第7話 対死霊戦

「三、十っ、倍!!」

 “倍加”を引き上げながら上へ上へとマンションを外側から駆け上がる。部屋のベランダの縁に足を掛け、一息で五、六階分を一気に真上へ跳ぶ。

 四歩くらいで屋上に着いた。

 死霊は屋上到着から数秒で追いついてきた。

(やっぱ狙いは俺か)

 日和さんの方にも向かったらしいし、『異能』持ちを狙ってんのか?

 “干渉”、五感、身体能力。全てを三十倍にまで引き上げたおかげか、相手がかなり強力な死霊にも関わらずその動きと姿がはっきりと認識できた。

(対死霊戦、まずやるべきことは…)

 その死霊の“死因こうげき”を、その性質を見極めること!

 竹刀袋から黒塗りの木刀を取り出し構える。さあ、日和さんお墨付きの性能を見せてもらうぞ。

 実際にこれを使って見るのは初めてだが、こうして握り構えてみてよくわかる。この異様なまでの圧力。持ってるだけで弾き飛ばされそうになる。本当にただの木刀なんかじゃなさそうだ。

 それに、これを出した瞬間から死霊も動きを止めている。これがヤバイ代物だってことを理解しているのか。相当な怨念を溜め込んだ死霊は一筋縄にはいかないってことだな。

(確か、日和さんの話だと)

 この木刀は『異能』を通す性質があるとか。

「んっ?」

 『異能』を通すとかいう感覚がわからなかったからどうしようかと思ったんだが、たった今なんとなくわかった。勝手に力が木刀に接続された感じ。両手の先から木刀が『異能』と一緒に体と一体化したかのような。

 おそらく、これでヤツに通じる。

 目を見開いて死霊を見据える。

 黒い影が、人型となって屋上の上に浮いている。それを見上げながら、眼球に意識を集中させてよく見る。観察する。


 ……。


(―――…右、手)

 しばし睨み合いが続き、先手は死霊が撃った。

 文字通り、撃った。弾丸を。拳銃の形に原型を歪めた、右手から。

(銃殺…!!)

 引き金は無かった。

 撃鉄も無かった。

 発砲の挙動がまるで無かった。

 右手が向けられた時には、もう弾丸は放たれていた。

 だが木刀を振るう程度の時間はあった。三十倍強化の、漫画みたいなフルスイングで、眉間を狙った黒い弾丸を奇跡的に弾いた。

 でも奇跡じゃない。こうなることはわかっていた。あの子の力を信じていたから。

 むしろ必然。運良くそのタイミングに、運良くそのスイングの軌道が、運良く飛来する弾丸と正面からかち合う。

 今朝受け取った座敷童子の加護は、この場面においてまたしても俺を救ってくれた。

(やれやれ、本当に幸運の女神様だなこりゃ)

 これ以上あの子から力を借りるだなんてとんでもない。

 これだけあれば、死霊なんて相手じゃない。

 初撃を防がれた死霊は、浮遊したまま距離を取り再度発砲する。

(あいつの“死因”は銃殺。それだけわかればもう怖くねえ。初撃で仕留められなかったのがお前にとっては痛かったな)

 死霊は、殺された時の原因を抽出して攻撃方法に変える能力がある。まさか撃ち殺されてる人間までいるとは思わなかったが…。

 最初の不意打ちは反応できなかったが、そういう攻撃だとわかればあとは見て防げる。避けられる。

 連射される弾丸を避け、あるいは弾き、攻撃が届く距離まで近づく。

 途中から気付いたが、この木刀は銃弾を弾いていない。木刀に銃弾がぶつかると同時に銃弾が消滅しているのだ。これが破魔の力ってやつか。

 きっとこれなら、まともに一撃叩き込むだけで死霊には致命傷になる。

 宙に浮く死霊の真下まで近づき、地面が砕けるほど強く踏み込んで跳躍する。

 連発される銃弾の弾速が上がるが、まだかろうじて見切れる。

「おおあっ!」

 五発、六発。弾き躱して、握り締めた木刀を全力で振り上げる。

 バットで粘土細工を殴り飛ばしたような手応えを覚え、死霊の右腕が消し飛ぶ。

 これでもう銃撃は使えない。あとはもう一撃胴体にでも直撃させてやれば…、

 ゴリッ、と。頭に何かが押し当てられる。

「…あ?」

 一瞬のことだった。死霊は自分の右腕が失われたことになんら関心もなく、ただそうあるのが当然であるかのように残る左手を俺へ向けた。

 その左手は、真っ黒の左手は。その形を変化させていた。

 頭皮に減り込ませるように押し付けられる銃口。

 こいつの“死因”は銃殺。だから銃弾を撃てる。それはわかる。

 …まさか、銃弾を撃つ為の道具まで、自由に生成できるのか?

