第2話 異能と人外

『なーんだかんだで送ってくれるんだもんね、ゆーくんは。このツンデレめっ』

「学校に向かうついでだからな」

 日の落ちた夜道を、俺は生霊と共に歩く。

「それに、人外連中は夜の方が活発になったりするのがいる。人間に危害を加えないようにっていうパトロールの意味もあるからな」

 まあ、それがどれくらいの効果になるかは分からんが。

『ねー、ゆーくん』

「なんだよ」

 熱帯夜の空をすいすい移動しながら、玲奈は世間話をするような風に言う。

『なんで、人は人以外から嫌われてるの?』

「…、どういう意味だよ」

『私はほとんど見たことないけどさ、世の中には妖怪とか悪魔とか妖精とか、そういうのが結構いるんだよね』

「見たことなくはないだろ。悪魔も妖精も、学生寮にいるじゃねえか」

『あ。あーそっか』

 ぽん、と玲奈は手を打って頷く。

「それに、妖怪。うちにだっているだろ」

  幸。見た目ただの幼子だが、あの子だって立派に妖怪種の一角だ。

『あれ?さっちんって今の私とおんなじ、概念種ってやつなんじゃなかったっけ』

「それでもある。ただ、それだけじゃなくてだな…お」

 ふと足を止める。街灯に照らされた足元に一枚の紙が落ちているのに気付き、その長方形の紙札を拾い上げる。

『む、一万円札』

 玲奈の言う通り、それは紙幣だった。

「誰かが落としたんだな」

『もらっちゃいなよゆー。運が良かったね』

「アホ。あとで警察に届けとく」

 とりあえずその一万円札は折り曲げてポケットに突っ込んでおく。

 そうして、再び歩き出そうとした時だった。何かをくわえたカラスが一羽、頭上に飛んできた。そのまま通り過ぎようとしたところ、何を間違ったのか片方の翼を街灯にぶつけて体勢を崩した。幸いすぐに立て直して飛び去って行ったが、咥えていたものは落としていってしまった。

「…」

 目の前の道にコロコロと転がってくるそれを、何の気なしに拾い上げてみる。と、

「……ダイヤ」

『だね 』

 石ころ程度の大きさの、宝石ダイヤ。それが街灯のちゃちな光を照り返して光彩を放っていた。

「カラスは光り物を好んで巣に持ち運ぶとはいうが…」

『どこから盗ってきたんだろねー』

 どこぞの富豪の家の窓でも開いていたのだろうか。とにかくヤバいもん拾ってしまった。

「これも警察に届けておくか…」

『ドロボウ扱いされなきゃいいけどねー♪』

「……」

 けたけたと楽しそうに笑っているが、わりと冗談じゃなくその可能性も否定しきれないのが怖い。

 どうしよう、見てみぬ振りしてこのまま道の端に置いておこうか。

『それにしても、本当に運がいいねー。それ売っちゃえば大金持ちだよ?』

「売るかよ。最近の運はやたら金銭面に傾いてる気がしてならない。幸、何かおかしな知識を付けたんじゃないだろうな…」

 ———住み着いた家に富をもたらすとされる、日本に昔から語り継がれている存在がいる。それは小さく、そして可愛らしい容姿をした子供だという説が有力だ。

 座敷童子ざしきわらし。幸はその存在の具現化であり、相応の力を宿した少女である。

 ただし、語られる本来の座敷童子との違いは、住み着いた家ではなく取り憑いた相手に力を与えるということと、その力は現在大きく減衰しているということ。


 『この世で最も強い力は人の想いだよ』。この言葉はかつて日和さんが言っていたものであるが、話の前提としてはこれ以上に分かりやすいものはないと思っている。

 ようはそういうことなのだ。

 人の憧憬が、神を生む。

  人の恐怖が、魔を生む。

  人の発想が伝説を生み、人の誤解が幻を生み、人の畏れが悪魔を生み、人の信仰が天使を生む。

  人の噂が妖怪を生んだ。

  人の噺が妖精を創った。

  人の畏怖が怪物を産んだ。

  人の畏敬が英雄を成した。

 人の憎悪が呪いを呼んだ。

 人の好意が救いを放った。

  人の欲望が災いを誘った。

  人の希望が奇跡を描いた。

 それらが全て、人々にとっての『最適化された実体』を育てていった。


  人より格が高い『神』は、きっと身体からは眩まばゆい光を放ち、慈愛に満ちて人々を救うのだ。


  人に害成す『怪物』は、おそらく常軌を逸した姿形をしていて、豪腕で潰し、触手で捻り、体液で溶かす恐ろしいモノだ。


 ある時は『最もわかりやすいありがたみ』を、またある時は『最もわかりやすい恐ろしさ』を妄想し空想し想像した。

 それが人ではない何かを生み出し続けた。

  個人の想像は人々に伝播し、いつしか想像は実体をもって創造された。

 それが人の持つ、唯一無二にして最強、無自覚にして無闇に振るわれる無垢なる『力』だった。

  個では絶対に不可能で、群をもって想像を創造する。それは、きっと人類がこの星で最も強い地位を確立したが故に得た力なのだろう。

 人は人の下に虐げる何かを吐き出し、人の上に永遠に届かない何かを奉たてまつる。

 そうして誕生したのが、人ではない存在達。


 人間は群にして得た共通の人外像や異質を、無意識の内に現世に召喚できる。つまりは『異能』を創る『異能』。

 その事実に気付いた者は、歴史の中でどれだけいたのだろうか。俺だって、自分に『異能』が発現して、日和さんに話を聞かせてもらうまでは知る由もなかったことだ。今現在だって、人々の大半はそれを知らずに、しかし知らぬまま無意識に群れによって現象や存在を創作し続けている。

