第5話 調査と邂逅

「で、結局アンタが動くわけね。夕陽」

「ええまあ、我が家の大黒柱様はそれを望んでいるようなので」

 昼休み。

 玲奈や秀翠を含むクラスメイトの誘いをやんわり断って、俺は女子寮の寮長室で弁当箱を広げていた。

「…あたしが止めなさい、って強く言い聞かせたって」

「止めないですね、残念ながら」

 はあ、と深く深く呆れと諦めを織り交ぜた溜息を吐いて、閃奈さんは頭を掻いた。

「無理だと思ったらすぐに手を引きなさい。怪我したらすぐにあたしの所へ来なさい。無茶をするのは絶対に止めなさい。これらを全部守るなら」

「守ります。誓います」

「アンタのそれはもう飽きたわよ…」

 結局こうなるのね、と閃奈さんはもう一度溜息をこぼす。

 こういう展開は、前にも何度かあった。閃奈さんは納得せず、俺も引き下がらず、でも結果的に妥協して俺の好きにさせてくれる。

「アンタの、その行動原理がまったく理解できないわ。人間とは産まれてずっと関わってきたからある程度は理解も深いと自負していたんだけど」

「まあ、そんなもんですよ人間ってのは。誰にでもわかるぐらい単純だったら、妖精や悪魔を想像から生み出したりはしませんし」

 弁当を食べながら話す俺のところへ、席を立った閃奈さんが麦茶を注いだコップを手渡してくれる。

「…で、日和は何か言ってたの?今回の件に関して」

「日和さんも死霊の出所を探ってみたらしいんですけど、わからなかったとのことです。隠形おんぎょうを使ってるのかもとか言ってましたが」

「ふうん、隠形ね」

 再び椅子へ腰を下ろした閃奈さんが、つまらなそうに呟く。

「身隠しの術、その一種よ。呪術的な面の強い術。死霊を扱う下衆なら使っててもおかしくはないわね」

 俺の表情から察したのか、訊ねる前に説明してくれた。それから指先でとんとんとテーブルを叩く。なにやら苛立っているようだ。

「ったく、日和のやつ。その程度の術式なら無視して見つけられる癖に」

「え、そうなんすか?」

 指先はテーブルの表面を叩いたまま、眉間に皺を寄せた閃奈さんが頷く。

「違和感や不自然を叩き出す日和の“感知”に対して、隠形はその不自然を上塗りで固めてるの」

 テーブルの端に置かれていたメモ用紙を一枚破り取り、その紙面の上に結露した麦茶のコップの表面からなぞり取った水滴を一つ落とす。

「白い絵の具で塗られた一面にぽつんと黒い一点があって、さらにそれを白の絵の具で塗り潰したらそこだけ明らかに上塗りの跡が残るでしょ」

 水滴が落ちた部分を指先で軽くこする。紙面に落ちた水分はいくらか拭われたが、それでも水を吸った紙の部分は少しふやけている。

 ふやけた一部分をまた指先で叩き、

「これを、日和なら再感知できる。にも関わらずやらない。…アンタにやらせるつもりよ」

「相変わらずお使い感覚なんだなあ…」

 目的地の場所は教えないけど、ご近所さんに聞いて回ればわかるから頑張って、的な。

「ちなみに、閃奈さんはできないんですか?そういうの」

「“感知”は日和の『異能』よ。そして、熟練され尽くした日向日和の『異能』は全て人外勢の特性を凌駕しかねない性能と化している。つまり」

「“感知”に特化した日和さんに、その方面では敵わないと?」

「あいつがちょくちょく人間かどうか疑われる所以の一つがそれなのよ」

 人外にできないことを平然とやってのける日和さん。流石だ。痺れはしないが憧れはするね。本当に人間卒業してるんじゃないか?

