第17話 情報収集


 『授業を受けていたらいつの間にかクラスの人間が全員いなくなって自分一人だけになっていた。途方に暮れていたところ、廊下にいた知らないおじさんが触れた瞬間にいつもの学校に戻っていた』

 『いつもの町が静かな無人の場所に変わっていた。歩き回っていたら、作業着姿の中年の男によくわからないことを言われ、気付いたら自宅のベッドにいた』

 『帰りの電車でうっかり寝ていたら、見たこともない無人駅に停車していた。明るい時間だったのに誰もおらず、ようやく見つけた男の人が何かを謝りながら目の前で掌を叩いた。その瞬間に視界が真っ暗になり、次に目を開けたらいつも通りの電車の中だった』


 休み時間を利用して携帯電話で調べてみたところ、どうも『時空のおっさん』とやらは謎の多い都市伝説らしいということが判明した。

 共通するところとしてはいつもと違う別世界に迷い込む(連れ込まれる?)ということ、誰もいない世界で唯一出会える相手がそのおっさんであるということ。

 そしておっさんであるという情報が多い中で、何故かその顔どころか性別すら判然としていないこと。

 顔は擦りガラス越しに見たようにぼんやりとしか記憶に残らず、着ている衣服もその時々によって異なり、酷いと男か女かだったかすらも覚えていられない。

 だけどその不可思議な体験をした者達は一様に『中年のおっさんだったような気がする』とのたまうのだそうな。

 これがあの都市伝説の人外としての性質、能力なのだろう。時間と次元の軸を渡る者。認識に障害と誤認、あるいは何らかの干渉を及ぼす者。

(ふうん。可愛いもんじゃないか)

 人外としてはあまりにも無害だ。不思議な世界に巻き込むが、最終的には元の世界へ戻してくれる。ネットでの投稿では戻っても微妙に何かが違う世界に飛ばされたとの言もあるが、そもそもの話が信憑性に欠ける。他の投稿を見て適当に便乗した線も否定できない。

 おそらくネットに載る情報のいくつかはガセネタか勘違いだ。集団心理とはまた違うだろうが、夢で見たものを朧げに覚えたまま他の投稿に同調したもの。ただ単純に面白がって広めようとしているもの。

 都市伝説とは本来そういうものだ。ようは広まればいい、怖がればいい。不思議に思い記憶に留めておけばいい。

 認識の積み重ねが人外を形作る。そして産まれ出でた人外が本当にその現象を引き起こす。人間はそれをまた広める。人外の存在濃度はその度により強まる。

 ともあれ、おっさんは他の都市伝説と違いあらゆる情報において戦闘能力を持っていないことが分かる。多くがホラーテイストに語られる化物揃いの都市伝説というジャンルの中では珍しい部類だ。

 つまり自衛の手段が無い。襲われたら終わりだ。

(早めに口裂け女を見つける必要があるな…)

 おっさんの話では、口裂け女は近年になって都市伝説の気配を嗅ぎ分ける能力を獲得したという。それにより追跡を撒け切れずこの街まで逃げ延びてきたと。

 こちらが見つけるのが先か、あちらが見つけるのが先か。

 時間は掛けられない。

(やるか)

 学校サボってヤツの捜索に時間を割くのが一番なのだが、日和さんに学費負担してもらってる手前、出来るだけそれは避けたい。人外にかまけるあまり自分の将来を蔑ろにするなよって、よく言われてるし。

 というわけであの子に働いてもらう。仕事欲しがってたしちょうどいい。

(契約を結んであるから、幸と同じように念話は繋がると思うんだが、さて)

 教科書に視線を落としている風を装いながら瞳を閉じ、忍者のような装いの少女を脳裏に思い浮かべ、呼ぶ。

(篠。…篠。聞こえるか)

『———っ!は、はい主様!お呼びでしょうか!?』

 驚きながらも、返事の声は即座に頭へ響いてきた。

 今は家で幸の遊び相手になってくれている子鬼の少女、篠。

 あの子の能力は隠密行動にもってこいだ。

(少し頼みたいことがある。大丈夫か?)

