第16話 『時空のおっさん』
「口裂け女の狙いはそれだね」
何事もなく家に帰り着き、いつものように幸の出迎えを受けて中に入る。篠も幸と同じく玄関で出迎えてくれたが、なんとも言えない表情だった。
俺の従者なのに家に置いてけぼりにされたのが不満なのだろう。日和さんが出た時点で穏やかな状況じゃないのは察していたのかもしれない。
とりあえず帰宅の挨拶を返して肩にぽんと手を置き幸護衛の任を労う。家にいてもらってただけなんだけどね。
居間の定位置に座った日和さんが、伸びをしながら俺の手の中にある朱色の鈴を指差す。
「これですか」
奴のお目当てのブツ、ただの鈴にしか見えないんだがなんの価値があるのだろう。
「厳密には、それから発せられる気配。言ってたでしょ、残り香がするって。君が直接その人外と会ってそれを貰ったから、口裂け女は君から標的の気配を感じ取ったんだ」
「はあ。つまりそれで俺を狙ってやって来たと」
はた迷惑な話だ。
でも日和さんが自分じゃ奴は誘き寄せられないと言っていた理由もこれで理解した。俺は口寄せ女ホイホイだったわけね。
それは別にいいんだけど、じゃあ口裂け女の狙いはあの妙な人外ってことになる。
存在の認識が困難な、稀薄過ぎる気配というかそういうものを纏っていたあの人外。気を緩めるとうっかり記憶から消え去ってしまいそうだ。
「で、どうするんですか?これでもう一回誘き寄せてみます?」
「もう寄っては来ないだろうね、来たところで私に返り討ちにされるのがわかってるんだから」
奴は俺と日和さんが繋がっていることを知った。ボコボコにされた相手である日和さんがいるとわかってまた襲い掛かってくるような真似はもうしないか。
「じゃ捨てた方がいいですかね」
今は日和さんが傍にいるからいいけど、明日から学校行く時にこんなん持ってたらいつ襲われるかと恐ろしくて気が休まらない。そもそもこの鈴、壊れてるのかなんなのか鳴らないしな。
手の平で弄んでいるその朱色の鈴を、日和さんは数秒じっと眺めていた。
「…それ、多分召喚媒体だね」
「へえー、英霊でも呼び出すんですか?」
なら魔法陣を描いて詠唱しないと。
いきなり家の一部がぶっ壊れて褐色の弓兵が出て来られても困るが。
「夕陽。君、まだその人外の姿形を思い出せる?」
「え、…はい、かろうじて」
多分、俺の認識はまだ合ってるはずだ。薄く眼を閉じて思い出す。
男だ、男だったはずだ。藍色の着流しの、中年の男。
そうだったはずだ。
曖昧でおぼろげな記憶を〝干渉〟を引き上げながら強引に手繰っていく。少しずつではあるが、あの存在が脳裏に浮かび上がってきた。
「…幸、篠。夕陽の傍を離れないで。夕陽、その鈴をゆっくり放ってごらん」
俺の様子を見ていた日和さんが二人にそう指示を出す。よくわからないながらも二人はすぐに従った。
シャツの裾を幸が握り、篠が俺の隣に立つ。
それを確認して、俺も言われた通りに朱色の鈴を居間の真ん中へ下投げで放る。
緩やかな放物線を描く小さな鈴が、中空でリンと音を出す。
「お、鳴っ」
言い終える前に変化は起きた。
色彩がモノクロになる、開けた窓の外から聞こえていた音の一切が消え失せる。
裾を掴んでいた小さな手の感覚も、隣に立っていた小柄な少女の姿も。
全ての気配が初めから無かったかのように俺ただ一人がーーー
「ふん」