 その力は、時として人間自身にも反映される。

 手から火を出す。超能力で触れずにガラスを割る。千里眼で遥か遠くの景色を見る。

 そういう理想や憧れによって生まれた『異能』が、人々にランダムで付与されることもある。

 大勢の誰かが願った、『幽霊とか見えない何かを見たり触ったりしたい』という想いが、まったく望んでいなかった俺に付与された。それにより、俺は幽霊を筆頭とする概念種や、それ以外の種族と物理的に交われる“干渉”の能力を手に入れてしまった。それ以外にもまだあるのだが。

 玲奈だって、『幽体離脱して幽霊になって自由に出歩きたい』という誰か達のはた迷惑な願いに巻き込まれて、“引き離し”という『異能』の所持者になった。まあ本人はそれを楽しんでいるみたいだから別にいいけど。

 実際のところ、その力が人に働くだけであるのなら、それでもいいと俺は思う。勝手に願った力が人に跳ね返るだけなんだから、因果応報、身から出た錆、自業自得というやつだ。たとえその力が願ってもない赤の他人に宿ってしまっても、人の業は同じ人が背負うものだと解釈してる俺にとっては同じこと。だから俺自身に宿った、この望んでもいない力に関しても特に文句をつけるつもりはない。

 だが、人でない者達は違う。

 悪魔や妖怪は、基本的に人に危害を加えるものが多い。それらは人の恐怖や絶望から産み落とされた存在だからだ。

 だけど、産まれた彼らには自我がある。意思がある。

 ただ恐れられる為だけに存在を創られ、あまつさえ思考する能力まで与えておいて、いざ現出すればその存在を真っ向から否定する。

 恐怖の肯定から産まれた存在を否定する。それはつまり、蔑み嫌悪する為だけを目的として意味を与え存在を認めるということ。嫌われ憎まれることでしか生きる価値を見出だせなくするということ。

 身勝手だ、と思う。人はどこまでも身勝手だ。

 もちろん、人間だってそれを意図的に行っているわけではないことも知っている。そもそもこの『群による空想の具現化』という力に意図的に操作する性能など無い。ただなんとなく、大多数が怖いと思ったものが怖く具現化する。そういった極めて曖昧な力でしかないのだから。

 でも、これは人間側の都合。産み出された彼ら人外側の方はといえば、

「・・・まあ、恨むだろうなあ」

『?』

 お前らは人間様に疎まれ嫌われる為だけに存在してるんだよ、なんて言われてはいそうですかわかりましたなんてドM野郎は人外勢にだってそうそういないだろう。普通なら恨む、呪う、キレるの三点セットでスムーズに戦争に突入だ。第三次世界大戦は人VS人外で映画化も決定すること間違いなし。

 だがまあどういうわけか、未だにそういうことにはなっていない。時折とんでもない規模で人を襲ったりすることもあるが、戦争と呼ぶには程遠いレベルのものだ。

 どうやら、人外勢もある程度の妥協はしているらしく、『産まれちまったもんはしょうがないから、こっちはこっちで好きなように暮らす。人間共はもう俺らに関わるな』というスタンスが大半を占めているようで、わりと表向きは平和なものだ。それでも、特に魔族と呼ばれる分類種はやはり人間を強く憎んでいる。機会を窺って大量虐殺による復讐を狙う一派もいるようだ。

 それに、問題はまだ他にある。

  人外勢力は、人の脳内にある存在像をそのまま具現して現れる。つまり、悪魔なら屈強な黒いボディーの角生えた恐ろしい形相。天使なら羽の生えた頭に輪っかのある優しい表情、といった具合だ。

 …ほとんど全ての人外勢が、外見だけを構築されて放り出される。

 恐れる為、あるいは敬われる為に産まれた彼ら彼女らの、その未来さきは?

 たとえば、住み着いた家に幸福を与える可愛らしい少女の姿をした座敷童子は、外見と設定だけを盛り込まれた、住む家も無い幼い女の子は、勝手に産み出されたあと、どうやって生きていけばいい?

 そう。人の想像したものには、それに伴う未来までは用意されていない。悪魔が住む為の魔界があるわけでもない、天使の帰るべき天界があるわけでもない。皆等しく人の世で生きていかねばならない。

 行くアテも無く、帰る場所も無い。生きてきた痕跡も残せず、生きていくこと自体も難しい。人という種族がのさばる領域で、日陰に隠れて細々と目的を探しながら生きていく。

 それは、どれだけ辛いことなのだろうか。脈々と歴史を紡ぎながら生きる力と意義と目的を培ってきた人間には、おそらく想像もできない。

 想像によって生み出した癖に、それらが抱える想いまでは想像できない。しようともしない。本当に、彼らには俺達を恨み呪い憎悪する権利があると思う。

「なんとか出来ないもんかねえ。人と人以外が仲良くする方法 」

『ゆーくんは出来てるじゃない。さっちんと親子みたいに仲良くしてるでしょ?』

「そうなんだけどさ、もっと大々的に。国と国が和平して手を取り合うみたいにな、受け入れられないものかと」

 無理難題なことは分かっている。嫌い蔑むことを目的に生み出した存在と仲良くなれ、なんて。ハードルが高いにも程がある。

 なんて考えを巡らせている合間にも、俺は夜道で硬貨を拾ったり風に飛ばされて来た紙幣が顔面に貼り付いたりしていた。

「…幸」

『相変わらずさっちんの力はすごいねぇー。それで全力の二割くらいなんだっけ?』

 本来、座敷童子の能力は“幸福にする力”なのだが、幸にその本来の力は出せない。

 というのも、幸は純粋な概念種じゃないからだ。最初こそ子供の姿をした幽霊として語り継がれていた座敷童子だが、年月が進むにつれて人々の噂は霊から違う方向へと拡大していった。


