第七席 探偵道楽
机に置かれたカセットデッキの再生ボタンが押され、あるインタビューの記録が流れ出した。
『……ガサ、ゴソ。……あー、テス、テス。○月凹日カレー曜日、もちろん冗談です。レア・メタルのリーダー、プリンス東堂さんへのインタビューです。インタビュアーはわたくし、綱渡通(つなわたり・とおる)』
前置きが長すぎるので少し早送りボタンを押す。頃合いをみて解除。
『……プリンスさん、念願の武道館コンサートが大盛況に終わりまして、おめでとうございます』
『サンキュー、照代』
『ガクッ、ふ、古いですなあ。地下鉄もぐっちゃいますよ』
『あんたもいける口だね』
『恐れ入ります……。では本題に入らしていただきます』
『銅像(といいながら『考える人』の格好をする)』
『(無視して)今回は集団社の男性誌、《スピンオフ》の取材です。内容は現代をリードするアーティストやアスリートに厳しい修業時代の思い出を語っていただくという趣旨なんですが……』
『壮快(といいながら某健康雑誌を革ジャンから取り出す)』
『(一切無視して)プリンスさんがギターと出会ったのはいつ頃ですか?』
『あれは、俺がまだ義丹と名乗っていた頃だな』
『義丹?』
『そう、親父は牛タンで母ちゃんは万斤丹だった……』
『はあ?』
『わっかんないだろうなあ』
『全くわかりません!』
同時に書かれたメモによると、ここでプリンス東堂はポケットからタバコを取り出して一服吸い付けた、とある。
『一本どうだい? 猿渡さん』
『いえ、結構。それからわたくしは綱渡です』
『それは失敬尾形(といいながらカトちゃんペッみたいなことをする。ちょび髭の意味か?)』
『ゴホッ……さっきからプリンスさん駄洒落ばっかりですねえ』
『なんだ、分かってたのか。クスリともしないから気付いてないのかと思ってムキになっちゃったよ』
『笑ったほうがよかったですか』
『もちろんだ、客席がシーンとなっちゃったら噺家としてのプライドが傷ついちゃうからね』
『噺家って、あなたミュージシャンでしょ!』
『あれ? 知らないの』
『何をですか?』
『俺って、ミュージシャンになる前は噺家だったんだよね』
『えー、マジっすか』
『おっ、口調変わっちゃうほど驚いたね』
『はい、ビックリしました』
『これって業界じゃそこそこ有名な話だけどなあ』
『勉強不足で申し訳ございません。芸能界の取材はあまりしてないので』
『まあ、いいってことよ』
そのあとプリンス東堂は滔々と自分がいかにして噺家になったかを語った。しかしその話は今回の取材目的と少しズレている。違和感を覚えた綱渡はその部分をバッサリ切り捨てることにした。再生再開。
『それでは、なぜ噺家を辞めてミュージシャンに転向されたのですか?』
『そうねえ、まずは俺の《ギター落語》が頭の固い連中に完全に否定されたってことかなあ……ああ、それと……』
『それと?』
『あの人の存在が大きかったなあ』
『誰ですか』
『少し上の先輩に落語の天才、いや神様がいたんだよ……』
『神様ですか』
『そう、上様ではなく神様ね。領収書じゃないから』
『はいはい、わかりました。で、その先輩噺家がなんであなたの転機に影響したのですか』
『それはね』
『それは?』
『彼の高座を見ればわかるんだけどなあ』
『じゃあ拝見しましょう。いつ、どこでやります?』
『それがさあ……もう見ることが出来ないんだ』
『え? 亡くなられたとか?』
『いや、多分生きてはいると思うよ。でも数年前に突然高座から消えてしまったんだよねえ』
『イリュージョンですか?』
『そんなわけはない!』
『失礼、では失踪ですか?』
『うーん、そこまで大げさなものじゃないのだけど、彼が今どこでどうしているかを知っている人は、ごくごく、わずからしいよ』
『プリンスさんはご存知なんですか?』
『残念ながらわからないんだ。ずいぶん前に会ったきりだからね』
『そうですか』
『とにかく俺はあの人の落語を聞いて、この世界では一番になれないとあきらめて、こっちに転向したのさ』
『そうなんですか』
『そうなんですよ、渡り鳥くん』
『綱渡ですって!』
その後プリンス東堂は本来のミュージシャンの顔に戻ってインタビューを受けた。駄洒落は一切ない。綱渡はその後半部分だけで今回の記事を書き上げると、《スピンオフ》編集部に持っていった。編集長の評価は上々。「このラインで今後ともヨロシク、ツナちゃん」とおだてられた。しかし、この段階で彼の取材者としての興味はプリンス東堂などのアーティストから幻の天才噺家へと移っていた。ええと、名前は確か……
《ああ道楽、萬願亭道楽だよ。ちなみに俺の芸名は音楽(おんらく)っていったんだよなあ》
プリンス東堂の声が聴こえる(回想)。そう、萬願亭道楽だ。綱渡はプリンスの言った名前を思い出しながら集団社のビルを出た。
綱渡が駐車場に止めたオンボロ
「どうしました」
恐る恐る綱渡は尋ねる。
