第6話 隠形遣い

 昔から、鬼という存在は人にとって悪しき対象として捉えられることが大半だった。

 おとぎ話でも悪役だし、伝承に語られるものも人を攫ったり食らったりと、とにかく人に対し害を成すものであるという認識が共有されていた。

 故に、そこから生み出された鬼性種も分類上・性質上は人に悪意を持ち敵対するであろう『魔族』の側に含まれている。

 そんな、鬼の因子を持つ少女の血と泥で汚れた顔を学生鞄から取り出した手拭いで拭いてやる。

 商店街の大通りから外れた、小道の先にある裏路地でとりあえず人目が無くなったのを確認して、俺もその手拭いで額の汗を拭う。

「あ、の…」

 竹刀袋に入った木刀と鞄を適当に建物の壁へ立て掛けて、何か言いたそうに口元をもにょもにょさせている少女へ向き直る。

「お前、鬼だろ」

 とりあえずそれだけ言うと、少女はびくっと肩を震わせて数歩下がった。

「ああいや、別に何かしようってわけじゃねえんだ、ただ確認したかっただけで」

 なるべく語調を柔らかくして、安心させるように付け加えると、鬼の少女もいくらか警戒を取り払ったのか一歩だけこっち側に戻ってきた。顔を拭かれてる間もじっとしていたし、わりと温厚というかおとなしいのかもしれない。ただ怯えているだけなのかもしれないが。

「で、やっぱりお前は鬼性種なんだな?」

「…っ」

 再度放った俺の問い掛けに対してこくんと頷いた様子を見て、やはりなと思う。

 鬼性種はその特徴の一つに強靭な肉体と優れた自己治癒能力というものがある。他の種族と同じで、これにも階位によって特徴の大小強弱が左右されるのだが。

 顔を拭く際に少女の身体を軽く見回して見たところ、見た目はボロボロだったが傷らしき傷はほとんど塞がり掛けていた。さっきまで滴っていた流血も止まっているようだし、やはり鬼の特徴が出た結果なのだろう。便利なものだ。

 ただ傷は塞がっても治っても、失った体力や気力までは戻らない、この少女の疲れ果てたような虚ろな顔を見ているとそれが如実にわかる。

 色々と訊きたいことはあるんだが、順序はきちんと踏まなければ話も出来ない。

 膝を折って、少女とできるだけ目線を合わせる。

「俺は日向、日向夕陽っていうんだ。お前は?」

「…え、と…?」

 まずは自己紹介からが当然だろうと思い、先に名乗ってみたのだが、少女は意味がわからないというような反応で困り顔になって眉根を寄せた。

「名前だよ、名前。…あ」

 言って、気付いた。

「名前、もしかして無いのか…」

 考えて見ればそうだった。

 幸も、紅葉くれはも、初めは名前を持っていなかった。俺が名付けるまで、彼女らは自らを自らとする名が無かったのだ。

 人類の総称を人間と呼んだとして、俺達にはきちんと戸籍とそれに連なる名前が与えられている。いわば個体名だ。それが、人外には無いのだ。正確には必要としていない者が大多数を占めていると言った方が正しいか。

 名乗るヤツは勝手に名付けて勝手に名乗っているが、そうでない者は自己を指し示す呼び名を持たずに生きている。人ほど社会的なコミュニケーションを必要としないから名前すら要らないという考えが多いんだろう。

「なまえ、な、まえ…ない、です」

「うん、わかったよ。ならいい」

 しかし呼ぶ名前が無いというのもやりづらい。まあ仕方ないから鬼の子と仮称しておこう。

 とりあえずは一番に気になったことから、この鬼の子に訊ねる。

「お前さ、その傷はどうしたんだ?全身ボロボロじゃねえか」

「え、あ…えと」

 少女は傷のあった場所を両腕で抱きかかえるようにして隠しながら、俯く。

「お前ら鬼性種ならその程度すぐに治るのかもしれないけど、痛いのが続くくらいだったらすぐ治した方がいいだろ?知り合いにあっという間に傷を治してくれる人がいるんだ。ちょっとそこで治療してもらおうぜ?」

