第三席 旅道楽

 北の荒野に男が一人、ツルハシ担いで立っていた。髪はボサボサ、髭はボウボウ。目は充血して、その視線はウツロである。着ている服もボロボロだ。横には賢そうな犬が一匹、ご主人様を心配げに見上げている。

「ヒューヒュー」

 雪交じりの風が頬をぶん殴ってゆく。寒さを通り越して痛い。このままじゃあノックアウトだよ。でも心はもっと痛かった。

「だ、騙された……」

 涙がひとしずくこぼれる。男泣きだよ、落下傘、いやおっかさん。寒さで舌が回らない。

「ど、どん底だ」

 夕日が沈む、気持ちも沈む。昇っていくのはおぼろに浮かぶお月さんと白いため息ばかり。

「ああ……」

 凍えるような夜が来て、男は救いようのない自分の人生を振り返る。

「なんも、いいこと無かったなあ」

 北海道に生まれて雪まみれに育ち、十五歳の夏に立身出世を目指し、津軽海峡を泳いで渡り、青森からは盗んだバイクで走り出して東京へ出た。(お巡りさんごめんなさい)だがいくら必死に努力しても箸にも棒にもかからぬ貧乏暮らし。それでもいつかは故郷に錦を飾ろうと、吉菜屋の漬物定食(百円・税込)で飢えをしのぎ、女も作らず、酒、タバコ、博打などなど、人生の無駄で楽しい世界には一切触れずにやってきて、貯めた資産が十数年で三百万円とブチ犬一匹。ああ、もう年も年だ、灰色の都会で背中を丸めて生きていたってしょうがない。この金で道内に土地を買って地道にお百姓さんでもしようと思いたち、頼った不動産屋が絵に描いたような悪徳商人。手にした土地は電気もガスも水道もNH●の集金のおじさんすら通わぬ原野商法。お隣さんまで千マイル。気持ちも参って雪舞い落ちる。金を返せと訴えようにも悪徳商人、煙の如く消えうせて、怒りのやり場もしゃべり場もなし。もう途方にくれて立ちすくむだけの男、三十三歳の冬であった。

「もう疲れたよ。なんだかとっても眠いんだ」

 男は横に控える愛犬パチョレックにつぶやく。

「僕はパトラッシュですか! ワン」

 犬が喋った! 多分幻聴だろう。男はがっくりと首を垂らすと持っていたツルハシで足下に穴を掘り始めた。

「なにしてますワン」

 尋ねる幻聴に、男は、

「墓穴を掘っているんだよ」

 と答えた。

「死ぬ気かワン」

「そうだワン」

 幻聴に犬語で答えると、男は黙々と穴を掘る。

 掘る。

 掘る。

 掘る。

「ここ掘れ、ワンワン」

「もう、掘っとるわい」

 やがて墓穴が男一人埋まるのにちょうどよい大きさになったときツルハシに、

「カチーン」

 と硬い衝撃が伝わった。

「なんだ、埋蔵金か?」

 男は興奮し、渾身の力でその固いものを打ち抜く。

「おりゃあああああ」

「バシャーン」

 突然穴から液体が吹き上がってきた。

「やった、温泉だ」

 男は喜んだ……がそれもつかの間、強烈な臭気に気絶してしまった。愛犬のパチョレックも右にならえである。

 翌朝。

 気が付くと、男とパチョレックは体中を真っ黒にして倒れていた。無意識におたがいの体を暖めあってなんとか凍死をまぬがれたようだ。

「うん? あ、温泉は?」

 男が穴を掘った場所を振り返ると、なんと真っ黒な原油が天高く吹き上がっていた……。

 これぞ平成の石油王、吹雪丈一郎(元噺家、萬願亭来楽)のアンビリーバボーな北国立志伝の発端である。


 道楽の元に北の国から一通の手紙がやってきたのは彼が引きこもって三年目の初夏のことであった。それは、

『拝啓、運慶、快慶、お会計……というのは兄さんのネタでしたっけね。ご無沙汰しております、来楽でございます……』

 という書き出しで始まっていた。

「来楽……誰だっけ? ああ、来楽! 弟弟子の、安アパートの来楽くんですかあ。懐かしいですねえ」

 そっと第三十九回、思い出のメモリーに浸る道楽。

「さて、その来楽くんがどうしたというのでしょうか。まさか、お金を貸してくれとか言うのではないでしょうね。なんといっても安アパートくんですからねえ」

 新聞も雑誌も買えない貧乏人は世間の動きを全く把握していなかった。手紙の続きを読む。

『ご存じかと思いますが、私、来楽こと吹雪丈一郎、人生で最も尊敬する道楽兄さんが高座を去ったのち、快楽師匠の付き人となりましたが、どうもいけません。あのお方は考え方も血液型も何もかもが兄さんとは正反対。どうにも我慢出来なくなって、廃業いたしました。今は故郷北海道で手広く青年実業家をしております』