「子ねこがいるのよ」
女が不機嫌そうにつぶやいた。
「子ねこ?」
綱渡が車の下を覗き込むと、
「ふにゅ」
確かに生まれて二ヶ月くらいの三毛の子ねこが情けない声をあげている。
「なんだろねえ、親ねこからはぐれちゃったのかな」
そう言いながら女は大胆にも車の下に潜り込み、子猫を捕獲した。
「おーよしよし」
慣れた手つきで子ねこをあやすと、ポケットからキャットフードを取り出し与える。なんでそんなものがポケットに入っているのだろう? 綱渡が考えていると、
「ちょっと、あんた」
といいながら女が子ねこを渡してくる。動物は嫌いじゃないのでなんとなく受け取ってしまう綱渡。
「な、なんですか」
「あんた、せっかくだからさ、責任持ってこの子、育てなさいよ」
「はあ?」
いきなり何を言うのだ、この女は。綱渡は反論した。
「あなたが飼えばいいじゃないですか。ポケットにえさを入れとくほど、ねこ好きなんでしょう?」
「飼えるものなら飼うわよ」
女はため息をついた。
「うちにはもう、ねこが二匹いるのよ。マンションでの多頭飼いの限度超えちゃってるわ」
悲しそうな目をする女、そして三毛。
「そう言われても、ねこなんて飼ったことないから無理ですよ」
綱渡が言うと、
「大丈夫、大丈夫。まずはこれを読んで勉強しなさい」
女は持っていたバックから本を一冊取り出し綱渡に押し付けた。その本は、
『にゃんにゃん 可愛いねこの飼い方(キャットリーヌ聖子著)』
というタイトルだった。
「これを読めばどんなお馬鹿さんでもトップブリーダーになれるわ」
女はさらりと無礼なことを言い、
「もし、どうしてもわからなかったり困ったことが起きたらここに連絡してちょうだい」
と名刺を綱渡の口に突っ込んで(彼の両手は三毛と本でふさがっていたのだ)足早に去って行った。
「☆×●□……!」
コラ待てババアと言いたかったが名刺が邪魔で言葉にならない。ようやく気付いて本を車のボンネットに置き、名刺を手にとって見る。そこには、
『作家・エッセイスト・ねこちゃん愛護協会会長 キャットリーヌ聖子』
と書いてあった。
「にゃあ」
三毛がなく。
「なんだかにゃあ」
綱渡はぼやきつつも、子猫の名前はどうしよう? やっぱり《ミケ》かなあ、などと考えていた。
こぶつきでは取材が出来ない。綱渡は本日の業務を強制終了して《ミケ》を自宅に迎え入れるための準備をすることにした。犬だったら幼少のみぎりに飼っていたのだが、ねことなると三十数年の人生において接点がまるでない。とりあえず、車の中で『にゃんにゃん 可愛いねこの飼い方』を読む。
「えーと、必要なものはえさとトイレ、爪とぎなんてのもいるのか……」
こんなことしている暇はたくさんあるのだが、と自虐しながら綱渡はペットショップへ向かった。
数時間後、買い物をすまして夕暮れの我が家(マンション)に到着。
幸いなことに綱渡の住むマンションはペット可であった。車からねこグッズ一式と籠にいれた《ミケランジェロ》(略してミケ・運転中に考えた)を取り出して駐車場からマンションに向かう。すると、
「あ、ねこだな」
イベリアン・ハスキー犬を連れて散歩中だったらしい同じマンションの住人、犬飼老人が籠を覗き込む。
「ええ、かわいいでしょ」
綱渡が籠を持ち上げると、
「なにがじゃ、この裏切り者!」
と犬飼老人が一喝した。
「な、なんですか裏切り者とは。穏やかじゃないなあ」
動揺する綱渡。
「無党派のお主がねこ派についたために、我がマンションの犬ねこパワーバランスが7対3から六対四に後退してしまったぞよ」
「はあ?」
「これから犬儒派の緊急理事会を開かねば!」
「な、なんか、大ごとですねえ……」
綱渡が申し訳なさそうにすると、
「ははは、冗談じゃあ。ペットは最後まで面倒みなされよ」
と高笑いしながら犬飼老人は去っていった。
「クソ、犬ジジイめ」
綱渡は小さくつぶやいた。そこに、
「こんにちは」
と、隣室の草刈さんが買い物バックを持って現れた。
「ああ、どうも……ええと、草刈さんちは、ねこ派ですよね」
尋ねる綱渡。
「そうですよ。いつぞやはウチの馬鹿ねこがお宅のベランダに逃げ込んで申し訳ありませんでしたねえ」
草刈さんは穏やかに言うと去っていった。お使いにでもいくのだろう。
「専業主夫って哀れだなあ」
なんでも草刈さんは失業中で(たぶんリストラされたんだろう)奥さんが働きに出ていて、自分は主夫しているそうだ。背中に哀愁が漂う。それを見送り玄関へ向かう。
自室に帰還。着替えもしないで働いて、ねこグッズ一通りのセッティング完了。《ミケランジェロ》はフガフガとそこらじゅうの匂いを嗅いだあとリビングのソファーを寝床と決めてゴロンとなった。
「ねこが寝込んだ」
ありふれたギャグで頭が一杯になる。プリンス東堂の駄洒落ウィルスが脳に侵入したのかもしれない。
「プリンス・オブ・ウィールス」
間違いなく感染している。タミフル、プリーズ!