 他にも訊きたいことはあるし、ここよりは落ち着いて話せるはずだ。エアコンも効いてるから涼しいし。

 そうして鬼の子の手を引いて学生寮まで向かおうとした矢先、不意に襲われた眩暈で足元がよろける。

 少し、頭が痛い。あと目もだ。

(あ…そうか。“干渉”を使いっ放しだったから)

 十倍に設定したまま放置していたせいで、“干渉”の力が肉体に過負荷を掛け始めている兆候だった。眼球が痛むのもそのせいだろう。

 目の奥からくる、刺すような痛みで思わず顔を顰める。すぐさま能力を解除しようとして細めた瞳の先に、なにやら気になるものが見えた。

 それは痛みに耐える俺の表情を覗き込んでいる鬼の子の、首にあった。

 ぼんやりとだが確かに見えたそれは、群青色の首輪だった。淡く揺らめく首輪が、黒一色で統一された鬼の子の装束でアクセントのように煌めいている。ぼんやりとしか見えないのは、おそらく“干渉倍加”された視覚が足りていないせいだ。

 ……十倍の“干渉”でも、まだ視えないほどの?

「お前…?なんだ、それ」

 目と頭の痛みを我慢して、能力を維持したまま手を伸ばす。

 鬼の子の首に嵌められた首輪からは、同じく群青色の鎖が伸びていた。背中から地面に垂れてどこかへと伸びていく鎖のその先は建物をすり抜けてしまっていて見えない。おそらくどこか遠方まで続いているのだろうとは思うが。

 伸ばした手の指先が、その首輪に触れた瞬間。

 バヂンッ!!

「いてっ!」

「あっ…!」

 突然火花のようなものが散って、首輪に触れた指先が弾かれた。

「あ、あ…ごめん、なさい…」

「え、いや別にお前が謝ることはないんだけど。どうなってんだ?それは何なんだ?」

 じんじんと痛む手をさすりながら、俺はその首輪と鎖を凝視する。

 五感全体で感じ取るに、あまりいい気配はしない。そもそもボロボロの少女の首に、鎖と接続された首輪ときたらあまりいいものには見えないのは当然だ。

「ごめんなさい、ごめんなさい…」

 鬼の子は俺の言葉を聞いているのかいないのか、ひたすらに謝罪を重ねている。なんだか様子がおかしい。まるで何かに怯えているような…。

「おい落ち着けよ。何も怒ってないから、俺は平気だから」

「ごめんなさい…もう、もうわたしには触れないで、近寄らないで、話しかけないで…わたしに」

 俯いて首を左右に振り、一歩二歩と後退り。そして最後に少女は悲痛な声音で、


「わたしに、関わらないでっ…!」


 それだけを叫び、直後にその姿がふっと消え失せた。

「な、んっ…!?」

 流石に驚いた。瞬間移動でもしやがったのか、と思ったがそうでもないらしい。かろうじて触覚が捉えた気配が、どんどんと遠ざかっていくのがわかる。どうやら姿を消して逃げ出したらしい。

 だが、遠ざかっていくのだけはわかっても、それがどの方向へ行ったのかまでは掴めない。咄嗟に“干渉”を二十倍にまで上げてみたが、それでもダメだった。

 視覚にも、聴覚にも、嗅覚にも鬼の子の残滓すら感じ取れなかった。

「なんだなんだ、透明人間にでもなれる『異能』持ちだったのか?」

 それにしたって、二十倍にまで引き上げた俺の五感から逃げ切るなんて正直相当な実力差が無いと不可能なはずなんだが…あの鬼の子、もしかしてかなりのやり手だったか?

「何もそこまでして逃げなくたっていいのになあ…」

 取って食おうってわけでもないのに。色々と聞きたいこともあったんだが。

(大丈夫かな、あの子)

 あのボロボロな姿にしても、あの痛々しい傷にしても、あのおかしな首輪にしても。

 人型の人外がほっつき歩いてるだけならそんなに怪しむことも心配することもなかっただろうけど、あの子はあまりにも心配になる要素が多過ぎた。

 一番気になったのは、やはりあの首輪。

 とてつもなく強力な力で弾かれたあれは一体なんだったのか。嫌な感じもしたし、もしかしたら本当によくないものかもしれない。あの子自身もなにやら思い悩んでいるようだったし、力になれるならなりたいんだが。