「へえ、来楽くんも廃業してしまったのですかあ……知らなかったなあ」

 なにも知らぬ道楽。知らないついでに、傍らで昼間っから、ビールを浴びるように飲んでいた妻に(今日はたまたま休日だった)

「O型の反対って何型でしょうねえ?」

 と尋ねてみた。すると、

「小型だろ」

 と素っ気なく言われた。なるほど。さらに読み進める。

『幸いに全ての事業が順調に推移して、ガッポリ儲かって困っております。つきましては社会貢献と税金対策をかねて、こちらに大きな総合文化施設を作ろうと計画しております。具体的に申し上げますと、テーマパーク。ドーム球場、アリーナなどのスポーツ施設。さらには歌舞伎からオペラまでなんでも来いの大劇場。そしてなにより常設の寄席の建設を考えております』

「……?」

 状況がつかめずフリーズする道楽。なんとか再起動して残りを読む。

『つきましては、道楽兄さんに是非、寄席の総合プロデュースをお願いしたいのです。いえいえ、あまり難しく考えないでください。ちょっとご意見を伺わせていただければいいんです。あとはのんびり温泉にでもつかってゆっくりしてください。万病に効く、良い湯ですよ。もちろん往復の交通費も宿泊費もなにからなにまで全部こちらで持ちますから安心して来てください。よかったら姐さんもご一緒にどうぞ。超々一流ホテルのスイートを予約して待ってますから。ギャラも弾みますよ……それでは、敬具コロンボ……これも兄さんのネタでしたっけ?』

「……?」

 再起動しても調子の悪い道楽。手紙を妻に丸投げした。一読する酔っ払い。

「……、あんた行くよ!」

 妻はそういうと押入れからキャリーバックを取り出してきた。早や! 押入れからキャリーバッグ取り出しの世界新記録かもしれない。ギネスブックに申請しよう。

「それにしても……」

 うだつの……いや調子のあがらぬ頭脳で道楽は考える。

「私は、来楽くんに尊敬されるようなこと、何かしましたかねえ」


 アテンションプリーズ!

 道楽負債を抱えた、いや道楽夫妻を乗せたGAL666便羽田発新千歳空港行きは帝国の逆襲を果たすために、デス・スターに向けてエックス・ウィングを広げましたのよ……オホホホ。

 妻が久々の旅行に舞い上がって訳のわからない事を口走っている。やば、もう缶ビール十五本も空けているよ。あんまり酔いすぎて暴れ出して、羽田に逆戻りなんてこと無いだろうなと不安になる道楽。

 アテンションプリーズ!

 羽田札幌間の飛行時間は一時間ちょっとである。

「機内食はまだ?」

 などと騒ぐ妻をなだめながら、道楽は来楽のことを思い返していた。

「彼は確か……」

 そう、来楽こと吹雪丈一郎青年が我が師匠萬願亭苦楽の門を叩いたのは今から十八年前の暑い盛りだった……と思う、多分。

 クーラーも扇風機も換気扇もない師匠のあばら家。縁側に吊るした風鈴だけが涼やかさを演出していたあの夏の日。

「……ほう、北海道から来なさったのかい」

 微笑みながら話す、苦楽師匠。

「北海道といえばやっぱり、大通公園だねえ。冬の雪まつりもいいけれど、あたしゃ、やっぱり五月のころ、ライラックの花がさあ……」

 しばし苦楽考え込む。

「ライラック……らいらっく……らいらく、あんたの名前は来楽にしよう! うん、それがええ、それがええ」

 駄洒落かよ!

 確か、こんな感じで入門したのだ。後は、どんなエピソードがあったっけ?

「ああ、そうですよ」

 道楽膝を叩く。

「あれは私が喘息の発作を起こしたときでしたねえ……」

 その日の朝、急に来楽は彼の付き人となったのだった。そうそう、もともとの付き人だった音楽が、人気急上昇で舞い上がって熱が出て寝込んでしまったための代役だった。そして急病で倒れた道楽をタクシーに乗せて、妻が迎えに来るまで病院にいてくれた。帰りに送っていった先の安アパートと、そこで内緒で飼っているというブチの犬だけが妙に印象に残っている。彼との実質的な付き合いはその一日だけ……。その後は音楽が付き人に戻り、来楽は一門の重鎮、快楽師匠の付き人に戻ったはずだ。

「あれ?」

 またしても道楽は不思議に感じた。

「私は、来楽くんに尊敬されるようなこと、何かしましたかねえ」

 アテンションプリーズ!

