第五席 ねこ道楽

「あれ、《ちくわ》がいない」

 と道楽の妻が慌て出したのは、大樽市滞在もかれこれ半月を過ぎ、北の幸にも食傷ぎみとなって、そろそろ横浜の豪華大マンション(自称)に帰ろうかと思った矢先のことである。

「なあに、ベットの下にでも入り込んでいるのではありませんか?」

 道楽が何の気なく応えると妻は、

「そんなところはさっきから何度も覗いとるんじゃあ! ついでにクローゼットも押し入れも通気口もゴミ箱も便座の裏までちゃんとチェックしたわ。それでも見つからないから、い・な・い、と言っているのじゃ」

 と叫びながら道楽に強烈なコブラツイストを仕掛けてきた。

「は、はい……わ、わかりましたから、ブレーク、ブレーク、ギブ、ギブアップですよー」

 妻の心痛を身に染みて理解した道楽は、涙ながらに許しを請うた。

「わかればいいのよーん」

 妻が勝利の雄叫びをあげる。カンカンカン! ゴングが鳴った。(もちろん、幻聴)


「まあとにかく、ここは冷静になって《ちくわ》の行方を探しましょう」

 道楽が腰に湿布を張りながら提案した。試合終了十分後のことである。

「そうだね、そうだね」

 道楽の意見に相づちを打つ妻。

「冷静になるために、まずは冷製パスタで腹ごしらえっと……ガツッン」

 道楽の後頭部に金鎚を打つ妻。

「イテテ、洒落を言って殴られては噺家が絶滅しますよ」

 ぼやく道楽。

「うるせい、プー太郎」

 亭主の心に釘を打つ妻。

「それはさておき、状況を確認しましょう。最後に《ちくわ》の姿を見たのは何時でした?」

 名探偵道楽の質問。

「そうだねえ……夜、寝る時は確かあたしのベットに《とんぶり》と一緒にもぐり込んでいたわねえ」

 妻の証言。 

「ああ、毎度のことながら泥酔してバタンキューでしたねえ」

 名探偵道楽の失言。

「うるさいな」

 妻の罵声。続いて、バシッ! 張り手が飛んできた。

「イテテ……、では、今朝は?」

 重傷人道楽の再質問。

「朝……、あたしゃ昼まで寝てたからねえ……あんたは見てないのかい」

 逆取材する妻。

「そういえば、わたしの腹にダイブしてきませんでしたねえ」

 道楽は首をひねる。

「なんだい、そのとき気付いていれば大事にならなかったかもしれないのにぃ、薄情な男だよ!」

 妻は責任を転嫁して、なおかつ怒りの炎をも点火させた。

「ウォリャー」

 強烈な回し蹴りが道楽を襲う。

「グシャ」

 地面にひれ伏す道楽。その顔の前には、

「ニャアー」

 と悲し気に鳴く妹ねこの《とんぶり》がいた。

「おお《とんぶり》、お前さん《ちくわ》の行方を知らないかい?」

 ねこに物を尋ねる迷探偵道楽。すると、

「ニャニャニャーナ」

 《とんぶり》が身振り手振り、いや前足振りでドアの方向を指差す。

「ドアがどうかしましたか?」

 いぶかし気に道楽がノブに手を掛けると、

「アララララ」

 どうしたことか鍵が見事に壊れていた。


 三十分後。

 現場となった大樽プリンセスホテル百八階スーパービューロイヤルストレートスイートルームには、北海道警本部長・秋鮭男(あき・さけお)率いる特別捜査班の精鋭約二百名が到着し、鑑識課員が着々と証拠保全や指紋採取、写真撮影などをしている。さらにその隣室に、捜査本部が設置され、百数十台のパソコンや電話器など必要な機材、物資が次々と運び込まれていた。

「おやおや、なんだか大げさなことになってしまいましたねえ」

 苦笑いを浮かべる道楽。実は「早く警視総監を呼べ!」などと勘違いなことを言って息巻く妻にせかされ、やむなく「警視総監の責任範囲は東京だけですよ」とつぶやきながら地元の実力者、元萬願亭来楽こと吹雪丈一郎氏に北海道警への口添えを頼んだのだ。ただそれは、単なる『ねこ失踪』では、所轄のお巡りさんもまともに相手なぞしてくれないだろうから、ちょっと親身になって欲しいなあ……くらいの心持ちであったのに、吹雪氏、先日の汚名返上とばかり張り切って金をばらまき脅しすかし、道警トップ直々の御出馬となってしまった。吹雪氏の権勢恐るべし。と言うかちょっとやり過ぎ。だが……。

