第45話 moonlight 2

 順番が来てステージに出たとき、愛美は緊張で吐き気を催していた。

 体もぎこちなく、気を許せば右手と右足が一緒に出そうだ。よろめかないよう、足を引っ掻けないよう気をつけながら、無事グランドピアノのところまでたどり着いた。


(し、死にそう……)


 口から心臓が出そうだ。

 小中学校の式典や合唱コンクールで何度も伴奏して来たが、九百人以上も入る大ホールで弾くのは初めてだ。しかも先に演奏した三人はほぼノーミスで、曲の解釈も完璧に近かった。

 正直、勝てる気がしない。

 ビビる気持ちを押し込めて客席へ向き直ると、予想以上に席が埋まっている。しかしその中で小さく手を振る者がいた。

 田中だ。隣に有希もいる。

 二人を見つけた瞬間、嘘のように緊張が引いた。友達とはありがたいものだ。


 心の中で感謝しながらお辞儀し、もう一度二人を見つめてから椅子を直した。それから座って演奏の準備を整えた。

 雄介はまだいない。

 来ないかもしれない。でも途中で来るかもしれない。そのとき、無様な演奏を聴かせたくない。

 目の前には美しく輝くスタインウェイのコンサートピアノがある。予選は別の会場でヤマハのコンサートピアノだったが、スタインウェイはもっと大きい。こんなプロ御用達のピアノが弾けるなんてとてもすごい事だ。そして天井からぶら下がるシャンデリアは枝下藤のようなクリスタルが美しく、ここからこんなふうに見上げるチャンスなんてそうそうない。奏でるには最高に素晴らしい場所だ。


「よろしくね。楽しくやろうね」


 愛美は小さな声でピアノへあいさつし、両手を鍵盤へ乗せた。

 一曲目の「前奏曲とフーガ」の第一音を出した瞬間、とてもクリアな音が鳴った。中のハンマーが動いてピアノ線を叩く感触が、押さえた鍵盤を通して伝わってくる。まるで、ピアノが応えてくれているような気がした。

 バッハ特有の、右手と左手が交互に歌う旋律が、伸びやかに響いて散っていく。微妙な力加減のタッチやトリルを、スタインウェイがすべて感じて表現してくれる。指もスムーズに回り、およそ二分と少しの曲をイメージ通りに弾ききることが出来た。


(よっしゃあ! さあ愛美、気合いいれろよ)


 自分に発破をかけた矢先、誰かがホールへ入ってきたのを感じた。


(……雄介!)


 客席の最後列の更に後ろ、一番薄暗いドアの脇に、白いTシャツを着て立っている。

 観に来てくれた。その事実だけで、愛美は奇跡が起こったような気分だった。

 顔ははっきり見えないが、きっと雄介もこちらを見ている。終わるまでそこにいて欲しいと願いながら、スタインウェイへ向き直った。


「お願い、力を貸して」


 ピアノを、そして自分を信じて「月光」の第一音を鳴らした。

 このピアノソナタ「月光」は愛美にとって、自分を投影した曲でもある。

 陰鬱な第一楽章は雄介に出会う前の自分で、温かな第二楽章は彼と過ごした日々、そして激しい第三楽章は彼を想う「感情」だ。

 コンクールという場において、このように曲を解釈するのは邪道なのかもしれない。しかし「月光」を納得行くよう弾ききるには、それしか方法が見つけられなかった。


(ねえ雄介、覚えてる?)


 孤独な第一楽章を終え、第二楽章に入ると、教室で雄介とともに過ごした日々が思い浮かんだ。雄介との時間のなかで一番ドキドキして楽しかった。いつまでも続くのを願っていたが、それはあっけなく終わってしまった。

 やって来た第三楽章は、愛美の中のどろどろとした感情そのものだ。

 悲しみ、寂しさ、怒り、涙、すべてが混沌とし、そのやり場のなさに雄介を憎んだ。一緒にいたいと強く願っているのに、どうして受け入れてくれないのか恨んだこともあった。

 そしてそんなどろどろした感情を抱く自分も嫌いになりそうだった。

 この三ヶ月、それらすべてをピアノにぶつけた。ピアノは何も言わず、ただ鏡のようにすべてを映し、受け入れてくれた。それが混沌を諌め、答えをくれた。

 いま、自分がなすべきこと。それは精一杯の演奏を雄介に聴いてもらうこと。

 もしかしたらもう、彼とは終わったのかもしれない。それでも良いと思った。この曲を聴いてもらえるだけでいい。その後どうなろうと、それは神様が決めてくれるだろう。

 曲は最後の間奏部に差し掛かり、十本の指すべてを使ったもっとも重厚な和音を奏でる。


(お願い、あともう少しでいい、もう少し頑張って)


 疲労が溜まり始めた指に言い聞かせながら、最後の主旋律に願いを込めた。


(また彼に、輝かしい日々が戻りますように)


