第12話 TODAY(mix core ball at UGA) 2
アンコールの声が小さくなった頃、客電が点灯し、ホールにBGMが戻って来た。ステージ前の客が汗まみれの笑顔で散って行くのを、雄介はぼんやり見ていた。
終わってしまったのだ――この数日の、幸せな日々が。
何もかも絞り出してしまったように、心が空白になる。思わず胸を押さえた雄介の頭上へ、タツのゆるい声が降って来た。
「おーい、ダイジョーブかよ?」
「……へ?」
「へ? じゃねえよ。いつまでもへたり込んでねえで、さっさと片付けろって」
見上げれば、頭から水をかぶったような状態のタツが笑っている。雄介は伸ばされた手を掴み、ギターを抱えながら立ち上がった。
めまいがして、体じゅうが痛い。息苦しく、腕や膝から軋む音が聞こえる。強い疲労感に呻いていると、心配そうな声がした。
「ゆー、大丈夫? 手伝うよ」
田中がすぐ目の前まで来て、両手を差し出している。雄介はギターアンプのスイッチを切り、ギターを下ろして田中へ渡した。
「ちょ、シールドささってんじゃん、エフェクター釣れてるよっ!」
田中は口を尖らせながら、ギターのボディからシールドを抜き、ホールの外へ運び出した。
「トロいっつうの! 早く動けや、打ち上げやるぞ」
すでに自分の楽器類を運び終えたタツが再び戻って来て、床に転がったエフェクターやシールドを持って急かす。それに引っぱられるように、雄介はやっとステージを降りた。
エントランスに出ると、客や対バンの連中が笑顔で騒いでいた。
「お疲れー! すっげえ良いライブだったぜ」
笑顔が口々に伝えて来る。それにぼんやりしたまま応えているうちに、やっと現実感が戻って来た。汗で張りついたTシャツが気持ち悪くてたまらない。グショグショになったそれを脱ぎ、絞ってみると、水滴がポタポタ垂れた。
「おつかれゆー! すっごかった今日の。もう漏らすかと思ったー」
にぎやかな声とともに田中がやってくる。目をやると、彼の後ろに有希と愛美も立っていた。
「ふかざワン、お疲れさま!」
「おつー。うわ、すっごい汗!」
にこやかな愛美の隣で、有希がイヤそうに顔をしかめる。雄介は一瞬ムッとしたが、何も言わずに手を上げた。
「すごい格好良かった。新曲も観れたし、ほんと来て良かったよ」
愛美が楽しそうに笑っている。それを見て、雄介の胸がとくりと鳴った。
久しぶりの再会だった。メッセージはやり取りしていたけれど、それは日々の挨拶のような、当たり障りのない短いものだ。
再会の嬉しさを隠そうと、つい目を泳がせる。迷う視界に映った愛美の手には、中身のたっぷり入った麦茶のペットボトルがあった。
「あ……」
途端に強い渇きに襲われ、雄介はつい手を伸ばした。
「一口」
「え?」
了承を得る前に奪い、一気に飲み干す。驚いている愛美の隣で、有希が目をつり上げた。
「ちょ、雄介! 勝手に飲むなっ」
「悪い、もう、チョー喉渇いて……」
「自分で買えば良いじゃん、すぐ死ぬわけじゃなし」
「まあまあ、良いよ別に……」
怒る有希を愛美がなだめる。ついやってしまったと反省しながら、雄介は改めて愛美を見た。
「……あれ? お前、何か今日違うな」
感じた小さな違和感に、雄介が眉を上げる。とたんに愛美は右手で顔を半分隠した。
「え? いや別に、何でもないよ」
「ん? あ……化粧してる」
「うっ、これはその、何て言うか……」
苦笑いする愛美には、ブラウンのシャドウにピンクで若々しさを加えた、ナチュラルなメイクが施されていた。ソフトなのに、ちゃんとアイラインとマスカラがされていて、目元が普段より印象的だ。隣の有希が鼻声で、自慢げに笑った。
「どう雄介? 可愛くなったでしょ」
「ああ、ホントだ。何かスゲー、オンナっぽい」
「へ?」
素直な感想に、愛美が真っ赤になった。
「い、いやいやいやそんな事ないし! ふかざワン疲れてんだって、ほら眼鏡してないし、今!」
「ゆー、だてメガネなんだよ。視力良いの、昔っから。愛美っちホント可愛いよ―、ねえみんなで写メ撮ろ写メ!」
「マジかっ」
