彼の力は全ての為に

ソルト

第1話 異質を宿す者

 異質。書いて字の如く、異なる質。

 世界には大体そういうものがある。常識の範疇を超えてたり、枠から飛び出たようなモノ。あるいはそういう現象。

 幽霊とか、悪魔とか、超能力とか、呪いとか。とにかくそういうあやふやなもの、薄ぼんやりとしかわからない、おかしなもの。

 異なる性質、能力を俗に『異能』。それらを備えた人を『異能力者』と呼ぶ。

 それらは、普段社会に紛れて隠れて暮らしている。異質な力は大多数の一般人からしたら化け物の印象を強く与えるから、思考することができる異能力者は自覚して自重する。たまに自我のない現象や生物がはしゃいだりするけど。

 そして、俺もそういったジャンルの一人。見た目は人間。中身も人間。でもちょっとだけ人と違う。


「なあなあ!頼むって!絶対俺呪われてるんだって!助けてくれよ!」


  歳は十七、高校生。夏真っ盛りにつき猛暑、今は昼休みで、ここは教室で。


「メシ食ってる場合じゃねえって!友達が呪われてんだぞ!?呑気にしてる場合か!」


 ゆっくりゆったり、昼食の弁当を咀嚼していたのだが、友達はそんな俺を急かして揺さぶる。やめろよ卵焼きが落ちるだろ。

 仕方なしに、俺はおかずを飲み込んでから口を開く。

「…何、呪われてるって。なんか心当たりとかあんの?」

 友達は———結城ゆうき秀翠しゅうすいは俺が反応を示したことで慌てた様子から少し落ち着き、神妙な顔つきで言った。

「朝起きてから首が痛くてさ…」

「寝違えただけだろ…」

 構って損した。何が呪いだ馬鹿。

「違うって!それだけじゃないんだよ!」

 心外そうに秀翠は机を叩き顔を寄せる。

「近い近い、顔が近いよ!気色悪いな」

「部屋の中からも変な物音がするし!最近よく腹が痛くなるし!頭痛もするんだ!肩も凝るしあと話しかけられる、『早く死ね』だとよ!最近の呪いはえらく口がわりぃ!」

「頭痛腹痛に幻聴か、最近の風邪はえらくタチが悪いらしい。今日はもう早退して病院行ってきたらどうだ?」

 呪われてるわりに元気だし、そんなに騒ぐほど被害が出てるわけでもなさそうなんだが。

「なんだよ夕陽ゆうひこの薄情者!なんか変な現象から人々を守るのがお前の使命じゃなかったのかよ!!」

「勝手な設定盛るなよ!一言もそんなこと言った覚えはねえよ!」

 なんでこいつはこういう心霊沙汰に弱いんだろうか。それ以外なら怖いもの無しのクセに。

 結城秀翠は短く刈った髪とよく変わる表情が印象的な野球少年だ。確か女子の人気も高く、野球部でも悪くない成果を出している。笑顔が見ていて爽やかなやつで、嫌味もなく男女両方から好かれている。それと、俺の特殊な部分を少しだけ知っている数少ない友人の一人でもある。

 そんな彼の苦手なものが、勉強と心霊関連だ。どちらも深く関わると泡を吹いて倒れる。

「大体、呪いの払い方なんて俺知らねえよ、他を当たってくれ」

「冷たいヤツだなあ…」

「錯覚だよ、錯覚。たまたま頭痛や腹痛が重なって呪いだなんて思い込んでるだけだ。何も考えずに寝ちまえば、次の日には治ってるよ」

 俺の言葉を微塵も信じていない表情をしていた秀翠だったが、昼休み終了のチャイムが鳴ると渋々自分の席へと戻って行った。

「…」

 そんな秀翠の背中を一瞥して、吐息に混じるような小声で一言、


「…いい加減にしろ。あとで屋上に来い」


 そう、声を掛けた。




      ーーーーー

「お前なあ、怖がってんだからやめてやれよこの引きこもり」

『だぁってー、楽しいんだもーん』

  放課後、誰もいない屋上の端で、俺はそいつに説教を垂れていた。

 まるで反省の色を見せないそいつは、うちの学校指定のセーラー服を着た少女で、肩にかかる程度の髪を先端の付近から左右二つ結びにしていて、スカートから伸びる足が地面に着かず、ふよふよと宙を浮いていた。