「ガクッ」

 突如激しい揺れが起こった

「当機の機長、風間でございます」

 機内放送が流れる。

「ぜんざい……ゴホッ、失礼しました。現在、当機は青森県上空を飛行しておりますが、札幌の管制塔より指示がございました。北海道付近に突如爆弾低気圧が発生し、新千歳空港は季節外れの桜吹雪で離着陸が不可能となりました。そのため、急きょ到着先を男満別(おまんべつ)空港に変更いたします。途中、激しい揺れが予想されますが心配するのはよそう……なんちゃって」

 くだらぬ機長のギャグに騒然とする機内。泥酔して熟睡する妻。

「こ、この飛行機は落ちたりしないですよねえ」

 緊急事態に動揺した道楽は傍らにいる、ちょっとファニーなキャビンアテンダントさんに質問をした。するとキャビンアテンダントさんは、

「わ、私は、ど、ドジでノロウイルスにかかるような駄目な女の子だから、わ、わかりませーん」

 と叫んで走り去って、途中でコケている。なんだ?

「ガクーン」

 不吉な音がしてGAL666便は急激に降下しだした。

「教官! わたし、負けません」

 意味不明な叫びを上げながら、ドジでノロウイルスにかかるような駄目な女の子のキャビンアテンダントさんが天井と通路をドリブル状にバウンドしている。

 アテンションプリーズ! ヘルプ・ミー&ハー!


 三十分後、GAL666便は無事男満別空港に着陸した。

「ブラボー」

「グッドジョブ!」

 乗客のスタンディングオべーションに迎えられヒーローインタビューに答えた風間機長は、

「いやー、これも全て乗客の皆さんのご声援と副操縦士の平田くんのお陰です。なんたって彼は階段落ちと着陸の腕にかけては業界随一ですからねえ」

 と部下を褒め上げる。それに対し平田副操縦士は、

「銀ちゃん!」

 と機長のニックトネームを叫んでいた。

《拍手喝采が鳴り止まない現場から障子はり子(しょうじ・はりこ)がお送りしました》

 アホの集団を無視して道楽夫妻はタラップを降り、北の大地を踏みしめる。

「ご搭乗ありがとうございました」

 ついさっき、天井と通路をドリブル状にバウンドしていた、ドジでノロウイルスにかかるような駄目な女の子のキャビンアテンダントさんが笑顔でお見送りしている。どこもケガはないようだ。

「あなた、あんなにバウンドしてたのに大丈夫だったのですか」

 道楽が尋ねると、

「ええ、弾力性だけはありますので」

 とドジでノロウイルスにかかるような駄目な女の子のキャビンアテンダントさんは平然と答えた。その名札をみると《鞠ちえみ》となっている。

「ちっ、《まりもっこり》じゃないのかよ」

 妻は意味不明な舌打ちをすると、

「リバウンドには気をつけな!」

 と、リカバリー不能な突込みをいれていた。おいおい。


 男満別空港は見たところ新千歳空港に比べて規模が小さく商業施設も少ない。北海道についたらとりあえず、今大人気のご当地限定スナック菓子じゃがピッコロを買おうと楽しみにしていた妻は、空港中かけまくったにもかかわらず、お目当ての《じゃがピッコロ》も《じゃじゃが丸》(じゃがピッコロの類似品)も無いことに腹を立て、

「機長を呼べ、機長を!」

 と怒鳴っている。ここはもう空港だよ、呼ぶなら空港長だろ。

「それはそうと……この先どうしましょうかねえ」

 思案に暮れる道楽。到着地が変わったことを来楽に伝えなくてはならないが連絡先を書いた帳面をどこにしまったか忘れてしまった。とりあえず、カバンを開けてみる。すると、

「ニャー」

「ゴロ、ニャーゴ」

 中から、《ちくわ》と《とんぶり》がまぬけな顔を出した。ど、どういうことだ?