休憩はこれくらいにして、本来の仕事に取りかかろう。もちろんそれは『幻の噺家、萬願亭道楽の行方を追う』である。別にどこの編集部から依頼されたものでもないが、うまく売り込めば記事として載せてくれるところはあるはずだ。綱渡は机の上のパソコンを起動した。とりあえず情報収集である。インターネットで『萬願亭道楽』を検索してみる。すると、
《この条件に一致する情報は検索できません》
とでた。
「うそー」
仕方がない。条件を『萬願亭』にしてみる。次はいくつか出てきた。
《萬願亭苦楽一門》
《萬願亭鎚楽独演会》
《萬願亭快楽さん講演会 於浦寂市市民ホール》
《スクープ! 平成の石油王、吹雪丈一郎氏は元、売れない落語家、萬願亭来楽……(週刊女性ヘブン記事より)》
「ううむ」
道楽に関する情報はない。
「今どき、噺家だってホームページやブログの一つくらい立ち上げていそうなものなのになあって、失踪したんじゃそんなものあるわけないか」
綱渡は呟くと、とりあえず苦楽一門の連絡先(住所しか書いてない!)、鎚楽独演会の会場、どさくさ演芸ホールと快楽講演会会場、浦寂市市民ホールの住所、電話番号などを控えた。吹雪丈一郎は大物すぎるし、北海道は遠いから後回しだ。などと考えていると、
「にゃー」
と《ミケランジェロ》がえさをねだってくる。
「もう、今日はやめた!」
綱渡は『ホテルの光』を口ずさんでパソコンの電源を落とした。
「そうだ、噺家なんだから落語家協会に行けばなにかしらわかるだろう」
綱渡はそう考えて明日のスケジュールを黒革の手帖で確認した。予定なんにもなし。
「よし」
意味もなくつぶやき、夕食を作る。今日からは二人前である。いや一人と一匹前である。
「扶養家族が増えたからバリバリ働くぞ!」
ファイト一発、気合を入れてクッキング&イーティング。そして寝る。
翌日。
綱渡は上野にある全日本落語家協会を訪れた。
「ごめんください」
と彼は受付に座る年配の男性に声をかけた。
「ほう、なんですかね」
受付の男性はずり落ちていた黒縁メガネを掛けなおして綱渡を見た。
「わたくし、ノンフィクションライターをしております綱渡と申します」
自己紹介しつつ名刺を渡す。
「ほう、そのハクションライダーさんがどうしました」
「ガクッ……さすがですねえ。いや、噺家さんのことでちょっとお尋ねしたいことがございまして」
「ほう」
「ある噺家さんを探しているのですが?」
「ほう、誰をお探しですかな」
「はい、萬願亭道楽さんなんですが」
綱渡がそう言ったとたん受付のおじさんは顔をしかめた。
「ほう、萬願亭道楽かね、残念じゃが、そいつはお門違いだね。ツナサラダさん」
「……綱渡です。ツナしかあってないですな。ところで、なぜお門違いなんですか」
「ほう、あんた演芸関係の記者さんじゃないね」
「はい」
「ほう、じゃあ仕方ないか。萬願亭一門はねえ、うちの所属じゃないんだよ」
「ああ、そうですか。じゃあ新日本落語伝統協会のほうなんですね」
「ほう、いやいやそうじゃない」
ほう、というのはおじさんの口癖らしい。綱渡は心の中で彼に《フクロウ》とあだ名を付けた。フクロウは、ほうほうと言いながら説明してくれた。
「萬願亭一門は全日本、新日本どちらの協会にも属していない、アウトローじゃよ。だからうちに聞いても、新宿の落語伝統協会に行っても無駄の褌だね、ほう」
「そうなんですか」
「道楽のことを聞きたいのなら、師匠である萬願亭苦楽翁のところに行くのが本来の筋なんだがねえ、ほう」
「本来の、といいますと?」
「聞いた話なんだが、苦楽師匠は最近すっかりボケちまって、まともに人と話が出来ないらしいよ、ほう」
「えーっ」
「だから、あとは弟子の快楽か鎚楽にでも聞くしかないねえ、ほう」
「そうなんですか」
「ほうなんじゃよ、砂嵐さん」
「……綱渡です。原形すら留めてないですねえ」
「ほうじゃったかのう」
「ゴホン……ところでフクロウさんは萬願亭道楽の高座をご覧になったことはありますか」
「ほう、フクロウだと?」
マズい、口が滑った。
「ほう、わしの名前をよく知っているねえ」
フクロウが感心する。
「え、ええ」
冷や汗たらり。シンクロがおきたらしい。
「か、漢字はどんな感じでしたかねえ」
くだらない駄洒落で話の流れをつかもうとする綱渡。
「森林亭福老(しんりんてい・ふくろう)じゃぞい、ほう」
フクロウ、いや森林亭福老がメモ帳に名前を書く。