 幽霊、ではなく生霊いきりょう。つまり少女は生きている。生きた状態で体から精神を“切り離して”遠方まで飛んできている。

 それがこの不登校少女、河江かわえ玲奈れなが有している『異能』だ。

『ゆーくんに憑こうとしてもすぐ剥がされちゃうしー、ゆーくんに一番近いところにいつもいるのはしゅーくんなんだもーん。しょーがないよねー♪』

「んなもん言い訳になるか馬鹿」

  幽体だか霊体だか詳しいところはわからないが、この状態の玲奈は他人の背中に乗っかることで移動することが趣味になっている。当然、生身でない以上は普通の人にこの姿は見えないし、声も聞こえない。生霊状態の玲奈に物理的に関われるのはこの学校では俺くらいのものだろう。

「お前、いつから秀翠に憑いてた?ってか学校来いよ引きこもり」

 昼休みにふと秀翠に呼ばれて顔を見た時にはもう乗っかってやがった。おそらく昼休み前の授業中にでもふらっと教室にやって来てたな。

『お昼前にちょろっと寄ってみようかなーって思ってしゅーくんに憑いたの。あと引きこもってなんかないよー!ちゃんと外出してるし今だって学校に来てるもん!』

「アホか!生身の話してんだ生霊!その体で出席日数取れんのか?とっとと学校こねえと塩撒いて成仏させるぞ!」

 実際のところ、塩を撒くまでもなく物理的に殴ったりも出来るわけだが、さすがに相手は女子。フェミニストを気取るつもりはなくても女に手を上げるような真似はしたくない。幽体せいしんのダメージは肉体にもある程度フィードバックを及ぼすらしいしな。

