第九席 噺道楽
萬願亭苦楽が奇跡の復活を遂げた。
一部コアな落語愛好家たちは、その話題でもちきりである。《横浜わいわい座》で十日間に渡り行われている、
『萬願亭苦楽独演会』
は連日、立ち見が出る程の大盛況であり、なおかつその内容も全日通しで長大な新作落語を演ずるという、ファンの期待に違わぬものであった。
そして公演も今日と明日の残り二日、大団円に向けボルテージは高まるばかりである。では、高座の方へ目を向けることにしよう。
ドンドン。
軽快な出囃子に乗って苦楽登場。会場割れんばかりの拍手である。
「毎度のお運び、ありがとう存じます」
苦楽のマクラが始まった。
「今回は十日も続けて演じさせていただき、ありがたいやら疲れるやらでもう大変なんでございますよ、まったく」
おどける苦楽。場内爆笑。
「まあ、通しでお越しの皆様も、今日を一会の皆様にも楽しんでいただけるよう精一杯勤めますので、ごゆっくりおくつろぎの程をよろしくお願い申しあげます」
会場またも拍手の嵐。
「えー今日もまた与太郎な噺家、道楽の馬鹿噺でございます」
そう、今回の『萬願亭苦楽独演会』、その通し演目の題名は、
『道楽』
である。
つまり、読者の皆様方に、ここまで御覧いただいてきたこのおはなしは、『萬願亭苦楽独演会』で演じられた苦楽の新作落語なのである。すなわち、皆様方は『萬願亭苦楽独演会』に、今日まで通しで御来場いただいていたということである。S席八千円×今日で九日間=七万二千円の豪華チケットである。それもプレイガイドで正規に買った値段であり、《ヤプーオークション》なんかで調べたら十万円を楽に越えちゃうプラチナチケットなのである。少しは感謝して作者に袖の下ちょうだいませませ……と言う冗談はともかく。
「さて、本日はお待ちかね道楽の落語の秘密をお話しいたします」
苦楽、本筋に入る。
「もともと道楽という男、カッパ伝説で有名なI県の伊色遠野久(いしきとおのく)村の庄屋の倅でございます。とは言っても庄屋夫婦の本当の子供ではなく、近所の神社の御神木の根元に捨てられていた、出自不明の者でございます。一説にはカッパの子供だとか、ヤサイ星からきた宇宙人だとか言われておりますが、頭頂部にお皿はございませんし、お尻にしっぽもはえていないようなので人間、ホモサピエンスであることは間違いない! ようでございます」
さすが、苦楽。出足からパクリや小ネタを交えて軽快に話す。
「さてこの庄屋の家系。代々、村の束ねのほかにある生業を勤めておりました。それは《語り部》。《固い屁》じゃあ、ありませんよ《語り部》でございますよ」
これは、ちょっとスベったくさい。
「さあ《語り部》とはなんぞや。それは稗田阿礼、これ読めます? 《ひえだのあれい》って読むんですよ。えっ、鉄アレイ? 違いますって! 二の腕鍛えてどうするんです。《ひえだのあれい》です」
苦楽、懐から《稗田阿礼》と書かれたスケッチブックを取り出した。おいおい、色物に走るのか? いやそうではなく。
「《語り部》とは稗田阿礼から始まる、この世に起きた全ての物事を頭の中にしまい、必要に応じて人々に話して聞かせるという、非常に頭脳労働なものでございますな。『古事記』や『日本書記』など、いわゆる太古の『国史』なんてものは、こうした《語り部》の話しを書き留めて作られたとも言われております」
苦楽の噺は勉強にもなる。
「道楽も幼少より、養父母から口移しで御飯を……おやこりゃ小鳥さんですな、えへん、口移しで古今東西の蘊蓄を頭に叩き込まれました。たんこぶが絶えなかったそうでございます……ふふふ、『叩き込まれる』の意味が違いますね」
ハハハ……失笑。
「こうして、脳内、蘊蓄だらけになった道楽。長じるにつれ一つの疑問を生じます。それは、『こんなに蘊蓄を頭に詰めて一体なんの役に立つか?』ということであります。当然ですわな、紙も鉛筆も、いや文字すら無かった時代ならともかく、現代は様々な情報ツールや記憶媒体があり、それこそインターポール……ではなくてインターネットにサクセス……いや、アクセスすれば、なんでも一瞬で分かってしまうんですからねえ。頭からっぽだってへっちゃらですわな」
そりゃ、そうだ。
「悩んだ道楽、悩んだ挙げ句に見つけました、天職を! そう噺家でございますよ」
ドンドン! ここまでは昨日の誘拐……、いや、おさらい。