違う、もう一人いた。
視界の端にいた日和さんが、椅子に座ったまま何かを突き立てる。モノクロの世界の中で、真っ黒な木刀がフローリングの床に刺さっていた。
ガラスの割れるような音と共に、突き立った木刀の先を中心にモノクロが砕け散る。
色と音と気配が全て帰って来た。
「…?」
「っ…今、何か…」
二人の少女も元の場所にいた。首を傾げて俺を見上げる幸と、何かの異変に気付いた篠。
「出たね」
腰掛けたまま漆黒の木刀を肩に担ぐ日和さん。突き刺さっていたはずの床には傷の一つも付いてはいなかった。
「驚いた。強引に叩き割って元に戻すとは、とても人間らしからぬ力技だね」
そして居間の真ん中。持ち上げられた右手の人差し指と中指の間に朱色の鈴を挟んで立っている男がいた。
いつの間に。どこから。どうやって。
「なっ…!?主様下がってください!」
「…っ」
俺と同じタイミングで男の存在を認めた篠が、俺の前に出て黒装束の内側から小刀を出し構えた。幸もいつでも憑依できるが如く裾と腕を掴んでくる。
「先に言っておくよ。この距離なら逃げるより先にお前を殺せる。脅しじゃない」
「いきなり怖いこと言うな…君は誰だい?俺はてっきり彼に呼ばれたもんだと思ってうきうきしながら応じたっていうのに」
これだけ近い距離にいるのに、やはりその男の輪郭がはっきりしない。どうも苦笑いのような表情で中途半端に伸びた無精ひげをいじっているように見えるが。
「お前を呼んだのは彼だよ。あと…呼ぶなら外の方がよかったかな」
日和さんの視線が男の足元に向く。
男は草鞋を履いていた。土足だ。
「おっとこりゃ失敬」
慌てて草鞋を脱ぎ捨て裸足になる。脱いだ草鞋を着流しの内側に押し込んでから、男は俺に向かって片手を上げた。
「やあ、久しぶり。まだ覚えててくれたんだね、嬉しいよ」
「…、今日会ったばっかりだよ」
「ほう、そうか。君とは今日会ったのか。なるほどなるほど」
ふざけているのだろうか、この人外は。
「早いところ質問に答えてくれるかな。お前は何者だ?それと彼に接触した理由も」
「名前を訊くならまず自分からっていうのが基本なんじゃないのかい?」
「右腕」
木刀を担いでいた日和さんの腕がブレて、次の瞬間には男の右腕が肩から吹き飛んでいた。暴風に千切られる雲のように、切り落とされた腕は空中で分解して消える。
「次は左だ、手足が済んだら首を落とすぞ」
「日和さん!」
いくらなんでも手が出るのが早すぎる。腕を切り落とす前に止められればよかったんだけど、展開の早さに追い付けなかった。
「いや…大丈夫。此処から一度乖離すれば元に戻るから」
止めようとした俺を、男が残った左手で制する。
肩からごっそり失った腕に関してはあまりショックを受けたような印象は受けない。ぼやけた顔に冷や汗のようなものが見えるあたり、動揺や痛みまでが無いわけではなさそうだ。
「わかったよ、答える。僕も死にたくないからね」
「手早く頼むよ。こっちはお前のせいで大事な彼が危険な目に遭わされているんだから」
その危険な目に遭わせたのはあんただろうと心の中だけで突っ込んでおく。
「危険?ってもしかして、口が耳元まで裂けた女のことかな?」
「やはり知っているのか。奴の狙いはお前のようだが間違いないな?」
男は短く唸ってから、
「そうだね、きっと儂を狙って来ているんだろう。ああそうか、私のせいで君に迷惑を掛けてしまったんだね」
