第八席 仮面道楽

 道楽の元に、かつての同輩、鎚楽から緊急電話が掛かって来たのは、とある夜更け過ぎのことであった。

「おやおや、鎚楽さん、ごきげんよう」

 欠伸をこらえる道楽に対し、

「おい道楽。お前、妙な男に行方を追われているぞ」

 と鎚楽はせっかちな口調で脅しをかけた。

「おやおや、どういうことですか」

 寝ぼけ眼の道楽が聞くと、

「ああ、俺のところに《綱渡》とかいうノンフィクションライターがやって来てさ、お前の居所を知らないかと尋ねられたんだよ。もちろん、知らないと、とぼけておいてやったがね」

 鎚楽が早口で答えた。

「それは、ありがたいですねえ」

 心から感謝する道楽。このころには目も冴えてきた。

「だがな、《綱渡》とかいうノンフィクションライターの奴、そのあと快楽姐さんのとこにも現れたそうだ。しかも姐さんが『来楽に聞きな』とあしらうと、今度は大樽にまで行ったらしいぞ。幸い、来楽は出張で不在だったそうだが……」

「その《綱引き》さんというお方は、わたしに何のご用でしょうかねえ」

「《綱渡》だよ! 運動会じゃないぜ。それはそうと用事の中身までは聞かなかったから分からねえな。だがあの男、結構しつこそうだから、その内、お前の居場所を探し当てるんじゃねえのか、ざまあみやがれだ。じゃあ、俺は《芸能人麻雀王決定戦》の収録があるからこれでな……ガシャン!」

 そう一人言いたい放題にまくしたてると、鎚楽はせっかちに電話を切った。

「ううむ」

 考え込む道楽。耳が痛いし、心も不安になる。

 そのとき、道楽の周りで何かが起ころうとしていた。


 日本時間で同じ頃、平成の石油王、元噺家の萬願亭来楽こと吹雪丈一郎は中東のリゾート国、ドバイで豪遊していた。とにかく使っても使っても金が無くならなくて困っているのだ。なのであの有名女性タレントが新婚旅行で泊まったという、豪華ホテルのスイートルーム(大樽プリンセスホテル百八階スーパービューロイヤルストレートスイートルームなんて比べ物にならない!)でのんびり長期休暇を過ごしているのだ。

 そんな吹雪氏がホテルのプールサイドで、トロピカルジュースなんて飲んでいると、

「あのう、あんたさんは……いや、あなたは平成の石油王、吹雪さんですよね」

 と誰かが彼に呼び掛けて来た。

「ええ、そうですよ」

 旅の気楽さで吹雪氏が応えると。

「わて……いや、わたくし、東京でノンフィクションライターをしてるものですが……」

 と男は名乗った。

「ノンフィクションライター? もしかすると、先だって大樽の我が家に侵入した人ですね。報告は受けていますよ。私になにかご用ですか。今休暇中なんでインタビューとかはお断りしますよ」

 吹雪氏が冷たくあしらうと、

「ええ、確かに侵入したのは、わて……いや、わたくしです。そんなお手間はとらせまへん……いやとらせません。ただ、萬願亭道楽さんの居場所を教えて頂きたいので」

 にこやかに尋ねる男。

「個人情報は教えられませんよ」

 気分を害した吹雪氏が立ち去ろうとする。すると男は、

「これでも、あきまへんかな……いや、教えられませんかな」

 といって右のポケットからなにか取り出した。

「き、きみぃ」

 固まる吹雪氏。

 男の右手には小型のサイレンサーが握られていた……。


 数日後の夕刻。

 道楽探しに明け暮れていた綱渡はその日の取材を終え、愛車、《ボルボ13》を自宅の駐車場に入れていた。

「ふうっ」

 一息つき、サイドブレーキを引く。その刹那!