「あなたも噺家さんなんですか」
「ほう、わかってたんじゃないのか。まあいい、それより道楽の高座とな」
「はい」
「ほう、彼の高座なら何度か見たことがあるぞい」
「どんなもんなんです、彼の高座は」
「ほう、そうじゃなあ」
森林亭福老はそう言うと、遠い瞳で虚空をみつめた。たしかプリンス東堂も道楽の話をしたときこんな表情をしていた。いったい道楽の落語には何があるというのだ。
「一言でいうと、彼の落語は聴くというより体感するものじゃったな、ほう」
「体感?」
「ほうじゃ、彼の噺は耳だけでなく、身体全体に沁みこんでくるような気持ちになるんじゃ、あの身体感覚はなんだったんじゃろな」
「ううむ」
綱渡は森林亭福老の恍惚とした表情を見て、なんとしても萬願亭道楽を探し出して彼の落語を聴く、いや体感しなくてはならないと思った。
全日本落語家協会を後にした綱渡は続いて、萬願亭鎚楽独演会が行われる《どさくさ演芸ホール》へと向かった。開演は午後七時、今が三時なのでうまく行けば高座前に取材が出来るかもしれない。そう考えた彼はホールの楽屋口を探した。
「トントン」
ノレンだけで扉などないので、口真似でノックをすると、
「おう、はいんな」
と返事がした。とっとと侵入する。
「突然に失礼いたします」
楽屋の中にはコタツに包まった赤ら顔のニホンザルがいた。なぜかコタツのテーブル部分が裏返っていて緑の大地に小さなレンガが積まれている……よく見たら麻雀牌だった。
「遅いじゃねえか、牌が腐っちまう……あれ、あんた誰?」
誰かと間違われたらしい。怯まず自己紹介する。
「わたくし、ノンフィクションライターをしております綱渡と申します。萬願亭鎚楽師匠にお会いしたくて参ったのですがどちらにおられますか?」
「おお、鎚楽はオレだけど、なんの用かい」
このニホンザルが萬願亭鎚楽なのか。早速取材開始。
「いきなりで恐縮です。わたくし萬願亭道楽さんの消息を調べているのですが、鎚楽師匠は何かご存知でしょうか」
綱渡が尋ねる。すると、
「何ぃ、道楽だと!」
真っ赤な顔をますます朱に染めて鎚楽は怒りだした。
「あんな、馬鹿野郎のことなんか知るもんかよ」
「はあ、馬鹿野郎ですか」
「そうだよ、一門の後先考えずに突然廃業宣言なんかしやがって。おかげでオレたち残された者は後始末で大変だったんだ」
「なるほど」
「苦楽師匠は心労でぶっ倒れるし、急な降板に怒った席亭さんから一門出入り禁止にされるしよう、もう散々だったよ」
「フムフム、それは災難でしたねえ……で、道楽さんの消息は?」
綱渡の知りたいのはその一事だけ。あんたらの苦労はどうでもいい。
「知るか、馬鹿野郎……ああ、そうだ」
「どうしました?」
「快楽姐さんがこの前、道楽に会ったとか言ってたなあ」
「快楽さんが?」
「そう、なんだか道楽に復帰を促そうとして逆に言いくるめられちゃったらしくて随分と落ち込んでたなあ。姐さんも無意味なことしなさったよ」
「そうですかあ……で、快楽さんは今、何処にいらっしゃいますか」
「姐さんならたぶん、苦楽師匠の介護をしに《たたみ》とか言う施設に行ってるんじゃないかなあ」
「介護ですか」
「そうだよ。苦楽師匠はお可哀想に道楽がいなくなってからすっかりボケちまったのさ。まったくさあ、ひどい男だよ、あいつは。昔はあんな奴じゃなかったのにねえ」
「昔はどんな人だったんですか」
「のん気なマヌケだったなあ」
「?」
「釣り針で自分を釣り上げたりしてさ」
「はあ?」
「ああ、そうそう。あいつが変わったのはきっとあの女と結婚してからだぜ」
「道楽さんは結婚されてるんですか」
「ああ、しかもハーフとな」
「ハーフですか」
「たしか名前が……」
「名前が?」
「スジャータ!」
「コーヒーにうるさそうですねえ」
「色白だぜ」
よくわからない情報だが、一歩前進だろう。
もう少し鎚楽に話が聞きたかったが、麻雀の面子がドヤドヤと入って来てしまったため、綱渡は楽屋から追い出されてしまった。やむなく退散。続いて快楽に会うことにする。その前に情報を整理するとしよう。そこで、綱渡は目に付いたコーヒーショップ《ドゴール》に入って一服しながらメモをまとめた。
① 萬願亭道楽は五年前に高座から去った。
② 萬願亭道楽の消息はごく僅かな人しか知らない。
③ 萬願亭道楽の情報はインターネットなどでは調べられない。
④ 萬願亭道楽の落語は聴くもの全てを魅了する。
⑤ 萬願亭道楽はのん気なマヌケであった。
