第9話 七月2
「うわ、ホンモノだ! さっき見てて、声スッゲー似てて、もしかしてって思ってたんだけど。サイレントルームの雄介君、ですよね?」
「……」
ここでコッチの素性がばれると思ってもいなかった雄介は、咄嗟に言葉が出なかった。それを了承と取ったのか、オンチ先輩は破顔し、さらに近寄って来た。
「俺、前回のライブ観ました。スッゲーカッコ良かった! うわー、もしかして田中と友達なんスか? つうか雄介君て高校生らしいって噂だけど、まさか、ウチの生徒、とか?」
「……何の話っすか?」
「え、またまたトボケてえ」
「人違いです失礼します」
「え、いやちょっと待って……」
戸惑うオンチ先輩を尻目に、雄介は脱兎のごとく逃げた。
ここでオンチ先輩の相手をするのも面倒だったが、それ以上に今、もっとも顔を合わせたくない教師の顔を見つけてしまったからだった。
体育教科担当で生活指導教諭の一人でもある、合田だ。
一年生の時、体育の一環である柔道の授業で、雄介は合田を投げ飛ばしたことがあった、たまたまタイミング良く技が決まっただけなのだが、教師のメンツを潰されたと感じた合田は、それ以来雄介を目の敵にしていた。その後の体育ではひどい扱いで、成績こそひいきされないものの、徹底的に雑用を言いつけられて嫌がらせされた。
二年になり担当教諭が代わってほっとしたが、廊下などで会えばいまだに難癖をつけてくる。さらに雄介が不良ばかりの中の森中出身で、親が水商売だとクラスの誰かにリークしたのもこいつだ。相手が教師だから雄介も我慢しているが、もしそうでなかったら、とうに五回、いや十回は殴り倒している。
合田が気づく前に体育館の裏へまわり込み、そこからこっそり入って生徒玄関へ向かった。知らない生徒と何人かすれ違いながら、自分の靴箱へ辿り着き、外靴から上靴に履き替えた。
「あーふかざワン! やっと見つけたっ」
駆け寄って来る足音に顔を上げると、愛美だった。白いTシャツに水色のフレアキュロットという夏らしい出で立ちだ。いつもより足が露出されているのを眩しく思いながら、雄介は無言で手を上げた。
「さっきのUMA、ふかざワンでしょ。すぐ判ったよ」
「観てたのか」
「うん。ちょうど始まる寸前に来たんだ。すっごい盛り上がってたね、さすがふかざワン」
愛美にほめられると面映い。頑張った甲斐があるというものだ。つい口元がゆるむのを咳払いで隠すと、愛美が少し眉を寄せた。
「でも、何でライブ出てたの? 今日バイトだって言ってたよね」
「ああ、実は……」
コトの成り行きをかいつまんで話すと、愛美は感心したように微笑んだ。
「そっか、ふかざワンってイイヤツだね。何だかんだ言って、田中君助けてあげるんだから」
「別に、バイトよりコッチの方が面白そうだし。久々に楽器持たねえで歌ったから、ちょっと新鮮だったし」
「最初の、ウマなめんなあああ! ってすごい迫力だったよ。さすがのデスボだね」
「マジ? お前がそう言うなら、やって良かった」
少しだけ気持ちをこめて応えると、愛美は何か思いついたように眉を上げ、背負っていたリュックへ手を突っ込んだ。
「はい、これ。髪ベシャベシャじゃん」
ハンドサイズのタオルだ。言いながら広げ、手を伸ばして、自分よりも身長の高い雄介の頭に載せる。そして少しふざけるように、わしわし拭き始めた。
「ちょ、止めって」
「あー、何か、ワンワン拭いてる感触」
「うっせー。どうせ俺は髪厚いよ」
「ホントだ、子犬の手触りだ」
「だまれ猫っ毛」
髪を掻き回された悔しさも手伝って、ポニーテールにまとめられた愛美の、きれいな巻き毛になっている尻尾を掴んだ。髪は細く、指に柔らかく絡みつく。香るシャンプーの甘い匂いがある種の緊張を誘った。
「や、ちょっと離してよ」
「ホント、すげえキレイなクセだよな。これで、パーマかけてねえんだろ?」
「そうだけど……」
