第7話 Raindrops2



「――却下」

「何で!」

「俺の出番が少ないから」


 タツはしれっとした顔で、煙草をくわえた。

 ここは例の練習小屋である。雄介は音楽室で愛美と初セッションしてから、二週間かけて何度も愛美と練り上げ、やっと曲のかたちにした。それを今夜の練習に持ち込み、メンバーに聴かせたのだ。


「出番少なくないって、ちゃんとソロとかあるだろ」


 悔しさを滲ませ、雄介が食い下がった。だがタツは譲らなかった。


「つうか何で原曲が鍵盤、しかもしっとりピアノなんだよ。テメエ、俺のギターに何か不満でもあんのかよ?」

「はあ? 何でそうなるんだよ。不満とかそんなんじゃねえよ。たまたま出来たし、こういう毛色の違う曲があっても面白いかな、って思っただけで」

「俺はなくて良い」

「んだとコラ、人が期末テストの勉強ぶっとばして必死に作って来たってのに、何だその言い草は!」

「勉強しろよバーカ」

「うっせーギターバカ、くっそバカ!」

「は? やんのかガキ、良いぜ、表出ろよ」


 拳を握って立ち上がった二人を不穏な空気が包む。それを打ち破るように、ダグラスがにっこり笑った。


「んー、良いよ、センチメンタルだね、このピアノの感じ。歌詞も珍しく優しくて、僕はけっこう好き。だけど、ライブでこのままやると浮くね。このアレンジならアルバムのボーナストラック、ここからバンドバージョンにアレンジするならライブ可能、ってとこかな」

「マジ? さすがダグ、判ってくれるし! じゃあ、コウさんは?」


 眉間にしわを寄せていたコウは、少し考えてから雄介を見やった。


「ちょっと意外、というかビックリした。お前、裏声も使えんだ」

「ああ、実は」

「ふーん、ま、新しい試みかもしれんな。ダグの案でやってみるのも悪くねえだろ。なあ、タツ」

「俺はイヤだ」

「何でよ?」

「イヤだから。つうか、鍵盤どっかから引っぱってくるとか、そっからもう論外。そういうのは九十分くれえのワンマンライブはれるくらいになってから、遊びでやるもんだ。そりゃ、アイディアとして置いとくなら判るけどよ。今、俺らがやることは別にあんだろ。例えば、たまってる新曲のツメとかさ」


 仏頂面でもっともらしいことを並べるタツへ、コウがにやりと笑った。


「それもそうだな、お前の言うことも一理ある。だがよ、タツ。もしかしたらお前、このピアノアレンジをギターで越える自信がねえのか?」

「……ハァ?」


 タツの顔色が変わった。


「ふざっけんな、俺が負けるわけねえだろ! 良いぜ、やってやろうじゃねえか。見てろよ、泣かせてやる、めっちゃ感動するギターつけてやらあ!」


 タツはコウとダグを睨みながら、高らかに宣言した。ギターバカのプライドをくすぐった、コウの作戦勝ちである。だがタツも一筋縄では行かなかった。彼は最後に雄介の顔を見て、イヤミたっぷりに笑ったのだ。


「ただし、俺がやんのは十年後な」

「はあっ? 何だソレ、ふざけて……」

「つうかこのピアノ、誰弾いてんの?」

「……え?」


 雄介の勢いが止まった。ごまかすように視線がさまようのを、タツは見逃さなかった。


「誰よ? けっこう上手いな」

「それは、友達が……」

「友達? どこのよ?」

「だからガッコの」

「オンナ?」


 ひく、と雄介の顔がひきつる。するとダグラスとコウも、イジリがいのあるオモチャを見つけたとでもいうように身を乗り出した。


「へえ、雄介ってやっとカノジョ出来たの?」

「お、やったな。お前にもやっと春が来たか」

「良かったな、ちゃんとヒニンしろよヒニン!」

「え、もしかしてもうメイクラブ済みなの? 早いね最近のコウコウセイって」

「メイクラブって何だか幸せな言葉だな。お前にゃ似合わねえな、タツ」

「は、俺はどうせ節操ナシですよー元祖一穴主義のコウさん。つうかどうだったよ雄介、童貞卒……」

「だーあああああっ! 黙れテメエらっ」


 雄介が思いっきり怒鳴るが、ダグラスはそれをまったく無視して続けた。


「ああ、そう言えば五月のライブにラブリーなジョシ二人来てたよね。あのどっちか?」

「そういやいたな。あれか、あの茶髪のロングのほうか?」

「いや、黒髪くりくりの方だ。コイツ、そっちぱっか気にしてたし」

「違うっつうの、聞け人の話……」

「黒髪好きなんだ、イイよね、ニホンのジョシは黒髪が一番ラブリーだよ」

「次のライブ連れてこい。うちのボーカルが世話になってんだから、俺も立場上、ちゃんと挨拶してえし」

「つうかアイツ、中身も天然じゃね? しかもひんぬーだろ。そんなん好きなのかよ、雄介」

「……」

「おい、雄介」


 いつの間にか下を向いて黙ってしまった雄介へ、タツが軽い調子で呼び掛けた。


「おーい」

「……うっせえ、何がひんぬーだ表出やがれ!」


 雄介が吼え、タツの襟首を掴んだ。そのまま殴りかかろうとしたところを、ダグラスとコウが止めに入った。


「判った、落ちつけ、つうかやるならマジ外でやれ!」

「ノー、雄介! 楽器、楽器壊れるっ!」

「え、俺の心配とかしてくれねえの?」

「誰がするかボケ、つうか、テメエも外出ろ!」


 コウに一喝され、タツはしぶしぶ外へ出た。時刻は午後十一時近くで、外は当然真っ暗だ。続いて雄介も外に放り出してから、コウとダグラスはドアを閉め、安堵の溜息を洩らした。