⑥ 萬願亭道楽の奥さんはスジャータというハーフである。
⑦ 萬願亭道楽は結婚してから人が変わった。
こんなものか。ところで、
「鎚楽は何か隠している」
綱渡はそう感じていた。
「奴はこう言った。『昔はあんな奴じゃなかったのにねえ』とな。ということは今の道楽を知っているんじゃないか?」
その辺をいずれ追求してやろう。考えているうちにコーヒーカップは空になった。そろそろ萬願亭快楽のところへ入ってみよう。綱渡は店を出た。
真っ白な布団の上に梅干のような老人がポツンと座っていた。
「よし子さん飯はまだかねえ」
よだれをたらしながら空腹を訴える。
「お父さん、さっき食べたばかりでしょ」
よし子さんがなだめると、
「よし子さんはワシを飢え死にさせる気かねえ」
老人は震えながら周りをキョロキョロ見回し、
「助けてくだせえ、そこのお人」
と入り口に立っていた男に救命信号を送った。
「あんた誰だい?」
よし子さんがキツネ目を尖がらせて尋ねる。
「突然に失礼いたします。わたくし、ノンフィクションライターをしております綱渡と申します。萬願亭快楽師匠にお会いしたくて参ったのですが……お部屋を間違えましたでしょうか」
「快楽ならあたしだよ」
よし子さんが応える。
「あなたが快楽師匠でいらっしゃいますか。いやあ、ただのヘルパーさんかと思いました」
「随分と無礼な男だねえ」
「失礼しました。インターネットの画像で見たお姿とまるっきり違ったもので」
「ふん、ボケた父さんを介護するのに化粧なんかしてられるかよ。それよりあんた、あたしに何の用だい?」
よし子さん、いや快楽はこめかみに青筋を立てながら尋ねてくる。かなり機嫌が悪そうだ。早速本題に入る。
「いきなりで恐縮です。わたくし萬願亭道楽さんの消息を調べているのですが、快楽師匠は何か、ご存知ではないでしょうか。先ほど、鎚楽さんに聴いた話では最近あなたが道楽さんにお会いしたとのことでしたが……」
綱渡が切り出した。するとその刹那、
「な、なにい、ど、道楽ぅ!」
梅干老人が鋭い声をあげて呻きだした。
「ど、道楽、どこじゃあ」
今までと打って変わった厳しい目つきで辺りを睨む。だがすぐに、
「あわわわわ」
と震えだした。
「お父さん落ち着いて」
あわてて快楽がクスリを取り出し、老人に無理やり飲ませる。
「はんにゃばらはら」
意味不明な言葉を残し梅干老人は床に沈んだ。
「ちょっと、あんた」
快楽は怒りに震えながら綱渡を睨みつける。
「お父さんの前で奴の名前を出さないでよ!」
「はい、すいません……でもどうしてなんですか?」
「お父さんがこんなになってしまったのも元はと言えば道楽のせいなんだからね、あっ、いけない」
「道楽!」
眠っていたはずの老人が飛び上がる。
「はいはい」
快楽は老人をあやすようにして布団に押さえつけた。
「あぶだらぶー」
老人はまた眠りにつく。
「続きは、外で話すよ」
快楽は綱渡を促し部屋を出た。
二人は建物の中庭に向かった。日は傾き、空は赤い。
「で、なんで道楽の消息なんて調べてるのさ」
先に快楽が口を開いた。
「はい、初めはプリンス東堂さんへのインタビューからでした……」
綱渡は自分が道楽に興味を持つに至った経緯をかいつまんで話す。
「プリンス東堂……音楽かい。奴も余計なことを喋ったもんだね」
「とにかく、わたくしは道楽さんにお会いして、できればその落語を聴きたいのです。ですから、彼の居所を是非、教えて下さい」
「そういわれてもねえ、あたしゃ知らないんだよ」
つれない返事。
「そりゃあ、おかしいですよ。あなたは最近道楽さんに会って、高座に復帰するよう説得したのでしょう」
「ああ、したよ」
「なら、どうやって彼とコンタクトを取ったのですか? 居所も知らずに接触できる訳ないでしょう」
「でも、知らないんだよ」
「なんでですか」
詰め寄る綱渡。
「来楽だよ」
「来楽?」
来楽って誰だっけ? 悩む綱渡。どこかで見た名前だぞ。
「吹雪丈一郎って知ってるかい」
快楽から記憶の助け舟が出る。
「ああ、平成の石油王!」
「そう、奴に調べさせたのさ。道楽の居所をね。そしてついでに来楽の本拠地、北海道大樽市までおびき寄せたのさ。なのにあんな結果に……」
快楽は唇をかみ締めた。
「なにがあったのですか?」
興味津々の綱渡。
「奴の、奴のかたりにあったのさ」
「かたりって、落語をやったんですか?」
「その語りじゃないよ、だましのほうの騙り!」