「あんた、なに笑ってんのよ!」

 旦那の心知らずの妻は、道楽の苦笑いを一喝すると、

「おたくが本部長さん?」

 と秋本部長にガンを飛ばした。

「うむ、そうだが」

 妻の恐ろしさを知らない秋本部長が警察の威厳を持って返事をする。それが妻の地雷を踏んだようで。

「ふーん、随分といい制服着てらっしゃるわねえ」

 妻はまず軽くジャブをふっかけると、そのあとすかさず、

「おたくらは裏金作りばっかりに力入れて、いいおべべ着て、治安の方には気持ちが入ってないのかい!」

 とブレーンバスター級の大業を繰り出してきた。

「なぬー」

 顔が真っ赤になる秋本部長。しかしここでキレたら地元の名士吹雪氏からの裏金が得られなくなる。ぐぐっと怒りをこらえて、

「この度の一件、心中お察し申し上げます」

 と当たり障りのない挨拶をした。それに対し妻は、

「おうおう、そうだよ。あたしのハートは《ちくわ》のことが心配で大型サイクロンとマグニチュード10・3の直下型地震に立続けに襲われている感じよ。早く《ちくわ》を探し出してちょうだい!」

 と涙ながらに陳情した。なんとも感情の起伏が激しい。

「もちろん、全力を持って《チワワ》ちゃんの捜索に当たります」

「《ちくわ》だよ! いぬじゃなくてねこだよ!」

 泣いた奥さん、もう怒った。

「失礼。ではその《ちくわ》ちゃんのことで何点かお聞きします」

 やっと本題に入る。

「《ちくわ》ちゃんの種別、性別、身体的特徴などをお聞きしたい」

「ああ、《ちくわ》はねえ三毛のオスだよ。図体は大きいけど、やさしくって可愛いやつだよ」

 妻が答える。すると、

「三毛のオスですか?」

 首をかしげる秋本部長。

「なんだよ、文句あるのか」

 キレる妻。

「ええ、私はねこには詳しくありませんけど、三毛のオスなんて遺伝子的にまず存在しないことくらいは知ってますよ」

 応える秋本部長。

「そうだよ。でもたまに産まれるってことも知ってるだろ」

「ええ」

「うちの《ちくわ》はねえ、そのたまに産まれた一匹なんだよ。しかも母ねこの名前は《たま》っていうんだよ。あのボールに乗って腰を振る伝説のねこだよ。だから《ちくわ》は《たま》から産まれた、たまたま産まれたねこなんだ! どうだい聞いて腰抜かしたかい!」

 啖呵をきる妻。さらに調子が出て来て、

「《ちくわ》はその上ねえ、三毛のオスなのに生殖能力まであるんだよ……とは言っても今じゃあ痛風と糖尿であっちの方はからっきしだけどね。若いころは町中のメスねこ従えてブイブイ言わせてたんだよ。御近所じゃあ『飼いねこ界の火野正平』とか『またたび担いだ、ディック・ミネ』とか言われていたんだ。今のタレントで言ったら、矢追純一みたいなもんだね」

 などとほざいている。矢追じゃなくて石田純一だろうよ。UFO追っかけてどうするのさ、メスねこの尻追っかけてたんだろ。

 それはさておき、妻の長口上を聞いていた秋本部長の表情が変わった。

「三毛のオス、それも生殖能力があるとなると……五千万くらいの価値がありますぞ。これは身代金目的の誘拐の可能性も出てきましたな」

 などと大仰なことを言い出す。

「ああ、お金なら幾らでも吹雪さんが出してくれますから、《ちくわ》の命だけはお助けを……アーメン」

 急にクリスチャンになる妻。(本当はセバスチャン)

「早急に捜査本部に立ち返り、対策を練りましょう」

 そう言うと秋本部長は隣室の捜査本部に向かう。

「よろしくお願いいたします」

 妻は二つ折りの携帯電話のように最敬礼した。なんだかんだと言っても《ちくわ》のことが心配でならないのだ。

「よろしくどうぞ」

 道楽が秋本部長を玄関まで見送る。

「では失敬」

 秋本部長が一歩外に出た瞬間。

「カシャ、カシャカシャ」

 突然、目もくらむ程のカメラのフラッシュが焚かれ、大勢の報道陣やカメラマン、ワイド・ショーのレポーターたちが秋本部長を取り囲んだ。

「今回の事件、どうなっているのでしょうか?」

 先頭でマイクを握るのはお馴染み、障子はり子さん。その他アベさん、ミトイさん、イノウエさんなどと、各局の名物リポーターが顔を揃える。

「えー、その件につきましては現在何もお答え出来ません!」

 秋本部長がフラッシュを眩しそうに避けながら怒鳴りあげる。でも目線はしっかりオンカメしている。役者やのう。

「何か一言!」

 尚もマイクを向けるレポーター陣。

「はいどいて、どいて」

 警備の人に導かれて捜査本部に消える秋本部長。

「本部長直々に出馬するという、異常事態。このホテルでいったい何が起きたのでしょうか? 謎は深まるばかりです。以上、現場から障子はり子がお送りしました」

              

