第10話 鬼のトモダチ

「真咲くん」

いつまでたっても戻らない真咲を探しに来て、姫乃はその姿を見つける。

「真咲くん、帰ろう。みんな待ってるよ?」

すぐ近くまでよって、姫乃は声をかける。

その言葉に、河川を前に座って目を閉じていた真咲は、ゆっくりと目を開いた。

「ヒメ」

膝を抱いたまま下に向けられたその言葉は、かすれるようにひどく、聞き取りにくい。

姫乃は身体ごと耳を寄せて真咲の声が聞こえるようにした。

「ヒメ、自分、不幸、か?」

その言葉に、姫乃はすぐには答えられない。

『父も、祖父も、自分を不幸だと考えている。だから、今日のように怒る。だが、自分には父も母もいる。祖父がいて妹もばぁやもいる。なのに、不幸なのか』

ついさきほどまで話をしていたことだ。


今の愛居真咲は家族に囲まれ幸せに見える、と言われた時、塞神降魔は言い放った。

「今がよければすべてが良い、というわけではない。失った時間は、取り戻すことが出来ないのだ」

「それでも真咲くんは、自分が不幸だと思ってない、と思います」

消え入りそうな姫乃の反論に老人が向けた顔が忘れられない。

「この境遇で自分が不幸だと思えないこと、それ以上の不幸があるかね」


「きっと真咲くんのお爺ちゃんは、真咲くんに普通の子みたいに過ごしてほしかったんだよ」

姫乃は、真咲の隣に座って、膝を抱いた。

『祖父は自分を鬼として育てている。自分もそこに不満はない。なのに、なぜ人間の幸福などもとめなければならない』

姫乃なりの解釈は、真咲自身の不満によって切り返される。

言葉に詰まる姫乃をよそに、真咲は足元の草をちぎって投げた。

子供じみた不満、彼がそれを漏らすのをはじめて見た気がした。

「お爺ちゃん、怖いけど良い人だよね」

無言で真咲が頷く。そこに異論はない。

「今日さ、初めてお店の中を見たよ。前に来た時は全然そんな余裕なかったから」

姫乃は話ながら自分の中の考えを整理していく。

「お店の中の写真、あれはあそこで働いていた人たちだよね」

『祖母と父を連れて店に来た時から、祖母の提案で毎年、記念写真をとるようにしたらしい』

姫乃は見た中で一番古そうな写真を思い出した。気難しそうな顔をした大男と優しそうな女の人、そこに抱かれていた赤ん坊とその横に立っていた老人。塞神降魔とその妻、そして愛居真人。後の一人は先々代の僧官長と言われていた人だろうか、またはあのお店の前の持ち主か。

「お婆ちゃん、優しそうな人だったね」

『祖父は変なニンゲンだったと言っていた。父は子供のころに死んだからよく覚えていないらしい』

また草を投げる。

『ヒメと同じだ。祖父が人喰いだと知っても逃げなかったらしい。いや、もっと変か』

目の前で人を喰う姿を目の当たりにして気を失っても、その翌日には祖父にいつも通りに接しようとしていた、と真咲は聞いたことがあった。

真咲はまだ姫乃の前で人を喰ったことはない。もしその現場に居合わせれば、人を守ろうとする彼女とは戦うことになるだろうから、彼女に妖魔の人喰いのその場を見せようとはしたことがなかった。

「お爺ちゃんはお婆ちゃんが大好きだったんだね」

「おそらく、は」

祖父の心の底までを真咲はうかがい知ることはできない。家に残された写真や父から聞いた話を統合すればそう推測することはできるが、直接聞いたことはない。祖母の話を聞くと、決まって「変な女だった」と言われる。