 そんなこと考えるまでもなかった。実際にそれをやってのけたのだ、事実はそういうことだ。

 頭部へゼロ距離からの銃撃。食らえばまず助からない。

(四十倍!!!)

 骨がへし折れるんじゃないかと思うくらい、全力で首を真横へ傾けた。右のこめかみの辺りから血が噴き出る。

「ぐっ!」

 首の骨と、その周辺の筋肉がギシギシと嫌な音を立てて軋むが、そんなこと気にしてる場合じゃない。落下する前に蹴りを放ち、死霊の左手を蹴り上げる。

 ゼロ距離からの弾丸を、掠りはしたがどうにか回避に成功する。だが、脅威はまだ去ってはいない。

「それは…っ!?」

 死霊の変化した左手は、ただの拳銃じゃなかった。もう少し複雑な構造で、拳銃より一回り大きく見える。

 あれは多分、

(機関拳銃ってのか!)

 連射性速射性に優れ、高速で大量の弾をばら撒くとかいう武器。短機関銃とかマシンピストルとか呼ばれてるヤツだったと思う。

 とにかくさっきまでの拳銃より悪質なのは確かだ。

 落下途中、死霊が再び銃口を俺へ定める。

(防ぎ切れるか!?)

 さっきとは弾数も勢いも違う。最悪、急所だけは避けなければ。

「もっかい四十倍!!」

 瞬間的に上げて戻した“倍加”を、もう一度四十倍まで引き上げる。

 よく見ろ、しっかり見切れ、確実に弾け。

 自分に言い聞かせ、漆黒の木刀を強く握る。

 着地する。

 放たれる。

 パパパパパパパパパパンッッ!

 軽い音が連続して響き渡る。

「らァあああああああああああああ!!」

 防ぐ防ぐ防ぐ、躱す、避ける、下がる、転がる、跳ぶ、防ぐ防ぐ。

 屋上を前後左右に駆け回り、上空から馬鹿みたいに降り注ぐ銃弾の雨から必死に逃げる。

 装弾数なんて関係ない。あの銃の形をしたモノがある限り、そこから無限に弾は飛び出る。リロードの必要がない銃なんて反則過ぎるだろ!

(幸の加護が無けりゃ既に何発か食らってるな…それに、)

 駆ける脚が、振るう腕が、痛みをもって警告してくる。

 生身で四十倍の維持は正直辛い。俺が単身で使用出来る“倍加”の限度は五十倍。だが維持し続けるとなれば話は別だ。これ以上続けると多分どっかが壊れる。

 多少無茶をしてでも、早めにケリをつけないと不味い。

「くそっ!」

 数発食らうの覚悟して、移動していた脚を止める。踏み込み、全身の筋肉を意識して木刀を振り上げる。

「膂力、瞬間五十倍ッ!!」

 全力で木刀を死霊目掛けて投げつける。回転しながら轟々と大気を切り裂く木刀に、機関拳銃程度の弾丸は勢いを止めることすら出来ない。

 あの木刀には強い破魔の力が宿っている。叩きつけただけで右腕をごっそり消し去ったあれが証明してくれた。連中にあの木刀は驚くほど効果があるらしい。

 だから、あんな回転を加えて迫る木刀を真正面から受け止めようなど思わないだろう。予想だが、おそらく受け止めた瞬間木端微塵になる気がする。

 だから回避する。

 そこを狙う。

 夜の空へ消えていった木刀には目もくれず、紙一重で避けた死霊の真後ろに回り込む。

 立ち止まって木刀を投げつける時に手足に数発受けたが、関係ない。ここで怯んだらそこまでだ。

 背骨を叩き潰す気持ちで、拳を握る。

 その時、死霊の背中の一部が突き出てきた。それは瞬時に形を変え、またしても銃の形に変化した。

 だが、

「予想済みだっつの!」

 両手だけが自在に銃の形にできる。そんな限定的なものだとは思っていなかった。ああやって原型を歪めて銃を生成できるのなら、きっとどの部位からでも同じことができるんだろうと判断していた。