 ふと思い出して、ポケットからお札を取り出して見ると、もうすっかり変色は消えて真っ白になっていた。それだけ遠くまで逃げたということか、あの鬼の子は。

「はあ」

 どこに逃げたかもわからない以上は、もう追いかけようもない。ひとまずはあの子に関して日和さんにでも聞いてみよう。あの人、人外の情報や知識においてはめちゃくちゃ詳しかったから。特に『魔族』辺りは職業柄でかなり熟知してるとか言ってたし。

 とりあえずの微々たる収穫を確認し、俺は商店街の大通りへ戻る為に路地の小道を逆戻りした。

 牛乳もちゃんと買って行かないとな。




      ーーーーー

「また、珍しいのと出くわしたみたいだね」

 開口一番、帰宅した俺に日和さんはそう言った。玄関で出迎えてくれた幸を片手で抱きかかえたまま、学生鞄と木刀の入った竹刀袋を居間に置く。

「…見てたんですか?」

「私の“感知”は改造アレンジして使いやすくしたものであって、本来の『異能ちから』は“千里眼”だからね。君と鬼性種とのあれこれは一部始終、ここで視てたよ」

 ようは覗き見ってわけか。まさか四六時中俺の動向を窺ってたりしてるんだろうか。だとしたら恥ずかしいな、色々と。

「勘違いしないでほしいんだけど、偶然だよ?ここら一帯を視回して、異常がないかどうかを確認してたら偶然、君が商店街をぶらぶらしてるのが視えたから、それを追ってただけさ」

 俺の心中を読んだかのように、日和さんは弁明を始めた。

「別にいいですけどね、覗いてても。やましいことしてるわけじゃないですし」

「いやいや本当に違うんだってば。お願いだから信じてよ、信じてないけど神様にだって誓うよ。本当にたまたまだったんだよ」

 いつもサバサバしてる日和さんにしては珍しく、少し焦ったように捲し立てる。だから別に気にしてないしどっちだっていいのに。

「…どうしたんですか?そんなに言わなくても、俺は疑ってませんし気にもしてませんよ?」

「私が気にするよ。君に嫌われたら何も出来なくなる。心の大黒柱をへし折られたら誰だって生きていけなくなるさ」

「何言ってんですかあなたは」

 心の大黒柱って。

 仮に俺のことだとしても、この人が言うと冗談にしか聞こえない。冗談とか言わない人なんだけど冗談にしか聞こえない。

 だって普段めちゃくちゃクールでドライな人だしな。

「そんな程度で嫌うわけないじゃないですか。元々、俺はあなたの部下みたいなもんなんですよ?もっと堂々としてくださいよ」

「君のことを部下だなんて思ったこと、私は一度としてないんだけどね。まあとにかく嫌われていないようでなによりだよ」

 ふうと一息ついて、日和さんは椅子に腰掛け直す。何をそんなに気にしていたのか、俺にはさっぱりわからない。

「お詫びと言ってはなんだけど、知りたいことがあったら一つ答えてあげるよ」

「お詫びて」

 やっぱまだ気にしてんのかこの人。わけわかんないところでデリケートだな。

 だが、知りたいことを聞けるのならお言葉に甘えようか。必要であれば知識と知恵くらいなら貸してくれると言っている日和さんだが、必要最低限のことしか教えてくれないことが多い。『どうしても知りたかったら自力で調べろ』的なスタンスを貫いてるっぽいから俺もあまり踏み込むこともないし。