 『古い家にはさ、その家の住人を幸せにしてくれる妖精さんが住んでるんだってー』

 『あれ?それって妖怪じゃなかったっけ? 人に憑いて福をくれる妖怪』

 『座敷童子のこと?あれって裕福な家に生まれた女の子の幽霊でしょ?』


 そうして、またしても人の都合で人外達はその本質をねじ曲げられていく。まあそれもここ十数年の間でだいぶ落ち着いたらしいが。

 現在の座敷童子の性質は、元の概念種に加えて妖精種、妖怪種を取り入れた混合三種トリプルミックスとなっている。

 三種族の性質がある。故に使える『異能』もそれだけ多いが、能力はそれぞれ均等化され効力及び効果は本来のそれからかなり低いものになってしまっている。幸の概念種としての“幸福にする”力もランクダウンして、今は“幸運にする”程度に落ち着いている。もし幸が座敷童子がいねんしゅ本来の能力を最大限使えていたら、俺は歩いているだけで人生に必要なものを全て揃えていたらしい。それだけ遥か昔から語られてきた古参の人外の力は強大なのだと、日和さんは言っていた。

 幸と契約関係にある俺は常時その“幸運”が掛かった状態なのだが、さっきのように幸の強い意思によって与えられる力は一時的に普段より効力を増大させる。不安になったり心配したりしてくれる時、あの子はいつもそうやって俺に力をくれる。やり過ぎるとあの子に重い負担がかかるから、あまり多用や連発は避けるように言っているが。

『ゆーくん悩んでるね』

「…ん?」

『さっちんのことでしょ』

「まあ…あの子も含め、色々な」

  俺一人でどうにかできる問題でもないんだろうが。

『大丈夫だよ』

「何がだよ、楽天家」

『ゆーくんならさ、きっとどうにかできるって。なんでもさっ』

 夜の空を、生きた霊が飛び回る。何も考えずはしゃぐ子供のように。

 やがて、すとんと地面に降りた玲奈は、朗らかに笑って片手を上げた。

『んじゃ、私のお家はこっちだから!ゆーくんも頑張ってねー』

「ん、おお」

 いつの間にか、玲奈の家へ向かう側と、学校へ向かう側へと別れたT字路に差し掛かっていた。

「明日はちゃんと学校来いよ、生身でな」

『朝起きれたらねー』

 結局適当なことばかり言って、玲奈は浮いたまま夜の道を飛んで行った。家はもうすぐそこだから、何かトラブルが起こることもないだろう。

「…俺も行くか」

 さっさと終わらせて、家に帰ろう。幸と日和さんも待ってるし。




      ーーーーー

 もう校門は閉まっていたが、よじ登って乗り越えた。

(あーあ…寮長にバレたら怒られるだろうな)

 男子寮の方ならまだ見逃してもらえそうだが、女子寮の方に見つかったら絶対怒られる。

 そろそろと足音を立てないように歩き、秀翠のいる男子寮へ向かう。時刻は八時半、すっかり日も落ちて夜の闇に包まれた敷地内に、四角い光がいくつも見える。寮部屋の窓から漏れた明かりだ。

(さて、来るなら来い)

 作戦は単純に待ち伏せ。秀翠を狙ってやってくる人外を見つけてこらしめる。普通の人間には知覚出来ない存在でも、俺なら“干渉”を通して五感全てで捉えられる。

(しかし面倒臭いな…これ百円じゃあ割りに合わないぞ)

 今度あいつには何か奢らせよう。

 大体、ここまで来て気付いたが、来るの早すぎた。秀翠が悩んでいる怪奇現象とやらは寝ている間に起きているらしい、ってことは深夜だ。あいつ寝るの遅いから。

(やっちまった…どうしよ、とりあえず帰るか?)

 今から深夜まで待機するのはさすがに辛い。一旦引き返そう、そう思って学生寮を背に歩き出そうとした瞬間、ポケットからの振動に気がついた。ケータイのバイブだ。取り出して画面を見ると、どうやら電話だったらしく、画面の中央には電話を掛けてきた相手の名前が表示されていた。

(日和さん?)

 電話は、俺の親代わりの女性からだった。ひとまず出てみる。

「はい、どうしました?」

『死霊がそっちに向かってるよ』

「は?」

『気をつけなせぇ、んじゃ』

 プツン、と一方的に通話が切られる。

「…いやいやいや」

 かけ直す。

『どうした?』

「こっちのセリフですよ!言うだけ言って、勝手に切るのやめてもらえます!?」

 せめてもっと詳しく!