「かくして噺家を目指すことにした道楽。どこかの師匠に弟子入りしなければなりません。さて、どこにする? って、我らが萬願亭に決まってるんですけどね。では、なぜ? 萬願亭にしたか。それは、我が一門が独立独歩を旨とした一派であり他の一門とのしがらみが無い……まあ少しはあるんですけどね。とにかく、超がつく程の人見知りの道楽にはうってつけの一門だったのでありますよ。萬願亭は!」
チントンシャン、と三味線が挟まれる。
「さて道楽、修業の道に入りますが、そこはそれ《語り部》ですから、師匠から一回、噺しを聞いただけで完璧に憶えてしまいます。一週間で師匠の持ちネタ八十八手を身に付けてしまいました。師匠は『こいつは天才だ』と感心しましたが、一方で『憶えるだけならただの物まねに過ぎぬ』と考え、道楽に『今度は自分なりの新作をこしらえてみなさい』と課題を出しました。すると《ガシャン、グイーン》と道楽の脳内データベースが作動し、蘊蓄とギャグとストーリーが有機反応を起こし、一時間も掛からず新ネタが完成しました。それが不朽の名作と今も語り継がれる《瀬戸際の魔術師》でございます」
ウォー、と観客席から感嘆の声があがる。あの映画やドラマの原作にもなった、知らない人はいないという
「えっ、《瀬戸際の魔術師》を知らない? それは困ったお方が客席にいますよ。警備の方! 外に放り出してやんな」
と言いつつ、苦楽にんまりと笑う。客席大爆笑。
「そんなこんなで道楽は並みいる先輩たち、つまりは失楽、白楽、旗楽らを押さえてあっというまに真打に上り詰めます。そして、成功すれば若くして名人の称号を得ること間違い無しの『萬願亭道楽十番勝負』をこの《横浜わいわい座》で開催し、ついに、奇しくも今日と同じ九日目に例の衝撃の時が来るのです」
シーン。静まる場内。ついにあの事件の真相が語られるのだ……本人の口から!
「えー」
苦楽が急に黙り込む。
観客席に緊張が走る。
もったいぶっているのか、言い淀んでいるのか、はたまた絶妙の間を取っているのか、苦楽下方を見つめ動かない。
積年の思いが去来する。
苦楽瞳を閉じている。
《グィーン、グィーン》
苦楽の脳内スパコンが超高速で噺を組み立てているのが分かる。もうすぐだ! 誰もがそう思ったその時、
観客席の最前列、お客さまの手荷物かと思われていた風呂敷包みが突然パカッと開き、《ドカーン》という轟音と共に、中から、梅干しの如く、おそろしいまでに皺深い老人が客席に飛び出して来た。老人の目は苦楽同様閉じられている。
その爆音に目を開く苦楽。老人に向かい、
「ど、どなた様で?」
とうろたえながら尋ねた。
すると皺深い老人は薄目を開いた。そして苦楽に向かい、
「おい、道楽」
と呼びつけた。
「は、はい」
怯える苦楽。
「まだまだ、だな」
呟く老人。
「そ、その声は……師匠!」
叫ぶ苦楽。
「そうよ、道楽。わしが本当の苦楽じゃ。お前にはまだ苦楽の名は譲れんな!」
そういうと老人は「グワアァーッ!」と大きく口を開き、牙をむき出しにすると邪悪な魔王に変身し、苦楽に襲いかかった。
「ギャー」
絶叫する苦楽。しかしその首は既に胴体から離れていた……
……幾度となく彼を恐怖に陥れる幻覚……
高座の上にいる萬願亭道楽改め十代目萬願亭苦楽は噺の途中で固まったまま動かない。客席にざわめきが起きる。
「どうした!」
「十代目!」
声援と罵倒が響きあう。やがて、
「ああ、御無礼いたしました」
と体中冷や汗をたらした苦楽が口を開いた。拍手が鳴る。
「えー、わたくしこの度、快楽師匠始め、鎚楽さん、失楽、白楽、旗楽らの諸先輩がたの御推挙を頂き、またなおかつ、ノンフィクションライターの綱渡通さんらの御尽力で十代目萬願亭苦楽を襲名し、このような独演会まで開かせていただきましたが……」
また口籠る。
「わーわー」
「ざわざわ」
揺れる客席。やがて、
「やはりわたくし、萬願亭苦楽を継ぐ力などありません。わたくしは与太郎な噺家、道楽でございます」
と言いながら苦楽……いや道楽は頭を下げた。続けて、
「もう一度、修業をし直して参ります。しばらく姿を隠しますが探さないでください」
と宣言して退場してしまった。
呆然とする場内。
その最後列では、いつの間に座っていたのか、九代目萬願亭苦楽が鼾をかいて眠りこけていた。
「ムニャムニャ、どう〜らく、まだまだだなあ〜。お前の噺はつまらん! ムニャムニャ」
と寝言を呟きながら……。
若くして天才と呼ばれた噺家、萬願亭道楽はまた突如高座から去ってしまった……。
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