「騙り?」
「そう、奴は落語の語りも凄いが人を騙すのも天才的なんだよ」
「はあ?」
「なにが『誤・苦楽』だよ」
「なんのことですか?」
「いや、こっちの話だよ……とにかく道楽の居所を知りたければ北海道に行って来楽、いや吹雪丈一郎に会って聴くことだね。まあ、会ってくれればの話だけどさ」
そういうと快楽はきびすを返した。
「もういいね。あたしゃ忙しいんだ、用が済んだらとっとと消えておくれ」
「はい、ありがとうございました。大変参考になりました」
綱渡は丁寧にお礼をすると中庭から出て行った。
「ううむ、結局北海道まで行かなければならないのか」
彼は貯金残高を頭の中で数えていた。なので、
「はんにゃばらぶー」
とつぶやきつつ梅干老人こと萬願亭苦楽師匠が、その後ろ姿を、鷹のように厳しい眼で追っていることには全く気付かなかった。
翌日の夕暮れ時。
綱渡は上野駅にいた。これから寝台特急、《流星3号》に乗って陸路、北海道を目指すのである。もちろん羽田から飛行機で行ったほうが短時間だ。なのに何でわざわざ鉄道を使うのだろう。それは、
「寝台特急に乗ってみたかった」
だけのことである。彼は軽く鉄道オタクを患っているのだ。
「♪ああ〜《流星》に乗って、東日本縦断鉄道〜ウオオオオ〜♪」
早くも缶ビールでほろ酔い気分の綱渡であった。
PM7時定刻に発車。約十六時間の旅が始まった。線路は続くよ何処までか。
ガタンゴトン、ガタンゴトン。
しばらくすると綱渡は尿意を覚えてきた。ビールの飲みすぎである。一路、お手洗いを目指す。すると、
「恐れ入ります。もしかしてノンフィクションライターの綱渡さんでいらっしゃいませんか」
背後から誰かが声を掛けてきた。
「ウィ」
フランス語ではなく、ゲップで応える綱渡。
「やはり、そうですな」
そこには壮年の男性と、いかにもロシア系の外国人男性が立っていた。前者はもちろん日本人である。
「あなたは、確か警視庁捜査一課の五日川(いつかわ)警部でしたね」
綱渡と五日川警部は過去に、ある事件の取材で面識があった。
「はいそうです。覚えていてくださいましたか。ただし今は警察庁の方に転勤になりました」
五日川が握手を求めてくる。だが、綱渡はそれを軽く拒否する。なぜなら五日川は握手をするふりをして相手の指紋を採取するのが趣味なのだ。別に前科はないが公権に弱みを握られるのは不愉快である。なので必殺おうむ返しの術でその場をごまかす。
「警察庁の方に転勤されたんですか」
五日川は見事術中にはまり、右手で頭をかきながら、
「ええ。なにせわたしが列車に乗るたび殺人事件に出くわすので、元の上司が『本当はお前、シリアルキラーなんじゃないのか?』などと言い出しましてね。無能な人間のひがみですな。それで結局、警察庁に昇進というわけです」
と答えた。左遷か。
「じゃあ、この列車でも殺人が起きそうですねえ。言ってみれば『寝台特急殺人事件』ですね」
「ハハハ、ご冗談を」
「ところで、そちらのガイジンさんは?」
綱渡は話題を変える。
「ああ、こちらはインターポール(国際刑事警察機構)のニコラス刑事です」
五日川がやっと気付いたように外国人男性を紹介した。
「ハーイ、ワタシにこらすデス。ぱちんこサイコーデス」
ニコラスがかたことの日本語で訳のわからない挨拶をしてきた。
「ああ、どうも……ところで五日川さんとポールさんはなんで《流星3号》に乗っていらっしゃるんですか」
「ワタシ、ぽーるジャアリマセン。いんたーぽーるノにこらすデスヨ、ツナサンドサン!」
ニコラスは白い顔を朱に染めて訴える。
「ツナサンドジャ、アリマセン! ツ・ナ・ワ・タ・リデス!」
赤ら顔(酒酔いのため)で言い返す綱渡。
「まあまあ」
五日川が両者をとりなしながら、
「もちろん北海道に行くためですよ」
と今さらながら綱渡の質問に答えた。
「飛行機を使えばいいじゃないですか」
自分のことは棚に上げて尋ねる綱渡。
「えあぷれーん、イケマセン。テツノカタマリ、ソラノウエ、トブノオカシイ。ソノカワリ、ろしあジン、トッキュウダイスキデス。ワタシ、テツノカタマリデス」
ようするにニコラス刑事は飛行機恐怖症の鉄道オタクなのだ。ご同情申し上げまする。
「で、北海道に何をされに行くんですか」
話を進める。すると五日川は小声で、
「じつは北海道に世界的な怪盗が潜伏しているらしいのです」
と耳打ちしてきた。
「怪盗ですか?」
今どき、そんな大層な!