「それにね、妖精や悪魔に探し物の在処を見つける能力はないの」

 だから仕方無いとでも言いたげな閃奈さんに、ふと思ったことを口に出してみる。

「でも妖精さんって、お話の中じゃ大事な物を無くして困ってる人にその無くし物を見つけてあげたりしません?」

 まあ悪魔は代償に魂とか持って行きそうだけど。

「妖精や悪魔にだってそれぞれ種類や得手不得手はあるわよ。アンタ、チワワに番犬やらせたり麻薬の臭いを嗅ぎ分けさせたり出来ると思う?」

「…なるほど」

 こちらの妖魔ハーフさんの特技は“治癒”であって探し物を見つけるのは分野が違うと。

「じゃあ閃奈さんや蓮夜さんには死霊の発生源は見つけられないんですね」

「まあ、そうね」

 ふむ。なら他を当たるしかないか。つってもあとこの方面で頼りになりそうは、俺の知り合いの中じゃ一人くらいしかいないが。

「あとね、夕陽…それ何?」

「はい?」

 閃奈さんの怪訝そうな視線を追うと、そこにはテーブルに立て掛けておいた例の木刀が入った竹刀袋があった。

「日和さんの私物です。ちょっと貸してもらってまして。…どうかしました?」

「すっごい嫌な感じがする」

 まるで真夏に腐ってハエのたかった生ゴミを見るような目でその木刀を見ていた。

 幸より露骨な反応だし、幸よりかなり嫌がっているように見える。なんでだろう。

「あれ?っていうか、袋に入れてる間は大丈夫なんじゃあ」

 言い終わる前に気付いた。竹刀袋の口を縛っていた紺色の紐がほどけている。これが原因か?

 弁当をつついていた箸を置き、紐をきつめに縛り直す。

「どうですか?」

 閃奈さんを振り返ると、固かった表情が元に戻っていた。

「うん、大丈夫。それにしてもまた、随分と強力なヤツを持ってきたわね…」

「そんなにですか」

 俺の言葉に大きく頷き、

「そんなによ。力の弱い人外ならそれで一発全力で叩き込んだら死ぬわ」

「え、マジすかそれ?」

「アンタ、幸もいるんだから扱いには気を付けなさいよ。危なすぎるわ」

 どうやら日和さんが愛用してるだけあって、性能は妖魔のハーフさんにも折り紙をもらえるレベルらしい。本当に、幸も住んでる家の中にこんなの置いておくなよ…。

 自分が所持している武器のヤバさに若干引きながら昼食を終え、弁当箱を片付けて椅子から立つ。

「んじゃ、戻ります」

「ええ。ちゃんと午後の授業も受けるように。サボったりしたら今日持って来なかった反省文の量を五倍にするから」

 バレてたのか。黙っておけば忘れてると思ってたのに。

「明日には必ず間に合わせます」

「アンタの必ずは本当に当てにならないわね」

 信用を失うのは悲しいことだ。明日は絶対に書いて持って来よう。

 僅かな後悔と共に部屋を出ようとした俺へ、閃奈さんは念を押すように、

「いい?さっきも言ったけど」

「はい。わかってますよ」

 それに、俺も安心させるように笑って返す。

「怪我したら治してもらいに来ますよ」

「…わかってるならいいけど」

 心配性だな、閃奈さんは。俺のせいか。

「あと毒になったり呪いになったりセーブしたりしたくなったら来ますね」

「いやここそんなどこぞの教会みたいなサービスまではやってないから」

 とりあえず適当なジョークで場を和ませてから、俺は寮長室を出た。




      -----

 昼飯を済ませてからの座学ほど辛いものはないと思う。あれって睡魔との戦いだよな、教師の声がひたすらラリホーにしかならない。もしくはスリプル。

 かっくんかっくんと頭を上下に揺らしながら必死に起きる努力を続けていると、

(…んぁ?)

