と足と首へと絡みつき死霊の動きを縛り地面へと叩き付けた。

「次あっち、お願い」

 その言葉に呼応するかのように、またしても地面から出現した鎖が刺殺の死霊へと飛来する。

 多少の距離があったのもあり、死霊は鎖を砕こうと攻撃を放った。が、穿つ衝撃を正面から受けても鎖の軌道はまったく揺らがず、たった今行われたことを再現するかのように同じ縛り方をして、あっさりと二体の死霊を拘束した。

「堅固と確実の性質を表す金行を編み込んで作った鎖よ、その程度じゃ砕けやしないわ。蓮夜!」

 縛り上げた死霊二体をそのまま蓮夜さんの方向へと曲線を描く軌跡で投げ飛ばす。

「う、やっぱりどうしようもないか」

 ずっと死霊の攻撃を捌いていた蓮夜さんはそう呟いて一瞬だけ脱力すると、次の瞬間には中空にいた撲殺の死霊の眼前まで飛び上がり、死霊の顔にあたる部分を吹き飛ばした。それが拳によるものなのか蹴りによるものなのか、それすら判別できなかった。

 その死霊の胸倉を掴んで、縛られた二体が放り投げられた位置へと正確に投げる。空中でぶつかった三体へ向けて、落下しながら蓮夜さんは開いた右手を構える。

「ごめんね」

 右手から暗闇を照らす青い炎の塊が現れ、腕を突き出す挙動に合わせてそれが飛んでいく。

 直撃したそれが青白く空中の死霊を包み込み、三体の死霊はその中でボロボロと形を崩して消えていった。

「ふう」

「今の青い炎が、蓮夜さんの『異能』なんですか?」

 着地した蓮夜さんにそう訊いてみる。

 妖精としての“治癒”がほとんど使えない代わりに、蓮夜さんは強い悪魔分から『異能』の力を継いでいる。滅多に見たことはないけど、多分あれがそうなんだろう。

「ああ、そうだよ。て言っても、半魔半妖の僕に悪魔としての階位は存在しないから、これ自体は父さんの持つ『異能』の複製って感じなのかな。父さんの能力は見たことがないけど、僕が使えるこの青い炎から考えるに、より強力な炎の使い手だったのかもしれないね」

 頷きながら、指先で青い炎を出してみせる。

「はあ…もう、なんなのよ。これで八体目じゃない」

 ぱんぱんと服をはたきながら閃奈さんが翠玉色の瞳を半眼にして言う。

「八体目?今日倒したのは四体ですよね?」

「だから、それ以前に四体。あたしと蓮夜で倒してるのよ」

「おまけにさっきの三体は異常なまでに怨嗟の念が強かった。どこの誰かはわからないけど、明らかにこれは人の手が加わってるね」

「……」

 ひとまず、無言でケータイを取り出して通話。

『お疲れ様。怪我は?』

「無いですよ、そもそも俺は戦ってないですし」

『そりゃなにより。幸も心配してるから早く帰っておいでな』

「その前に日和さん。今日の四体だけじゃなかったらしいですよ、死霊は。閃奈さんと蓮夜さんがプラス四体倒してるらしいです」

『まあ、私も十二体倒したからね。これで死霊を生み出す犠牲にされた人間は二十人に及ぶわけだ。こりゃ、本格的に仕事かもね』

「…マジですかい」

 なんでもなさそうに言うが、この人いつの間にそんなに退治してたんだ?

「惨殺事件なんてニュースにもなってないし、ここら辺でそんな殺人があったなんて話も聞かないわね」

「その代わり、人攫いの話なら最近よく聞くよ。まだ誰も見つかっていないとか」

 日和さんの声が聞こえたのか、二人が口々に言う。ケータイの音声が聞こえたとか、あなた達の耳もどうなってんだ。

「対策、練らないといけないわね」

「だね」

『依頼なら夕陽を通していつでも受けるよ。それじゃ、幸も私も寂しがってるから早めのご帰宅を、ゆーくん』

 日和さんはさも他人事のように、それだけ言って切ってしまった。




     -----

「気に入らないのは殺し方よ。わざわざバリエーションを無意味に重視してる」

 むすっとした表情で、閃奈さんはお茶をすすった。

 女子寮の寮長室に戻って、再び湯呑みに深緑の液体を満たして俺達三人はテーブルを囲っていた。 そのテーブルの中央にはさっきからずっとぬいぐるみのようにじっと固まったままのピクシーもいる。さっきの戦闘を見て、逃げる気は完全に失せたようだ。