「だって、何日くらいこっちに滞在するか、わからないじゃん。置いてけぼりにはできないよ」

 にゃんこラブリーなことを言う妻。

「だったら、きちんとペット用の籠にいれて、飛行機会社の人に預けなきゃ駄目じゃないですか」

 とやさしめに説教する、立場の弱い道楽に対し、

「急な出発だったからね、気が回らなかったよ」

 と口笛を吹いてごまかす、妻。

「これってある種、動物虐待ですよね」

 ちょっと強めにイヤミをいうと、

「帰りはあんたを手荷物に預けて、ねこと私はファーストクラスに乗るわ」

 と逆ギレされた。国内線にファーストクラスってあるのか? あんたなんかはエアフォース・ニャンにでも乗ってればいいよ……といいたいのをグッとこらえて胃が痛い、被扶養者、道楽であった。今に見てろよ。(ちなみに、なぜねこたちが空港のセキュリティーを通り抜けられたかは永遠の謎である)

 などと、空港ロビーで夫婦水入らずの時を過ごしていると、

「もしかして○×様ご夫妻ではございませんか」

 突然、後ろの方から声を掛けられた。振り向くとそこには小型の雪だるまそっくりな体型の中年紳士が立っていた。凸凹大学校の校長先生みたいな(わかるかなあ?)タキシードを着て、アルセーヌ・ルパン(Ⅲ世ではないよ)もどきの片メガネ、スパッツ船長(ご類推願います)顔負けの長い耳で、首には大きな懐中時計をぶら下げている。

「はい、さようでございますが」

 この奇妙なおっさんをしげしげとながめながら、道楽が応えると、

「ああ、よかった。わたくし吹雪の使いのものでございますよ、はい」

「吹雪? ああ来楽くんのことですか」

「ええ、わたくし、吹雪家の執事をしております、宇佐木乳堂(うさき・にゅうどう)と申します、はい」

「メーリさんの!」

 突如歌いだす妻。

「し・つ・じ……」

 赤面しつつ、あわせる宇佐木乳堂。あんた、あの妻(こ)のなんなのさ。

「ゴホン……あまり時間がございません。取り急ぎこちらの車にお乗り下さいませ、はい」

 宇佐木は照れ隠しの咳払いをすると道楽夫妻の露払いを勤めた。横綱はもちろん妻である。空港の車寄せにはなんとマリモ型のリムジンが止めてある。うーん、これに乗るのか。道楽は微妙な気持ちである。

「それでは、お屋敷のほうにご案内いたしますよ、はい」

 宇佐木が出発進行を告げる。すると、

「異議あり!」

 妻が物言いを付けた。

「ちょっとお、超々一流ホテルのスイートルームはどうなったのよ! 誇大広告で公正取引委員会に訴えるわよ」

 それでもいいんかい? 心の中で駄洒落る道楽。どうでもいいや。

「も、もちろん大樽プリンセスホテルの最上階スーパービューロイヤルストレートスイートルームをご用意しております。ご安心ください。その前に当家のお屋敷にてウエルカムパーティーがございますので、ご案内いたしますよ、はい」

 汗をかきかき、宇佐木が喋る。運転大丈夫かしら。

「ああそう。ならいいけど」

 そういうと妻は車内に取り付けてあった小型冷蔵庫から赤ワインを勝手に出して、手酌で飲み始めた。酒に対する嗅覚は猟犬の約千倍である。

「宇佐木さん」

 今度は道楽が質問をする。

「さっき、大樽プリンセスホテルとおっしゃいましたが、小樽の間違いじゃないんですか? 大樽なんて地名、聞いたことないですし」

 それに対し、宇佐木が誇らしげに答える。

「いえいえ、大樽でよいのでございますよ、はい」

「なんでですか」

「近年の市町村合併ブームにより、財政破綻した縄張市や夕日川市、花魁市、など大小十市町村が一つになって『大樽市』がこのたび誕生したのでありますよ、はい」

「へえ?」

 それは初耳である。

「小樽は運河の町ですが大樽は石油の町でございますよ、はい」

「石油?」

「ええ、なにせ市の法人税の九十九パーセントを我が『吹雪オイリオン(株)』が支払っているんですからね、はい」

「『吹雪オイリオン(株)』ってなんでしょうか?」

 尋ねる道楽に、

「え、ご存知ないのでございますか。我があるじ吹雪丈一郎は『平成の石油王』でございますよ」

「はあ?」

 またもやフリーズした道楽に、宇佐木は冒頭の北国立志伝を自慢げに語った。

「ら、来楽くん……いや、吹雪丈一郎さま……なんてラッキーくん!」

 感慨深げというより嫉妬深げにため息をする道楽。

「あの、安アパートくんがねえ……」

 隣で、聞いていた妻は、

「なんだい、あのときあんたの息の根を止めて、来楽に乗り換えておけばよかったねえ」

 とつぶやいている。目がマジだ、こわい。

「まあ、とにかくもう少しで大樽でございますよ、はい。少しスピードを出しますから、しっかりおつかまりくださーい」

 宇佐木はそういうとマリモ型リムジンのアクセルを全開にして、道道十三号を堂々と二百キロオーバーで走り出す。と、いうより飛んでいる。ディープでインパクトの強い走り(飛び)である。