 視界の端、机に突っ伏して爆睡してる秀翠の頭の上に、ぬいぐるみのようなものがぼんやりと見えた。

(あいつは…)

 眠気でぼやけているわけではない。単純に姿そのものが普通の人には見えない存在だからだ。

 眠気で散らばる思考の中、視覚に“干渉”を集中させる。

「…」

 秀翠の頭にちょこんと座る妖精の姿がはっきりと見える。やっぱり昨夜のピクシーだった。

(なにしてんだあいつ)

 と思って見ていたが、特に何をするでもなく。熟睡中の秀翠の頭上で、ひたすら教師が黒板に書き連ねる文字を追っていた。

(ま…いっか)

 別に悪さをしているわけでもなし。

 そこまでが限界。執拗なまでに教師の口から紡がれる睡眠呪文には抗えず、ついに反省文の内容を考えていた俺は意識と思考を手放した。




      -----

「ねーねー、ゆーくんてばー。どこ行くの?」

「帰るに決まってんだろ」

 午後の授業も全て終わり、たっぷりと睡眠時間も確保した俺は帰路を辿っていた。朝と同じく隣には玲奈が付きまとう。

玲奈は俺の言葉に眉を寄せて、

「本当に?」

「帰る以外に何があるんだよ」

「調査とかー、情報収集とか!」

 ぴっと人差し指を立てて俺の行動をズバリ当ててくる。

 なんで知ってんだよお前。俺なにも伝えてねえだろうが。

 心の声を押し留めて、努めてポーカーフェイスを維持する。変に勘の鋭いところがあるヤツだが、同時に確証のないことを適当に言ったりもするヤツだ。カマをかけているのだろう。その手には乗らぬ。