「死霊の特性は『自らの殺されたしんだ原因を抽出して具現させる』もの。切り刻まれて殺されたのなら、その特性は斬撃を撃ち放つものになるし、殴り殺されたのなら重撃を落とすものになる…さらに、長く憎み怨み続けた人間からはそれだけ強力な死霊が生み出される、でしたっけ」

「そうだね、その通り。つまり、普通に考えて死霊が生み出されるほどに惨い死に方をする人なんてそうそういないんだ」

「えらく人道を外れた拷問でも受け続けていたのなら話は別だけどね」

 斬殺、撲殺、刺殺…それもわざと死なないように気を配りながら、一回一回をきちんと急所を外して、より長く苦しみ怨みを蓄積していくように殺していく。少しずつ、命を削り取っていく。

「犯人は誰なんですかね。人間ですか?」

「人外勢であってほしいとは思うわね。人間種で、こんなこと平気でしてる者がいるとは思いたくないわ」

「さっきも言ったけど、そんな惨たらしい殺され方をした人はこの近辺にはいないよ。少なくとも、表立ってそういう話は聞かない」

 倒した死霊は合わせて二十体。それに伴って殺された人間も二十人。全てが表沙汰になっていたら、きっとこの地域一帯はもっと騒ぎになっていることだろう。警察だって黙っているわけがない。

 だが、現実に今はそんな話も聞かず、なんの騒ぎにもなっていない。

「二十人もの人を攫って、さらに長く苦しめる為にどこか人気のない場所を確保しているってことですよね。…あからさまに行動が人間臭いんですけど」

 世間体とか良識とか社会的な立場を持たない人外に人目とかを気にする者は少ないし、バレたところで何かデメリットがあるわけでもない。そんな連中が死体をどこかに隠してまで、わざわざそんな手の込んだ殺し方をするとは思えない。

「そもそも目的は何なんだろうね。死霊を差し向けて、何がしたいんだろう」

「人が殺されるのを楽しんでるんじゃないの?この学校の生徒に手を出そうとしたのが大間違いなんだけどね。…必ず見つけ出すわ。こんなこといつまでも野放しにしておくわけにはいかないもの」

 それは俺としても同感だ。たいした力はないが、それでも自分の通う学校の生徒に牙が向けられてるのを黙って見過ごせはしない。

 そんなことを心中で思っていたが、ふと視線を感じて顎を引いて斜め下を見る。テーブルの上に座り込んだピクシーが俺を見上げていた。

「そういえば、お前もやめろよな。人間に悪戯してもいいことなんてなんもねえぞ」

 人間おれの言葉は理解してるのか、キーキーと何事か返している。

「…なんて?」

 双子さんに通訳を求める。

「『ふざけるな、イタズラなんて誰もしてない』って言ってるわ。じゃあアンタ何してたのよ」

 さらにキキーと甲高い声を上げる。言葉はわからないが、身振り手振りから察するに弁明してるらしい。

「ほー。なるほどねえ。それは悪かったわ、誤解してたみたい」

「え?なんて言ったんすか」

 表情の和らいだ閃奈さんが説明してくれる。

「秀翠って、確か霊感があるんだったわよね?」

「ああ…はい。みたいですね」

 ただの人間であることは間違いないんだが、どうも秀翠には人外の気配を感じ取る第六感的な直感が備わっているようで、たびたびそれに悩まされているのを見たことがある。霊的な現象にやたら弱いのはそのせいだ。

「あたしや蓮夜が死霊を倒した時、霧散した負の思念が寝てた秀翠によくない影響を与えたらしいわ。精神的な不調は肉体にも連動するから、頭痛や腹痛はそのせいね。幻聴に関しては、消えかけてた負の残滓の、無残に死んだ人間の怨嗟の声だったってところかしら。普通の人間にはそんな消えかけの力に悩ませられたりはしないと思うんだけど。霊感あるってのも苦労するのね」