一人称の定まらない男は、納得したように一人でうんうんと頷く。
「主様に危害が加わることを知っててそんな物を渡したのですか、あなたは」
黙って聞いていた篠が、小刀を構えたまま敵意を滲ませて言う。幸も同じように男を細めた目で見上げている、睨んでいるつもりらしい。
篠の責めたてるような言葉に、しかし男はゆるやかに首を振るって否定の意を見せる。
「信じてくれないだろうけど、知らない。知らなかった。少なくとも、俺の知ってる奴には気配を嗅ぎ分ける能力なんて無かった。だからこれまで逃げおおせてこれたんだからね」
「すると、それはここ最近で獲得した能力だと?」
「そういうことなんじゃないかな?」
「では次の質問だ、君はどこの人外だ。真名を名乗れ」
疑わしげな表情で男を見据える篠に次いで、木刀の切っ先を男に向けた日和さんが威圧気味に問いを投げ掛ける。
ぼやける陽炎の男は壁にかけてある時計をちらと見て、
「僕はあの口裂け女と同じ、都市伝説の一つだよ。『時空のおっさん』とか名付けられていたかな。彼女と比べれば話にならんほど最近出来たばかりの存在さ、まだ私が初代だしね」
「時空のおっさん」
まったく聞いたことがない。都市伝説というからには少しくらいは知ってる名かと思っていたのに。
眼前で未だ小刀を構えたまま警戒している篠を見やると、僅かに目線だけ俺を振り返って知らないとアイコンタクトを送ってきた。幸に関しては言わずもがな。
眉をひそめている日和さんも、どうやら知らないようだ。あの人まで知らないとなると男が嘘をついているんじゃないかとすら思えてくる。
当の『時空のおっさん』は、ぼやける外見からはおっさんかどうかもわからない風貌でどうやら肩を竦めたようだった。自分のあまりの知名度の低さに苦笑しているのかもしれない。
さらにおっさんはこう続けた。
「それと拙者、存在の性質故に同じ時間・空間には二、三十分程度しか留まれない存在なんで、その辺りもよろしく。あと再出現には最低でも半日、十二時間は置かないと無理だよ。これも性質上の難点だね」
どういうことかさっぱりわからないが、とりあえずおっさんは同じ場所には長いこと留まれないらしい。まだ十分も経ってはいないけど話は本当に手早く済ませた方がよさそうだ。
しかし存在の性質で同じ時間と空間には留まれないとか、そんなのもいるんだな。面倒そうな人外だ。
「なるほど、やはり存在の剥離と定着を可能とする存在だったか。最近産まれたばかりの人外にしては面倒な能力持ちだな、当然制限もあるのだろうが」
なにやら納得したらしい日和さんの言ってることも、俺にはさっぱりわからない。
「…んで、口裂け女がおっさんを狙う理由って、なんか心当たりとかあるの?」
「都市伝説の抹殺」
おっさんは俺の質問にはすぐさま答えた。
「もちろん、自分以外のね」
そう付け足したが、俺はどうにもおっさんの言ってる意味を理解しかねる。
「口裂け女が、自分以外の都市伝説を抹殺しようって?なんの為に」
「さあ、そこまでは当方にもわかりかねる。ただ前に襲われた時、そんなようなことを口走っていたから多分それが狙いなんだろうね」
「そうか。なら」
おもむろに椅子から立ち上がった日和さんが、漆黒の木刀を振りかぶる。
「これで解決だな」
(ーーー四十倍っ!!)
