第13話 TODAY(party)


 ホールでは会議用の長机とパイフイスが適当に出され、出演者と彼等の友人ら、さらにスタッフがにこやかに雑談している。ざっと数えても四十人以上はいるようだ。結構な規模である。

 愛美にとって初めての飲み会、初めての打ち上げだ。

 自分たちに声がかかったのだから、例の面倒くさい女三人もいるかと思ったが、見当たらなかった。

 あちこちにかためられた机には、燻製や豆、チョコレートなどの簡単なおつまみと、ビールやジュースが並んでいて、飲み物の配布が始まっていた。


「おー、ドコ行ってたよ、このクソガキ!」


 煙草をくわえたタツが早く来いと手招きする。隣にはダグラスとコウが並び、その向かい側が三人分、開けられていた。


「あ……」


 このままだとタツの真向かいに座ることになる。愛美が一瞬躊躇したのに気づき、有希がすっと割り込んだ。


「あ、私こっち」

「えっ」

「ほら、ここ座って」


 有希はさっさとタツの向かいに座り、愛美をダグラスの方へ誘った。三月の一件を思い、気を遣ってくれたのだ。

 心の中で感謝しながら座り、ちらりとタツを伺う。タツはまったく知らん顔で、隣に着いた雄介と話をしていた。


「すんませーんおじゃましまーす、うはーキンチョーするぅ!」


 田中はコウの真向かいで、やたらペコペコしていた。舞い上がった様子に、コウが苦笑いしている。


「あー、ごめんごめん」


 会場に横田が現れ、急ぎ足で空いている席へ滑り込んだ。彼が一番最後の参加者だ。滝本はおらず、もう帰ったようだった。

 打ち上げ参加者が全員揃ったところで、スタッフの一人が立ち上がり、深々とおじぎした。


「えー、皆さんお疲れさまでした。ミックスコアボールツアー第一回、無事終了いたしました。出演してくださったバンドの皆さん、本当にお疲れさまでした!」


 感謝の言葉に拍手と口笛が沸く。スタッフは軽く会釈したあと、やおら横田へバトンタッチした。


「えー、ここの音響兼、下働きの横田です。無事ファイナルを迎えられたのは、皆さんのおかげです。本当にありがとうございます……あー、緊張する。いろいろ考えてたんだけど、何言うか忘れちゃったよ」

「横田ァ、しっかりしろクマー!」

「クマ言うな、こらっ!」


 タツの野次に、横田が汗をかきながら返す。どうも人前に立つのが得意ではないようだ。


「えっと、とにかく感謝だけです、感謝いっぱい。ホントだったら居酒屋で打ち上げるんですけど、今回は気楽に、ココでやることにしました。セッションもオーケーなので、ささやかですが、今夜は飲んで、そして交流を深めて、楽しいツアーの締めくくりをして下さい。皆さん、本当にありがとうっ!」


 深い会釈に大きな拍手が起こった。

 和やかな雰囲気のなか、参加者全員が飲み物を手にする。横田はぐるりと全員を見回したあと、おもむろにビールを高く掲げた。


「それじゃ、せーの、カンパーイ!」

「カンパーイ!」


 大合唱を皮切りに、打ち上げが始まった。


「くあーっ、うまっ!」

「ふあー、サイコーっ」


 あおったビールの爽快さをあらわすように、あちこちから感嘆の声が上がる。雄介と田中もビールを持ち、楽しそうにメンバーと語り出した。


「うわーコウさんとお話なんてキンチョーする、もう手アセ最高潮にふきでるー!」


 目をハートマークにした田中がマシンガントークを繰り出し始めた。


「あのあのあの、俺ゆーの親友の田中って言います。コウさんがクラックの時からファンでした! いつ見てもシビレます最高ですうー」

「あ、おう、ありがとう」

「コウさんスネアってパール使ってますよねーどんな練習したらあんなキレッキレのブラスト叩けるんですかあやっぱメトロノームとかできっちりするんですかー」

「お、おう」

「うはーそうなんすかやっぱドラムってテンポ感大切ですよねーんでやっぱ毎日なんですかあ、すごいストイックさすがコウさんもう惚れるー」

「あ、どうも……」


 昂ぶる感情ダダもれの田中に気おされ、コウもさすがに相槌しか打てない。次第に鋭い目はさまよい始め、ダグラスに助けを求める。するとダグラスはにっこり笑い返し、やおらビールを持って席を立った。


「この野郎、逃げたな……」

「コウさん、アレすんごかったっすよ、今日の五曲めの二回目のサビのとこってどうやって叩いてんすか? あの何かツェッペリンぽいヤツ、それから六曲目の最後の……」


 だんだんげんなりしていくコウを見て、愛美が苦笑いした。


「……コウさん、大変だね」

「ああ、田中、マジ舞い上がってるから……」


 有希も呆れた溜息を吐いた。頼みの雄介はすでに席を立ち、向かいの赤いモヒカンの隣に座って談笑している。そのうち、ダグラスが座っていた席へ長髪の男がやってきた。


「お疲れさま、飲んでる?」


 軽い言葉で有希へ声を掛けて来る。二番目に出ていた仙台のバンド「ANOTHERTHING」のギタリストだ。彼は愛美にも会釈したあと、タツと談笑しはじめた。


「さー俺も他の連中と話してくっかなー」


 わざとらしくコウが席を立つと、田中も続いて立ち上がった。


「あ、師匠っ、俺もついてきまーすっ」


 まるでコウの付き人よろしく、田中もくっついて他のテーブルへ消えた。

 ホール内は宴会場と化し、あっという間に酔っ払いの集団が出来あがっていた。そこかしこで話していたと思いきや、端に集っていた三人がシャツを脱ぎ出し、体に刻んだタトゥーを見せあい始めた。テーブルの上にはいつの間にか酒類の林ができ、早いペースで増えて行くにつれ騒がしさも増す。そのうちに盛り上がった一団が楽器を持ちこんで、セッションを始めた。