『勿論です。如何な命令でも、遂行してみせます』

 別に命令というほど大層なものでもないんだが。

 相変わらずのお堅い態度に苦笑が浮かぶ。だけどこれが篠の性格だから仕方ない。

(街へ出て口裂け女の動向を探って欲しい。痕跡や気配の残滓みたいなものでもいい、とにかくあの人外の動き方を知りたい)

 ヤツの身なりからして、真っ昼間から人混みの中を動き回るようなことはまず無いと考えていい。動くなら日が暮れてからだ。

 その間に口裂け女が何をしているかが問題だ。まさか延々と刃物を研いでいるだけなわけはないし、夜からの行動に備えて何らかのアクションを起こしているのなら尻尾は掴み易くなる。

(お前の隠形術なら人間にバレずに街中に出れるよな?)

『はい。人間といわず、我が隠形はあらゆる感知からの隠蔽を可能とします故』

 自らの能力に絶対の自信があるのか、常に控え目な篠にしては珍しくはっきりと断言した。頼もしい限りだ

(俺が帰るまでの間、無理のない範囲でいい、頼む)

『御意に』

(……いいか。本当に無理はするな。たとえ見つけても深追いはしなくていい。何か不味いと感じたら真っ先に逃げ帰れ)

 これこそ命令としたいくらいだ。責任感旺盛な篠は自身に与えられた任に対し必要以上の戦果を求めようとするだろう。欲を張れば必ず痛い目を見る。篠の主として契約を結んだ以上、身の安全くらいは俺が保障していたい。

『…はい、わかっております主様。わたしの全ては貴方様の所有ものです。その意思に准じます』

 柔らかな語調で同意を示した篠にもう一度「頼む」と告げ、念話を切る。

「……うーん」

 命令次第では命を差し出すことすら惜しまない、絶対遵守思想の従者として在り続けた篠と命絶対大事主義の俺とではまだ考え方に落差があるような感覚があるが、それでもいくらか彼女とも解り合えてきた気がする。さっきも俺の主義を見通したような言い方だったし。

 まぁ、あれだけ念押ししたんだし無理は通さないだろ。

(さっさと授業終わんないかな…)

 まだ三時限目。学生の本分はいつも一日の大半を掻っ攫う。




     -----

 厄介な同級生共に絡まれる前に終礼と同時にダッシュで教室から飛び出し、そのまま屋上へ。

 持っていた鍵でドアを開け、貯水タンクの上まで跳び上がる。

「―――……」

 見開いた瞳を虚空へ向け、薄ぼんやりとした空を眺めながら呼吸を落ち着け、〝倍加〟展開。

 五感を拡張し、第六感を引き摺り出す。

 日和さんから日毎教えてもらっている技能はいくつかあるが、そのどれも実践するには困難を極めるものばかり。〝干渉〟を微弱な状態で常時展開させるというのも習得するまでにかなりの時間を要した。

 今行っているのもそれに似た技量を必要とする、感知領域の広域展開。

 元々〝感知〟の異能を持つ日和さんが得意としているものを、下位互換ながらに〝倍加〟で行おうという真似事の一環。

 目で見ることに拘らず、耳で聞くことに囚われず、全てを動員して必要な情報を拾い集める。さらに〝干渉〟をさざ波のように自身を中心として広げていき、人の世にあるまじき気配を異物として探り当てる。

「…無理だな」

 呟き、集中を解く。

 人外の足跡は異質の残滓として残る。ただの人間では分かり得ないものを俺なら感じ取れる。

 だがこれは無理だ。

(死霊、祓魔師。連中のぶちまけていった気色悪い残り香が残留しっ放し。これじゃ口裂け女の残滓かどうか判別つかん)

 それに元よりこの街には悪質ならざる人外もいくつか存在、生活している。正負の違いは判るから幸や篠のような善性寄りの気配の見分けくらいはつくが、それにしたってこれでは口裂け女の動きは掴めない。

 たぶん、日和さんならこのごちゃごちゃした闇鍋みたいな街の気配からでも正確に狙いを絞れるのだろうけど。

(幸と〝憑依〟した状態ならもうちょい精度高めに探れるんだが、結局人間の俺個人ではこの程度が限界。もっと精進しないとだな…)