「ははあ、なるほど。で、そこのピクシーはその秀翠に何を?」

「守ってたんだってさ。負の思念を一生懸命追い払って、悪影響が出ないようにしようとしていたらしいね。いい子じゃないか」

 うんうんと蓮夜さんは腕を組んで頷く。実際全然払えてないけど、まあこういうのは気持ちが大事だし。このピクシーは秀翠の悩みの種たる犯人ではなかったのだからよしとしよう。

「お前いいやつだったんだな、悪かったよ。勘違いしてたわ」

 仕方ねーな、とでも言いたげにふんと息を吐くピクシーに、ふと浮かんだ疑問をぶつける。

「ってか、ならなんでさっき逃げたんだよ」

 その疑問には、すぐさまギー!!と返してきた。

「うっ」

 蓮夜さんが胸を押さえて一歩下がる。なんか何言ったかわかった気がする。

「ぷっ。『そこの悪魔に食われるかと思ったんだよ!』ですって」

「やっぱり」

 そんなに怖かったのか。

「にしても、なんで秀翠を守ってたんだお前。別になんか関係があったわけでもないだろ」

 人外同士であればなんの能力がなくても相互干渉はできるが、人間種に関してはそうではない。閃奈さんや蓮夜さんのように人に紛れて暮らしている者達や力が強すぎて強制的に現世に存在が固定されているような者などを除けば、基本的には人の目につかないようにひっそりと生きている。このピクシーにおいても同じで、普通の人間には見えない仕様になっていた。秀翠との関連性はどうやったって無いはずだ。

 今度の問い掛けにはピクシーは答えなかった。

「…、まあいいけどさ」

 妖精種が気まぐれなのはよく知ってる。だからあまり深くは気にしなかった。

「もう行っていいわよアンタ、無罪だってわかったし。たださっきのでわかったと思うけど、ここら辺はあんまりうろうろしてると今は危ないから注意しなさい」

 ギ、と返事らしきものをして、ピクシーはテーブルから飛び降りて部屋を出て行った。

「夕陽、アンタも用件は済んだでしょ。帰りなさい、明日も学校あるんだから」

「いや、俺も手伝いますよ。たいした役には立たないかもしれないですけど」

「必要ないわ」

 バッサリ一言で切り捨てられた。

「あたし達にとっては、人手が足りないことよりも生徒に危害が加わる可能性のあることの方が困るのよ。生徒アンタ達を護ることが、あたしと蓮夜の役目でもあるんだから」

 両手で湯呑みを持ったまま蓮夜さんも頷く。

「でもですね」

「ただし」

 なおも食い下がろうとした俺の言葉を押さえて閃奈さんはこう続けた。

「あたし達は寮長としてこの学校という範囲を害から護らなくちゃいけない。それ以外にも仕事はあるしね。ぶっちゃけ行動範囲をあまり広げられないの、有事の際には最優先で学校に戻る必要があるから」

「つまり、内側で動く僕達とは別に、外側で調査してくれる人がいてくれると助かるってことだね」

 閃奈さんの話を要約した蓮夜さんの発言によって、俺も納得して結論を口にする。

「その役割を俺がやればいいわけですね」

「違うわよバカ」

「違うの!?」

 そういう流れだと思ってドヤ顔で言ったのに!恥ずかしくて死にそうだ。

「さっきも言ったでしょ、生徒を危険に晒せないって。『異能』持ちのアンタでもそれは同じよ」

「俺は別にいいんですけどね…一応、それは副業としてやってることなんで」

 実際この二人には及ばないまでも、“倍加”を人が扱える範囲で限界まで高めればそこそこ戦力にはなれると思うんだけど、これは俺の驕りなんだろうか。それに、それ以上に力を引き上げる切り札もあるにはあるんだ。自分以外に負担と迷惑を掛けるものだから、あまり使いたくはないんだが。