「どういうことですか、死霊って。なんで学校ここに?目的はなんですか?」

『わからないよ、でも学校に一直線に向かってる。こんな明確に分かりやすく動く死霊なんて普通はいないはずだけどね』

 死霊、文字通り死んだ霊。生霊と対になる存在。言うまでもなく概念種だ。

「何しに来ると思います?」

『狙いかい?死霊は生きた人間を強く憎む性質があるからねぇ。そこにいる学生達か、あるいは「異能」持ちの君に誘われたか』

「このタイミングでですか?そんな馬鹿な。大体、そんなこと言ったら日和さんだって狙われるじゃないですか」

 なんで俺だけ。

 そんな俺の疑問を予想していたのか、日和さんは即座に答えを返した。

『君には幸の、混合三種トリプルミックスの霊力が備わっているからね。そっちに惹かれた可能性もある。死霊は生きた人間の生命力と同じくらい、人外の力を好物にしているから。両方持った君なんて最高の食料だろ。ステーキにポテトとハンバーグが付いて値段が一緒なら、どう考えたってそっちを選ぶ』

「…とりあえず、その死霊が大食らいだってことは分かりました」

 もっと少食でいいのに。

『あと数分で校門に着くね。寮生に狙いが行く前に退治しときなよ』

「それだけ明確にわかっておきながら、援護に来ようって気が無いんですねあなたは」

 とりあえず通話しながら校門へ戻る。

 日和さんの持つ『異能』の一つは、目の届かない遥か遠くのものの様子や動きを把握する力。つまりは千里眼と呼ばれる能力を独自に改良したものというか応用拡大版というか。

 端的に呼ぶなら“感知”の力。さらに日和さんは自分の能力を内側で組み換え一種のプログラムを構築している。範囲内の人外のみに限定して動きを感知し、不自然な動きに対しては対策を練る。大抵は俺が派遣される流れになるのだが。

 ケータイの向こうでは気怠げな声音が返ってくる。

『金にならんからね、動く気にならない。こっちだって人並みの生活送ってるんだ、正義のヒーローやってるだけじゃあその日の飯にもありつけない』

「そんなもんですか…」

 正論なんだろうけど、なんか釈然としない。

『ま、君がやらなくともそこの寮長がなんとかするだろうけどね』

「そっすね。でも」

  携帯電話を耳に当てたまま、戻ってきた校門の上を見上げる。

 そこには、夜の闇に溶け込むように揺らめく、不気味な影があった。

「これ———手遅れ、みたいです」

『そうか、頑張れ』

 返事の代わりに通話を切り、同時に大きく後ろへ跳んで下がる。

 直後、閉まっていた校門の鉄柵が数本バラバラに切り裂かれた。

「ちょっ、止めろ馬鹿!」

 修繕費は誰持ちになるんだこれ!?

 俺の言葉を理解していないのか、無視して影は突っ込んでくる。

  死霊は純粋な概念種、ただの物理的干渉は通じない。

 が、俺には関係ない。

「ふっ!」

 タイミングを合わせて、死霊の突進と同時に拳を突き出す。“干渉”の力を全身に浸透させ、概念種への干渉を可能とさせたパンチだ。当然、拳は影を殴り飛ばすのだが、その瞬間に俺の腕に幾筋もの裂傷が走った。

「いって!」

 腕を見る。死霊の放ったカウンターなのか、手首から肘にかけて裂けていた。幸い、皮膚が少し切れた程度のようなので、見た目の割りに傷は浅い。

「ふう。運が良かった、かな」

 本来であれば、あのカウンターは腕を切り落とすつもりで放たれたものなのだろう。『運良く』直撃させたパンチのおかげで『運良く』その軌道が逸れ、結果としてこの程度の傷で済んだ。

  一連の行動全てに“幸運”が絡んでいる。幸の力はこういう場面でも効力を発揮させる。まったくあの子には頭が上がらない。

(とはいえ、やっぱり死霊を殴って退治するのは骨が折れるな)

 実体を持たない死霊にも、受けたダメージの蓄積はある。それが死霊としての存在を維持できないほどまでいくと、連中は消える。死ぬって表現が合っているのかどうかは微妙なところだが、傷を受けて意識を失う点では人間と同じだ。

(武器もないし、結局素手しかないわけだ)

 ダメージさえ与えられれば、打撃だろうが斬撃だろうが関係ない。単純に武器で攻撃できればそっちの方がいいに決まってるけども。

 それでもしかし、概念種の速度は人間種とは違う。重さの無い上に移動手段は浮遊で行う。さらに死霊には専用の攻撃手段もある。さっきからやっているあれがそうだ。

 普通に考えて、真っ向からケンカして勝てる相手じゃない。たとえ触れられたとしてもだ。

 だから使う。二つ目の『異能』を。

「三倍で行けるか…!」

 武術の心得なんて皆無だが、とりあえず俺なりに動きやすい様に中腰で構える。

 先の一撃から復帰した死霊が、再び正面から飛んで来る。

(いくらなんでも同じ手は通用しないだろ、次やったら確実に腕を落とされる!)

 黒い影のような原型のわからないそれが接近してくると、耳元で風切り音が聞こえた。慌てて大回りに死霊の横をかい潜って移動する。振り返って見てみると、さっきまでいた場所の地面に獣の爪痕のような傷が刻まれていた。

(危ねえ!二倍だったらやられてた!)

 移動速度の面から見て、あの攻撃を確認してから回避するのは普段の俺の身体能力では不可能だった。元の地力を三倍ぐらいにして、ようやく音を聞いてから避けられるレベルの速さということだろう。

 “倍加”。俺の持つ二つ目の『異能』。能力はそのまま、指定したものを倍にする力。それを使って、今は身体能力を三倍に引き上げている。

(それにしても不可視の攻撃ってのは厄介だな。…“干渉”を眼球に集中!)

