第11話 TODAY(MIX CORE BALL at UGA)

 八月十日、サイレントルームはやっと札幌へ戻って来た。

 関東三店舗、東北一店舗、そして北海道のUGAが合同企画したライブツアー「ミックス・コア・ボール」の最終日だ。関東圏でファイナルを迎えるムスタングやアンクルヘッドと違い、雄介達はホームグラウンドでのライブである。


「おー、何かナツカシイね、ただいまUGA!」


 感慨深げに微笑みつつ、ダグラスが「清称寺」とロゴの入った機材車から降りた。焦茶の瞳が見上げた先には、夕暮れ色に染まる目的のビルがあった。


「やーっと着いた。ケツいってえ……ホント年代モノっつうか、このハイエース、サス抜けてんじゃねーの?」


 ぼやきながら、助手席のタツも降りて来る。雄介も後部席から降りて、大きな伸びをした。

 八月二日夕方、苫小牧から機材車ごとフェリーへ乗り込み、翌日大洗へ上陸してそのまま仙台へ入った。夜には「クラブ・サウンドガーデン」というライブハウスで、同じくツアーに参加した他地域の五バンドと一緒にライブを行った。

 正直、慣れない長旅の始まりで、調子は上がらなかった。だがフレンドリーなスタッフと対バン、そして美味い地酒に助けられた。

 翌日は関東へ入り、灼熱の太陽と室内プールなみの湿度に辟易しながら、埼玉、そして横浜を目指した。

 首都圏へ近づいていくにつれ、人も車も増加し、どこへ行っても混み合っている印象だ。だがライブハウスはどこもUGAと同じような雰囲気で、存外リラックスして演れた。

 関東でのラストライブは都内の老舗である「MIXJAM」で、ホールのキャパシティを越えた二百人以上の来客があり、エントランスから玄関前までごった返した。どうせ他のバンドが目当ての客だと思っていたら「サイレントルームの動画を見た」と声を掛けてくれる連中もいて、雄介は内心舞い上がった。


「はあ、もう最後か……何か、寂しいな」


 各ライブハウスでの、とても楽しかった時間を振り返る。もちろん、慣れない土地の天候や機材的な不調、そして揺れのひどい走行状態での車酔いといった苦労もあったが、音楽漬け、ライブ漬けの日々はこの上なく幸福だ。しかも持って行ったCDは八割売れ、新作に至っては予定の百二十枚が完売した。バンドの収益として最高値の黒字である。


「もう一回行きてえな……いでっ!」


 浸っていると、急に尻を蹴られた。


「コラ雄介、ナニぼーっとしてやがる! 口パッカーン開けて寝てやがったクセに。運転しねえ分、働けこのヤロー、早く機材下ろせ!」


 機材車の持ち主であり、さっきまで運転していたコウが、疲れた目を三角に歪めて唸る。雄介は尻を押さえながら、慌てて車のトランク部分へ回った。

 

   ◆


 午後七時、いよいよライブが始まった。ちょうどUGAに着いた有希と愛美は、店の玄関前から階段下まで客がたむろしているのに目を丸くした。


「うっわ混んでる。ちょ、五月ん時よりひどくない?」

「ほんとだ……入れる、のかな?」

「大丈夫だと思うけど。チケ持ってるし」


 有希は尻ごみする愛美の手を引いて、体を斜めにしながら客の隙間を縫い、エントランスまで降りた。今夜はサイレントルームの他は全部道外のバンドだと、チケットの橋渡しをしてくれた田中から聞いている。初めて来道したバンドもいて、より混んでいるのはそのせいかもしれない。

 二人は受付まで近付くと、その横の防音ドアに貼りだされた出演順番を確認した。

 サイレントルームは全五バンドのトリで、現在は一番目の、東京から来たハードコアバンドが演奏中だ。ホールのドアが開くたびに耳をつんざくような、攻撃的な爆音が洩れて来る。


「観る?」

「うーん、どうしようかな……って言うより、有希、大丈夫?」


 愛美が心配そうに、鼻声の有希を見つめた。夏風邪をもらってしまったらしく、今朝から体調が悪いのだ。愛美はやんわり止めたが、有希はもらったチケットが無駄になるからと、強引に出て来たのだった。