『まーまーそれはそれとて置いといてー』

「話の逸らせ方へったくそだなお前」

 とにかく!と強引に話を打ち切って、玲奈は不意に真面目な表情で言う。

『しゅーくん言ってたよね、お腹痛いとか頭痛いとか、幻聴がするーとか。あれ、私じゃないよ?』

「知ってる。お前にそんな干渉ができるわけないし、他人に『死ね』だなんて言うやつじゃないことくらいわかってるさ」

 秀翠に起きてる異変の原因は、玲奈以外の外的要因。それは確かだ。

 だが、それが何かがわからない。

「…仕方ない、一度帰って聞いてみるか」

『あ、ゆーくんのお姉さん?そーゆーの詳しいもんねー』

「まあ、それが本業の人だからな。あと姉じゃねえ」

 重さの存在しない体で水中を泳ぐように俺の周囲をすいすい移動する玲奈と、屋上の出入口へ歩き出しながら話す。

「お前も、いい加減その状態でうろつくのやめろよ。世の中には、魂を体から引き剥がして食べる化け物もいるらしいからな。剥き出しの幽体であるお前なんて格好のエサだぞ」

 それでなくとも『異能』の所有者は気味悪がられているんだから。中には人として認めないってヤツだっている。俺達には敵の方が断然多い。

『大丈夫だよー。危なくなったら、ゆーくんが助けてくれるでしょー?』

「危なくならないように生身で出歩けっつってんだよボケ!」

  明日は家に乗り込んで強引にでも叩き起こしてやる。

『ゆーくんもやろうよ幽体離脱これー。楽しいよ?ゆーくんも幽体になってさ、ゆーくんれーちゃんで幽霊ゆーれーコンビになろうよー』

「そのネタもう既出だからな」




ーーーーー

「お、いたいた夕陽。探したぜ」

  階下に降りて教室から学生鞄を回収し帰ろうというところで、正面玄関で首を左右にキョロキョロさせていた秀翠と出くわした。

「まだ帰ってなかったのかお前。なんか用?」

「なんかもなにも、言ったろ?俺に掛けられた呪いをどうにかしてほしいんだって」

 まだ諦めていなかったらしい。まあ、不可思議な現象に対してマトモな処置ができる心当たりがあるのなら、それに頼りたくなる気持ちも分からんでもないが。

「お前は俺を霊能力者か何かと勘違いしてるみたいだけどな、そんな便利なモンじゃねえんだぞ」

 だが、俺とて人の子。出来ることは限られる。頼られるのは嬉しいが、必ずしもその信頼には応えられないこともある。

 それでもなお秀翠は食い下がる。

「じゃあお前んとこの姉さんに頼んでくれよ!そういう仕事してんだろ!便利屋だっけ」

万屋よろずや、な。しかも不可思議おかしな現象専門の。あとあの人は姉じゃねえ」

 俺が帰る家に住んでいる、親代わりの女性の姿が頭に浮かぶ。今頃はまだ仕事中だろうか。

「それに、慈善事業ボランティアじゃないんだ、金を取るんだぞ。お前払えんの?」

「友人割引でワンコインで頼む」

 平然としたツラで俺に一枚の硬貨を手渡してきやがった。しかもワンコインって百円かよ、せめて五百円くらい出せよ甲斐性無しが。

「…まあ、頼むだけ頼んでみるよ。それでいいだろ?」

 多分絶対無理だけど。

「ああ、頼んだ」

 そう言って、秀翠は爽やかな笑顔を返した。顔立ちはいいのに、こんなビビリなんだもんなあ…。

「ところでお前、どこまでついてくんの?もう学校出るぞ」

  歩きながら話していたので、もう正面玄関から校庭を抜けてそろそろ学校の敷地から出るくらいのところまで来ていた。

 秀翠はこの学校の男子寮で生活している。学校も終わったんだし、自宅に帰る俺とは違い秀翠はここからUターンして男子寮に向かうはずだが。

「あー、今日はお前ん家に泊まらせてもらおうかと思ってさ」

「は?」

「いや、俺ってお前の家行ったことないだろ?だからちょうどいいかなって」

 一体何がちょうどいいんだ…そういう俺の思考を表情から読み取ったのか、秀翠は白い歯を見せて笑いながら、

「今日の夜もあの声が聞こえそうで怖いんだよな。部屋には俺しかいないし、逃げ場も無い助けも無いなんてとこで一人っきりで寝るなんて無理だろ?ああそうだ無理に決まってる」

「……はあ」

 俺の大きな溜め息にも、秀翠は引き下がる気配が無い。仕方無しに、俺は決心する。

「わかった、わかったよ!今夜中にその心霊現象だか呪いだかってのを突き止めて撃退してやる。だからウチには来るな」

 家に上げるわけにはいかない。そんなことになるくらいだったら、多少面倒でも元凶を見つけ出してとっちめた方がまだ楽だ。

 とりあえずはそれで納得してもらい、秀翠を男子寮に帰した。


「あー…めんどくせ」

『災難だったね、ゆーくん』

 ずっと楽しそうにニヤニヤしながら俺と秀翠のやりとりを見ていた玲奈が、やはり楽しそうに言う。

「うるせえ生霊。大体、お前の感覚で何かしら分かるんじゃないのか?」

 人にしか知覚できないものがあるように、霊にしか分からないものもある。たとえば同じ霊的な存在や現象は、生身の人間には寒気や嫌な感じ程度でしか感じ取れないが、玲奈にとっては確実に認識できるものであったりもする。