 力を意識的に特定の部位に回す、日和さんから教えてもらった技術だ。基本的に俺の五感には常時“干渉”の能力が循環している為普段から見えないものが見えていたりするのだが、それにも強弱というものがある。強すぎる力は無意識に使用している“干渉”だけでは見えない。そういう場合は、強く意識を傾けることによって捉えられる。

(……見えたっ!)

 突進してくる黒い影が人間の形にはっきり見え、その振りかぶっている腕の先にある空間が揺らいでいた。高熱で歪んだ大気のような、奇妙な空気のブレ。

(もっと集中すればはっきりわかるんだろうが、ひとまずはこれで充分!)

 腕の振りに合わせて放たれる歪んだ空間を避け、相手の顔面にあたる部分に右拳を叩き込む。

手応えはあったが、死霊は後方に下がり中空へと逃げた。

(ちっ、飛べるってのはズルいな、脚力四倍!)

 ダン!!と地面を踏み抜いて常人ではありえない高さまで跳躍する。

(腕力も足りない!五倍!!)

 空を舞う死霊目掛けて膝蹴りをめり込ませ、怯んだ隙を見て握り締めた拳を上から下へ垂直に振り下ろす。

 死霊とはいえ、触れられる以上は急所も生前の人間種と同じ。後頭部に殴り付けた感触は、既に死んだ人間の頭蓋骨を確かに砕いた。

 地面に力なく落下した死霊は、怨念でドス黒く変色した顔に憎しみを込めたまま現れた時と同じように闇夜に溶けるように消えていった。ただし、今度はもう現出することはできない。死んだ魂は、(存在するのであれば)天国やら地獄やらへと向かうんだろう。

「…っ」

 膝蹴りの瞬間にも死霊の攻撃が掠り、浅い裂傷が膝にも刻まれてズボンも裂けていた。着地と同時に鋭い痛みに意識が向いて、危うく足を挫きそうになったところを、どうにか踏ん張って堪える。

「…ふう。相変わらず、一筋縄にはいかないな」

 日和さんならもっとうまいことやるんだろうが、あの人と俺とでは圧倒的に経験値が違うような気がするし、仕方のないことだと諦めるしかない。

 ひとまずは退治の旨を日和さんに報告しよう。そう思いケータイをポケットから取り出したところで、背後からの足音に気づいた俺は片手にケータイを握ったまま振り返る。

「やあ、こんばんは」

「ああ、蓮夜さん。ども」

 無地の白Tシャツの上から学校指定の紺色ジャージを上下揃って着た、学生じゃない人がいた。

「またそんなん着てんですか。ってか毎日着てないですかそれ?」

「昨日のとは違うやつだよ。寮長やってるとね、卒業生がもう使わないからって置いて行くんだ。ジャージとか私物の雑貨とか。もったいないから僕が使わせてもらってるんだけどね」

 確かに、左胸のあたりに刺繍してある名前は『佐藤』とか書かれてる。昨日見た時は『中田』だったから本当に何着もあるジャージを使い回しているらしい。

 浅黒い肌と、見てると深淵に叩き込まれそうになる真っ黒な瞳が印象的な、温和な表情が常のこの人は蓮夜れんやさん。この高校の男子寮で寮長をしている。歳はわからないが、青年っぽく見えても実際のところかなり年上なのは知っている。俺より三周りくらいは余裕で上だろう。

「いやあ、ごめんね夕陽君。本当なら僕がやらなくちゃいけないことだったのに。君には申し訳ないことをした」

 俺の手足の傷を見て、蓮夜さんは苦笑混じりに歩き寄って来る。

「いやまあ、別にいいですよ。ってか急ごうと思えば死霊の出現と同時に来れたでしょ蓮夜さん。わざと俺にやらせたのでは?」

「そんなことはないんだけどね…それにしても、『異能』持ちとはいえただの人間が死霊と真っ向から闘って退治するなんてすごいねえ」

 俺の目の前まで来た連夜さんは、袖を捲くって傷を受けた俺の右腕を取った。

「幸の“幸運”のおかげってのもでかいんで、俺だけの力ではないですよ。それに、そんなこと言ってたら日和さんは人の皮を被った化け物になりますよ」

「はは、違いない。…うん、傷は浅いね。でも範囲が広いから俺じゃ止血程度しかできそうにない。ちゃんと治さないといけないから、ちょっと閃奈せんなに会いに行こうか」

 蓮夜さんが手の平でさすると俺の右腕から滴っていた血が止まったが、痛みまでは消えていない。完全なる“治癒”は蓮夜さんという存在の性質上では無理なのだ。

 だが、俺は蓮夜さんの言葉に顔を引きつらせた。

「い、いや大丈夫ですよ。こんなの軽傷ですし、別に治してもらうまでもないっていうか、自然治癒力を三倍か四倍くらいに設定しておけば明日にはそこそこ治るんで…」

「その前に黴菌とか入ったら大変だよ。いいから来なって」

「めっ、免疫力も“倍加”できるんで大丈夫ですって!」

「…君、閃奈に怒られるのが嫌だから渋ってるね?」

 図星を突かれて言葉に詰まると、蓮夜さんは短く息をついて、

「しょうがないよ、こんな時間に校門よじ登って入ってきた君が悪いんだから。おとなしく怒られて反省文書きなよ」

「嫌ですよ!力仕事とかの雑用なら全然いいのに、あの人相手にとって一番苦痛な罰を与えるんですもん!」

 文才が皆無な俺に『同じような内容の繰り返しと一度使った単語の使用禁止』とかいうルールで反省文を書かせるあたりが鬼だ。しかもご丁寧に自作の反省文(一ミリ四方で一万文字書き込める藁半紙)まで作って手渡してくるあたりが鬼畜だ。