「分かりやすいなー、ゆーくん」

「何が」

「どうやって誤魔化そうか考えてるでしょ」

 なんなんだ、なんでお見通しなんだよ。

 玲奈はにこにこと楽しそうに微笑んで隣を歩く俺の顔を覗きこむ。

「顔に出てるんだよ、ゆーくんは」

「…マジで言ってんの?」

「ポーカーフェイスは出来なさそうだね」

 その言葉に軽くショックを受ける。完全に無表情だったと思ってたのに、そんなに顔に出てたのか。

「私はいいと思うよ?そういう人」

 慰めるように玲奈が言うが、下手な慰めはかえって惨めになるからいらない。上手でもいらないが。

「まあ…お前の予想は合ってるよ。そういうことだから、お前はそのまま帰れ」

 開き直って言うと、玲奈は笑顔のままきっぱりと、

「私も行くよ」

 当たり前とでも言わんばかりの表情だった。

 歩きながら、頭を掻く。

「一応訊いておくけど、なんで?お前が俺に付いてくる理由なくない?」

「ゆーくんが心配だから」

 なにを心配されてるのかよくわからない。

「俺がなに調べようとしてるかも知らないのに付いてくるの?」

「だめ?」

「例によってちょっと危ない方面なんだが」

「だめ?」

「足手まといはいらないんで、帰ってどうぞ」

「盾くらいにはなるよ?」

「正気かお前」

 地味に驚いた。真顔で盾になるとか言う女子高生が隣にいる。その覚悟はどっから来るんだ。

 俺の驚きを無視して、玲奈は閃いたとばかりに両手を合わせた。

「そうだ。幽体になって付いてけばいいんだ。それなら足手まといにはならないでしょ?いざとなったら体に帰るから」

 確かに幽体であれば物理的に危ないことは無くなるが、別に危ないことは物理に限ったことではないからなあ…。

「却下。俺一人で行きます」

「それ却下。私と二人で行きます。道中退屈させませんよ?常に新鮮な笑顔と斬新な話題を振り撒く、気分はいつも有頂天っ」

 埒があかない。周囲に人がいないのを確認して、俺は両足に“倍加”の力を掛ける。

「よっ」

 手近な民家の屋根まで一息で跳ぶ。

「あーっ、ずるいずるい!」

 下の方から玲奈の声が飛んでくる。

 幽体状態の玲奈なら追ってこれただろうが、あいつだってあんな場所に自分の体を置いたまま幽体離脱するほど馬鹿じゃない。

「ってかお前、他の女子とショッピングの約束してたんじゃなかったのか?」

 朝に耳にした会話をふと思い出し、眼下の玲奈に言うと、

「あっ!」

 俺を見上げたまま口を開いて素っ頓狂な声を上げた。

 どうやらまた忘れていたらしい。女子連中も可哀想に。

「…じゃあな、明日もちゃんと学校来いよ」

 とはいえ俺にはまったく関係のないことだ。苦笑して頬をかいている玲奈にそれだけ言って、俺は屋根伝いにその場を離れた。




      -----

 とはいえ、そこまで遠出するわけでもない。

 目的地は住宅地からも商店街からも離れた、街の外れの辺りにある山。厳密にはその中程にある神社。

 山の一部を削り取って作られたような、しかし丁寧に整えられたそこは、なだらかな傾斜の途中から石段に切り替わる。

(このビフォーアフターのアフターする前みたいな急角度の段差マジどうにかしてくれねえかな…)

 いつも思うがとても登りづらい。

 長い長い石段を登り終え、大きな鳥居をくぐり抜ける。

 やたら立派な神社が目に入るその前で、一生懸命に石畳の上を竹箒で掃いている巫女さんがいた。

 その巫女さんは、近づいてくる俺の気配に気付き顔を上げる。

「あっ、夕陽さん!」

 途端に華やいだ笑顔を見せ、ふさふさの尻尾を勢いよく上下に振るった。

「よう、紅葉くれは。調子はどうだ?」

 片手を上げて挨拶すると、竹箒を両手で抱えるように持ち替えて俺のところへ駆け寄ってきた。

 俺の胸の辺りまでしかない低く小柄な体躯に、明らかにサイズが合っていない巫女装束。穿いている緋袴の、その腰だか尾てい骨だかの部分からは触り心地のよさそうな毛並みの、白で統一された尻尾が振られている。

「上々です。今日も三人お参りに来てくださいましたっ」

「そか。よかったな」

「はい!」

 ピンと立った頭の犬耳が感情に連動して尻尾と同様にピコピコと動く。白髪のショートカットが西日を受けて白銀に近い色を反射させる。

「それで、今日は何かご用件でしょうか?」

「うん、まあ…」

 すぐにでも用件を話そうかとも思ったが、

「とりあえず、お参りしておこうかな」


 賽銭箱に小銭を放り込み、両手を合わせて祈る。内容は…なんでもいいや。

「さっちゃんは元気ですか?」

 お参りを終了して両手を解くと、背後で紅葉がそう訊ねてきた。

「幸か?いつも通り物静かだけど、元気なことは元気だよ。そもそも、人外おまえらは怪我も病気もまずしないだろ」

「そうですけど、人間さんと同じように精神的なものからくる病気とかにはなりますから。心があるなら傷も受けます。自我があるということは、そういうことです」

「なるほどね…」

 あの子はあまりそういう部分を表立って見せたりしないからなあ。肝に銘じておこう。

「日向さんは…元気でしょうね」

「あの人が怪我や病気で寝込むビジョンが浮かばないからな」

 二人して苦笑する。

 それから、紅葉がぶかぶかの白衣の袖を揺らしながら切り出した。

「お仕事で、わたしにご用なんですよね?」

「…よくわかったな」

「夕陽さんは、お仕事の時はそういうお顔をしますから」

 どういう顔だろうか。そんなに俺はすぐ顔に出るのか?さっきの玲奈とのこともあるし、ちょっとマジで気になってきた。

 それに、と紅葉は若干表情を曇らせてから続ける。

「最近はこの辺りに、よくない気配がいくつか感じ取れるので。きっと日向さんや夕陽さんが動かれるのだろうなとは思っていました」

「それって死霊のことか?」

「はい。それもです」

 それ、か。

「お前は大丈夫だったか?死霊に襲われたりとか」

 こいつも力がないわけじゃないが、それでも心配になる。

 そんな俺の言葉に対し、紅葉は心配無用とばかりに自分の胸をぽんと叩く。

「はい。ここはわたしの領域ですから。それにこの神社自体とその周辺は強力な破魔の力で覆われています。悪意ある存在はそうそう入ってこれません」

「ふうん。そうなのか」

 なら平気か。

「夕陽さんこそ、大丈夫ですか?最近とても物騒です。人間種で二重に『異能』を保有してる夕陽さんは特に狙われやすいので…」

 竹箒を持ったまま両手を胸の前で握って俺を見上げてくる少女の瞳は不安げに揺れている。頭部に生えている犬耳も尻尾も垂れて、まるで病気がちな主人の心配をする愛犬のような印象を俺に与えた。