 やはりというか、いつも通りに足で探すのが一番手っ取り早い。

 まずは家に帰り篠と合流する。いきなり命じて半日の内に何か収穫を求めるような真似はしないが、街の状況くらいは聞いておきたい。死霊騒動による行方不明者多数に加えての通り魔騒ぎとなれば相当ざわついているはず。

 人外が紛れるには絶好の環境と化しているのは明白。

 口裂け女はやたらと頭が回る。それは昨夜の戦闘でよくわかった。

 もしかしたらこれも、ヤツの思惑通りの流れかも、しれない。




     -----

「口裂け女の居場所を突き止めました、主様」

「マジかよ有能かお前」

 帰宅と同時に知らされる驚愕の事実。幸を抱きかかえたままの状態で数秒硬直してしまう程度にはビビった。

「よく見つけたな、この短時間で」

「主様の察する通り、わたしという存在は暗殺を主とした隠密行動とそれを利用した情報収集能力に特化したモノですので」

 何を察したわけでもないのだが、篠の本質はそういうものにあるらしい。基本的に強靭な肉体を用いた蹂躙と殺戮を好む鬼性種の中では取り分け珍しい類だと思う。

「それで、ヤツはどこで何してたんだ?」

「街中に」

 一瞬耳を疑った。それを予期してのものだったのか、俺が何か返す前に篠が続ける。

「平然と街中に溶け込んでおりました。人の往来が多い大通りを闊歩し、何をするでもなく周囲を見回しながら」

「…なんの冗談だ。あんな馬鹿でかいマスクを付けた女が街を歩き回ってた?」

 それを見過ごす街の人間もどうかしている。あれだけ殺意を振り撒いていた女がだぞ。

「いえ、主様。それが…」

 戸惑う俺へ、篠はさらにわけのわからないことを言った。

。マスク自体、あの人外は着けていなかったのです」

「……」

「口は普通の人間と同じで、外見も身なりも整ったものになっていました。少なくとも、昨夜主様が刃を交えた口裂け女という特徴からは一見して遠のいたものとなっているかと」

 なんだってんだ。

 人外は理解の及ばないことが多い存在だというのは知っていた。だがこうまで既知の外側で勝手をされてはいくらなんでも参る。

「日和さん!」

 餅は餅屋。いつもの如く椅子に腰掛け読書に耽る専門家へ問いを投げ掛けるしかなかった。

「不思議なことではないよ」

 口に出すことすら億劫そうな日和さんはまるで事件の全容を解明した探偵のような頼もしさがある。本を閉じ、テーブルに置かれていた湯呑の中身を一口含んで、

「都市伝説とは名の通り、都市まちに伝わる諸々の怪異を説いて広めたもの。本来その性質は人の世に極めて馴染むよう、他ならぬ人の手で設計されている。そうでなければ街に溶け込む怪異はその本領を発揮できないからね」

「人に化けるのもその性質に因るものってことですか?」

「然り。猫又、妖狐、化狸、それに鬼もか。神通力を習得した人外には変化なり人化なり術の覚えがあるものだ。都市伝説の偽装能力も似たようなもの。人と限りなく近い位置にありながら、薄皮一枚のところで交わらない境界線上の淵に成り立つのが都市に広がる伝説なのさ」

 山奥を徘徊する妖怪や天上の雲海に住まう神々のように縁遠いものではなく、身近に肌で感じる距離の恐怖。

 人の一生に延々付き纏う、他人事では済ませられない異質こそが近代の怪異。

 神話の怪物よりも街に潜む影を恐れるのは道理だ。人は自分に直接関与する可能性から懸念するものだから。

「…まあ、どうにもそれだけじゃ説明がつきそうにないのも確かだがね…。篠、茶をくれないか」

「はい、只今」

 干した湯呑を再びテーブルに置いて、疑問符を浮かべる俺と幸に視線を寄越す。

「あの人外は奇妙だよ。二度の戦闘で確信した。内包している質が違う。外見ガワは口裂け女、そして主柱メインも間違いなく口裂け女だ。だが何かが混じっている。あるいは人化したのも後天的に取り入れた力によるものかもしれない」