おっさんの脳天を垂直から砕き割る勢いで振り下ろされた木刀の腹を、ぎゅっと握り締めた右ストレートで真横に弾く。
身動きもできずにいたおっさんの額を少し掠って、木刀は斜め下に逸れた。あ、危なかった…。
「んむ、いい反応速度だよ夕陽。…右手は大丈夫?」
「だからっ、手が出るのが早過ぎるんですよ日和さん!あと右手はめっちゃジンジンします!」
俺の動きを見て満足げに頷いたあと、途端に心配そうな顔になる日和さんに嘆息する。
話を聞いていきなり殺しにかかるとは。
まあ予想してなかったわけでもない。さっきだって突然片腕を吹っ飛ばしたし。俺が止めるのも込みで日和さんは予想済みだったみたいだけど、止め切れなかったら遠慮せずおっさんを殺すつもりだったな。
「口裂け女はこの人外を殺しにこの街へやって来た。なら彼を先んじて殺してしまえば口裂け女もここに居続ける理由が無くなる。依頼達成さ」
「わかりやすいですけど、あまりにも安易です。それなら口裂け女を退治した方がいいじゃないですか、おっさんは何もしてないんですよ?」
「彼は狙われている、その狙われた身で君に接触した。結果として君も狙われた。何もしていないとはお世辞にも言えないね、万死に値する」
「俺が狙われたのは夜道にほっぽり出したあなたのせいでもありますけどね!?」
とうとう口に出てしまった。
「い、いやあれは私が付いていったから大事には至らないと確信していたからで、そうじゃなければあんなことはさせないよ、本当だって。……もしかして怒った?」
「怒ってはいませんけど…」
思わず口を突いて出た発言に日和さんが動揺する。なんでいつもクールなのにこんなことでいちいち取り乱すんだろうか、おかげでこっちも何も言えなくなってしまった。
「とにかく、おっさんを殺すのは反対です」
「じゃあ、どうする?」
代替案を求められ、少し考えてみる。
「彼に遠くの地へ逃げてもらうというのはどうでしょうか、主様」
当たり前のように篠がそう提案してきた。
が、それはちょっと採用したくはない。
「それはこれまでの流れと何も変わらないってことだよな。…個人的には、関わっちまった以上は少しでも力になりたい。逃げてるばっかじゃいつか捕まるしな」
そうなればおっさんは口裂け女に殺される。
人外は死んでも代を重ねるだけでまた新しく存在が構築される。人間でいうところの転生とでも呼ぶべき現象だろうか。
だが、記憶の引継ぎは無い。
このおっさんが死んだら、次のおっさんはまた記憶をリセットして誕生する。
ここで会って話をした都市伝説『時空のおっさん』は完全に消滅する。
それは、俺にとっては知り合いの人間が死ぬことと同じだ。同じ姿形で蘇ったって、そこに記憶が伴わなければ見ず知らずの他人と同じ。
袖振り合うも他生の縁。
なるべくなら見殺しにするようなことは避けたい。
そんなことを考えながら口にした言葉を受けて、篠はしばし俺の顔を見上げてから、ふと微笑んだ。
「そうですか、そうですね。主様はそういうお人でした。わたしも、それで救われたのですからもう何も言いません」
「悪いな、せっかく考えてくれてたのに」
「いえ、わたしこそ浅慮でした。主様の考えにわたしは従います。如何様にもご命令ください、必ずや応えてみせますので」
「ああ、それで思ったんだが…」
おっさんを指で示して、
「篠の隠形術で隠すってのはどうだろうか。これなら口裂け女も見つけられないんじゃないか?」
この子が扱う、隠れ潜む隠密の術。一度使えば五感から完全にシャットアウトすることも、やろうと思えば存在した記憶すら隠せるチートかくれんぼ能力。自分以外の他者に隠形術を掛けられることも身を持って知っている。
「あの、それは…」
「無理だね」
「不可能だと思うよ」
これならいけるのではと思ったが、提案した瞬間に篠は言い淀み、日和さんは一言で断じ、おっさんも左手で頭を掻きながら言い切った。
なんなんだよ、三人して言うことないじゃないか。篠はなんも言ってないけど。
「見て聞いたところ、彼は自らの存在を一つの時間空間に固定出来ない。私達とは違う存在だ。そんなものに篠の隠形術は適用されない」
「はい…おそらく。申し訳ありません」
「へえ、そうなんだ。いやいや謝るなよ、俺もよくわかってなかった」
ていうか、おっさん自体のことが今ひとつよくわからない。時間と空間に存在を固定出来ないってどういうこと?