「うん、クスリ飲んで来たから、多分大丈夫。つらくなったら言うから」

「無理しないでね」

「うん」


 有希は頷きながらポケットティッシュを出し、軽く鼻をかんだ。そしてあたりをきょろきょろ見回した。


「あ、物販ある。ちょっと見よ?」

「あ、うん」


 防音ドアの反対側にスペースが設けられ、各バンドのCDやグッズが売られている。その中にサイレントルームの新譜を見つけ、有希が手を伸ばした。


「お、雄介んとこじゃん。すっごいね、プロのバンドみたい。しゃーないなあ、一枚買ってやろっかな」


 無造作に一枚取り、しげしげ眺める。それから愛美はどうするのかと、目で訊いて来た。


「あ、私は、今日は良いかな、って」


 もう貰ったと言えず、苦笑いで濁す。すると有希はああ、と頷いた。


「フルアルバムだから、値段もイイよね。もし良かったらダビングしてあげるから、言って?」

「スマン」

「どーいったまして」


 愛美が片手で拝むようにすると、有希はにっこり笑って、係のスタッフに会計を頼んだ。

 雄介との約束があるから仕方ないのだが、本当の事を言えないのが心苦しい。でもCDを貰ったことを話してしまったら、きっと、雄介の家へ行った日のこともばれてしまうだろう。

 もやもやしたものを抱えながら、会計を済ませて戻って来た有希に寄り添う。有希がCDを鞄の中へ入れていると、背後からやかましい声がやってきた。


「あー! ゆっきぃと愛美っち見っけー」


 振り向くと案の定、田中が両手をちぎれんばかりに振っていた。相変わらずの元気っぷりである。愛美がにこやかに手を振り返す一方で、有希はイヤそうに眉を寄せ、大きく咳払いした。


「うっぜ」

「うわー久しぶりに会ったのにその反応ひどーい! ひど過ぎて惚れるー」

「うるさいドM、判ったからがんがん喋んないでよ、アタマ痛いんだから」

「えっ、アタマ痛いの?」


 田中が心配そうに眉を寄せ、熱があるか確かめようと、額へ手を伸ばして来る。有希は慌てて一歩退いた。


「何でもない、何でもないから寄ってくんなよっ。ほんっとウザっ」

「えー?」


 へこんだ田中に構わず、有希は愛美を引っぱってトイレへ逃げた。


「あーもう、こういうチョーシ悪い時に会いたくない人間第一位だわ」


 狭いトイレ内の片隅に作られたメイクブースで、有希が鏡を覗きながら愚痴った。


「ほんとアイツ、馴れ馴れしいって言うか、ガチのKYなんだよね、昔っから。何かあるとすぐ、ゆっきぃー、ゆっきぃー、って寄ってくんの」

「でも、心配してんじゃん。有希のこと」

「は? そんなのウザトにされてもカユいだけだし。ねえ、それよりさあ。愛美、メイクとかしないの?」

「え?」

「今日、いつもよりかなりカワイイからさあ」


 有希はにやにやしながら愛美を眺めた。

 トップスはショッキングピンクのフレンチTシャツで、上に黒のオーガンジーとレースを使った、透け感のある半袖シャツを重ねている。ボトムは黒のショートパンツにインヒールのバッシュだ。アクセサリーも革を使ったものにして、愛美の持っているアイテムから辛めのものを選んで来たつもりである。

 有希は、派手なロゴの入った黒Tシャツに赤いエナメル風ショートパンツとゴツい編み上げサンダルで、カラフルでジャンクなアクセサリーを巻いている。お互い黒が基調だから、三月の時ほど違和感がない。


「色とか、ちょっと私とおそろっぽいし。どうせ雄介の出番まで時間あるんだから、暇潰しにメイクしちゃいなよ」

「え、でも私、普段しないからあんまり……」

「大丈夫、私がしてあげる」


 有希はフリンジのたくさんついたショルダーバッグから、愛用している化粧ポーチを出した。そして中を覗き、コンパクトやリップを物色しはじめた。これはマズい、メイクなんてとても恥かしい。愛美の脳裏に「お前、何のギャグ?」とツッコミを入れて来る雄介の苦笑いが浮かんだ。