「下ろしてくりゃ良いのに、もったいねえ」
そう言った途端、愛美は雄介を赤い顔で睨み、ふいと逸らせた。
「……有希んとこ、行く」
「へ?」
愛美は雄介の返事を待たず、さっさと歩き出した。
何が原因か判らないが、愛美は怒っている。雄介は焦りながら愛美を追った。
「おい、ちょっと」
「ナニ?」
「その……もしかして、ムカついた?」
「……」
下手に問い掛けた語尾が弱くなり、そんな自分がふがいなく感じてイライラする。愛美は応えずにしばらく歩いていたが、中央階段の手前でふと立ち止まった。
「別に……怒ってないし」
振り向かずに応えた声が、機嫌の悪さを伝えて来る。言葉そのままを信じてはいけない雰囲気だ。
気まずい状況が進んで行く。どうやって打ち破ろうかと雄介が困っていると、愛美が突然振り返った。
「次、髪触ったら罰金ね。だから今日はとりあえず、有希の店で何かおごってよ」
「……は?」
「女子の髪はカンタンに触んないの。判った?」
「……判った」
笑顔で諭され、良く判かってないが頷いた。判ったのは、とりあえず嫌われずに済んだらしいということだ。ほっとする雄介を尻目に、愛美は階段を上り、お目当ての教室へ向かった。
本校舎二階に行くと、廊下は模擬店の客引きと生徒、一般客で溢れていた。手前から三つ目の教室が、目指す二年五組だ。「25」と大きく描かれた教室前の壁はモノトーンのシックな装飾がされ、私服の女子が数人、楽しそうに群れていた。
「お帰りなさいませえ、ご主人さまあ!」
愛美と雄介が室内を覗きこむと、お決まりの声がかかった。ほぼ満席で、しかも三組ほど待ちが出ているらしい。有希は黒のタキシードに銀髪のショートウィッグをつけ、窓際に座ったセーラー服三人組の接客をしていた。
「……すんごいイケメンだね、有希。何かのアニメキャラみたい」
「ああ。あのまんまコミケとか行けんじゃね?」
「わ、目、赤いよ」
「カラコンだろ。気合い入ってんな」
周囲にいる執事たちとは一線を画した完成度である。良く見れば他の客達も有希に注目していて、チャンスがあれば声を掛けようとしているように見える。もし指名制度があったなら、間違いなく彼女がナンバ-ワンだろう。
「あのセーラー、見たことある。どこの高校だっけ?」
「確か……瑛華女子」
「女子高ね。しかも写メ撮りまくりって、何かちょっと……イタイな」
愛美は困った笑いを洩らした。
セーラー服三人組は有希をとても気に入ったらしく、ポーズを変え、並ぶ組み合わせを変えて何枚も画像を撮っている。有希自身は困りながら相手をしているようだったが、とても声をかけられる雰囲気ではない。どうしようか迷っているところへ、背後から話し掛けられた。
「ああーんご主人様方ぁ、お席すぐにご用意出来なくてごめんなさあーい。ご予約しますぅ?」
「へ?」
野太い声に振り向くと、そこにはどう見ても柔道部だろうというガタイの良いメイドが二人を見下ろしていた。
175センチある雄介よりデカい男子がメイドというだけでも怖いのに、ぬりたくった顔が「特殊メイク」なうえ、ガニ股の足を覆う白ストッキングから、渦巻くすね毛が透けて見える。
胸には可愛らしいピンクの装飾文字で「アリエッタ」と書かれていた。
アリエッタ――予想される本名は「有田」あたりだろうか。
「うっ……いや別に……島野さん見に来ただけだし」
待つ、と言えない、むしろ言いたくない。雄介が咄嗟に断ると、アリエッタはいきなり有希へ怒鳴った。
「クリス、ねえクリストファー! 新しいご主人様がお帰りあそばしてよぉ!」
呼ばれた有希がはっと顔を上げた、愛美を見つけて嬉しそうな、悪戯っ子のような笑顔を見せたが、隣の雄介に気づいて顔を歪ませた。
「ちょ、おま、何でいんのよ! 私、愛美しか呼んでないんだけどっ」
「田中に訊け! つうかお前イケメンだな」
「うるさいバカッ!」