 だから驚きも戸惑いもせず、右手でその銃口を握った。

「握力、瞬間五十倍!」

 一息に力を入れて背中から突き出た銃を粉々に握り潰す。

「せああっ!」

 そのまま、次が出る前に左拳で背中に一撃を叩き込んだ。

 肉を突き破り、背骨をへし折る。死霊の体が逆くの字に折れ曲がり、空中でその形を霧散させていく。

「は、あっ!はあ、ぜっ…はあっ!」

 無様に転がりながら着地して仰向けに倒れる。全身の痛みに息を荒げる。

 腕が痛い、脚が痛い。握り潰した右手が痛い。限界まで握り込んだ左手も痛い。

 全身を痛覚が駆け巡っていた。だがまあ、なんとか生きてる。

「…いってえ」

 痛みを我慢しながら、ゆっくり起き上がる。

 死霊は倒したが、まだ終わりじゃない。どこかにいるはずだ。あの鬼の子が。

(“干渉”、五十倍で眼球に集中)

 目から脳にかけて鋭い痛みが走るが、構うことなく周囲を見回す。

(…いない)

 屋上をざっと見ても姿は見えないし気配も感じない。さすがに五十倍で何も感じ取れないとは思えないから、おそらくあの鬼の子はここじゃなく地上にいるのだろう。

 人外の気配は人とは違う。集中すればわかるはずだ。

 それに、お札はまだ黒い。変色の反応からして、ざっとの方角はわかった。

「こっちか」

 屋上のフェンスを跳び越し、地上へ向けて落下しながら気配を探る。

(どこだ…?)

 眼球に刺すような痛みが続く。そろそろ不味いな。

 もう数階分で地上に達するといったところで、遠方からの視線を感じた。


「…!」

(見つけた)


 夜の闇に溶け込むような黒装束。僅かに驚いた様子で離れた距離の俺と目を合わせた少女。間違いない。

 マンション三階にある部屋のベランダに足を引っ掛け、鬼の子へ向けて落下速度を乗せたまま斜め下方へ向けて跳ぶ。

 俺の姿を確認するや、すぐさま鬼の子は逃げようとしたようだったが、遅い。

 鬼の子の頭上を越え、路上のアスファルトを砕きながら勢いを殺し着地する。そして同時に俺の靴はおしゃかになった。まあマンションの屋上から飛び降りて着地しても大丈夫な想定では作られてないだろうしね、この靴。

「よう。数時間ぶりだな」

 相変わらずボロボロの装束に、傷だらけの体、そして群青色の首輪とそこから伸びる同色の鎖。

 夕方に会った時よりはいくらか傷も治っているように見えるが、代わりに違う箇所に傷が増えてるような気もする。

「あ、ぅ…」

 鬼性種の少女は、即座に追い付かれて怯えた表情で後退りする。

「待て待て、だから何もしないって。なんでそんな怯えてんだよお前は」

 落ち着かせようと一歩前に出た瞬間、鬼の子は泣きそうな顔になって次の瞬間になんらかの能力を展開した。そのまま全力で俺の横を通り抜けようとする。

「ちょっと待った」

「あわっ!?」

 右腕を掴んで逃走を阻止する。止められることを予想していなかったのか、短い悲鳴を上げて鬼の子はその場に尻餅をつく。

「ありゃ、悪い。そんな強く引いたつもりはなかったんだが」

「え……なんで」

「ん?」

「なんで、見えるん、ですか?さっきは見えてなかったのに…」

 尻餅をついたまま俺を見上げる少女は、心底不思議そうな顔をしていた。

 さっき、というのは夕方のことだろうか。もしかして今のは夕方と同じ隠形術とかいうのを使っていたのか。だから俺にはもう見えていないと判断して真横を通り抜けようとしたんだな。

「残念。五十倍いまの俺にはそれ通用しないよ」

 とはいえ流石にこれ以上の維持はきつい。“倍加”を解除する。鬼の子の腕は掴んだままだから、おそらく逃げられはしないだろう。

「さ、もう逃げようなんて思うなよ。お互いろくに話もできてないんだから、まずはそっから始めようぜ?俺だって取って食う気はねえよ」

「…う」

 依然として鬼の子は俺を恐ろしげに見てくる。そんなにおっかない風貌してるのか俺は。

「俺はさ、お前が心配なんだよ。なんか悩みとか問題とかあるなら力になりたい。それだけだ。本当にお前が迷惑なら、俺もこれ以上は関わらないけど。でも何かあるなら話してほしいんだ。俺はただの人間だけど、人外おまえらの敵じゃないから。頼むからそんなに怯えないでくれ」