 だが玲奈は首を左右に振り、

『んーん、なんにもわからなかったよ。それに、私にわかる程度のことなら、ゆーくんにだってわかるでしょー?』

「…なら、これは心霊関係じゃねえのかな」

 幽霊でも認識できず、そして当然人間にも知覚できない何か。となれば正体は人間種、概念種以外ってことになる。こりゃ本当に呪いの類かもしれない。

「ふう。俺が考えたってどうしようもない」

 学校を出て二十分ほどして、ようやく自宅に到着する。気が重いせいかやたら長い道のりに感じた。

  住宅街の端っこ、ぽつぽつと家が建ち小さな公園や個人経営の小規模な店が見える場所に、三角屋根の立派な一軒家はある。

「ってか玲奈」

『はい?』

「帰れよ」

 ここ俺ん家なんだけど。

『いやー、どうせここまで来たんだしぃ、あいさつしてくよ、日和さんに♪』

「いるかどうかわからんぞ。まあ、別にいいけどさ」

 どうせこいつは全部知ってるんだし。

「とりゃー」

 俺が玄関の扉を開けるより先に、玲奈が扉に向けて頭から突っ込む。生霊化している玲奈に扉という物体は干渉されず、そのまま溶け込むように扉をすり抜けて消えた。

「今開けようとしてたんだから待ってろよ」

 呟きながら扉に手をかけると、どうやら鍵はかかっていなかったらしく、なんの手応えもなく開いた。すると、開けた扉の向こう側、家の中の様子が視界に入った瞬間、

 ぽふっ

「お、っと」

 腰の辺りから軽い何かがぶつかる感覚。視線を下に落としてみると、そこには長い黒髪に和服を着た女の子が抱きついていた。

「……」

 女の子は俺の腰に短い両手を回して顔を埋めたまま、無言で俺の顔を見上げる。

「ただいま、さち。何もなかったか?」

 幸の頭に手を置いて軽く撫でながら訊ねると、気持ちよさそうに目を細めたままこくんと頷いた。

 綺麗な黒髪を腰まで伸ばし、しっかりと着付けされた和服を着た、日本人形のように可愛らしい容姿をした女の子。

 名前は幸。名字はない。それどころか、名前すら俺が決めたものなのだが。

「さっちん久しぶりー。相変わらずかわいいなーもー!ぎゅーってしていい?」

「…」

 空中を飛び回る邪魔臭い生霊が幸に話しかけると、幸は無言のままふるふると首を左右に振り、俺の後ろに隠れてしまった。

「怯えてんぞ、やめてやれ幽霊。清めの塩持って来るぞ」

「ひどいなぁ…」

 たいして傷ついた風もなく、言うだけ言って玲奈は部屋の廊下をすすーっと飛んで行った。

「…」

 そんな玲奈の浮かぶ後ろ姿を、幸は俺の背中から静かに見ていた。

「…、玲奈のこと嫌いか?幸」

「…(ふるふる)」

 嘘も遠慮もなさそうな様子で、幸はまた首を左右に振った。

「お前は人見知りだもんな、まあしょうがないことではあるんだろうが。でも、仲良くしてやってくれ、あいつも大概寂しがりやだからな」

  見た目五、六歳程度の小さな女の子を両手で抱え上げ、目線を合わせる。

「それに、幸だって仲良くしたいんだろ?珍しいもんな、お前が見える人間なんて」

 正確には、今は生身の人間ではなく魂が抜け出た幽体なのだが、それは細かいことだろう。生身の人間、つまり『異能』を持たない者に幸の姿を見ることはできない。こうして抱っこすることも、会話することも、頭を撫でてやることもできない。

 幸は人間ではない。人が動物の言葉を理解できないように、動物もまた人の意思を理解できないように。

 ようするに種の違い、起源の差異。それは相互理解を妨げる障害となりえる。

「……」

  俺の言葉をどう受け取ったのかは分からないが、人でない少女は抱き上げられたまま、ただ俺の瞳をじっと見つめた。その状態のまま少しして、こくん、と。幸は大きく首を縦に振った。


「や、おかえり」

 幸を抱っこしたまま居間へ向かうと、第一声でそんな気だるげな声音に迎えられた。

  玲奈より少し長めの、肩甲骨に届くくらいの髪を、適当に後ろで束ねた女性が、椅子に腰掛け足を組んで、右手に開いた文庫本を持ち、左手で宙を漂う玲奈のこめかみを鷲掴みにしていた。

「ただいまっす。日和さん、帰ってたんですね」

 まだ仕事やってんのかと思ってたのに。

「今日はやけに早いですね?」

「んむ、私もこりゃ長引くわーとか思ってたんだけど、思いのほかあっさり事が済んだんでね」

『いたたたた!!日和さん痛い!幽霊にも痛覚はあるんですよー!』

「お前がいきなり飛びついてくるからだろう。こっちだって、場合によっちゃゴーストヘッドを顔面にお見舞いされるところだったんだぞ」

 ギリギリと幽体のくせに頭蓋骨の軋む音を響かせる玲奈の顔には、キョンシーのように一枚の御札が貼られていた。

  俺は持っている能力の性質上、人間以外の『触れられない存在』に触れられるが、日和さんはそうじゃない。あの札は、むしろその逆、触れられない相手を誰にでも触れられるようにする為の一種の術符なのだという。詳しいところは俺にもわからないが。

 人間と人外との間で起こる諍いや争い、トラブルに割り込んで手っ取り早い解決方法を模索して被害の拡大を防ぐ。それが、この日向ひなた日和ひよりさんが本業として稼いでいる仕事であり、俺が副業で手伝いをしているバイトの内容でもある。