おっさんは逆光が差しているように見えづらい表情で軽くおどけた。ように見えた。
「まあ、そういうことだね。厳密には左右の次元あるいは上下の時間軸に存在を割り込ませて現界してる、シールみたいなものかな。剥がしては貼って、それを繰り返してるんだよ」
「…何故?」
「この身が、どの空間にも馴染めない身体だから、かな」
ますますわからん。
「ううんまあ、そこら辺はネットかなんかで調べてよ。あとはそこの女性が詳しそうだから聞いてみてもいい」
なにやら話を締め括りそうな空気になっていて何気なく時計を見ると、もうそろそろおっさんが現れてから二十分が経過しようとしていた。
おっさんが言うところの、この時間と空間で存在できるタイムリミットってことか。
「もし次があるなら、まだ俺を覚えていてくれるなら、そしたら話の続きをしよう。痛い目にも遭ったけど、今日は楽しかったよ。また会いたいね」
最後にそれだけ言って、おっさんの姿はいきなり視界から消え失せた。
「…っ」
それをきっかけにして、俺の頭の中からおっさんの容姿と記憶が曖昧になる。ただでさえふわふわした感じで認識しづらかったってのに。
「……あれ。主様、今ここに、誰か…?」
「……?」
篠と幸に至ってはほとんど忘れてしまったようだ。たった今まで目の前にいた相手のことを。
「本当に面倒臭い人外だね、会う度に記憶は戻るのかもしれないけど」
唯一、日和さんだけは何も変わらずにおっさんのことを認識していた。俺はかなり薄まってしまっているが、〝干渉〟が働いているおかげか完全に忘れるまでにはなっていない。
「なんなんだよ…これは」
「不思議なことではないよ、忘れて当然。というか、知らなくて当然なんだよ、あの男のことはね」
妙なもどかしさと苛立ちに思わず一人ごちると、日和さんが説明してくれた。
「今、あの男は存在を剥がしてこことは僅かにズレた世界の過去か未来にでも定着させているんだろう。となればここに居た痕跡は消える、記憶からも全てね。初めからいなかった者のことなど覚えていられるわけもない、『異能』で強引に認識を繋ぎ止めている私や君の方がむしろイレギュラーなのだよ」
「ズレた世界、というと」
「彼が言っていたでしょう?左右の次元って。あれはおそらくそういう意味だ。平行世界、パラレルワールド、常に平行線で隣り合う決して交じらない無数の可能性の世界、彼はそれを行き来できる能力の持ち主だ」
「んな無茶苦茶な…」
パラレルワールドなんて言葉、漫画やアニメ以外で聞くことになるとは思ってもいなかった。本当にそんなことが出来るんだとしたらとんでもないおっさんだ。
「あの、主様…」
とても聞きづらそうに、篠が口元をもにょもにょさせる。それを見て、やっぱり同じ人外とはいえ覚えていられないものなんだなと理解し頭に手を置く。
「また会う時があれば、その時にまた思い出すよ、きっと。それまでは無理に思い出さなくていい」
日和さんの言い方から推測すれば、また俺達のいるこの世界のこの時間に現れれば存在しないことになって消えていた記憶も一時的に戻るのではないだろうか。
なら別に、今説明し直しておく必要もなかろう。
「はい、主様がそう仰るのであれば」
色々言いたいこともあるだろうに、篠はただそれだけ返してくれる。いい子だ。
「……」
何か訴えかけるような上目遣いで幸が俺の腰にしがみ付く。
「ああ、幸もな。よしよし」
幸にも同じように頭に手を乗せて撫でると満足そうに目を細める。
「それで、君はどうするんだい?」
木刀を竹刀袋に納めて椅子に腰掛けた日和さんが、いつものように俺の意見を仰ぐ。
「…日和さんは、どうするおつもりで?」
「私?んむ、そうだねえ」
顎に手をやって、中空をぼんやり眺めてから、