「だからきっと、真咲くんにはおばあちゃんの子供でもあって欲しかったんだよ」

「……?」

その言葉の意味を、真咲は理解しえなかった。

「あー、だからね。こう、真咲くんは自分がいつも化け物だ、鬼だって言ってるけど、お爺ちゃんはきっと真咲くんに人間の子でいてほしいと思ってるんじゃないかな、と」

「矛盾、する」

『それならば祖父は自分を鬼として育てはしないはずだ』

「そうじゃなくて、鬼の子だ、人の子だってわけじゃなくて、真咲くんはお爺ちゃんとお婆ちゃんの孫だから」

話ながら両手の人差し指を立てて、姫乃はそれを交差させた。

「両立、しろ?」

「あ、そう、そんな感じで……違うかな?」

「……いや」

鈴宮姫乃には両親が二人ずついる。顔をほとんど覚えていない本当の両親と、自分を今まで育ててくれた両親と。今の父と母が結婚していなくても、両方とも親だと思っているし、どちらか片方だけが自分の親だと思ったことはなかった。

小さいころはなくなった両親については全く知らなかったけれど、今の父母に教えられ、そのうちに、自分には父が2人、母が2人いるのだと思うようになっていた。

根本的には一緒の話だ、とヒメは自分の境遇を真咲に重ねてみて語った。

どちらか片方ではなく、両方ともだと思えばいいのだ。

その発想は真咲にはなかった。生まれたころから化け物だと恐れられ、疎まれ、忌まれ、死を願われ続けてきた。物心つく前からの記憶が真咲にはある。何度も殺され、そのたびに蘇り、そしてその姿に次々と人が狂って行く様を目の当たりにした。

そんな人間の悲鳴と狂気を見るのが楽しくて、自分は人間とは違う化け物なのだと自覚したのだ。なのに、そんな自分がニンゲンの子として振る舞えるのだろうか。

「むずか、しい」

ない眉をひそめた真咲に、そうかな?と姫乃は簡単に答えた。

「でも、真咲くん里紗ちゃんや香住ちゃんからは人間のお友達だって思われてるよ?」

「ふたり、正体、知る、ない」

「だから、知られなければ人間の友達のままでいられるんじゃない?真咲くんには特別な事情があるって二人ももう知ってるし」

『トモダチの友達はトモダチ。正体を隠していれば、人間のトモダチ』

父に言われた言葉と姫乃に言われた言葉を反復して真咲は考え込んだ。

『……自分が嘘つきになった気分だ』

「いや、普段から嘘ついてばっかりだと思うけど!」

昼は鬼の正体を隠して人間のふりをして学校に通い、夜はその鬼の本性を現しながら人間を喰い、しかし人間を襲う妖魔も喰う。改めて考えてその立場の身勝手さに真咲は笑った。

鬼か人間か、と問われたら真咲は迷わずに鬼だと答える。だが、聞かれなければ人間のふりをしていればいい。

そんな風に考えたのは、初めてかもしれない。

『ヒメは、変わっているな』

「まあ、そうだね」

自覚はある。まともな人間ではないという自覚。

『なぜ、自分から逃げない』

「逃げたくないんだ。全部、私の見えるとこ、届くとこ。かなわないことばかりだから、少しでも一つでも逃げることを減らしたい」

子供のころから人には違うものが見えていた。見えていることは家族以外の誰にも信じてもらえなくて、そのうち、見えないふりをすることを覚えた。

「それに私、嘘つきだから」

見えないふりをして、気づかないふりをして、周りに合わせて。

そんな風に生きてきた。

「だけど、真咲くんには嘘、つかなくてもいいし」

愛居真咲が周りに正体を隠しているのと同じくらい、鈴宮姫乃は自分の本当のことを隠している。

自分たちは似た者同士なのだ。

『ずっと前に、精霊姫の話を聞いた』

真咲が、違う話を始めた。

『ニンゲンなのに、自分たちが見えて、自分たちにも見えないものが見えて、なんとでもトモダチになれるニンゲンの話』

「……何でもじゃないよ。私が見える子だけ」

『それが、羨ましいと、思った』

「そんなにすごくないよ。私、人間の友達のほうが少ないし」

「そう、か」

「そうだよ」

いつの間にか、涙がこぼれた。

泣いている姫乃の隣で、真咲は空を見上げた。

涙が止まらなくなって、声を上げて泣く姫乃の横で、愛居真咲は彼女が泣き止むまでずっと待っていた。

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