「今回は、なんのトラブルで?あ、なんか飲みます?」

「なんてことはない。そこら辺をほっつき回ってた概念種に取り憑かれた人間とちょっとじゃれて退治してきただけ。ココアお願い」

『私ジュース!』

「飲みたきゃ肉体からだ持って出直して来い」

  物理的干渉力が皆無の幽霊がどうやってジュースを飲むつもりだ。コップにも触れないのに。

  俺はどちらかというとココアよりコーヒーなんだけど、手間が惜しいから俺もココアにする。フローリングの居間と繋がっている台所へ向かい、コップを三つ取り出す。

(日和さんは甘い方が好きだから砂糖多め、で俺は・・・どうしよ。俺も今日はちょっと甘めにしとこうかな)

 なんて考えながら、ココアパウダーと砂糖を順繰りで入れていく。

「…(じー)」

 その様子を、台所について来た幸が凝視する。

「ん、どした幸。お前も今日はココアにするか?」

「…(ふるふる)」

「じゃあ、いつも通り牛乳か」

「…(こくん)」

「了解。今入れるから待っててな」

 二人分のココアのコップに熱湯を注ぎ、スプーンで沈殿したココアパウダーと砂糖を溶かしていく。


「玲奈、幽体離脱もいい加減にしておかないと大変なことになるぞ」

『へ?なんですか?』

「お前が幽体せいしんだけで出歩いている間、その肉体はずっと自室のベッドで寝ているわけだ」

『臭くないですよ!ちゃんと夜はお風呂入ってますもんー!』

「違うそこじゃない。いいかよく聞きなさい玲奈。魂だけはウキウキランランと外出してるが、放置された肉体は確実にその間体を怠けさせていることになる。運動不足もいいところだ。つまり」

『つ、つまり?』

「———太るぞ」

『ひぅっ…!?』

「いや、もう手遅れかもしれないね。そんな方法を使って引き込もっていれば、嫌でも脂肪はついてくる。玲奈、最近体重は計ったか?」

『い、いや…』

「昨日の夜は何を食べた?肉か?脂肪の塊を取り込んだのか?」

『いや、嫌ぁ』

「ここ最近運動は?まあしてないだろう。ということは体内に蓄えられたカロリーは消費されることもなく、そのまま君の血肉となったわけだ。健康的なことだな。いやなに心配はいらない、この昨今ではポッチャリ系女子というものにも需要が発生してきたらしいぞ?良かったじゃないか」

『いっ、嫌ぁぁああああーー!!ふ、太ってなんかないもん!ポッチャリじゃないもんっ!うわぁあああああん!!』


 なにやってんだか・・・。

「そんなに太るのが嫌なら、さっさと体に戻って学校来いよ」

 ココアの入ったコップを右手に二つ、左手に幸の牛乳が入ったコップを持って居間に戻る。

「はいどうぞ日和さん」

「んむ、サンキュー」

『だって楽しいんだもん…。ねーゆーくん、私太ったかなぁ?』

「さあ?身に覚えがあるなら太ってんじゃねえの?」

 日和さんの座っている椅子の、テーブルを挟んで向かい側の椅子に腰掛けコップを置く。

「…」

 幸がとてとてと歩いてきて、そのまま俺の膝の上に乗る。相互干渉しているので、幸の軽い体重もそのまま感じ取れる。

「あつっ!夕陽、この暑い日に熱々のココアなんて勘弁してくれよ。氷ちょうだい氷」

「ご自分でどうぞ」

 ちなみに俺のはもう氷を入れて冷やしてある。

『あー!ずるいずるい!私も飲みたかったのーにー!』

「だからお前は飲めないだろ」

『さっちんはー!?』

「…」

 牛乳をちびちびと飲んでいる幸はコップを手で持っている。幸と今の玲奈は性質上同じ存在だから、普通であれば物体に触れないし飲食も不可能なはずではある。

 だが、幸と玲奈では、同じ存在でも状態が違う。

  幽霊、怨霊、悪霊、生霊。それに肉体を持たない思念体や実体の無い存在。それらを纏めて概念種がいねんしゅと呼ぶ。

 概念種は極めて広義な括りで、玲奈のように人間種から派生して一時的に成るものもあるし、無念や怨念の残る死人から発生する場合もある。それ以外にも人外の意識のみの存在もいるが、それらは極めて稀だ。俺も見たことがない。