「イヤイヤイヤちょっと待った、私がメイクなんて面白いだけだし」

「ナニ言ってんの、絶対可愛いって。あ、もしかして、メイクしたことないの?」

「……うん」

「マジ?」

「うん」

「なら、今しようよ! 大丈夫、全っ然痛くないから」

「え、ちょ、ココで?」

「うん!」

「えー?」

「文句言わない! じゃ、まずはコレからね」


 有希は愛美を強引に向かい合わせ、さっそくピンク系のパウダーを手にした。


   ◆


 サイレントルームが出演する頃には、ホールはすでに熱気で満たされていた。まるでスチームサウナのようで、天井から今にも水滴が落ちて来そうだ。

 期待をあらわにしたいくつもの顔が、ステージのすぐ前で待っている。それに背を向けたまま、雄介は汗ばむ手をジーンズの太腿で拭った。

 隣に控えるダグラスはすでにセッティングを終え、いつでも始められる体勢でこちらを見ている。雄介は目で頷き、今度は左側で屈むタツを見た。


「オッケー、行けるわ」


 軽く呟いて、客席を向き、ギターを背負い直す。飄々としていても、実はとても集中していることを雄介は知っている。最後にコウへ目をやると、早く始めろと言わんばかりに顎で示された。雑な仕草だが、目は笑っている。雄介は頷いて振り返った。

 まばゆいスポットで照らされる。一瞬世界が白くなり、すぐに頬を照らす熱を感じる。緊張はない。ただ高揚感だけが、体を満たして行く。

 ホールがざわめき立つ中、フロントマイクへ最初の一声をかけた。


「ただいま、UGA」


 誰かの歓声が応え、それにかぶさるようにタツからノイズが発せられる。高まる期待がホール全体から立ち上るのを肌で感じながら、雄介はギターを抱えて大きくジャンプした。

 着地の瞬間、轟音が爆発する。テンポ210、サイレントルーム最高速のブラストビートがホールを疾走する。鼓膜を震わせ、腸をかき混ぜるような刺激を撃ち込むと、ホールから生えたたくさんの拳が感電するように揺れる。

 ここからしか見ることの出来ない光景――最高の眺めだ。


『叫べ、叫べ、そしてダイブ!』


 力の限り、思いのたけを声にこめる。呼応する観客が同じように叫び、モッシュの渦へジャンプし、その上を流れて行く。時間にすればほんの二分ほどなのに、すでに何曲も演奏した後のように、ホールもステージも熱い。

 オープニングの「ダイブ」で一気に沸き、その勢いのまま二曲目の「イルミネーション」へなだれ込んだ。満ちた熱気が落ちたテンポに合わせて粘りを帯び、さっきまで縦揺れしていたホールが、今度は横にうねる。楽しそうに体を揺らす観客が、ステージからもはっきり見えた。


(この中のどのくらいが、この歌をちゃんと知ってるんだろうか)


 雄介はこうしてライブで歌うたび、思っていた。

 イルミネーションは、真夜中に自分の部屋の窓から見える景色をモチーフに書いた歌だ。平たく言えば、生い立ちや生活環境に対する愚痴の塊みたいなもので、決して楽しい内容ではない。それでも客が「楽しい」と感じられるのなら、それもアリなのだろう。楽曲をどう感じるかは、聴く者の勝手だ。

 二曲目で程良くクールダウンしたところで、さらに新しいアルバムから一曲続けた。タツが全面的に作った「ダーシー」だ。真夏の高速道路をドライブするような疾走感が溢れるこの曲は、珍しいことに、タツがタイトルをつけ、歌詞の大筋を持って来た。

 内容は要約すると「彼女とヤリたい」というもので、雄介としては、歌でなかったら照れて口に出来ない内容である。ちなみにダーシーは、愛車のタンクに描いた水着美女の名前だ。

 16音符が連なる高速フレーズが駆け抜ける。ネックの端から端まで、長い指が残像を引いて踊る。けれど決して先走ることはない。しっかりしたリズムの上で、まるでもう一人のボーカルのように、雄介に寄り添って「歌う」。