怒る有希に対し、セーラー服達がうっとりしながら写メを撮っている。彼女らにとって、そんなクリスも格好良いのだろう。
「またあとで来るから、有希、じゃなかった、クリス、頑張ってねーっ」
愛美は笑顔で、引き止めたそうに手を挙げた有希へバイバイし、雄介を伴ってその場を離れた。
「良いのかよ。アイツ、お前のこと待ってたみてえだぞ」
「うん、一応、来れる時間は伝えてあったからね。でもあれじゃ仕方ないじゃん」
愛美は残念そうに笑った。
「だからとりあえず、他んとこ回ろうよ。ふかざワン、付き合ってくれるでしょ?」
「マジかよ」
「イヤなの? 私、まだおごってもらってないんですケド」
「へーへー、わかりましたよ」
渋々、といった表情を作りながらも、雄介は愛美と並んで歩いた。
他の模擬店を覗き、普段まったく関わりのない美術部や書道部の展示を眺め、いくつかの模擬店を覗いてから、三階の模擬店へ向かった。気まぐれに入ったお化け屋敷で散々驚く愛美を笑い、隣のストラックアウトでは雄介が係にデッドボールを食らわせ、愛美に笑われた。
手芸部の作品展示を冷やかしてから、一階へ降りる途中で一年生の売り子からクッキーとお茶のペットボトルを買った。どこで食べようか相談しながら一階を歩いていると、ちょうど通り掛かった保健室のドアが開いた。
「あれ、雄介?」
「……ええーっ!」
保険室から姿を現したのは。何とタツだった。
「え、何でアンタがここに?」
「サユリに会いに来たんだけど」
「……は?」
しれっと応えたタツの背後から、なぜか頬を火照らせた保健の先生が見えた。しかも何かの痕跡を消そうとするように、慌てて髪を撫でつけ、唇の周りを指でなぞっている。おまけにいつも身につけている白衣は、リノリウムの床に脱ぎ捨てられていた。この密室で何があったのか、相手がこの男だけにヤバい想像が沸く。
「サユリって、ココのセンセだったのかよ」
「あー、うん、まあ」
「どこで知り合ったんだよ?」
「クラブで逆ナンされた」
「いつ?」
「んーっと、二週間前、くらい?」
「はああっ? 何で俺に言わねえんだよ」
「訊かれなかったし」
タツはへらっと笑い、サユリが熱っぽく見つめて来るのを構わず、後ろ手にドアを閉めた。
「つうかお前、学校祭って一般客も入れんだろ。嘘吐きやがったな」
「つうか、アンタ知ってて言ってたんだろ。腹立つこの野郎」
「怒んなよ、クソガキ。つうかテメエもちゃっかりデートしてんじゃん」
タツが目を細め、アゴで愛美を示す。雄介は気に入らない、という風に舌打ちした。
「どうでも良いだろソコ、つうか、もう用事済んだんだろ。とっとと帰れよ」
「ハア? せっかく来たんだから、もうちょっとケンガクしてっけど。軽音部とか面白そうじゃん」
「……」
雄介が深い溜息を吐いた。
軽音部はマズイ。田中かオンチ先輩に出会ったら、間違いなく大騒ぎされる。それが行き過ぎて、タツの機嫌が悪くなるのが怖い。本来この男は超がつくほどの短気で、すぐ手が出るタイプなのだ。
万一、学校内でタツが問題を起こすと、最終的に色々困るのは自分だ。ここは上手いこと、どこかへ連れだしたほうが無難だろう。愛美と別れるのは惜しかったが、タツから目を離す方が危ない。この男がキレた時、止められるのはおそらく自分だけだ。
隣で黙っていた愛美を見やると、少し不安そうな視線とかち合った。
「悪い、俺、そろそろ引けるわ。またな」
「え?」
驚く彼女へ、持っていたクッキーと飲み物を持たせた。そしてあっさり離れ、タツの腕を掴んで玄関へ歩き出した。
「タツ、お前今日バイク?」
「あ? ああ」
「よし、天気良いから海行こうぜ。積丹とかよ」
「は?」
「早く!」
「おま、良いのかよデー……」
「黙れ行くぞホラ! そして口紅拭けって!」
戸惑いながら、タツが半分振り向いて愛美へ手を振る。雄介はそれを強引に引っぱって、そそくさと去って行った。