おののく愛美にかまわず、田中は自分の携帯を取り出し、場を仕切って三人を並ばせた。前列は愛美と雄介、後列は有希と自分で、画面を数度タップする。そしてさっさと構図を決め、三度シャッターを切った。
「よっし! 記念の加工したら送るからー楽しみにしててね!」
「私んとこ、全部ちょうだい」
「おっけー! ゆっきぃになら俺の全裸も送っちゃう」
「絶対送るなそれ、キモいから。わいせつ物、いやネットのビットゴミだから」
「ひっ、ひどい! ゆっきぃひどすぎウザト感激ぃ!」
田中のくだらない返しに皆で笑っていたが、そのうち雄介はあることを思い出した。
「そういやお前ら、すぐ帰んの?」
「ん? 別に、決めてないけど」
有希が首を傾げた。
「今日、ツアー打ち上げあんだけど、出る?」
「えっ?」
「打ち上げ! ホントに?」
「身内だから、たまには」
有希が戸惑う一方で、愛美は歓び、田中が飛び上がった。
「マジマジマジ? マジ嬉しい絶対出る帰れって言われても出るっ、ゆーありがとうううっ!」
「うあ、うぜっ!」
「ヒャッハー汗くさーいイイにおーい!」
「黙れバカっ!」
まるで飼い主にじゃれる飼い犬のように、田中が雄介に飛びついて来る。イライラしながらそれを振り払おうとした時、背後から横田が声をかけて来た。
「雄介くん、お疲れ。今、少しだけ良いかな?」
振り向くと横田がすまなそうに、手をこまねいている。雄介は絞ったシャツをもう一度着て、横田の後に続いた。
スタッフルームの奥に、練習と録音に使えるスタジオが一室ある、横田に案内されて足を踏み入れると、知らない男が笑顔で待っていた。
「サイレントルームの雄介くんだよね」
「……はあ」
「お疲れ様。ライブ、今日も良かったよ。いや、MIⅩJAMの時より数段良かった。すごい気合いだったね、観てて、久しぶりにワクワクした」
「ありがとうございます……え、もしかして、東京からわざわざ来たんですか?」
「うん。あ、楽にしてね」
「……どうも」
男は出されているパイプ椅子を雄介に薦め、自分も向かいに座って横田へ目配せした。
「雄介くん、この人、僕の古い知合いなんだけど……」
「ソニックラブミュージックの滝本って言います。横田とは大学の同期で、昔、一緒にバンドやってたこともあるんですよ」
「はあ……」
「知ってる? うちの会社」
「名前は知ってますけど……」
頭の回らないまま、滝本から出された名刺を受取り、しげしげと眺める。そこに印刷されている社名を数秒見て、雄介がようやく驚いた。
「え、何でソニラブの人が?」
マヌケな問いに、滝本はヒゲ面で笑った。
「僕の部門は、アーティストの発掘と育成、デビュープロデュースなんかを仕事にしてます。一応、これでもチーフね」
それがどのくらい偉いのか雄介には判らなかったが、身に着けているこじゃれた服や、少し上から見て来るような表情がいかにも、という印象だ。思わず横田を見やると、彼は少し申し訳なさそうに微笑んだ。
「今回の企画、MIⅩJAMの時に、業界からも何人か観に行ってたみたいなんだ。それで滝本が雄介くんを気に入って、話があるんだって」
「はあ……?」
応えるように、滝本は一つ咳払いした。
「雄介くん、キミ、東京来ないか?」
「はあ?」
「急にゴメンね。以前から何回か、動画観させてもらってました。で、今回ツアーで、バンドのライブを生で観せてもらったんだけど、雄介くんてオーラがあるね。うちの専属の先生に話通すから、本格的にボイトレ受けてみないか?」
本格的なボイストレーニング――それが何を意味しているのかすぐに掴めず、雄介は黙ったまま小首を傾げた。
「ああ、じゃあハッキリ言うよ。雄介くん、プロにならないかい?」
「……は? えっ、プロって、プロですか?」
「あら? 意外そうだね。てっきりそういう方向目指してバンドやってると思ったんだけど、違った?」
「え、いえ、いやいやいや、出来るならそうなりたいですけど……え? ええっ?」
やっと意味を理解した雄介が、驚きに口をあんぐり開けた。
「それって、スカウト……ってヤツ、ですか?」
「うん。もちろん、明日から即プロで、なんてことじゃないよ。今の雄介くんって、言うなれば原石だから。それを美しく、魅力的に磨き上げることが必要なんだけど」