「それなんだけどさ、死霊以外に何がいるんだ?」

 どうやら紅葉は、今俺が調査している死霊のそれとはまた違う脅威を認識しているらしい。俺にはさっぱりわからんが。

「二つ、です」

 袖から伸びた小さな手が、指を二本立てる。

「死霊の気配とは別口の、まったく違う性質の気配を二つ感じ取りました。片方は死霊の出現とほぼ同時期に、もう片方はそれより少し前からいたようです」

「…」

 少し考える。この娘の性質を考えると、その二つの気配というのは、

「…『魔族』か?」

「死霊とほぼ同時期に出現した方は、おそらく間違いないかと思われます。もう片方の方はよくわかりませんが、とても強い悪意を確認しました」

 なるほど、強い悪意ときたか。

 どうにも嫌な感じだ。ただ黙って去ってくれるわけでもないだろう。現れた以上は、必ず何かをしでかす。

 それに、もう片方の『魔族』の存在も気になる。

「…まあ。まずは目先の問題か」

 なんにしても、実害がわかりやすく発生してるのは間違いなく死霊の方だ。全ての問題を片付けるにしても、順序がある。そして順序は脅威度が高い順から取り掛かるのが妥当だ。つまり、俺はこのまま続行して死霊の一件を追う。

「それにしても、教えてくれたっていいのになあ日和さんめ」

 今頃どっかで仕事をこなしてるんだろうか。

「日向さんは、夕陽さんに何も教えてくれないんですか?」

 不思議そうに紅葉が首を傾げる。まあ、同じ家に住んでてやってる仕事まで理解してるのに、その内容をちっとも教えてもらってないのは俺自身たまに不思議に思うことがある。

「全部知りたいなら自力で調べなさいってのがあの人の考えらしい。今も、死霊の発生源を調べたくてここに来たんだ。頼めるか?」

「なるほど」

 大きく頷いて、それから紅葉は一歩前に踏み込んだ。

「ならば、わたしがお供いたします。日向さんほどではありませんが、魔や負の気配を嗅ぎ分けるのは得意です。夕陽さんのご期待、必ずや応えてみせます」

 その申し出はとてもありがたいのだが、俺はそれを丁重にお断りする。

「いいよ、そこまでしなくて。発生源を探る力を貸してくれればいいんだ」

「でも…」

「それに、お前は神社ここを出ると力が弱まるんだろ?俺一人じゃお前を守り切れる自信は無いし、万が一でも危険な目には遭わせたくない」

 俺は弱い。誰かと一緒に行動したら、何かの拍子で怪我をさせてしまうかもしれない。だから、俺が仕事バイトをするときは極力誰も頼らずに行動する。もし行動を共にすることがあるとしたら、それは安心して任せられる日和さんか、あるいは幸くらいのものだろうか。

「むう、そうですか…では、これを」

 若干不満の色を残していた紅葉だったが、それでも頷いて袖の中から何かを取り出して俺に差し出す。

 見ると、それは長方形のお札のようなものだった。ただ真っ白な紙、日和さんが使っている術符とかいうのとは違って梵字みたいなのも書かれていない。

「わたしの力の一部を浸透させたお札です。よくない力…というか魔に寄る力に反応して黒く変色していきます。死霊の巣窟ともなれば、おそらくそのお札が真っ黒になるくらい反応すると思うので、それで判断してください。ただ、それを見つけるまでは歩き続ける必要があるんですが…」