 秋本部長は近頃、幻覚症に悩まされていた。それ程の激務なのか本部長とは……。

              

 大樽プリンセスホテル百八階スーパービューロイヤルストレートスイートルームの隣室に用意された捜査本部。そこに疲れ切った様子で入ってきた北海道警本部長・秋鮭男はソファーに腰掛けると制服のネクタイを緩めた。そして、胸ポケットから愛飲する紙巻きたばこ『ヘブンスターカスタムワイルド』を取り出し一筋の紫煙を吐く。その煙とともに出てきた言葉は、

「ああ、アホらし」

 であった。

 まったく、いくら地元の名士吹雪丈一郎の頼みとはいえ、道警本部長である自分が、中央に戻れば押しもおされぬキャリアの自分が『ねこ探し』の陣頭指揮をとるなど馬鹿馬鹿しくってオナラがでちゃうぜ。これだったらエー●ルに入社して『お部屋さがし』のほうがまだましだな。あとは捜査本部の形式だけ残してすべて所轄の奴らに任せよう。投げやりになった秋本部長がそう考えていたとき、

「本部長」

 と道警捜査一課長の森本が寄ってきた。

「なんだね」

 日頃の横柄な態度で臨む秋本部長。

「はい、東京の警察庁から緊急の入電がございました」

「東京から? どんな内容かね」

「はい、それが世界的な怪盗、ラビット・ボールと言う者がこの大樽市近辺に潜入しているという情報がインターポールから入ったそうです」

「怪盗ラビット・ボール? なんだねそれは」

「はい、入電によると怪盗ラビット・ボールは悪徳商人や汚職まみれの政治家から美術工芸品を中心に、ときには現金、金塊などを盗み取り、それを恵まれない地域の子供達やら慈善団体に密かに寄付しているという義賊気取りの犯罪者だそうであります」

「なーんだ、いい奴じゃないか」

 トボける秋本部長。

「御冗談を……一番狙われそうなのは本部長じゃないですか! あんなに私服を肥やして」

 怒る森本。

「ふ、吹雪がいるじゃないか! 奴は私より私服を肥やしているぞ」

 動揺して他人を貶める発言をする秋本部長。

「吹雪さんは商売人ですから金を儲けて当然です。それに私財を投じて文化施設の建設もしてますしね」

 正論を吐く森本。

「森本くん、きみ辛辣だねえ。私に恨みでもあるのかね」

 秋本部長は半ギレた。

「いえ、ただ私は真実を述べたまでです。なんなら『道民新聞』にリークしたっていいんですよ」

 負けない森本。

「まあまあ」

 なだめに入る秋本部長。

「戯れ言はこれくらいにしまして、この怪盗ラビット・ボールなんですが情報によると無類のねこ好きだそうです」

「ねこ好きだと!」

「はい、なんでもねこを見るとまっしぐららしくて、そのせいで一度パリ市警に捕まっています。まあその二日後には脱走したそうですが」

「ねこまっしぐらか! もしかしたら今回の件と関連がありそうだな」

「はい」

「よし適当にお茶を濁してサボっている捜査員を八時までに全員集合させろ。怪盗ラビット・ボールの件と合同捜査会議を開く!」

 秋本部長は急にやる気になった。

「了解であります」

 走り去る森本。

「怪盗捕まえて、出世街道まっしぐらだ!」

 秋本部長が意味不明に叫んだ。


「なんやろなあ」

 大樽プリンセスホテル百八階スーパービューロイヤルストレートスイートルームの隣室の隣室に泊まっている、一人の中年男性が呟いた。

「わし、まだなにもしてへんのに、もう警察来ておる。ニッポンの警察そない優秀なのか……」

 いい加減な関西弁のなかに若干のフランスなまりが聞いてとれる。

「そら昨日、隣の隣の部屋、鍵こじ開けて覗いたで。なんたって大樽プリンセスホテル百八階スーパービューロイヤルストレートスイートルームやからな。お宝でもあるかい思うやんけ。そやけど、貧乏臭〜いおっさんと、酔っぱらったおばはんと、こ汚くて、どうにもならへん駄ねこしかおらなんださかい、なんやこりゃとケツまいて帰って来たのに、このさわぎやがな……あっ、あんまりしょうもないから鍵直すの忘れてきたわ。そいでばれたか! いかん、早よ逃げよ」