「はあ……」
「つまり、もしキミが本気でプロになりたいなら、私達ソニックラブミュージックが全面的にサポートします、って話なんだ」
滝本は笑顔を崩さず述べた。
「え、ちょ、待ってください……まだアタマ回ってなくって。そんな大事な話、皆にも話さないと」
慌てて立ち上がろうとする雄介を、滝本が手で制した。
「今のバンドのメンバーには迷惑かけちゃうけど、君の夢を実現させるためだから。と言うか、君んとこのメンバー、特に水谷達也くんは、相当気が荒いらしいね。急に『抜ける』なんて言ったらモメちゃうかな?」
「え?」
話が何だかおかしいことに気づき、雄介がまた横田を見やる。彼は何も言わず、少し困ったように眉を寄せていた。
「もしかして、バンドでプロに、って話じゃないんですか?」
「ああ、違うよ」
滝本はあっさり頷いた。
「サイレントルームは、インディーズとしてはトップクラスになれると思うよ。でも、プロとしては不確定要素が多い。例えば水谷くんだ。彼はギタリストとしてとても秀でているけれど、人間的に難がある。意味、判るよね?」
タツはスーサイド・スロウ加入時代にライブを途中放棄し、それでメンバーと大ゲンカしてバンド脱退に至った経緯がある。ソニックラブミュージックはスーサイド・スロウも所属しているから、その一件が滝本の耳に入っていてもおかしくない。さらに同時期、薬物を常用していたという噂もあった。芸能人が薬物がらみで何人も逮捕されている昨今、キナ臭い噂のある人間はなるべく排除したいというのが、事務所側の本心だろう。
「彼だけじゃない、別な意味で林康生くんもだ。すでに僧侶と言う、音楽以外の生活基盤がある。修行も真面目にしてるって聞いたよ。逆に島村ダグラスくんは、まだ可能性があるね。スターにはなれないけど、プレイもルックスも良いから、雄介くんのバックバンドとしてならアリだ」
さすが業界で大手と呼ばれる事務所だけあって、事前調査を入れていたようだ。並べられた真実は否定のしょうがない。だが、初対面の相手にここまで言われたら、雄介にしてみればケンカを売られているようなものだ。
「……ふーん、そうなんすか。で?」
「ぶっちゃけて言うよ」
滝本は身を乗り出し、雄介を真正面から見据えた。
「サイレントルームは、プロになって、エックスやグレイみたいなトップバンドになるのは難しいよ。インディーズでは基本的に食えない。インディーズ時代、あんなに人気のあったスーサイド・スロウだって、決して儲かってなかった。だから事務所と契約して、専属アレンジャーをつけ、リズム隊を替えたんだ。それはアーティストとして音楽を純粋にやっていくため、その環境を手に入れるための、もっとも有効な手段の一つだよ。良い音楽を作ろうと思ったら金がかかる。これは判るよね?」
説得力のある詭弁だ。だが、バンドを形骸化させるような真似をして商業的に売れたところで、何の意味があるというのだろう。
バンドをバカにしているような考えに怒りがこみ上げる。拳を握りしめながら、雄介が唸った。
「すいません、話が良く判んないです。打ち上げも始まるし、もう良いっすか?」
「気に触った? ごめんね、こんなにハッキリ言っちゃって。でも、もう少し冷静になったら、きっと判ると思うよ。すぐにとは言わないから、ちょっと考えてみて」
滝本は再び笑顔になり、右手を差し出した。だが雄介は握手せずに立ち上がり、小さく失礼します、と残してスタジオを出た。
「ふざけんなよ……」
歩きながら、手にした名刺をくしゃくしゃに握りつぶした。あとで捨ててやろうと尻のポケットにねじ込みながらエントランスへ戻ると、すでに客はあらかた引けて、田中と有希、それに愛美が壁に寄り掛かっていた。
「あ、ゆー。タツさん探してたよ」
田中に指で示され、ホールを覗くと、もう打ち上げの用意がされている、雄介は大きな深呼吸をして気持ちを切り替え、三人を連れてホールへ入った。
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