 さて、じゃ何を聞こうか。

 今一番気になるのは、やっぱりあの鬼の子のことなんだが…こんな機会は滅多にないし、どうせなら普段聞けない、日和さんの仕事内容に関して質問してみようか。

「珍しく立て続けに受けてる、今やってる仕事ってどんな内容なんですか?」

「人外退治」

 きっぱりさっぱり、それだけ言って終わらせてしまった。

 …ちょっと待ってよ。

「もう少しくらい詳しく教えてくれてもよくないですか?その答え方じゃ今までと全然変わらないじゃないですか」

「そんなに知りたいのかい?私の仕事なんか」

 明らかに嫌そうな顔をされる。そんなに自分の仕事を明かしたくないだろうか。

「言いたくないなら、いいですけども」

「…まあ、確かに自分で言っておきながらこれは淡白過ぎたかな。それじゃ」

 こほん、と咳払いを一つして、日和さんは続けた。

「今、この近辺には死霊以外に危険視されている二つの人外が確認されてる。まあこれくらいは君も知っていると思うけど。その内の一つは、君が会った鬼性種だね。これに関しては相当な隠形術の使い手だよ。正直なところ、今の君程度じゃ見抜けない。君の持つ『切り札』を使えばその限りではないけれど」

「…」

 その言葉に、腕の中の幸が反応して顔を上げる。俺は幸に無言で微笑みかけて、日和さんに視線で続きを促す。

「私の仕事は、そのもう片方の人外を処理すること。分類上は『魔族』ではないにしても、それに相当する実力と悪意を持った厄介な相手だ」

「処理って、殺すんですか?」

「場合によるね。この街に来た時点で気配は掴んでいたんだけれど、どうにも酷い敵意と悪意に満ちていて、面倒だったから野放しにしておいたところへこの仕事さ。依頼主様はその人外が穏便に去ってくれるか害を成さない存在と見なした時点で依頼を遂行したものとすると言っていたけど、まあ無理な話だろうね。アレは殺した方が早い」

 そんな簡単に生かす殺すの話をしてほしくはないんだけど、日和さんがここまで断言するくらいだから、きっとよっぽどの相手なんだろう。

「その人外って、何者なんですか?」

「君も聞けば名くらいは知ってると思うよ。学校で噂でも拾い集めてみたらどうだい?案外広まっているかもしれないよ」

 それから、日和さんは思い出したように俺へ向けて両手の人差し指を交差させてバッテン印を作り、

「ただし、アレへ関わるのは禁止だよ。君が人外へ思いやりを向ける気持ちも事情もわかるけど、相手が相手だ。話し合いは通じないし、いざ襲われたら勝てない。君が無残な惨殺死体なんかに成り果てたら、私が発狂する。私の為にも、君は関わらないでほしい」

 日和さんは、俺へ仕事を預けたりする時は必ずその内容をよく吟味してから俺へ託す。それは、俺の実力以上の無茶な仕事じゃないか、不安要素は無いか、命に関わる危険が無いか、などを確かめる為だ。逆に、絶対に俺の手に負えない仕事だと判断した時にはどんなに忙しくても日和さん自らが動くし、その内容も俺にはほとんど教えてくれない。

 だから、日和さんが受けてる仕事の難易度が俺以上日和さん未満な内容だというのがその発言でよくわかった。とりあえず俺が受けたら惨殺されかねないくらいヤバい仕事らしい。

「わかりました。日和さんがそこまで言うなら俺も関わりません」

 引き際は潔く。足手まといが出しゃばったところで邪魔にしかならないし、多少は不安だが日和さんだって相当な実力者だ。それほどの心配もいらないと思う。思いたい。

 それにしても、あの鬼の子。隠形術の使い手とかいうのだったのか。

 隠形。閃奈さんから聞いたところによれば、姿や気配を消せる身隠しの術だとかなんとか。俺の目の前で消えたのも、それを使ったからか。

 …あれ?