 そこに自分がいなくてもいい。ただ大好きな人が前を向いて、好きな歌を取り戻せますように――混沌の果てにたどり着いた純粋な想いを乗せて、メロディを歌い上げる。あとは一気に駆け抜けるだけだ。息を詰めて連なる十六分音符を弾くと、脳裏に二人で作曲したときの光景が浮かんだ。


『俺達は音楽で繋がってる』


 最後の和音を鳴らした瞬間、雄介の歌声が聞こえた。


「うっ……」


 不覚にも涙が滲んだ。

 精一杯弾いた。今の自分の想いをすべて演奏した。例えこれが審査に響いたとしても悔いはない。

 ホールは耳鳴りするほど静かで、全力をつぎこんだ両腕と体は微かに震えている。瞼で堪えていた涙がついに一粒落ちたとき、誰かが何かを叫んで、大きな拍手に包まれた。


「え……?」


 はっと我に返った愛美は、慌てて立ち上がった。早く退出しなければならない。お辞儀しようと目を向けた客席には、まだ雄介の姿があった。最後まで聴いてくれたのだ。

 心からの感謝をこめ、聴衆に、そして雄介に深く頭を下げる。再び上げた時には、もう彼の姿はなかった。


(これが答えなんだね、雄介)


 悲しいけれど、何だか晴れ晴れとした気持ちだ。

 愛美は一つ洟をすすり、ステージから下りた。


 五番目の奏者の演奏が流れてくるのをぼんやり聴きながら、愛美は誰もいない控室で真由美先生へ電話した。今日は他の生徒のレッスンが入っていて、終わったら連絡するように言われていたのだ。

 出演者は全員、舞台袖に行ってしまっている。そのせいか、開演前に濃く漂っていた緊張感は完全に消え、携帯の呼び出し音がやたら大きく聞こえた。


「お疲れさま、愛美ちゃん。良く弾ききったね」


 真由美先生は開口一番、そう労ってくれた。

「先生……私、もんのすごく頑張りました」

「うん。精一杯弾けたのね?」

「はい、もうくたくたです」

「ですよねえ、声で判るわ。ゆっくり休んでね、水分ちゃんと取ってね」


 労いの端々に笑いが見える。愛美の返答にウケたようだ。先生は、審査発表までには会場へ来ると約束して通話を切った。


「はあ……」


 本当に疲れた。たった二曲、三十分にも満たない演奏時間だったのに、一日中動き回ったあとのように体が重い。このまま座ったら動けなくなりそうだと感じ、荷物を抱えてエントランスへ向かった。

 ホールから洩れてくるのは、リストのメフィストワルツだ。とても難しい曲を見事に弾きこなしている。さすが音大生だ。

 熱から醒めてしまった今では、自分の演奏が単に熱意だけのものだったような気がしていた。どんなに熱意があっても、それだけで金賞は取れないだろう。

 濡れた綿のように疲れた体を引きずってエントランスへ到着すると、とても派手な二人が目に入った。長いツインテールの金髪と、チェリーピンクの髪の長身――佳澄とミッキーだ。

 二人は円柱に寄りかかっていたが、愛美を見つけるなり小走りでやってきた。


「わーあ、おつかれーん愛美ちゃん!」

「あ、来てくれてありが……」


 お礼を言い終わる前に、佳澄が愛美にガバッと抱きついた。


「スッゲー! 佳澄やっぱ愛美ちゃんのピアノごわスキっ、あのパワー、あのキレッキレ、もーすんごいワキワキするぅ!」

「あ、あはは」


 あまり意味が判らないが、褒められているようだ。抱きついたままピョンピョン飛ぶ佳澄の横で、ミッキーが苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「ちょっと愛美、アンタさあ」