 突然、前方から一台の白い車が全速力でバックしてきた。キャー危ない。

《ガッシャーン》

 破滅の音がして、あわれ《ボルボ13》のフロントは大破。綱渡は間一髪のところで車から転げ落ちて、一命を取り留めた。全身から飛び散る冷や汗。

《オレ、ヒットマンに命狙われてるのか? もしかして道楽探しって世間のタブーだったのか》

 綱渡が自分自身に問いかけていると。

「オー、アイムソーリー、ひげそーりー。ブレーキとアクセル間違えちっち」

 などとのん気なことを言いながら、大柄な女が車から降りて来た。それをみて、取りあえず、タブーは犯していないと安心した綱渡は、正気に戻り、今度は大破した愛車を見て怒りに震えて大声で怒鳴った。

「馬鹿野郎! アクセル、ブレーキの問題じゃないぜ。なんで他人の駐車スペースに突っ込んで来るんじゃ……」

 そこまで、言った瞬間、

「あっ!」

 綱渡の言葉が固まった。そして、

「お、おまえはキャットリーヌ聖子じゃないか!」

 とまたも大声で叫んだ。

「イエース、私はキャットリーヌ聖子よ。ところであんたはフーアーユー?」

 ブロークンイングリッシュ・オブ・キャットリーヌ聖子。彼女の記憶力はねこ並みか?