「はー間に合った。良かったよ、モノ壊されなくって」

「ホントだぜ。もうバスドラに穴開けられんの、勘弁だ」


 コウが煙草をくわえ、ソファへ座りこんだ。ダグラスも同じように座り、煙草を吸い始めた。外では怒号が飛び交っている。そのうちその声が遠くなった。おそらくタツが墓地へ逃げ出し、雄介が追い掛けていったと思われる。 

 この程度のこぜり合いは珍しくない。だいたい三回に一回は本格的な殴り合いになるが、一方で二人は音楽的にとても相性が良かった。だからどんなにケンカしようとも、どちらかがバンドを辞めるという危機には至らない。そして大体、タツが雄介を怒らせるのが原因なので、雄介の怒りが収まれば自然に終わるのだった。


「それにしても、タツやんほんとに変わったね」


 ダグラスが煙を吐き出しながら呟いた。


「クスリも止めたし、悪い仲間とも切れたし。正直、僕はムリだって思ってた」


 ダグラスの言葉に、コウは記憶を反芻した。まだ中学の頃、タツといつもつるんでいた男の顔をなぞる。あまり繋がりのない面影はぼんやりとしていた。確か名前はヨウジだ。苗字は知らない。


「……俺もそう思ってた。多分、雄介がいるからだろうな」

「やっぱそうなんだ」

「ああ。『ホープ』聴いて判ったっつうか。それにアイツら、精神年齢五歳くれえだからな。兄弟みてえで良いんじゃねえ?」

「そうだね、しかも雄介がオニイチャン?」


 ダグラスが笑いながら煙草を揉み消した。コウも深く一服してから、短くなった煙草を灰皿にこすりつけた。


「さて、さっきの曲、ダビングしとくか」

「あ、僕の分もヨロシクね」


 ベースを背負うダグラスに頷いてから、コウは機材のラックへ近寄った。その矢先、外から悲鳴が聞こえた。


「誰だ、雄介か?」


 すぐにタツらしき絶叫が上がり、コウとダグラスは顔を見合わせた。続けてドアがしなるほど激しく叩かれ、必死な叫びが聞こえた。


「うわああああ、開けて開けて、もうヤべえんだよおおお!」

「頼む、うあ、ご、ごめんなさいごめんなさい!」 


 ダグラスが慌てて開けると、タツと雄介が真っ青な顔をして飛びこんで来た。


「出た、何かいた、あっちの墓の陰に何かいたっ」

「追っかけて来た、すっげえコワッ、コワすぎるっ」


 二人は勢い良くドアを閉め、さらに押さえこむようにドアへ寄り掛かっている。その姿があまりに同類すぎて、ダグとコウは吹き出した。

 かくして、今夜のこぜりあいは終了した。


   ◆


 一週間後に、一学期末考査が行われた。

 雄介の成績はクラスの平均程度で、苦手な日本史を得意な英語でカバーするような形になった。バンドとバイトをしながら受けたことを考えると、良く頑張ったほうである。

 それでも父親には「日本史の点が低い」と文句を言われるだろう。面倒を予感して暗い気持ちになる雄介とは裏腹に、愛美はにわかに楽しそうだった。


「これから学校祭、あるんだよね? 私、ここで初めてだからすごい楽しみ!」

「その楽しみを撃ち砕いてワリイけど、特進は学際不参加だぜ?」

「え、何で?」

「受験にカンケーねえから」

「えー? そんなあ……」


 見る見るうちに愛美はしぼみ、机に突っ伏した。


「何の楽しみもないね、この学校……」

「ココは勉強しにくるところだから、余計なコトはしねえんだって。だから部活も、体育奨励でこのクラスに入ってるヤツ以外は不許可。バイトも申請書と保護者の同意書出さなきゃなんねえし、ほんっと、バカみてえ」

「ふーん……じゃあさ、悔しいからせめて、お客さんで来ようよ」

「悪い。俺、バイト入れた。しかもそのへん、曲作りもあるし」

「えー?」


 ふてくされた愛美に愛想笑いしながら、雄介は腕時計を確認した。そろそろバイトへ向かう時間だ。


「ま、ウザトがライブやるから観に行ってやれば?」

「判った。残念だけど一人で観に来るよ。有希んとこも行きたいし」

「ナニやるんだっけ、アイツのクラス」

「執事&メイドカフェだって、男女逆転の」

「ってことは、アイツ執事か。背デカいから似合うだろうな」

「ふふふ、言っとくよ」

「言うな、ソコ気にしてて怒るから。怒らすとめんどくせーんだよ、アイツ」

「そうなの? 有希、カッコいいじゃん。全然気にしなくていいのに」

「そう言ってやれよ、喜ぶぜ、アイツ」


 雄介が立ち上がり、鞄を肩に掛ける。愛美も席を立ち、鞄を抱えて一緒に教室を出た。

 普段、七時間授業のあとの校内は閑散としているのに、今日は学校祭の準備が始まったせいで活気づいている。各教室の楽しそうな様子をうらやましく思いながら、二人は帰路についた。

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