「どう、どう」

 道楽は暴走する騎手……ではなくて運転手、宇佐木をなだめた。なだめっぱなしの人生行路ではある。


 さて、男満別空港を出てかれこれ三時間が過ぎた。羽田新千歳間の倍の時間である。飛行機は偉大だなあ、などと道楽が考えていると、

「ああ、大樽の町が見えてきましたよ、はい」

 宇佐木が前方を指差す。するとそこには、火柱をあげる巨大な煙突? いや鉄塔が立ち並んでいた。

「グエ、アラビアンナイトに拉致されたあ」

 妻が寝とぼけてあせっている。それもそのはずだ。

「はあ」

 吃驚、唖然とする道楽、まるで中東の産油地に来たかのような光景が広がっている。本当にここが日本なのか。

「ここがわれら『吹雪オイリオン(株)』の稼ぎ頭、『パッキー採油基地』でございますよ、はい」

「パッキー?」

「パッキーというのは我があるじ吹雪に石油のありかを教えた『忠犬パチョレック』の愛称でございますよ、はい」

 歴史というものはこうした修飾によって神話となっていくのである。

「パチョレックってブチ犬ですよね」

「さようでございますよ、はい」

「ううむ」

 道楽はかばんの中で惰眠をむさぼる《ちくわ》と《とんぶり》に念を送った。

「お前さんたちもせめてお金くらい見つけていらっしゃい!」

「ニャ」

 《ちくわ》がどこでみつけてきたのかゴキブリの死骸をくわえてみせた。お前の力ではそれが限界だろうな。

 石油地帯を抜けると今度は森と泉に囲まれて静かに眠る美しい町並みが見えてきた。まるで砂漠に浮かぶオアシスのようである。

「長らくのご乗車ありがとうございました。まもなく終点、吹雪家入り口でございますよ、はい」

 宇佐木がアナウンスする。

「え? このリムジンって乗合バスだったんですか」

 道楽が尋ねると、

「あ、すみません。昔、銀河高原鉄道の車掌をやっていたときのクセが出てしまいましたよ、はい」

 宇佐木が照れながら答えた。

《クセは自分を裏切らない、自分のクセは決して気が付かない》

 重低音のナレーションが聞こえたように道楽は感じたがおそらくは倒錯であろう。

 マリモ型のリムジンが大きな門に吸い込まれていく。

              ※

「師匠、道楽兄さんがようやく到着したようでございます」

 暗い部屋の片隅で男がささやいた。

「うむ、随分と遅かったねえ」

《師匠》と呼ばれた人物はそう繰り言を漏らすと煙管を吸い付けた。その前には長火鉢が横たわる。なんとも時代錯誤。

「さて、これからどういたしましょうか」

 男が質問すると、

「とりあえず、道楽にはこちらの思惑を悟られぬように接待することだね」

 紫煙が揺れる。

「うまくゆきますかね?」

「うまくいってもらわなくてはこちらが困りますよ」

《師匠》は不機嫌そうに答えると、

「それにしても……」

 と言いながら長火鉢に置かれた湯飲みを指差す。

「このお茶はまずいねえ……、まったくいれかたがなってない。急須に熱湯を注いだね。お湯は少し冷ましてから入れないと香りもなにも出ませんよ」

 《師匠》はなかなか口うるさい。

「申し訳ございません。メイドには厳しく申し伝えます」

 男が謝ると、

「冥土に行っても直らないでしょうよ」

《師匠》は言い捨てた。

「それよりも、来楽」

 男は来楽こと吹雪丈一郎であった。

「はい」

「あたしがここに来ていることはくれぐれも内密にたのみますよ。あとで驚かす愉しみがなくなってしまうからねえ」

 そう言うと《師匠》こと萬願亭快楽は煙管の灰を長火鉢に打ち捨てた。

 快楽の思惑とは何か? そもそも快楽って何者だっけ? それらの疑問のお答えは次回に持ち越しなのである。

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