 おっさんの言っていた、口裂け女が新たに獲得した能力という部分からもそれは予感していた。ヤツは何か普通の人外とは違う。

(単純な人外としての強さに加えてそれか…。正体がわからない以上は対策のしようもないが、心構えだけはしっかりしておこう…)

「それと、主様……ぁ」

 湯呑に茶を注ぎながら篠が報告を続けようとして、ふと自分の所業にばつが悪そうな顔をした。

 日和さんに茶を注ぐ動作の最中での報告など、従者の主に対する態度としては好ましくないと考えたのだろうか。

「いいよ、別に俺は気にしないから」

 言葉と手振りで中断しようとした動作を続けさせ、そのまま会話だけ交わす。

「…口裂け女の、居場所なのですが」

 件の都市伝説が隠れ潜む場所。これが知れたのは大きい。そう遠くないのであれば、すぐにでも打って出たいところだ。

廃工場です。口裂け女はそこに潜んでいました」

 正確な場所を聞くまでもなかった。篠が『あの』と言う廃工場は一つっきりしかない。

 祓魔師が根城としてた、死霊生成の現場。

「……中は覗いたか?」

「いえ。主様がお帰りになる刻限に差し迫っていたのと、何か近寄り難い気配を感じ取り深入りは厳禁としました」

 つらつらと述べる篠に感心し、思わず立ち上がり両肩を掴んで大きく頷く。

「そっかそっか。いい子だ、ちゃんと俺の言葉を守ってくれたんだな」

「はい。それが主様の御意向と判断致しました、ので」

 素晴らしい。優秀過ぎる。

 これは褒美を取らせねば主としての面子が保てない。いや保ちたいわけでもないんだけど、成果に対する報酬は必要だ。

「お疲れさま。何かしてほしいことがあればなんでも言ってくれ。主従の関係でもそれくらいはいいだろ?」

「では、またこのようなお役目をわたしにお与えください。主様のお力になれるように」

 それは絶対褒美とは呼ばない。社畜だ。

 仕事一筋なのはいいが、おそらく篠が鬼として使役されていた時代と今では認識も待遇も大きく異なる。現代には労働基準法なるものがある。過労を課すようなブラック環境にはしたくない。

「んじゃ保留な。功労に対する褒賞は俺が積み立てておくから、篠はそれをよく考えておくように」

「そんな、わたしは別に」

「俺の気が済まねぇんだよ。おれを助けると思っておとなしく受け取ることを受け入れろ。甘味か?甘味がいいのか?」

 ひとまずはいいとこの羊羹なりどら焼きなり買ってくるとしよう。古き極東の人外らしく和菓子を好むことは、最近おやつの時間に最中を食ってた間の瞳の輝きからして既に掌握済みだ。

「…っ、っ」

「え、なに幸。……あー、うーん…それは、どうかなぁ。この辺に売ってるのかなぁ…」

 シャツを引っ張って何事かジェスチャーで伝える幸の意思を汲み取るに、我が愛しのお嬢は八つ橋をご所望の様子だ。でもあれ京都じゃなかった?

「見つけたら買って来るよ」

「っ」

 期待の眼差しを真っ向から受けることが出来ずに視線を僅かにずらす。本場でなくても探せば売ってるかもしれない。

 思えば幸にも散々力を貸してもらっている割にはあまりに返せているものが少ない。今度幸にもしてもらいたいことを聞いておかねば。

「それはそうと、場所は分かったが早速攻めるのかい?夕陽」

 椅子に座ったまま伸びをする日和さんの問いには首肯を返す。

「はい。時間を置く理由もありませんし、どの道実力行使になるのなら人気の少ないあの辺りはちょうどいい」

「んむ。なら気を付けて行ってらっしゃいな。まず間違いなくあの人外は何か隠し玉を用意している」

 二度も余裕で撃退した日和さんはしかし油断するということをしない。単に俺が出向くのが不安で心配なだけなのかもしれないけど。ってかたぶんそうだ。

 昨夜は散々な目に遭わされたが、今夜はそうはいかせない。

 幸の力を借りた〝憑依〟で、必ず最強の都市伝説を討ち取る。

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