 まさにギターのための曲だ。


「タツー!」


 弾き切った彼へ、歓声と賛辞の叫びが上がった。ホール内の酸素が薄い。酸素缶を吸入して肺をふくらませたあと、雄介はやおらマイクの前に立った。


「ツアー、行ってきました。音楽づけのここんとこ、最高の気分でした。今日がそのラスト、今夜も最高の気分です」

「ゆー、俺も最高だ、ゆー愛してるーっ!」


 歓声に混じって、田中のマヌケな叫びが聞こえた。


「うっせーウザト、黙っとけっ」


 どっ、と笑いが沸き、両手を上げた田中へ周囲の視線が集中する。田中は汗だくの顔に至福の笑みを浮かべながら頭をかいた。


「で、新しいアルバム出来ました。物販とこに並んでるんで、良かったら買って下さい」

「買ったぞチクショー!」


 今度は前列から嬉しい野次が飛ぶ。それに軽く手をあげて応えながら、雄介は他のメンバーの様子をうかがった。

 ダグラスは足の爪先でエフェクターの位置を直している。コウは飲み終えたペットボトルを、後ろへ軽く転がした。タツはチューニングを終え、雄介の様子を見ている。アイコンタクトを飛ばすと、小さくうなずいてギターを鳴らした。

 透明感のある音が響き、それは徐々にCメジャーの温かなアルペジオを形作る。「ザ デイ アフター トゥモロー」と名付けられたこの曲は、四月にタツが持って来て、今回のライブツアーでお披露目している新曲だ。雄介はギターのチューニングを簡単に終わらせてから、循環するアルペジオに声を乗せた。


『もし明後日、ここから出れられたら

 俺は君と手をつなぐよ

 もし明後日、君が笑ってくれたら

 俺は君に本当のことを言うよ』


 雄介とタツが奏でるメロディに、ダグラスのコーラスとコウのリズムがそっと寄り添って来た。

 定番のデスボイスを使わず、重低音に厚めのコーラスを組み合わせ、歌を聴かせる方向に仕上げた。歌のテーマが彼女に向けた「想いを実現できない切なさ」だから多少しんみりしてしまうが、たまにはこういうのも良いだろう。

 モッシュを繰り広げ、ステージと一体になり叫んでいたホールも、今は静かにうねっている。最後のフレーズを歌い上げると、自然と拍手や口笛が沸いた。


「サンキュ……じゃあラスト二曲、ぶっとばすから」


 鎮静を破るように、激しいドラミングがコウから叩き出される。早いリズムにディストーションの効いたギターフレーズが乗り、それにスラップベースが斬り込んでいく。そして一瞬のブレイクのあと、再び轟音が弾けた。

 そこから先は、雄介も夢中だった。昂ぶる感情に身を任せ、叫び、唸り、そして吠える。そのうちに世界が回り出し、光が尾を引いた。


(キタ……!)


 目に映る現実と音が分離し、時間の流れが変わる。聞こえて来る音が残響を増し、回る世界がコマ送りになった。自分の視点が多現化し、天井やホールから眺めるステージの上で五感が浮遊する。たまらないエクスタシーが脳を焼き、肉体の射精感より強いそれが体を満たし始めた。


(すごい……)


 自分のすべてが「音」に支配される感覚――音の具現化を全身で感じる。

 タツが散らした汗の飛沫が、重力に逆らって上って行く。ダグラスが弾くベース弦が、大きく震えて指板に何度も打ちつけられる。コウの叩いたシンバルが、まるで広がったフレアスカートのようにグニャグニャ歪む。そして目の前の客達が、全員スローモーションで踊る。そのすべてが降り注ぐ光の粒をまき上げ、彼方へ弾き飛ばした。

 これを初めて味わったのは、今年の二月のライブの時だ。何が起こったのか判らないまま演奏を終えた後、色々な方面から随分良い評価をもらった。

 雄介が半信半疑で動画を確認すると、歌も演奏も、ステージングまでちゃんとこなしていて、何やら迫力まであった。そしてライブの出来の良さを証明するように、その日の動画はいまだ閲覧回数とコメントを伸ばしている。


(今日は、どこまでだ……?)


 時間がどんな早さで流れ、現実にどこまで進んでいるのか、この最中には判断がつかない。ただ自分をすべてさらし、おぼつかない五感に身を委ねる。行動の選択肢はそれ一つだ。

 やがて視界がスピードを増し、残像が薄れて行く。目に映る世界が現実と重なるように感じると、鼓膜を震わせる歪んだ大音量が戻って来て、ラストの曲である「ホワイトライト」が終わっていた。

 心臓がけたたましい。目がしみて、思わず左の手のひらをやると、汗でべっとり濡れた。沸き上がる歓声と突き上げられる拳に、タツとダグラスがステージの縁まで出て応える。雄介はまだ醒めきらない頭で、二人の広い背を仰いだ。


「終わったんだ……」


 思わず口にした言葉は、止まない歓声と拍手にかき消された。

 

 

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る