「じゃあー定番セッションソング、ニルヴァーナのtourette's!」


 東京から来たハードコアバンド「DUFF」がステージに上がり、にやにや笑いながら演奏を始めた。だが思いつきだったのか、どうにも歌がおかしい。良く聴くと、デスボイスで日本語の替え歌を歌っていた。


『びーじんもめたー、おまいらー! きーらーわれたー、おまいらー!

 みんなーやめてー、おまいらー! さーだーまさしー、おまいらー!』

「何だソレー!」

「へたくそ―! もっとやれー!」


 野次と笑いが起こり、サビで大合唱になる。くだけた盛り上がりに愛美が大笑いしながら有希へ振り向くと、何やら様子がおかしいことに気づいた。頬が赤く、目が泳いでいる。イヤな予感に、つい有希の顔をのぞきこんだ。


「ね、もしかして、熱出て来てない?」

「え? いやあ、大丈夫だよ……」


 笑ってごまかそうとする有希の額に手を当てると、明らかに熱い。愛美は少し考えたあと、有希へ微笑んだ。


「有希、帰ろ?」

「良いって、たいしたことないし」

「無理しないの、けっこう上がってるみたいだよ?」

「微熱だよ微熱、だってせっかく打ち上げ来てんだし、もったいないじゃん」

「でも、このままじゃ悪化するよ?」

「え、どしたの?」


 田中が気づいて寄って来た。愛美が事情を説明すると、田中は眉を寄せ、有希の肩へ手を置いた。


「ゆっきぃ、送ってくから帰ろう」

「平気だってば……せっかく愛美と夜遊びできるんだから、やだ」

「何言ってんの、今帰らないと、かえって愛美ちゃんに迷惑かけるよ。ほら、動けるうちに帰ろ?」

「どした?」


 雄介が気づいて声をかけてくるのに、田中が説明した。


「マジか、大丈夫か?」

「あ、私、一緒に帰るよ。今夜、有希んちに泊まるし」

「そっか……具合悪いの、無理しねえほうが良いもんな」


 雄介の残念そうな声に愛美が顔を上げると、ふと目が合った。何か言いたいような、でも何が言いたいのが掴めない表情だ。帰りたくない――愛美がそう思った矢先、田中が珍しく真面目な顔をした。


「あ、良いよ。俺が送るから、愛美っちはゆっくり楽しんでて」

「え、でも……」

「良いから。それに俺、ゆっきぃのナイトだし」

「はあ? 何がナイトよ、うざっ……」

「はいはい、ほら、立てる?」


 やんわり急かされ、有希が観念したように笑った。


「判ったから……ゴメン愛美、先帰るわ。終わったらケータイ鳴らして。玄関開けるから」

「え、でも一緒に……」

「良いよ、愛美は遊んでなよ。せっかくの打ち上げだもん。こんな機会、滅多にないから、さ」


 有希が赤い顔で、優しく笑った。雄介に誘われた時、愛美がとても喜んだのに気づいていたのだ。親友の気遣いに、愛美は少し迷ってから頷いた。


「ありがと……ごめんね、もう少し遊んでくよ」

「うん……雄介、愛美のこと、頼むね」

「おう。つうかお前、コイツのオカンかよ」

「うっさい、大事な親友なんだから、何かあったら殴るよ」

「へーへー、お前こそさっさと帰って、早く治せよ」

「うっせバカ……」


 弱々しい悪態をつくと、有希はゆっくり立ち上がり、田中に支えられてホールをあとにした。そのままエントランスへ出て階段を上って行くのを、愛美と雄介はホールの入口から見送った。


「大丈夫、かな」

「田中がついてるから大丈夫だろ。それにアイツん家、有希んちのすぐ近くだし」

「そうなんだ。じゃあ、親同士も知り合いだったりして?」

「ああ、田中は昔っから有希んとこに行ってたから。ちっせえ頃なんか、良く姉弟に間違われてたって」

「姉弟……やっぱ田中くんが下なんだ」


 普段の力関係を思い返し、愛美が深く頷いた。


「ま、こうなっちゃ仕方ねえから、思いっきり楽しんでけよ。夜遊びなんて、普段しねえだろ?」

「うん、ぶっちゃけ初めてかも」

「マジか。まあ、お前ならそうだよな」


 雄介はふと笑ったあと、ホールへ歩み出した。愛美もすぐにその後を追った。

 ここからは未知の領域、オトナの世界である。有希に申し訳ないと思いつつも、愛美は初めての打ち上げに胸を高鳴らせた。

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