「次に現れた方を殺すよ。できれば戦闘能力の皆無な時空の彼を殺せれば簡単そうだけど、その前に口裂け女が現れるようなら、そっちを殺す。どっちか片方仕留めれば話は終わりだからね」
おっさんを狙う口裂け女が死ねばおっさんは助かる、おっさんが死ねば目標を失った口裂け女は用済みになったこの街を去る。
そして日和さんの受けた依頼内容は『対象が無害な人外である確証がとれるか、又は対象が穏便に街を去ってくれること』。その両方が不可能ならおそらく追加で殺害も選択肢に追加されただろう。
前者はもはや絶望的だが、後者であればまだ可能性はある。
既に穏便ではないが、おっさんの死を知れば口裂け女も街を出て、日和さんの依頼は達成されたことになる。報酬も問題なく受け取れるはずだ。
つまり、日和さんにとってはどれがどう転んだところでさしたる支障は無いのだ。殺そうが逃がそうが依頼達成なんだから。
そうなればあとはどうすれば楽で効率的かって話になる。日和さんなら特に。
本人が言っていた通り、より始末しやすい方を殺すのが手っ取り早い。なら狙うは戦う力のないおっさんだ。
…………、ああ、まったくそういうことか。
薄々そうじゃないかとは思っていたが、やっぱりそうなるのか。
家に帰る前の、若干楽しげにも見える日和さんの発言を思い出す。
『話の次第と今後の展開によっては、君も黙ってはいられなくなるかもしれないね』
あれは、これのことを示していたんだろう。
「日和さん。少しこの件、俺に預けてもらえませんか?」
なら、俺は黙ってはいられない。
凶悪な人外が退治されるだけの話なら俺も突っ込もうとは思わなかったのに、戦う力のない人外が狙われているだなんて事情を知って、俺が黙って見過ごせるわけがない。
それを見越した上で、日和さんは俺にそう言ったんだ。
さすがだ、俺のことをよくわかってる。
あなたの見越し通り、俺は首を突っ込みますよ。きっとあなたは俺に経験を積ませる魂胆でそういう風に仕向けたんだろうけど、そういうの抜きで俺は戦う。
今度の敵は口裂け女。話し合いの余地が無いのはもう承知済み。残る手立ては武力による正面衝突のみだ。
「んむ、それは構わないが。大丈夫かい?」
茶化すように、それでいて真剣に俺へ問うてくる日和さんの瞳を真っ直ぐ見返す。
人間としての俺ではあっさり敗北して惨殺されるのが目に見えているほど強力な相手。だが俺にはその人間としての基準を大きく超えた力を出せる手段がある。俺以外の者の力を借りて強大な能力を得る、とても情けない方法が。
「日和さんに任せるとおっさん殺されそうなんで、なんとかしますよ。幸、今回も頼むな。それに篠、手を貸してもらうかもしれない」
「…(こくん)」
「了解です。わたしの全て、好きに使ってください」
苦戦は必至だろう、下手をすれば死霊よりずっと強い。
またしても日和さんの掌の上で踊る羽目になるんだなと思いつつ、これは日和さんなりの譲歩というか妥協のようなものなのだろうなとも思う。
その気になれば、俺に一言も告げず関わる人外を皆殺しにして解決させることも容易なのに、わざわざ俺に伝えて選ばせている。手間も時間も掛かって日和さんにとっていいことは一つもないのに、それでも俺に仕事を振ってくれる。
俺の考えと意思を重々承知しているからこそ、そうしていちいちチャンスをくれる。なんだかんだで優しい人だ。
だからそれにも応えたい。日和さんの期待通り、経験を重ね強くなることで。
俺はもっと強くならなくちゃいけない、もっと強く。被害を最小限に抑えて、互いに害成す人や人外を討てるように。
そう決意を改めて、俺はさっきまでおっさんが立っていた場所の床に落ちていた朱色の鈴を拾い上げてポケットにしまった。
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