「日和さん。確か、例の死霊使いネクロマンサーとやらは隠形の術で隠れ潜んでいるって話でしたよね?」

「うん、そうだね」

 人間を殺して死霊を発生させ、さらにそれを操って人に危害を加えようとしている犯人。その行方は隠形術でくらましている。

 となると、まさか…いやでも、そんな。

「その鬼性種が疑わしいかな?」

 またしても、俺の考えを読んだかのように日和さんが言う。

「そう、なんですかね。個人的には違うと思いたいですけど」

 今日会って、ろくに話もできていない相手のことなんてまったく分からないが、それでも違うと思いたい。あの子が、そんな残虐な真似していると思いたくない。

 人外は外見と中身が一致していないことが多い。見た目がどれだけ子供でも、実際は何百年と生きてきた古参であったりすることだってザラだ。

 あんな見た目でも、もしかしたらあの鬼の子は笑顔で人を痛めつけられる性根の持ち主なのかもしれない。人外に、人間の常識は通用しないのだから。

 でも、そうだとしても俺は違うと思いたい。

「とにかく、今度会ったらちゃんと話してみますよ」

 きっと、また会えるだろう。

 腕の中でおとなしく話を聞いていた幸の頭を撫でながら、俺はそう確信した。




      ーーーーー

『まったくもう!ひどいよねゆーくんはっ。置いてけぼりにするんだから』

「いやひどいのはお前の方だろ。友達との約束をそんなすぐすっぽかすなよ」

 その日の夜。

 再び死霊の手掛かりを探すために外を出歩いていた俺は、ケータイ片手に歩いていた。

 通話の相手は言わずもがな、サボり癖のあるハイテンション娘。

 電話越しでもギンギン突き刺さる声がけたけたと笑う。

『あははっ、さっき電話きてめっちゃ怒られたよー。明日こそショッピングに付き合うことになりましたとさ!』

 クラスの女子友達とウィンドウショッピングをする約束をしていたらしい玲奈は、それを見事にすっぽかして俺に付いて下校した。そりゃ怒って当然だ。しかも前科持ちだからな。

「そんだけやっといて、相手もよくまだ誘う気になったもんだ…」

 それだけ玲奈が友達連中から好かれているということなんだろうが。

『そだね、さすがに今度こそ約束守らなきゃ。いやー忘れっぽいと色々大変ですわー』

「…お前な、もうちょっと友達との関係を大事にした方がいいと思うぞ」

 ふと思ったことを、口に出す。

「そいつとの付き合いが一生ものになるのか、それとも学生時代だけで終わるのかはまだ分からんけど、それでも今のお前は確実にそいつらの友達なんだから。せっかくの縁を切るような真似はやめろ。気楽に一緒にいれる相手ってのは、結構重要だぞ」

 ましてや、約束を何度か破られてるのにまだ友達として遊びたいと思ってくれる相手なんて、人に恵まれてるにも程がある。

 大事にしなきゃ駄目だ。

『んー、そうかもね。ならゆーくんも、お仕事の手伝いをしようっていう女の子のお誘いを屋根に逃げてお断りするなんて真似、しちゃダメだぜ?』

「そりゃ話が別だ」

 そっちは俺の親切心だと思ってほしい。幽体離脱できるだけの女子を、こんな危なっかしい仕事に巻き込めるわけがないだろうに。ただでさえ最近は死霊だのなんだのと物騒なのに。

 そんなことを考えていたら、家でしていた日和さんとの会話を思い出した。そのまま玲奈にそのことを訊ねてみる。

「あとさ、お前なんか最近学校で変な噂とか聞いてないか?」

 俺でも名前くらいは知っているという、今この近辺にいるらしい人外の存在。強い悪意と敵意に満ちているという危険な相手。

 学校でも噂でくらいなら広まっているかもしれないと日和さんは言っていたが、俺はそんな噂は聞いたことがない。

 とはいえ、玲奈に訊いてもあまり意味はないかもしれない。

『えー、噂?私先週は学校行ってなかったしなー。あ、でも今日の昼休みにそんな話が出てたかも、でも忘れちゃった♪』

「だろうな」

 興味がないことはすぐ忘れるのがこいつだ。どうせ聞いてても覚えていないだろうとは思っていたが、案の定だった。

『噂話を知りたいの?だったら調べておくよー』

「あー、そうだな。適当にヒマがあったら頼むわ」

 別に俺が調べてもいいんだが、玲奈は学校では人脈が広いし顔も知れてる。俺よりも効率的に情報を集めてくれるだろう。

『ゆーくんは今なにしてんの?』

「歯ぁ磨いて、これから幸とご就寝だ」

 当然ながら嘘だ。外で死霊の発生源を探ってるなんて馬鹿正直に言ったら付いてきそうだから。

 ちなみに、今夜は日和さんは動かないらしい。なんでも相手の狙いがある程度掴めるまでは野放しで泳がせておくつもりなんだとか。それで被害者が出たらどうするつもりなんだろう。あの人にとっては事件の解決で一人二人死ぬのは想定の内なのかもしれないけど、俺的にはなんともな話だ。