「俺じゃないってことは、日和さんへの依頼ですか?」

 残る可能性はそれくらいしかない。人外騒ぎで戦力的に頼れるのはあの人を置いて他にいない。いや知らないだけであっちこっちにいるのかもしれないけども。

「まあ、話すだけしておいて頂戴。案外、依頼抜きにしても動くことがあるかもしれないからね、あの気分屋は」

「正式に頼むことはしないと?」

「生憎とこちとら金欠よ。依頼にいくらかかるかわからないけど」

 日和さんへ仕事を依頼する時は、大抵要求されるのは金だ。依頼内容を鑑みて、その難易度に応じた金額を要求する。日和さん的には分相応な金額を指定しているらしいが、いくらか足元見てる感は否めないと思っている。

「とりあえずは了解です。じゃ、帰りますね」

「ええ、お疲れ様」

 閃奈さんが、労いの文句と共にひらひらと片手を振る。

「送ろうか?」

「いえ大丈夫っす」

 立ち上がりかけた蓮夜さんをやんわりと押し留めて、俺は寮長室のドアに手をかける。

「あ」

 思い出して、ポケットに入れたままだった一枚の紙を引っ張り出す。

「閃奈さん。今回は反省文これ、勘弁してもらえるんですよね?」

 『ちゃんとした用件』で仕方なく夜の学校を訪れた友達思いの優等生。反省文を書かせられる謂れは微塵もない。

 折り畳まれた紙を一瞥して、閃奈さんはふっと微笑んでから、こう言った。

五千文字はんぶんで許してあげる」

 やっぱ悪魔かこの人。




      ーーーーー

 時刻は九時半過ぎ。再び校門をよじ登って乗り越え、帰路につく。

 熱帯夜の夜道をひた歩き。生温い夜風を顔に感じながらゆったりと歩を進める。

 人気もなく街灯もまばらな薄暗い道。こういうのが人の恐怖を増大させ、増長させる。

 闇夜の奥から現れる魔物。

 暗闇の中、背後から忍び寄る影。

 全身を舐めるように凝視する何かの視線。

 そういうモノ。

 表れ、現れ、顕れるモノ。

「望まれて生み出され、そして消えることを望まれる者…か」

 時々考える、人から生まれた人ではない者達のこと。

 俺の知っている友人の中にも、わりといる。

 例えば狛犬の少女。例えば天狗の青年。例えば笠地蔵の爺。

 それぞれ思い思いに生活しているが、自身の存在については当然のように隠している。そしてそれを当然のことだと思っている。

 おかしい。

 自らの素性を明かせず、その身に宿した人にはない力を隠したまま生きていく。

 何も悪いことなんてしてないのに、堂々と胸を張って生活していいはずなのに。

 脳裏に思い浮かぶのは、幼少の記憶。おそらく俺がこういうことをよく考えるようになった原因である記憶。


 小さな女の子。人間が大好きで、人間に尽くしてきた少女。

 自分にとってなんの得にもならないのに、人知れず人々に笑顔を与え続けていた少女。

 泣いていた。あの子は泣いていた。頑張っていたのに、人の為に尽くしたのに。

 それなのに、人ではない女の子は人の悪意に触れてしまった。絶望してしまった。壊れてしまった。

 だから、だから俺は。


『ごめん。ごめんな。人間おれたちのせいで…お前はっ…!』

『———あは、知ってたよ。ただ認めたくなかっただけ。人はこんなにも汚いんだ、って。認めたくなかっただけなんだ』

『…っ』

『———さぁ、終わらせて?キミになら、わたしはまだ信じられる。必ずわたしを止めてくれるって。ね?だから、』

『…、う、あぁ。あああ!ああああああああああぁぁあああぁあああ!!!』

『———だから、わたしを、殺してとめて?』


 ぽふっ

「え…?」

 腰の辺りに軽い何かがぶつかる感触を覚え、意識を現在いまに引き戻される。

「…」

 視線を下に持っていくと、そこには小柄な和服少女が小首を傾げて抱きついていた。

「ああ、幸」

 俺にとって大切な、体の一部のような存在。主従関係に近い俺の気配を感じ取って出迎えに来てくれたらしい。気付けば、もう目の前は自宅だった。

「ごめんな、考え事してた」