「それにっ、今回はマジでちゃんとした用件なんですよ!だから勘弁してください!」

 頭を下げてお願いすると、蓮夜さんは苦笑したまま肩を竦めた。

「うーん・・・まあ、僕からも閃奈に言ってあげるから、とりあえず治療はしようね?それに、そのちゃんとした用件ってのも聞いておきたいし」

「むう・・・・・・」

 どうやらもう逃げられないらしい。諦めて、蓮夜さんに連れられるままに俺は女子寮の寮長室へと向かった。




     -----

 男子寮よりも清潔感のある女子寮の一階、一番端にある寮長室のドアを蓮夜さんはノックする。

「閃奈、いるかい?」

「———ええ、入っていいわよ」

「いちゃったかー…」

 ここまで来て未だに諦め切れていない俺の様子を見て、蓮夜さんに背中をポンと叩かれる。促されるままにドアを開けて中へと入る。

「こんばんわ、閃奈さん。えー、本日はお日柄も大変よろしく…」

「夜なんだけど。あとコレ、はい」

 椅子に腰掛けて何か書類作業をしていたらしき、ジーパンを履きシャツの上からエプロンを着用した女性に、いきなり一枚の紙を手渡される。

「ぶっ!!」

 それは一ミリ四方の一万文字書ける閃奈さんお手製の反省文用紙だった。

「空欄なくびっしりと反省の文字で埋めてくるように。期限は明日の昼まで。んじゃ気をつけて帰りなさい」

「せめて弁明する時間をくれませんかね!?」

 いくらなんでも素っ気無さ過ぎる!完全に対話を放棄されてんだけど!?

「閃奈、話だけでも聞いてあげてよ。一応、今回はちゃんとした理由があるみたいだから」

 やや後方で見ていた連夜さんがそうフォローに回ってくれる。

「何よ、理由って。とりあえず聞くだけ聞いてあげるから、そこに座んなさい。今お茶入れるから」

 翠玉エメラルド色の瞳で俺を一瞥した閃奈さんは、テーブルに隣接して置いてあるいくつかの椅子の一つを目で指して言いながら、立ち上がって茶器を取りに行く。

「相変わらず、優しいんだか厳しいんだかわからない人だな…」

「優しいよ、閃奈は。大体、夜に外を出歩くのが危ないから、君を叱ったり同じことしたりしないように戒めの意味で反省文を書かせてたりするんだから」

 その辺りは、蓮夜さんに言われるまでもなく理解はしている。寮長として生徒のことを思いやってくれているのか単純に人柄としての心配なのかは曖昧なところだが、おそらく両方なんだろう。

 閃奈せんなさんは、蓮夜さんとは対照的に病的に白い肌、見る者の心を奪うかのような綺麗な翠玉の色をした瞳が特徴的な女性だった。色素の薄い髪はそのまま背中の中ほどの辺りまで垂らされている。

 蓮夜さんが中性的な顔立ちをしているせいもあるが、二人はよく似ている。双子だから当然といえば当然なのだが。

 蓮夜さんと閃奈さん。この双子がそれぞれ男子寮と女子寮の管理維持を請け負っている。共に生徒からの信頼は篤く、美男美女の双子ということで人気も高い。この二人、どう考えても外見が二十代前半くらいにしか見えないんだが、そこらへんはやはり人間との成長速度の違いなのだろうか…。

「ん…?夕陽、アンタ怪我してるじゃないの。見せなさい」

 お茶で満たされた湯呑みを三つお盆に乗せて持ってきた閃奈さんがそれをテーブルに置くと、俺の腕に気づいて駆け寄ってくる。

「あーあー、もう…何やったらこんな傷になるのよ。ほら腕出して」

「死霊とやり合った時に、ちょっと」

 言われるがままに右腕を上げると、閃奈さんはさっき蓮夜さんがやったように手の平で怪我の表面を撫でる。ただし、蓮夜さんとは違い閃奈さんの手からは淡い光が放たれていた。熱はないはずなのに、その光は温かく、お湯に腕を突っ込んでいるような感覚だった。

 数秒そうして、最後にぺちんっと腕をはたいた。痛みはなく、腕の裂傷は跡形もなく消えていた。

「はい完治っと。死霊?それなら蓮夜に任せたはずなんだけど…で?蓮夜、アンタは何やってたわけ?」

 ぎろりと、綺麗な瞳が細められて蓮夜さんを睨み上げる。

「いやー、鍋作ってたんだけど、そのせいでちょっと現場に駆けつけるのが遅れてしまって…」

「そんな理由だったんですかい」

「アンタも反省文ね。あと夕陽、膝も怪我してるじゃない。みせて」

「あ、すいません」

 手足の怪我を完全に治してもらい、その傷があった部分をさすりながら俺は感心していた。

「しかし凄いっすね、その“治癒”の力。さすがは妖精さん」

「そして悪魔のような仕打ち…」

 反省文を書かせられることになったことが不服なのか、蓮夜さんがぼそっと呟くと閃奈さんは椅子に座り直しながらたいして気にもしてなさそうな表情で、

「悪魔って言ったらアンタの方が力は強いじゃないの。だから死霊迎撃を頼んだのに」

 そう言い返した。

 ———悪魔と妖精の子供、なんて馬鹿げた話かと思うだろうが、目の前で呑気にお茶なんかすすっているこの二人がまさにそれなのだ。

 妖魔の双子。聖と魔の混合二種タブルミックス。普通ならばありえないことだ。

 人の想像によって創造された者達が、それぞれ独自の関係や交配を経てまったくオリジナルの存在を産み出すことはそれほどおかしなことではない。ただ、妖精と悪魔が子を成すまでに深い関係となったということが異例だ。