「これは本当に事件解決までオフレコでお願いしたいんですがね」
そういいながら五日川警部は綱渡の腹に指で作った拳銃を突き当ててきた。
「わ、わかりました」
そこまで脅すならなにも言わなきゃいいのに、と思いつつうなづく綱渡。
「で、どんな怪盗なんですか?」
「それがね……」
「ソレハ、カイトウ、《らびっと・ぼーる》デス。ヤツハセカイヲトビマワッテ、オカネモチカラタイキンヲ、ムスンデヒライテアタマヲウッテ、キゼツシマス」
ニコラスはとんちんかんなことを叫んでいる。
「通訳いたしますと怪盗、《ラビット・ボール》というのがおりまして、世界中のお金持ちから大金や美術工芸品を盗みだしまして、その金をウニセフに寄付してるんですよ。まさに義賊きどりですな」
「現代版、《ねずみ小僧》ですね」
「こっちはウサギですけどね」
「らびっと、ワルイうさぎネ」
ニコラスは《ラビット・ボール》逮捕に命をかけているようだ。なにか怨みでもあるのかしら。
「しかし、そんな汚れたお金、ウニセフは受けとらないでしょう?」
綱渡がごく常識的な疑問を発した。
「ええ、ところがウニセフ理事長のオニオン公爵夫人が『お金にはなんの罪もございませんのよ』とかいってあっさり寄付を受け入れちゃってるんですよ。まあ、その金で世界中の恵まれない子供たちが救われているんですから、いいといえばいいんですけどね」
五日川は超リアリストであった。
「それはそれ、これはこれ。《ラビット・ボール》逮捕に全力を注ぎます。ああ、ところで綱渡さんは何のご用で北海道へいらっしゃるのですか」
「はい、ある落語家の消息を尋ねるために平成の石油王、吹雪丈一郎氏にお会いしようと大樽市まで行きます」
業種違いの気楽さで綱渡は隠し事なく自分の目的を話した。
「ほう、大樽へ」
五日川は興味なさそうに聞き流していた。
その瞬間、綱渡は思い出した。
「ト、トイレに行きたかったんだあ」
あやうく、垂れ流すところだった。
ガタンゴトン、ガタンゴトン。
気がつくと《流星3号》は函館に到着していた。
「ああ、青函トンネル寝過ごしちゃったあ」
綱渡は泥酔して爆睡してしまったようだ。すると、奥の車両の方で、
「アア、セイカントンネルネスゴシチャッタヨ。ナンデオコシテクレナイノ、イツカワサン」
というロシアなまりの叫びが聞こえる。鉄道オタクのニコラス刑事にとっては痛恨の失策だろう。などと考えているうちに綱渡は再びまどろんだ。
ガタンゴトン、ガタンゴトン。
函館でディーゼル列車と入れ替わった《流星3号》は殺人事件も人身事故も起きず、無事札幌に到着した。ここから大樽本線に乗り換えて終点の大樽まで行く。綱渡はあたりを見回したが五日川とニコラスの姿はない。北海道警にでも行ったのだろう。ストーリー上意味のなさそうな同行二人であった。
大樽の町に到着した綱渡はタクシーを奮発して吹雪丈一郎の自宅へ向かうことにした。ヘイ、タクシー!
「毎度、ご乗車ありがとうございます。どちらへ参りましょうか」
「えーと、吹雪丈一郎さんの御宅へ行きたいのですが、住所とかよくわかりません」
「かしこまりました」
音もなくタクシーは動きだす。さすがは地元のメイシーちゃん、ではなく名士。名前だけで自宅まで行けるようだ。
ブンブーン。5分後、車は森と泉に囲まれた静かな豪邸の門の前に辿り着いた。
「660円です」
初乗り運賃で済んだ。安いものだ。綱渡は料金を払うとタクシーを降りた。さすがは『平成の石油王』の住居だ、門構えからして違う。感心しつつ、呼び出しのチャイムを探すがそれらしきものはない。それに鉄格子などは開放され勝手に出入り出来そうである。これ幸いとばかり不法侵入する。すると、
「ありゃ?」
綱渡は吃驚した。なんと、門の中にはロータリーがあり、たくさんのタクシーが客待ちをしている。なんだかわからないまま誘導員らしきおじさんに尋ねる。
「あのー、吹雪さんにお会いしたいのですが」
「ああ、じゃあこの車に乗った、乗った」
おじさんは強引に綱渡をタクシーに押し込んだ。
「毎度、ご乗車ありがとうございます。どちらへ参りましょうか」
運転手がアホなことを聴いてくる。
「吹雪さんの御宅に決まってるでしょ」
綱渡が不機嫌に応えると。
「玄関まででよろしいので?」
と運転手が尋ねた。
「他に何処があるというのよ!」
キレぎみに聴くと、
「プールとかジャグジーとかテニスコートとか図書室とかお勝手口とかイロイロあるっしょ」
運転手は生真面目に答えた。出発進行。
一時間後、車は玄関前に到着した。
「二万円です」
運転手が料金を告げる。なんて交通の便が悪い家だ、駅から門より、門から玄関までのほうが料金高いなんて! もっと安く出来ないのか、と綱渡が不満を漏らすと、
「なんだお客さん、汽車で来れば門から玄関まで五百円だったがね」
運転手は親切に教えてくれた。その脇を「プオー」と汽笛を鳴らしながらSLが通り過ぎていく。くどいようだが、さすがは『平成の石油王』の住居だと綱渡は思った。
ようやく玄関に辿り着いた綱渡はチャイムを押して案内を請うた。ピンポーン。しばらくすると小型の雪だるまそっくりな体型の中年紳士が現れて、
「どちらさまでございますか、はい」
と不審そうに尋ねてくる。
「突然に失礼いたします。わたくし、ノンフィクションライターをしております綱渡と申します。吹雪丈一郎さんにお会いしたくて参ったのですが、もしかして、あなたが吹雪さんですか?」
「いいえ、わたくしは吹雪家の執事をしております、宇佐木でございますよ、はい」
雪だるまが答えた。
「執事さんですか。では吹雪さんをお願いします」
「失礼ですが、わたくしどもの主人に何の御用でございますか、はい」
「いきなりで恐縮です。わたくし萬願亭道楽さんの消息を調べているのですが、吹雪さんがそのことをご存知だと、萬願亭快楽師匠から伺いまして東京から飛んで参りました。ああ、実際には寝台特急、《流星3号》に乗ってきたので走って参りました。いや、車中、ビールを飲みすぎたので本当は寝て参りました」
「正直な告白、痛み入りますよ、はい」
「どうも。では、早速吹雪さんにお取次ぎ願います」
「そうは参りませんよ、はい。主人は超VIP経済人ですから、アポイントメントなしのゴロツキライターさんにはお会いになりませんよ」
取り付く島もない。
「ゴ、ゴロツキライターとは失礼な!」
宇佐木の発言にキレた綱渡は強引に邸内に押し入ろうとする。
「なにをご無体な。け、警察を呼びますよ! はい」
宇佐木が叫ぶ。すると、
「お呼びですか」
とばかりに背広姿の屈強な男性が何百人も現れた。
「警察のみなさんですか? はい」
呆然とする宇佐木&綱渡。いくらなんでも来るの早過ぎない?