 わかってほしかった。この子が人間をどういう目で見ているのかわからないけど、対立しなきゃいけない、怯えなきゃいけない相手ではないことを知ってほしかった。だから誠心誠意、俺の言葉を声音と瞳に乗せて伝える。

 俺の目を見て、俯いてその視線を地面に落とす。そんな行為を数回。その間も、俺は鬼の子の腕から手は離さなかったし、視線も外さなかった。

 そうして、

「―――…本当、に?」

 おそるおそる言う、そんな鬼の子の言葉で、俺はようやく少しだけ意思が通った気がした。

「ああ、本当だよ。だから」

 だからちゃんと話をしよう。

 そう言い掛けた、瞬間のことだった。

 バヂンッ!!

「か、ぁっ…!!」

「!?」

 突然響いた音と同時に、鬼の子の体がびくんと跳ねて膝から崩れ落ちた。

「おい、どうした。おい!」

 慌ててその体を支える。その間も立て続けにおかしな音が響き、鬼の子はスタンガンを押し付けられたようなおかしな痙攣を繰り返していた。

(この音、確か…!)

 覚えがある。夕方、俺が気になって首輪に触れた時にも、同じような音と共にその手が弾かれた。

 つまりは、

「これが原因か!」

 うっすらと見える群青色の首輪と鎖。鬼の子の体を左手で支えたまま、その鎖を右手で握る。

 すると、夕方と同じように強力な何かの力が働いて俺の右手を弾いた。相当な力だ、みるみる内に右手が赤くなる。

(なんだってんだ!三十倍!!)

 もう今日の内に“倍加”は使いたくなかったんだが、仕方ない。三十倍に引き上げた握力で鎖を握り締める。原因がこれにあるなら、引き千切ってやる…!

 だが、引き上げられた五感が同時に告げた。この鎖と首輪が、いかに強固なものかを。

 バヂバヂバヂッッ!!!

「な…んだ、これっ!」

 電撃に似た感覚が、右手を通して全身に行き渡る。ただでさえ死霊との一戦で傷ついた体に、覆い包むような激痛が走る。

(駄目だ)

 俺の力じゃこれを破壊することは不可能だ。瞬時に理解する。

 だからやり方を変える。

「おい、鬼の子。少しの間だけ我慢してろよ。すぐ楽にしてやるから」

「っあ…!くぅっ!!」

 痛みで返事もできない鬼の子を横たえて、俺は再度鎖を握り込む。この状態で置いていくのは非常に心苦しいが、すぐに済ませればいい話だ。

 三十倍。痛みを無視して片手で鎖を思い切り引く。

 ジャララァッと群青色の鎖が宙に浮き、一時的に滞空する。闇夜の奥まで続く鎖を見据え、全力でその鎖の末端を追う。

 鬼の子が苦しんでいる原因が首輪と鎖にあるのは明白。だが俺の力では壊せない。

 なら、もうあとは原因である鎖と首輪を生み出している原因を叩くしかない。おそらくいるはずだ、この先に。




      ーーーーー

「ああ、まったく。予想以上に役立たずだね、あの鬼は」

 白髪混じりの短い髪を掻き上げて、男は言った。

 鎖の行方を追って数分の全力疾走。そうして、住宅街の端にある広場のベンチに腰掛けている中年の男を見つけた。

「おい、アンタ」

 男の右手には群青色の鎖が握られていた。コイツだ。間違いなくコイツがあの鬼の子を苦しめている元凶。

 だが、それを口に出すよりも前に、俺はあることに驚いていた。

 男は、真夏にも関わらず厚手の僧衣を身に纏っているその男は、俺と同じ気配を放っていた。

 人外の気配は人とは違う。だから人外と対面すればすぐわかる。

 男は立ち上がり、ジャラリと鎖を垂らして俺を真正面から見据える。


「アンタ…人間か?」


 人外の鬼を苦しめている人間の男は、無言でニタリと笑った。

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