『あっれ早いね、もっとお話したかったのに』

「んなもん、学校でいくらでもしてやるよ。電話でそんな長々話してたら金かかるわ」

『そっかーそうだねー。んじゃ、もう切るよん』

「ああ。また明日。サボるなよ」

 夜とは思えないくらいの大声量で元気よく返事したのを聞いて、俺も通話を切る。

「ふう」

 ケータイをポケットにしまい、逆に中から真っ白なお札を取り出す。

(『魔族』の気配は無し、と)

 お札はまったく変色していない。どのくらいの範囲から感知するのかわからないが、精度が確かなのは、あの鬼の子で証明済みだ。信用していいはず。

 なにより巫女様のお力だしな。

 肩から提げた竹刀袋を担ぎ直して、歩き続ける。

 やはりというか、商店街はハズレらしい。夕方に回った時と同じで、鬼の子以外の気配はお札が感じ取らなかった。

 今は自宅周辺に戻り、そこから学校へ向けての道を歩いている。

 あまり学校側に近づき過ぎると、閃奈さんや蓮夜さんの気配に反応しそうだから、半分くらいまで行ったら戻ろう。そう思っていたところで、しまったばかりのケータイが震えた。着信だ。

「お、日和さん。…はい、どうしました?」

 相手の名前を確認して、耳に当てる。

『感知四体、内二体我撃滅す。以上健闘祈る』

「はいタンマ、最初からしっかりどうぞ」

 大体わかったけどわかりづらいですよ日和さん。

『動き出した人外の気配が四つ。その内の二体はこっちに来たから消した。もう二体はそっちに向かってる。昨日より強いから頑張って』

 消したって、軽く言ってくれるな。

 お札を出してみると、ようやく端の方が黒くなり始めていた。お札の反応より早く感知したのかよ、あの人の索敵範囲はどうなってんだ。

「了解っす。ってことは、犠牲者はプラスで四人ということですか…」

 合計二十四人。そろそろ何人か捜索願いが出ててもおかしくないな。

『いや、そっちに行ったのは死霊と鬼性種だね。速度は死霊の方が上だけど』

「え、鬼性種、すか」

 ということは、夕方に会った鬼の子か。まさかこんなに早く再会のチャンスが来ようとは。

「しかしまあ、昨日より強力とは」

 てなると十倍そこらじゃ話にならないな。

『幸を呼んだ方がいいんじゃないかい?』

 日和さんの言いたいことはわかる。確かに俺が持てる全力を出すには幸の存在は必要不可欠だ。

 だが、

「いや、多分大丈夫です。今のままでも」

『ほう。その心は?』

「幸はそろそろおやすみなさいの時間です」

 あの子は見た目も中身も子供そのものだ。あまり夜更かしはできない。子供は寝る時間だ。

「というわけなんで、幸を寝かしつけておいてくださ…日和さん?」

『…っ。…!』

「ん?日和さん?」

 なんかいきなり声が途絶えた。でも僅かに息遣いだけは聞こえる。これはまさか…。

「幸か?」

『…っ!―――あー、うんうん。わかったわかった。伝えるよ』

 途中から憤慨しているような僅かな息遣いが消え、代わりに日和さんの声が戻ってくる。

『無言で意思を伝える天才だね、君のお子さんは』

「めっさ怒ってますね、うちの子さっちゃん

 電話越しでもわかった。俺と日和さんの会話を聞いていたのか、今の幸はえらくご立腹なご様子だ。

 その理由もわかってる。

「俺と幸で直接話しますよ。えーと、確か念話?とかいうの出来ますよね?」

 契約関係の上で信頼が成り立ってると、そういう便利な交信能力が使えたはずだ。

 えー………っと、

 どうやるんだっけ。

『頭の中で契約相手を強く思い浮かべるんだよ。姿形を目の前に幻視させることもできる。ちょうどいいからやってみなよ』

 なんかゲームのチュートリアルみたいだな。

『いいかい?Rボタン長押しで念話、その状態でさらにLボタンを押すと目の前に交信相手の姿が出現するから、落ち着いてやってごらん』

「すんませんちょっと黙っててもらえます?」

 全然集中できない。

 一旦通話を切る。ついでにお札を見てみると、1/3くらい染まってた。ヤバイ急がないと。ってかこれ念話とかしてる場合じゃなくね?