 妖精種、精霊種、幻獣種、天神種…など。これらの『主に人に知恵や恩恵を与える種族』、または人に害を与える例が少ない種族達を『聖族』と呼称し、逆に人間種に悪意や敵意を多く持つ魔性種、魔獣種、魔神種などを『魔族』という括りで分類している。妖怪種は善悪がはっきり分かれている者が多すぎて、概念種は発生のケースが特殊なものが多すぎるという点でどちらもはっきりとした区別はされていない。

 基本的に『聖族』と『魔族』は生まれの経緯からしてお互いを嫌悪するように本能が働いている。だから聖と魔による異種交配は通常であればありえない。と俺は日和さんから聞いていたのだが、どういうわけかそのありえないことは実際に起きている。

 父親が純粋な悪魔で、現在その行方は不明。純粋な妖精の母親はその消息を追ってよく留守にしている。ていうか母親の妖精に関してはうちの高校の校長だ。そういう関係上、この双子さんは学生寮で働いているということだ。

 純粋な妖魔の血を継いだ二人だが、偏りは出たらしく連夜さんは悪魔の血が濃く、閃奈さんは妖精の血が強く遺伝したらしい。二人の外見がそれをわかりやすく物語っている。

「いや悪魔分が濃くても、せいぜい体が頑丈だとか、魔術に強いとかその程度だよ。閃奈の方がよっぽど強いじゃないか」

「“治癒”だけが取り柄のあたしに何言ってんの?」

「こっちのセリフだよ何言ってんの君は!?精霊の力を借りた君に誰が勝てるのさ!」

 悪魔は階位によってそれぞれ別個に『異能』を有しているが、妖精種は総じて“治癒”の力が備わっている。これも妖精種の階位で大小強弱があるのだが、どうやらこの二人の両親はどちらも高位の存在だったらしく、妖精種の“治癒”のレベルも高い。蓮夜さんは悪魔分が強すぎて止血する程度がやっとらしいのだが。

 さらに、妖精種は同系統に属する精霊や幻獣などといった神聖なる存在と意思疎通することができたり、その力の一端を借りることもできる。閃奈さんは大気中に存在する低位の精霊達をかき集めて五大元素を自由に使えるとかなんとか。

「それで?夕陽、用件ってのはなんだったの?」

「逸らした!今話を逸らしたよねっ、露骨に!」

「ああ…秀翠がなんか呪われてるから助けてほしいとかなんとか言ってまして…」

「無視!?」

 テーブルをばんばんと叩く子供みたいな蓮夜さんを放って、二人で本題に入る。

「呪い?変ねえ。そんな負の塊みたいなの、半分以上が『聖族』の妖精あたしが分からないわけないんだけれど。蓮夜?」

「そんなものが寮に来てたら僕がとっくに祓ってますよーだ…」

 蓮夜さんはふてくされて湯呑みに口を付けていた。いい年こいてなに拗ねてんだこの人。

「それ日和さんにも言ったんですけど、もしかしたら悪戯好きな低位の妖精種の仕業なんじゃないかって」

 それを聞いて、閃奈さんはぽんと手を打った。

「ああ、ピクシーね。そういえばいたわよ。女子寮に入ってなんかしようとしていたから、注意して追い払ったんだけど。もしかして男子寮に行ったのかしら」

「…………」

「こっちを見なさい蓮夜。アンタ、そのピクシーに心当たりあるでしょ」

「……ふっ。さすが我が半身。言葉など不要ということかな」

 あんたが全力で目を逸らしていたからだと思うんだけど。

「そのピクシー、どうしたんですか?」

「いや…見回りをしていたときに廊下で見たんだけど、その…」

「なによ、はっきり言いなさい。アンタも悪魔分が強いとはいえ純妖精種の力も継いでるんだから妖精との言外対話は出来るはずでしょう?」

 口ごもる蓮夜さんは、一口お茶を含んでゆっくり飲み込むと、申し訳なさそうな弱々しい口調で、

「えっと…深夜の見回りだったんだけど、その時ってちょうど丑三つ時で…なんといいますか、ほら、閃奈ならわかるでしょ?」

「…あー」

 そこまで聞いて閃奈さんは理解したのか、曖昧な返事をする。

「どういうことですか?」

「『魔族』の悲しい所ね…。深夜っていうのは人の恐怖を増長させる象徴そのものよ。真っ暗な上に人自体も極端に減るからね。夕陽だって真夜中に外出してたら何もなくても薄ら寒くなったり誰かに見られてるような気分になったりするでしょ?」

「ああ、はい」

 もっとも、俺の場合は“干渉”の力があるからそういう『見えない存在に対する恐怖』っていうのが人より薄いんだけど。

「悪魔もそういう負から生まれた存在だから、そういった時間帯には蓮夜の『魔族』としての濃い部分が反応するのよ」

「力が強くなるってことですか」

「近いんだけど、なんていうのかな…割合が変わるっていうのかな。いつもは3:7くらいの妖魔としての存在が、その時は2:8になる感じ。それで、悪魔分の強くなった僕を見て、ピクシーは食われるんじゃないかと思ったんだろうね。それで」