「けいさつ? いえ、我々は検察でんがな……いや、検察です」
背広姿の先達が妙なイントネーションで答える。
「検察?」
「そうでんがな……いや、そうです。札幌の検察から来た特捜班です。吹雪丈一郎、並びに法人としての吹雪オイリオン株式会社に脱税の疑いこれ有り。只今より吹雪丈一郎宅および吹雪オイリオン本社に強制捜査に入りまっせ!……いや、はいります! はい、これが礼状です」
検察の先達は宇佐木に捜査令状を突きつけると空のダンボールを小脇に抱え玄関を押し破って吹雪家に突入する。後続も続々侵入。辺りは騒然となった。
一時間後。
検察の皆さんが、押収した関係資料を入れた大量のダンボールをバケツリレーでトラックに積み込んでいる。ヨイショ、ヨイショ。
「やあ、ご苦労ですなあ。ひとつお手伝いしましょうか」
綱渡は公権のイヌとなってヨイショする。
「いえ、結構ですわ」
検察はむべもない。
「まあ、そう言わずに」
綱渡は懲りずにいうと無理やりダンボールを奪い取ろうとした。
「な、何さらしとんねん……いや、何をする!」
そうはさせじとダンボールを抱え込む検察。二人はもみ合いとなった。挙句に、
「ドサッ」
哀れダンボール、地面に墜落。関係資料が空に舞い上がる。
「あわわ、大変」
急いで回収する綱渡。しかし掴み取ったものは資料ではなく、
「あれ、諭吉さん」
であった。
「ど、どういうことですかこれは!」
一万円札を片手に詰め寄る綱渡。
「こ、これも脱税の、そ、捜査資料であるがな!」
言い訳する検察。すると、
「ほーるどあっぷ!」
「全員、両手を挙げて!」
と叫びながら二人の男が玄関に突入してきた。もちろん五日川警部とニコラス刑事である。
「怪盗ラビット・ボールの一味! 強盗の現行犯で逮捕する!」
五日川が時代がかったセリフを吐くと、その後方から数百台のパトカーや装甲車、さらには戦車や武装ヘリコプターまで出現した。この番組は自衛隊北部方面連隊の全面協力のもとに撮影されました、という様相である。
「ど、どうしたんです五日川さん」
綱渡が吃驚しながら聴くと、
「こいつらは検察を装ったラビット・ボールの一味ですよ」
五日川が答えた。
「確保—」
という大音声の元、大勢のお巡りさんが検察のふりをしていたドロボウさん一味を逮捕する。さすがは義賊、覚悟を決めたかおとなしく縛についていく。こうして大きな混乱もなく世紀の大怪盗たちは捕まったのである。と思ったら、なんと捕縛されたドロボウさんたちの中にラビット・ボール本人はいなかったのである。アララララ……。
騒動の後。
「ねえ、宇佐木さん?」
綱渡は執事に尋ねた。
「なんでございますか、はい」
「怪盗ラビット・ボールって本当はあなたのことでしょう?」
「はあ?」
「だってラビット=ウサギじゃないですか!」
「恐れ入りますが違いますですよ、はい」
「ウソついちゃ駄目ですよ」
「ウソじゃありませんよ、はい。第一、わたくしはウサギじゃありません、う・さ・きですからね。他人の名前は間違えたら失礼でございますよ、角隠しさん」
「つ・な・わ・た・りです! ところで、吹雪丈一郎さんにお会いさせてはもらえませんか」
いやいや、本来の目的を忘れるところだった。
「それは無理でございますよ、はい」
「そんなあ、わたしのお陰で犯罪被害に遭わずに済んだんですよ。少しは融通利かせてくださいよ」
駄々をこねる綱渡。
「そうしたいのは山々なんですが、はい……実は世間には内緒なんですが、主人はOPECの秘密会合に呼ばれてサウジアラビアに出張しているのでございますよ。さらについでに使い切れないお金を少しでも減らすために世界一周旅行をしてくるそうです。帰りは二年後の春でございますよ、はい」
宇佐木は心底申し訳なさそうに答えた。
「《流星3号》もサウジアラビアまでは行かないよなあ」
全くの無駄足に気力も萎える綱渡であった。
傷心を抱えた綱渡、帰りは飛行機で東京に戻った。早くて楽だった。
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