「ああ、それは別にいいよ。元々おかしなところを見つけるまで地道に探すつもりだったし」

 紅葉から受け取ったお札をポケットにしまい込む。

「あの、本当に大丈夫ですか?」

 紅葉が上目遣いで俺を見上げてくる。俺はそんな小柄な少女の頭に手を置き、頭頂部の左右にある犬耳ごとわしゃわしゃと撫でる。

「“倍加”を全開にすれば、俺だってそこそこやれるんだぜ?心配すんな。それに俺には幸もいる」

 契約関係による“幸運”にしたってそうだし、俺にとっての切り札の意味としても幸の存在はとても大きい。まあ、使わないのが一番ではあるんだが。

 撫でられるがままに抵抗しない紅葉は、俺の言葉に目を細めて、

「さっちゃんはいいですね。できることなら、わたしも契約して夕陽さんのお力に加わりたいのですが…」

「幸はなんていうか、しょうがないんだよ。そういう約束をしたからさ。…幻獣種は、そういう契約とかはできないんだっけか」

 当の幻獣種に該当される紅葉はこっくりと頷き、直後に慌てたように首を左右に振った。

「はい、あ、いえそういうわけではないんですが。生身の人間種が人外との契約を多重に結ぶのはよくないことなんです。寿命を縮めかねないので」

「マジかよ」

「でもさっちゃんとなら大丈夫だと思いますよ?元々人外が求める契約には寿命を奪うものや相応の対価を要求するものがほとんどなんですが、さっちゃんにはそういう要求をする気がないですから。悪意が無い場合は契約者に掛かる負担も軽減されます」

 それはつまり、それだけ人外が交わす契約には悪意を含んだものが大半を占めるということか。確かに『魔族』が善意で人に力を貸したなんて話は聞いたことない。悪魔はえてして自らの利益と人のもがき苦しむ姿を見たいが為に力を貸し与える。

 ともかく、これで死霊の居所を掴みやすくなった。

「それじゃ、俺は行くよ。お札サンキューな、大事に使わせてもらうわ」

「はい!またいつでもいらしてくださいっ」

 ぶんぶんと片手と尻尾を振って、紅葉は微笑んで見送ってくれる。それに俺も片手を上げて応じてから、背を向けて神社をあとにした。




      ーーーーー

 神社を離れて少し歩き、今度は商店街へ向かった。こんなところに死霊の発生源があるとも思えないが、一応はうろついてみようと思ったのだ。どの道牛乳も切らしてたから買うつもりだったし。

 この時間帯は一番人々が行き交う。夕飯の食材を買いに来た主婦や下校途中の学生などで賑わっている。

(くだん死霊使いネクロマンサーだって、わざわざ明るい内から騒ぎ出すとも思えないしな。やっぱりこっちから探して見つけないとダメか)

 ぼんやりと考えながら、ポケットからさっき紅葉くれはからもらったお札を取り出す。

(魔や負に反応して黒く変色するんだったか。じゃあ閃奈さんや蓮夜さんにも反応すんのかな)

 内心で苦笑しながら、人通りに気を配りつつ手の中のお札を見る。すると、

「…な」

 真っ白だった長方形の紙が、変色していた、それも八割ほどが真っ黒に。

(嘘だろ…!近くにいるってのか!?)

 慌てて“干渉”を眼球に集中し、“倍加”で効力を高めて周囲を見回す。

 人、人、人…見えるのは俺と同じ人間だけ。

(“干渉”が足りないのか?それとも見過ごしているだけ…?人間に成りすましてんのかも)

 相手が上位の存在だった場合、俺の能力が追い付かず“干渉”による認識が不可能になることもある。

 さらに、俺は見える者と視えないものとの区別をつける方法を知らない。もし“干渉”で視認可能になっていても、相手の人外が人間と同じ―――閃奈さんや蓮夜さんのような外見で人間社会に溶け込んでいたりしたら見分けられない。

(不味い…十倍!)