 でもここで説得しておかないと、幸が徒歩でここまで来そうだしなあ。まあ日和さんが止めてくれるとは思うけど。

「うっしゃ、やってみるか」

 幸の姿形なんてわざわざ強く思い浮かべるまでもない。瞳を閉じれば勝手に浮かぶ。家に帰ればずっと一緒にいる子なんだから。

 今現在の、おそらく激おこモードの幸の頬を膨らませた表情を思い浮かべる。なんか心がほっこりするな。

 めちゃんこ可愛いんですけど。

 その瞬間、目の前に長い黒髪と和服の袖を揺らめかせて、小さな童女がちょこんと姿を現せた。しかしどうにも薄い。向こうの景色が透けて見える。幻視だからか?

 そして思い浮かべたまんま、幸は片頬を膨らませて俺を見上げていた。

『…っ』

「…うん。まあ、お前が不満なのもわかるよ。約束したしな」

 俺と幸との契約には、ある一つの条件が付与されている。

 『契約に当たり、その力をどんな時でも負担を考えず常に使うこと』。

 つまり、幸は自分のことなど気にかけずに使いたいなら好きなだけ使っていい。むしろ使ってくれという意味合いを含む条件だ。

 俺の勘違いとか思い込みとかじゃない。本当にそういう内容だ。

 でも、俺はその条件をあまり守っていない。

 本来のベースである概念種に加え、妖精種と妖怪種の要素も混じってしまっている今の座敷童子はそれぞれ能力が三等分に振り分けられてしまっている。当然、幸が持っている『異能』である“幸運”や、概念種としての“憑依”の力も出力減退だ。

 使いすぎると負担は大きく幸に圧し掛かる。

 力の使いすぎで消えてしんでしまうことはないだろうが、それでも苦痛や疲労を与えてしまう原因にはなる。

 そこまでして、俺は幸から力を吸い取るつもりはない。

 だが、幸は俺に力を与えたがる。というよりも、頼られたがっている?尽くしたがっている?ともかくそういう節がある。

 だから俺が幸の力を必要としなかったり、頼らなかったりすると幸はご機嫌斜めになる。

「でもな、幸。俺はお前の力を必要以上は使いたくないんだ。弱ってるお前を見たくない。これは前にも言ったよな」

 膝を折って、この場にはいない姿だけの幸に言い聞かせる。

「俺が、俺の力で精一杯全力で頑張ってみて、それでも駄目だと思った時、俺はお前に頼る。これじゃ不満か?」

『…』

「お前が一番大切なんだ。だから一番大事にしたい」

 目の前にいる幸は契約関係の上で俺の視界に映るだけの幻視された存在。いくら俺の“干渉”でも触れることはできない。だからいつものように頭を撫でてやることもできない。

『…』

 俯いていた幸は顔を上げて、俺の目を近距離からまじまじと見た。それから手を伸ばし、俺の体に触れないことを知ると悲しそうに眉を細めた。

「本当に不味いと思ったら、その時は迷わずお前を呼ぶ。お前を頼る。存分にお前の力を使わせてもらう。それまでは、俺に頑張らせてくれよ。な?」

 諭すように宥めるように、小さな女の子に話す。

『…(こくん)』

 そうして、幸は落ち着いた様子でいつものように大きく頷いて見せた。

「よし、いい子だ」

 ―――さすがに、ここまで近づくともう俺にもわかる。死霊のドス黒い気配。

「なるべく早めに帰るよ。幸は先に寝てな」

 民家の立ち並ぶ街の一角。夜ということもあって人気はほとんどないが、こんな路上で戦ったら被害が出かねない。

『…』

 まだ何か言いたげな表情をしていたが、安心させるように一度微笑むと、今度こそ小さく頷いて幸の姿は消えた。

(…十倍)

 それを確認して、俺は地を踏み大きく跳ぶ。

 目指すはすぐそばに建っている、マンションの屋上。

 ここでやるよりは被害は少なく済ませられるはず。

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