「……ふかざワン……」
取り残された愛美は溜息を吐いてから、のろのろ歩いて二階へ上がった。
雄介がどうしてタツを連れ出したのか、理由は何となく察していた。そしてタツは雄介にとって、大切なバンドのメンバーである。友人よりもそっちを優先するのは仕方ないことだ。
そう、自分は彼にとってクラスメイトで、趣味を分かち合える友人にほかならない。それは事実であり、真実なのに、なぜ心が重いのだろう。
「仕方ないっか」
声に出して諦め、気持ちを切り替えて二年五組へ向かった。するとアリエッタはおらず、代わりにメイド服を着た田中がうろうろしていた。軽音部の仕事が終わり、今度はクラスの接客係になったようだ。
「あ、愛美ちゃーん、来てくれたのぉ? やだあマーガレット待ってたあ!」
「あ、あははは、お待たせ田中……じゃなかった、マーガレット」
「うん、うん、そう呼んでね! わあー嬉しいーおかえりなさいませえっ」
金髪のぐりぐり縦ロールのかつらに、フリルだらけのバルーン袖で、両手を祈るように組んでくねくねしている。こんなオネエをテレビで観たことがあると苦笑いしながら、愛美はマーガレットに引っぱられ、ついに執事喫茶のご主人様になった。
「愛美お嬢様、お帰りになられましたあ!」
マーガレットのコールに続いて教室へ入ると、すぐに有希が駆け寄って来た。そして小声で助けを求めて来た。
「ちょ、お願いだから一緒にいてよ」
「へ?」
有希が目線だけで示した先には、例のセーラー服たちに加え、私服の女子が何人も居座っていた。どうやら彼女らはすっかり有希を気に入ってしまったようで、なかなか帰らないらしい。
「あと十五分で上がれるから、お願い!」
「わ、わかったよ」
「ありがと、助かる。終わったら、他んとこ一緒に回ろうね」
有希はそう約束してから、彼女らにも聞こえるよう歓迎の声を上げた。
「先ほどは大変失礼いたしました。お帰りを、首を長くしてお待ちしておりました。さあ、こちらへ」
「あ、ああ、ありがとう、クリス」
有希はすっかり執事になりきって、愛美の手をうやうやしく取り、一番奥の席へ案内した。
それからしばらく、愛美はマーガレットとクリスに挟まれ、二人に何枚も写メを撮られ、デザートを三つも「あーん」されて食べた。注目され、恥ずかしいことこの上ないのを我慢していると、やっと有希の交代時間が来た。
役目がやっと終わったと安堵したのもつかの間、有希はそのままの格好で愛美を教室から連れ出した。
「ちょ、着替えしないの?」
「コスの解体作業してる間に模擬店終わっちゃうから、このまんまで良いよ」
「解体って、そんなに時間かかんの?」
「うん。つうかたまには良いじゃん、こういうのも」
「マジか」
愛美が少し離れて着いて来るセーラー服たちをちらりと見やる。有希はそれにまったく構わず、愛美の手を取った、
「意外に楽しいよ、役者になったみたいで。さあ、愛美お嬢様、クリスがご案内して差し上げます」
「ま、マジかっ」
とまどう愛美の手を自分の腕に絡ませ、すました顔で歩き出した。その姿は優雅で堂々としていて、もしこのまま本物の執事喫茶に行ったら、即採用に違いない。
「有希にこんな才能があったなんて、全然知らなかったよ」
「愛美お嬢様だけですよ、私がこうしてご案内する女性は」
「そうですか……あ、ありがとう、クリス」
「当然です、私はお嬢様の執事ですから」
クリスは赤い瞳で麗しく微笑んだ。
周囲から突きささる興味と羨望と、嫉妬の目が痛い。特に背後の女子達から向けられる視線は鋭く、まるでビームのように背中へ突き刺さってくる。
愛美は冷や汗をかきながら、先にさっさとトンズラしてしまった雄介を恨めしく思った。
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