 手元のお札の変色具合が進行している。相手が近づいてきているのだ。“干渉”を十倍にして目を見開く。

 ピリッ、と。肌を刺すような感覚を覚えた。触覚が、得体の知れない何かを、その身に感じ取ったのだ。

 その方向、左右に店が立ち並ぶその向こう側から、そいつは歩いてきた。

 身に纏うのは、黒一色で統一された装束。まるで忍者か何かだ。

 道のど真ん中を歩いているのに、誰もそのおかしな恰好のそいつを視界に入れない。入ったとしても姿を捉えるより先に顔を逸らしてしまう。周囲は誰も認識できていないのだろう。

 間違いない。人外の者だ。

「…?」

 だが妙だった。俺は立ち尽くしたまま、真正面から近づいてくるその姿を凝視していた。

 鎖帷子くさりかたびらの上から墨染めの黒衣を着付けている。胸の辺りが膨らんでいるのを見る限り、性別は女なのだろうか。

 ただ、黒衣は肩の部分から先が無く、ノースリーブのようになっていた。最初、そういうものなのかと思ったが、違う。布地の端が引き千切られたかのようにボロボロになっていた。両腕の肘から手首にかけては千切れた衣服の代わりなのか、黒の布きれをアームガードのように巻いている。

 下半身も、右足が膝の先から履いている足袋たびまでの布が破けている。それ以外の部分も、ほつれていたり汚れていたりといった状態だった。

 なによりも、薄汚れたその装束の、破け千切れた部分から露出している肌に視線が向く。

 青痣で痛々しく染まり、内出血で赤黒くなった肌。裂けて流れた血が固まった跡、今なお流血している箇所さえあり、歩いた道にポタポタと雫を落としていく。

 どう見ても普通の状態ではなかった。ふらふらと体を揺らして、焦点の定まらず光のない両目で正面をただ見据え機械的に歩く。

「…おい」

 声が届く距離まで俺も歩いて、声を掛ける。何人か主婦やら学生やらが振り向いたが、お前達じゃない。

「おい」

 もう一度、さっきより距離が埋まった位置で声を掛ける。

 少女だった。見た目、高校生の俺よりいくつか下…中学生くらいの背格好か。肩まで伸びた黒髪は酷く痛んで、ボサボサだった。髪の間から覗く瞳は何も映していない。

 そのまま、少女は俺の横を通り過ぎようとして、

「待てって」

 その手を掴んだ。手首の付近にも痣が見えたので、なるべく力を緩めて引き止める最小限の加減で手を引く。

「…?え…」

 くっと手を引かれ一瞬動きが止まった少女は、不思議そうに俺を振り返り、そしてまた不思議そうに小首を傾げた。

 その際に髪の毛が傾げた方向へ落ち、少女の片目と俺の目が合った。黒目がちな、真ん丸の瞳だった。敵意も悪意も知らないような、そんな瞳。

 それと同時に、その瞳の隣、こめかみの辺りから顎にかけて一筋の赤が見えた。流血の跡だ。

「あれ、なんで。見える、の?触れ、…あれぇ?」

 真っ直ぐ少女の顔を見る俺の顔を怪訝そうに見返し、そして俺が掴んでいる手首を見下ろし、もう一度俺を見てさらに首を傾けていた。

「ちょっと来い。悪いようにはしないから」

 周囲から視線を感じる。他の連中からしたら、俺は商店街の往来で見えない『何か』に手を伸ばし、独り言を呟いているおかしなやつだろう。ひとまず離れた方がいい。

 多少申し訳ないと思いつつも少女の手を半ば強引に引いて、俺は商店街から人目のつかない場所を探して移動した。


 …黒装束の少女、傷だらけ血だらけの彼女の、その顔を見た時に気付いた。いや正確には額か。

 少女の額には、短い角が一本生えていた。もちろん人外である以上、その程度のことで驚いたりはしないが、頭部に生える角というのには特殊な意味がある。

 『存在の象徴』である、『鬼の角』。

 それを持つということは、すなわり例外なく少女が鬼性種きしょうしゅの者であることを俺に知らしめた。

 『魔族』に分類される鬼性種。

 紅葉が感じ取ったという、二つの気配の内の一つであるのは明らかだった。

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