 そう言うと男は、変装していた顔面マスクを剥ぎ、鞄から警察グッズを取り出し、警察官になりすまして、部屋を出た。そう、彼こそが怪盗ラビット・ボールその人である。名うての怪盗の彼だが今回はなんの成果もないばかりか、五千万くらいの価値があるオスの三毛猫ちくわをただの駄ねこと評価するなど、かなりの残念君に終わったようである。

 と、いうことは《ちくわ》失踪と怪盗ラビット・ボールは何の関係もなく……。 


「困ったね」

 道楽の妻がつぶやいた。

「参りましたね」

 道楽も同調する。そしてその懐には、

「……にゃあ」

 気まずそうに鳴く、馬鹿ねこ《ちくわ》。

 話は北海道警本部長・秋鮭男が隣室に去って一時間後に戻る。

「トントン」

 誰かがドアを叩く。

「あ、《ちくわ》だ」

 妻がひた走る。

「まさか」

 道楽が付いて行ってドアを開く。すると扉の向こうには、

「あぶー」

 と情けない声をあげる《ちくわ》が中に浮いていた。そして、

「このねこはおたくさん方のだねえ」

 と顔中皺だらけの老人が《ちくわ》を摘まみ上げている。

「はい、そうです」

 道楽が答えると、

「あちきはこのホテルで長く板前をやらして頂いてるものだがね、今朝ウニの貯蔵庫を開けたらこのねこが、水揚げされたばかりのバフンウニをパクついてるじゃあないか。あちきは頭に来て出刃包丁で殺っちまおうかと思ったが、よく見るとこのねこ、質の良いバフンウニばかり食べている。試しに某国から輸入されたそれこそ馬糞みたいな安いウニをやったが見向きもしねえ。あちきは感心して殺生はよしたところにこの警察沙汰だ。あちきも脛に傷ある身だからサツの奴らのいる間は裏でひっそりしてよう、やっと静かになったからここまで連れて来たという案配だ。細かいことは言いこなしよ。ほなさいなら」

 顔中皺だらけの老人板前は言いたいことだけ言うと、消えるように去って行った。残された道楽と妻は、

「ぽかーん」

 である。

 でも無事ちくわが帰って来てくれてよかった。ほっとする道楽夫妻。しかし……。

「警察のみなさんにどう、お詫びしましょうか」

 悩む道楽。

「あんた言ってきてくれよ」

 責任を押し付ける妻。

「うーむ……そうだ」

 膝を叩く道楽。

「いい知恵浮かんだかい?」

 尋ねる妻。

「ここはわたくしの人生方針に従いまして……」

「従いまして?」

「黙ってこの場から逃げ出しましょう!」

「そうしましょう!」

 無責任な道楽夫妻はそう言うとこっそりと裏口を出て大樽プリンセスホテル百八階スーパービューロイヤルストレートスイートルームから非常階段をつたって降りて、そのまま流しのタクシーを捕まえて男満別空港に乗り付けて、EDO・GU(エド・グゥー)33便(さんざんびん)にキャンセル待ちの客から席を強奪してとっとと羽田へ帰ってしまった。もちろんねこたちは今回もカバンに無理やり詰め込んで来た。だから、おみやげに《じゃがぴっころ》も《黒い老人たち》も《マルシンハンバーグサンド》も買って来られなかった。カバンにも時間にも若干の余裕すらなかったからである。


 その後大樽でどんな事件が起き、どんな捕り物帳が展開したかはテレビでもラジオでもなぜか報道されず、新聞は取ってないから知る由もない道楽であった。

 ただ、元来楽の吹雪丈一郎氏には黙って帰ってしまい、申し訳なく思ったのでお詫びの手紙を書いた。

 その際、《ちくわ》を連れて来てくれた皺だらけの老板前にお礼を言っておいてくれないかとしたためたところ、折り返し送られて来た吹雪氏の手紙には、『大樽プリンセスホテルに、そのような老板前はいませんでした。過去にもいなかったそうです。また念のため当日宿泊していた客も調べさせましたが該当がありませんでした』と書かれていた。

 果たして、あの老人は何者だったのであろうか? 頭を抱える道楽であった。

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