「飲みたきゃ夕陽に取り憑くんだな」

『だってゆーくんすぐ引き剥がすし…』

  息を吹きかけてココアを冷ましている日和さんに、拗ねた表情で玲奈が言う。

  概念種には総じて“憑依”という『異能』が備わっている。それは、“取り憑いた対象に力を貸し与える”というものだ。種族間による契約関係のようなもので、概念種に見込まれた人間は人の領域を外れた能力を手に出来る。

 …ただし、あくまで力は貸し与えるのみ。純粋な概念種は基本的に悪意に染まっており、狡猾な手段で人間と契約を交わし力を与え、その後に数倍返しで寿命や供物を捧げさせる。純粋な概念種との契約はろくな結果を生まない、それで破綻した人間も数多くいる。

 そして、幸は俺に取り憑いている。その関係上、俺は幸に『供物を捧げる』形で食べさせたり飲ませたりといったことが出来る。概念種は大体空腹とかにはならないんだが、味覚があるものもいる。幸なんかがそうだ。だから、俺はことあるごとにこの子に供物を捧げている。

「おいしいか?幸」

 子猫のようにコップの牛乳を少しずつ飲む幸の頭を撫でながら、俺はふと日和さんに言うべき用件を思い出した。

「そうだ、日和さん」

「ん?」

  器用に右手のみで文庫本のページをめくりながらココアをすする日和さんに、今日のことについて話す。

「なんか、俺の友達が呪われたから助けてくれって言ってるんですけど」

「ほお。実害は?」

「頭痛と腹痛、肩凝りに部屋から鳴る異音。それと幻聴らしいです、早く死ねとか言われたそうで」

「呪いじゃないね」

 即答だった。

「呪術はもっとタチが悪い。異変に気付く前に殺されるケースがほとんどだからね。まぁ、わざと長く苦しめる呪いもあるにはあるが」

「じゃなんですかね?」

「そうだなぁ…」

 たいした興味も無さそうな様子で目線を本のページに注いだまま、日和さんは答える。

「あまり殺そうというイメージが湧かない。相手は遊び半分で人間に悪戯する…低位の妖精種じゃないかな?ピクシーあたりが妥当な線か」

「はあ、ピクシーですか」

  悪戯好きで有名な、あのピクシーか。

 妖精種は、その名の通り世で語られる小人や花の精といった、可愛らしい容姿や悪戯をする種族のこと。他種と比べると比較的人間に対し友好的で、目には見えずとも、気に入った人間のあとを付いてちょっかいを出したり、身に迫る災厄から守ってくれてたりもする。

 まあ、基本的に気分屋な部分が強い種族だから、一概にいいやつばかりとも言いがたいのだが。

「まぁ、放っておけばいいさ。命を取るほど凶悪なものではないよ」

「でも払ってくれって言われてるんですよね…」

「なら払ってやればいい」

 日和さんは完全に他人事だ。いや実際そうなんだけど。

「…こういうの、日和さんの仕事なのでは?」

「そうだね、そして君の副業でもある」

「一応、彼からワンコイン預かってるんですけど」

「話にならないでしょ。むしろ学生である君の小遣いにちょうどいいくらいだ。やったねゆーちゃん、小遣い増えるよ!」

「おいやめろ」

  結局、こうなるわけだ。

「夜、外に出てきますね。すぐ戻ると思います」

「んむ、ファイト」

『ゆーくん、私も行こっか?』

「邪魔だからいい。帰ってダイエットでもしてろ」

『結構本気で気にしてるからやめて!』

「…」

 膝の上でずっと話を聞いていた幸が、無言のまま俺を見上げる。

「大丈夫。すぐに戻るからさ。いい子にしててくれな」

「……」

 コップを置いた幸が、小さな両手で俺の左手を包み込むようにきゅっと握る。

  瞬間、幸の体から淡い光が溢れ出し、それが両手を伝って俺の体に流れ込んだ。

『おー、キレイだねー♪』

 見慣れたもので、玲奈も宙を浮いたままその様子を眺めていた。日和さんは僅かに目を輝かせて、

「…しめた。夕陽、今から君パチンコ行ってきなさい。その状態なら相当稼げる」

「あんた未成年にパチンコ行かせてなんにも思うところは無いんですか…」

 それに、この子の力をそんな風に悪用するつもりもない。

 やがて、光は皮膚に溶け込むようにして消えていく。俺の心身に浸透したのだろう。

「…」

「ああ、心配してくれたんだな。ありがとう、なるべく早めに帰るから」

 そうして、もう一度人ではない少女の頭を撫でた。

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