「おいおい、オレを忘れたのか! 集団社の駐車場であんたに子ねこを押し付けられた男だよ。正式にはノンフィクションライターの綱渡通って者ですがね」

 キレ気味に自己紹介する綱渡。

「集団社……駐車場……子ねこ……。オーーーーーー、あの可哀想な三毛ねこちゃんねえ。元気にしてる?」

 ようやく思い出したキャットリーヌ聖子はねこ大好きおばさんに戻って尋ねる。

「ええ、元気につめ研ぎしてますよ。おかげで柱も壁もボロボロです」

 なんて言いながら目を細める綱渡。

「名前はなんて付けたの? ユー」

「ミケランジェロ、略してミケですよ」

「ギャグのセンスないわねえ。うちの旦那と大違い」

 キャットリーヌ聖子が失礼の極みを行く。すると、

「そうだ、ねこのことなんかどうでもいいんだ! この《ボルボ13》どうしてくれるんだよ!」

 事態を思い出した綱渡、キャットリーヌに詰め寄る。

「そんなこと言ったって、あたしの日参ファイヤーバードだってお尻がパーよ」

 開き直るキャットリーヌ聖子。

「それは自業自得でしょ。とにかく警察呼びましょ、警察を」

 綱渡が正当に大騒ぎしていると、

「どうした、どうした」

「なんだ、なんだ」

「えっさ、ほいさ」

 とご近所さんが集まって来た。

「おおい、どうした?」

 犬飼老人がご近所を代表して質問してきたので、

「かくかく、しかじか、四角いはんぺん」

 と綱渡が自分に降り掛かった不幸を身振り手振りで話す。すると、

「そりゃー、ご近所のよしみで許してやれよ」

 などと、犬飼老人、とんでもない大岡裁きをしてきた。

「いくらなんでも、それはないですよー」

 と綱渡がぼやくと、

「お前のようなねこ派には当然の酬いじゃあ、わはははは」

 と犬飼老人高笑い。

「ひ、酷いですよね、ありえませんよね」

 綱渡がご近所さんに同情を求めると、

「ねこ派め、いい気味じゃ」

 ご近所さんが一斉に綱渡をなじる。しまった、こいつらみんな犬儒派だ。

「でも、このキャットリーヌ聖子だってねこ派じゃないですか!」

 綱渡が逆襲に転じる。すると犬飼老人は、

「このお方はな、ねこだけではなく全ての動物を愛するWWF世界ヘビー級チャンピオンみたいなお方ぞよ」

 と言って平伏した。ご近所さんもそれに倣う。アーメン。

「まあ、冗談はこれくらいにして、二人でよーく示談なされよ」

 犬飼老人は去っていった。ご近所さんも三々九度……ではなくて三々五々に散って消えた。

「犬ジジイの馬鹿ヤロー」

 叫んだところで耳の遠い犬飼老人には届かぬ思いであった。そこへ、

「おーい、スジャータ、どうしました?」

 といいながら隣室の草刈さんがやってきた。

《草刈さんは犬儒派だっけ、ねこ派だっけ……? ああ、ねこ派だ……いやそうじゃなくて あれえ、草刈さん、今キャットリーヌ聖子のことなんて言った?》

「スジャータ! また車ぶつけたのかい」

 草刈さんが言う。

「へへへ……またやっちゃったよ、あんた」

 答えるキャットリーヌ聖子。

「もう、しょうがないなあ。自分のお金で直して下さいよ。わたくしにはお金がないんですからね」

「分かってるよ! このプー太郎」

 ののしり合いながら仲睦まじいお二人さん。

「あのう」

 すっかり仲間はずれにされた綱渡が二人の仲をお邪魔する。

「草刈さん、今この人をスジャータって呼びましたよね?」

「ええ、当然ですよ。わたくしの愛妻スジャータですから」

 と草刈さん。

 今度は綱渡キャットリーヌ聖子に質問する。

「あなた誰ですか? キャットリーヌ聖子じゃないんですか?」

「あたしは草刈・セバスチャン・スジャータだよ。キャットリーヌ聖子はペンネームだよ」

 とキャットリーヌ。すると、

「ス、スジャータ! お、お前がキャットリーヌ聖子なのかあ!」

 絶叫する草刈さん。

「いや、驚くのはあなたじゃなくて」

 なだめる綱渡。

「だって、だって、わたくしの尊敬するキャットリーヌ聖子さんがスジャータだなんて……」

 喚く草刈さん。

「あんた、ゴメンよ。隠すつもりはなかったんだけどさ。ほら、サイン書いてあげるから機嫌直しな」

 なだめるキャットリーヌ聖子。

「夫婦漫才はその辺でよろしいでしょうか」

 仲裁に入る綱渡。そして、

「ゴホン。では気分を取り直して、核心に触れる質問をいたします」

 緊張が綱渡の頬を走る。

「草刈さん」

「はい?」

「あなたは、もしかして噺家の萬願亭道楽さんじゃありませんか?」

「……」

 答えぬ草刈さん。

「どうなんですか?」

「……」

 考え込む、草刈さん。やがて、

「ねえ、お隣りさん」

 と草刈さんが逆質問して来た。

「なんでしょう?」

「あなた、もしかして、ノンフィクションライターの綱渡さんですか?」

 えっ? 知らなかったの!

「はい、そうですよ。玄関の表札にもノンフィクションライターの綱渡通って出してますけど」

「……そうですかあ。これは灯台もと暗し、というより《もともと隣で暮らしてた》ですな、ははは」

 勝手にオチを付けて笑う草刈さん。

「それはそうと、私の質問に答えてくださいよ」

 苛立つ綱渡。

「いいですよ」

 ゴクリ、唾を飲み込む。

「そうです、わたしが《変なおじさん》です」

 バシッ、ハリセンの音。真面目にやれ。

「イテテ、暴力は妻だけにしてください。はいはいわたくしが、そうでございますよ」

《ドドーン》(脳内花火が打ち上がった音)

 いつだって青い鳥は自分の隣にいるものである。

              

 彼がインタビューの依頼に応じたのは、それから一週間後のことであった。

              

「それでは、始めさせて貰いまっせ……いや、貰います」

「はい」

「では、核心にふれる前にあなたの生い立ちなどをお話しいただけまっか……いや、ますか」

「はい」

「では、お願いします」

「ええと、わたくしはI県の伊色遠野久(いしきとおのく)村に生まれました」

「I県の伊色遠野久村……ああ、カッパ伝説の地ですね」

「そうです。♪カーッパ、カッパ、カッパのマークの伊色遠野久村♪です」

「♪ラッーパ、ラッパ、ラッパのマークの♪ ですか」

「カッパです! 下痢でもしてるんですか?」

「いや、失礼」

「わたくしは実の親のことを知りません。いわゆる捨て子だったのです。養父母いわく、村の神社にある巨大な御神木の根元に置かれていたそうです」

「ほう」

「それを見つけた村人が『これはまさしく神童だっぺ』と言って庄屋であったわたくしの養父母の元に連れ込んだということです」

「そこの養子になったと?」

「そうです」

「では、なぜ噺家に?」

「話せば長くなりますが……」

「どうぞ」

「実は我が養父母の家は代々庄屋を勤めておりましたが、それとは別にある仕事を先祖より綿々と受け継いでおりました」

「それは?」

「語り部です」

「かたりべ? なんでっか……いや、なんですか、それは?」

「稗田阿礼以来、古事記、日本書紀から始まるこの国の歴史、さらには文化風俗などありとあらゆるものを頭の中に保存して未来に語り継ぐ仕事のことです」

「頭の中にってことは丸暗記ですか?」

「まあ、平たく言えばそうですが、取り込むべき資料は無尽蔵な量ですので丸暗記なんていう生半可なことでは追いつけません」

「では、どうやって?」

「ええ、それには自分を、自分自身を記憶媒体にすることが必要です」

「き、記憶媒体でっか……いや、ですか?」

「そうです。まず幼かったわたくしは自分をテープレコーダーに置き換えました」

「……」

「長じるにつれ、取り込む量も増えていき、科学技術も進歩していきます。なのでわたくしもMD、フロッピーディスク、CD-ROM、ハードディスク搭載のDVDレコーダー、ブルーレイと機能をバージョンアップして脳内に情報を蓄積していったのです……」