 一目散に逃げたと。

「そんな風に時間帯で変わったりするんですね、悪魔は」

「悪魔に限った話じゃないけどね。逆にあたしは夜より明るい時間帯の方が力の具合は好調よ。花畑とか森林とかなら絶好調。環境によってもそれぞれの属性関係で力が増減したりするからね。『魔族』の場合は心霊スポットとかかしら?」

「お化け屋敷とかもそうだね。人が大勢怖がるところは基本的に」

 そういう意味では、人間が一番安定しているのかな。存在も設定も勝手に盛り込んでおきながら、それをしてきた人間種が一切の影響を受けないってのも図々しい話だ。

 湯呑みに入った茶を飲み干した閃奈さんが、それをテーブルに置いて息をつく。

「とにかく、そのピクシーを見つけてとっちめればアンタの仕事は終わるわけね」

「はい、まあ」

 曖昧に頷く。

「なら、ちゃっちゃと見つけて帰りなさい。協力してあげるから」

「あまり遅くなると危ないしね」

 そう言って、双子の妖魔は当然のように椅子から立ち上がる。

「ども、お願いします」

 どうやら深夜まで待つ必要もなくなりそうだ。

「夕陽」

「はい?」

 使い終わった湯呑みを三つ片付けながら、閃奈さんはこっちを見ずに声だけ飛ばす。

「アンタね、あんまり『異能ちから』を多用するのはやめなさい。人間種に、その力は危険過ぎるわ。特にアンタみたいな使い方してるのは」

「…そんなに危ないことはしてないですよ?」

 スポンジで丁寧に湯呑みを洗っている閃奈さんは、そんな俺の言葉に呆れたような口調で、

二重能力所持者ダブルホルダー。人間種でそれに該当するってだけで、アンタは人外勢からエサ扱いされて狙われてもおかしくない存在なの。それに加えて幸の、概念種の恩恵をその身に宿し、極めつけに三重能力所持者トリプルホルダーの仕事を手伝って危険な環境に足を踏み入れている。たまにアンタが死ぬ為に生きてるんじゃないのかと本気で思うことがあるわ」

「日和さんだって同じようなもんですよ。よくは知らないですけど、俺に任せてくれない仕事は大抵ヤバイ内容みたいですし」

「『アレ』を、普通の人間と同列に見ちゃダメよ。どう考えても人の領分を踏み外してる」

「でも、確かに純粋な人間種ではあるんだよね。君のところのお姉さんは一体どうなってるの?」

「さあ…本当に人の皮を被った化け物なのかもしれないっすね。あと姉じゃないです」

 二つの能力を一つの身体に所有している俺と同じで、日和さんも三つの力を持っている。それ以外にも、俺が知っている限りでは特殊な力が籠められた武器、術符…『異能』とは別の系統からきてるらしき妙な力を使ってるのも見たことがある。

「それに、日和はアンタとは違ってそれを本職にしてる人間よ。アンタの本職は何?学生じゃないの?今回みたいなこと繰り返してると、安穏たる学生生活は送れないわよ?」

「君達生徒に害が加わらないように僕達が人外絡みの問題を解決してるんだからね。少なくとも、君達の近辺で起こる問題は僕と閃奈、あとは日和さんとかに任せておけばいいんだよ。まあ、彼女は依頼を受けないと基本動かないけど」

 誇らしげに胸を叩いてアピールする蓮夜さんだったが、あなたそう言うわりにさっき死霊が来てたとき鍋を作ってて遅れましたよね。って言いたかったけど黙っておいた。今回はああだったけど、確かにこの二人は人知れず数々の事件を処理してきた実績があることを知ってるし、その為に様々な苦労や努力をしていることもわかってる。

「それにね、アンタの力は根本的に危ういのよ。その“倍加”の力は」

 洗い終わった湯呑みを元の位置に戻し、エプロンを脱ぎながらさらに閃奈さんは続ける。

「腕力や脚力なんかを倍加させれば、それだけの負荷がその身体に掛かる。もちろんアンタはそのとき同時に体の耐久力も倍加させてるはずだけど、それでも常人以上に引き上げられた身体能力の反動は打ち消しきれない。筋繊維が切れて次の日には筋肉痛よ。アンタの傷を治すとき、ついでに内側も治しておいたから今回は大丈夫だろうけど」

「あ、そうだったんすか。あざっす」

 どうりでいつもより体が軽いと思った。普段使うときは体が軋む嫌な感覚に苛まれてるからな。

「筋肉痛程度で済むならまだいいけど、あまり倍加の段階を上げ過ぎるとそれどころじゃ済まなくなるわよ。反動で骨折とかシャレにならないでしょ」

「……」

 実際に力を上げ過ぎて筋肉が断裂したり骨が折れたりした経験があるから、その言葉には適当な返事はできなかった。

「ま、いいわ。行きましょ。妖精種の気配なら追うのは簡単よ」

 色素の薄い髪をかき上げて、閃奈さんがドアを開けて出て行く。

「あまり遅くならない内に済ませたいね。また悪魔の力が湧き上がると困るし」

「別に来なくてもいいわよアンタは。『魔族』の気配は邪魔にしかならない」

「ちょいちょい酷いな君は!」

 廊下から聞こえる声を追いかけて蓮夜さんも続く。

「なんだかなぁ…」

 悪魔と妖精のハーフたる双子は、その存在の脅威とは裏腹に、拍子抜けするほど人間として生きている。

(あんな風になれたらいいんだけどなー、他の種族も)

 無理難題なのはわかっているが、それでもあの二人を見ているとそう思わずにはいられなかった。


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