 抱きつかれるまで幸の接近に気付かなかった俺の顔を、幸は不思議そうな色を乗せた瞳で覗きこんだ。

 そんな少女の頭に手を置く。極力優しい手つきを意識しながら撫でる。

「なんでもないよ、遅くなって悪い。帰ろうか」

 過ぎた過去はどうしようもないが、そこから得た教訓や認識は先へ活かす原動力になる。だから俺は、それを無駄にしたくない。

 あの時に彼女に誓った想いと、交わした約束だけは何があっても守りたい。俺の全てを懸けてでも。


『———ね。守ってあげて?人に迫害される人外わたし達を。ううん、それだけじゃなくて、理不尽に命を摘み取られる人間かれらも』

『…ああ』

『———人はとっても汚くて、とっても愚かで、あと…とっても弱いから』

『あぁ、約束する。必ず…必ず!守ってみせる、人外おまえらも、人間おれたちも!!どっちも、どっちからも、守るから。絶対に』


(人の犠牲になる人外、人外の犠牲になる人。双方を、守る)

 とても難しいことだと、思う。日和さんからは『無理だと思うけどやれるだけやってみればいいよ』と言われた。あの人ですら無理と判断するようなことだ。

 でもやらないといけない。約束したから。

 幸を撫でる手に僅かな力を込めつつ、心中で改めて決意を再認識する。




      ーーーーー

 とりあえず家に帰ってまずしたことは、幸に人の幸福について教育することだった。

 主に、金銭的な話について。

「というわけでな、何も人は金さえあれば幸せってわけじゃないんだ。もっと色々あるんだ」

 胡座をかいた俺の上にすっぽりと収まった幸が、そうなの?と言いたげな表情で見上げてくる。別にそこまで重要な話でもないから正座で向かい合うような形は取らない。

「だから、あまり俺に金銭的な“幸運”はいらないんだよ。そんな気遣いはいらない」

 幸の力は、幸自身の意識に反映される部分が強い。だから例えば『金があることが人にとって至上の幸福』だと思い込んだ場合、その認識が力に、正確にはその力が宿った俺に適用されることになる。

 おかげで家から学校まで往復しただけで大量の金と金目の物が手に入ってしまった。全部帰りに寄った交番の前に置いてきたが。

 俺の言葉にこくこくと頷きを返す幸を見て、俺も一息つく。俺を幸せにしようと頑張ってくれるのはありがたいんだが、別にそこまで突き抜けた欲望は持っていないからな。

 大体、なんでいきなりこんなことに。これまで幸は金の重要性なんてまったく知らなかったはず。おかしな雑誌や番組でも見たのだろうか?

「いやいや、この世の全ては金と暴力だよ。友情や愛情は二の次さ」

「さてはあんただな!?幸に変なこと吹き込んだのは!」

 文庫本を読みながら呟いた日和さんに怒鳴る。そういやそうだ、滅多に家を出ない幸の情報源なんて、この家の中にしかないんだから。そしたら原因はこの人くらいしかいない。

「心外だね、世界の真実を教えてあげただけだよ。金は力、そして力こそ正義!いい時代になったものだよ」

「その世紀末思想をどうにかしてくれませんかね」

 大体そんなに金の亡者ってわけでもない癖に。

「ところで、今回の件ですが」

「ああ、死霊ね。双子から依頼でも来た?」

「いえ、でも頼むだけ頼んどけって言われました」

 ふうん、と気のない返事をして日和さんは文庫本のページをめくる。やっぱり仕事じゃないとやる気出ないのか。

「さしづめ、相手は陰湿な死霊使いネクロマンサーといったところか。“感知”で死霊の出所を探ってたんだけど、どうにも掴めないんだよね。相手は特殊な術式を使ってるのかもね。隠形とか」

「はあ」

 そう言われても俺にはさっぱりだが。

「まあ、君は君の思うように動いてみなよ。知恵貸しと補助援護くらいはしてあげる」

 その発言はあれか、俺に丸投げして勝手にやれってことか。いいですけど。

 そうして、今日という一日は終わった。やたら長く感じたけど、明日もまた長くなるんだろうなあという予感を抱きながら。

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