「あ、あんたはロボットですか?」

「ははは、わたくしは生身の人間ですよ。今の話しはあくまで、記憶していく時のイメージをお教えしただけです」

「はあ……そうだ、くり返しますがなんで噺家になろうとお思いで?」

「つまりはですね、語り部という仕事の意義を喪失したからですよ」

「意義?」

「先ほども申し上げた通り、現代の著しい科学の発展、技術の進歩により、多くの大容量の記憶媒体が生まれました。そんな時代にただ情報を頭に取り入れていて、それを語り継ぐことになんの意味がありましょうか」

「はあ」

「わたくしは悩みました。そして見つけたのです、噺家という職業を。わたくしはこれを天職と定め、師匠の元へ参りました」

「それで、噺家にねえ……。でもそれなら、講談師でも学校の先生でも人前で蘊蓄を振りかざすのならなんでもよかったんではないでっか……いや、ないですか?」

「そ、そうですね……気が付きませんでした。しょぼん」

「まあまあ、そう凹まんで。さて、ではお待ちかねの核心に迫りまひょか!」

「はい」

「《ちくわ》っちゅう、ねこはどこにおます?」

「はあ?」

「もう一度聞きまっせ! 《ちくわ》っちゅうオスの三毛ねこはどこにおますか? そう聞いちょりまんがな!」

 そういうとインタビュアーは精巧に出来た覆面を剥いだ。

「わて、巷ではちょっと有名な、怪盗ラビット・ボールいいまんねん。フランス人ですがな。お初にお目にかかります。本当はな、大樽プリンセスホテルのスーパービューロイヤルストレートスイートルームでお会いしとるんでっけどな、あんさん寝てはりましたから気付きまへんでしたろ。ああ、このインチキ関西弁でっか? わての日本語習った先生が、バルボンちゅう大阪在住の亡命キューバ人でな、このおっさんコテコテの関西弁しか喋られないっちゅうはなしで、わてもこのざまですわ、ははは」

 怪盗ラビット・ボールは新喜劇的なことを言うと右ポケットからサイレンサーを取り出した。

「さ、この前はただの駄ねこと見間違えて置いてきましたが、今日こそはオスの三毛ねこ《ちくわ》はん貰って帰りますがな。早よ出しなはれ、腐れ噺家の萬願亭道楽はん!」

 すると道楽と呼ばれた男が突然笑い出し、精巧にできた覆面を剥いだ。

「ハハハハハ、ラビットさん。萬願亭道楽なんて噺家はこの世にはいませんよ。わたくしはノンフィクションライターの綱渡通と申します」

「へぇ?」

「あなたが、一週間前にドバイで吹雪丈一郎さんを脅迫してこの場所を突き止めたことくらい、とっくに吹雪さんから連絡が来ていますよ。国際電話でね。あのとき、とっとと吹雪さんを消しておけばよかったのに。義賊気取りが仇となりましたな。やっぱり今度もねこ好きで失敗ですね。さあ、五日川さん、ニコラス刑事、そして神奈川県警港署の皆さん、突入お願いしまーす」

 綱渡が叫ぶと、玄関からベランダからキッチンから押し入れから、はたまたトイレやバスルームなどからワラワラとお巡りさん大突入! 世界的盗賊、怪盗ラビット・ボールは今度こそ御用となった。

「し、しかし萬願亭道楽がいないって、どういうことよ!」

 雄叫びをあげる怪盗ラビット・ボール。

「それはねー、次回のお楽しみ!」

 お巡りさんたちが一斉に答えた。

                   

 そんな大捕り物が行われていたのと同じ頃、もう一つ小さな事件がある場所で起こっていた。

 それは《特別老人福祉施設・たたみ》の一室。

「お父さーーん」

 よし子さんこと萬願亭快楽が叫んでいる。その眼前の老人用ベットは、もぬけの殻。

「誰かー。お父さんがー」

 取り乱す、快楽。その叫びを聞き付けた施設の職員さんや夜勤のヘルパーさん達が必死に老人を探す。

 しかし……

 萬願亭苦楽翁の行方は全く分からなかった。

 果たしてどこに消えたのであろうか。

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