 話しながら佳澄の首根っこをつかみ、愛美から強引に遠ざける。そしてミッキーは更に一歩近づき、ぐつと顔を寄せて来た。


「あ、あの、そんな酷かったですか……?」

「酷かったわよ、何よあの暴力!」

「ひっ!」


 大声に威圧され、愛美が縮こまる。振り上げられたミッキーの手に頬を打たれるかもしれない。しかし予想は外れ、がっしり抱きしめられた。


「酷かったわ、昔の失恋思い出しちゃったじゃないの! もうアンタ……見事だったわよっこのセクハラ娘!」

「えっ、あっ、いやあ……セクハラ?」

「そうよセクハラよ!」


 褒められているのか怒られているのか判らないが、抱きしめられるということはたぶん褒められているのだろう。

 ホッとすると、また涙が出そうになる。慌てて洟をすすり上げると、ミッキーが腕をほどいた。


「ったくう。アンタがここまで頑張るなんてね。しゃあないわ、私の弟子にしてあげるわ」


 ふと、ミッキーが穏やかに微笑んだ。


「え、ミッキー弟子取るの? だいじょぶなの愛美ちゃん、こんなキテレツなオバサン師匠にして」

「なっ!」


 雷を落としてやろうとミッキーが佳澄へ近寄り、佳澄がニヤニヤしながらすっと後ずさる。いつも賑やかな二人だ。その背後に母がちらりと顔を出した。


「愛美」

「お母さん! 来てたの?」

「うん、お疲れさま。いい演奏だったよ。ね、お父さん」

「え?」


 母が手招きすると、ちょうどミッキーの陰になる位置から父が現れた。平日の昼間だから来るはずがないと思っていた愛美は、にわかに緊張した。


「お父さん、仕事は?」

「あ、ああ。半休にした」


 まさか、コンクールのために休みを取ったのだろうか。愛美が驚きを隠せずにいると、父は少しバツが悪そうに咳払いした。


「うん、あー、えっと」

「ほら」


 言い淀む父の背を母がそっと押す。観念したのか、父はもう一つ咳払いをして愛美を見つめた。


「……お疲れさま。良くあれだけ弾いたな」

「うん、来てくれてありがとう、お父さん」

「何というか、お前、本当にピアノが好きなんだな」

「……うん」

「そうか」


 父がふと微笑んだ。それは苦笑いにも見えたが、優しく細められた目は「良くやった」と告げている。母はそんな父を温かく眺めたあと、持っていたスポーツドリンクを愛美へ渡した。


「あ、ありがと」

「結果、まだしばらく出ないでしょ? せっかくお父さん半休取ったから、お母さん達は先に出るね。ついでにちょっとデートして帰るから、晩御飯はセルフでお願い」

「わかった。おみやげ期待してるよ」

「そうね、お父さんがきっと美味しいケーキ買ってくれるわよ。ね?」


 父が目を逸らしたまま頷くと、母がにっこり笑ってピースサインを出した。そして相変わらずバツの悪そうな父の腕をとり、二人並んでエントランスを出て行った。

 愛美が家出して以来、母と父は変わった。母は意見するようになり、父も母を気遣うようになった。たまに喧嘩もするが、両親の仲が良いのは娘としても嬉しい。


「じゃあ、私達も帰るわ。そろそろ開店準備しなきゃね」


 傍らで見守っていたミッキーも、佳澄を伴って去っていった。

 周りが静かになり、取り残された気持ちになった。何となくモニターに目をやれば、五番目の奏者が演奏を終え、ステージから下りていくところだ。

 奏者交代のタイミングでホールから数人出て来た。その最後に有希と田中がいた。

 二人はきょろきょろとエントランスを見回し、先に愛美を見つけた田中が走ってきた。


「うおおおお愛美っちーんぐおっつうかーれーぃっ」


 田中がテンション高く労ってくる。両手をかざしてハイタッチを要求されたので、愛美も一応応えた。


「う、うえーい」

「いやーすんごいね、皆上手いね俺良くわかんないけど。愛美っちも上手いわー、あの激しい曲すんげかった、俺ちょっと震えたもん」

「ありがとう、聴いてくれて」

「そりゃモッチのローン!」


 再びハイタッチを求められる。応えたところで有希がやってきた。


「愛美、おつかれさん!」

「うん、疲れたよぉ」

「頑張ったじゃん、えらいえらい」


 有希がとても優しい微笑みで頭を撫でて来る。何だか年上のお姉さんに褒められている子供の気分だ。有希は一頻り頭を撫でたあと、愛美を空いたベンチへ誘った。当然、田中も有希の右側に着いて三人並んだ。


「このあと、審査発表って何時だったっけ?」

「えーと、確か六時くらいかな」


 大雑把に応えると、有希は眉を寄せた。


「まだかかるんだね。やっぱそうだよなあ」

「あ、いいよ気にしなくて。あとでウチの先生来るし」

「うーん、でも気になるし。あ、じゃあちょっと飯ってまた来るわ。私、朝から飯ってないんだよ」

「マジかっ早く食べといでよ!」


 空腹で倒れては大変と、愛美はさっさと有希達を送り出した。


「仲良いなあ、二人とも……」


 大型犬の飼い主のような有希と、犬のように着いて歩く田中を微笑ましい気持ちで見送る。そして再び静かになったエントランスでやっと一息ついた。

 眠い。

 ちょっとだけ休もう。現実を直視するのは審査発表のときでいい。

 荷物を抱え込み、もたれて瞼を閉じる。ちょうど流れてくる六番目の奏者の「田園」の調べがとても心地良く、愛美はスイッチが切れたように眠りへ落ちた。


 ◆


 午後六時を過ぎ、いよいよ審査発表が行われた。

 ステージ上で結果が読み上げられ、初級グレード、続いて中級グレードの受賞者が次々称えられた。入賞した子供達は小学一年生から中学生までおり、皆一様に喜びを噛み締めていた。

 あの若さで受賞なんてすごいことだ。愛美は自分が下手くそな小学生だったことを振り返り、心から感心した。

 そしていよいよ上級グレードの発表だ。愛美は駆けつけた真由美先生と並んで、前から二番目の座席に座っていた。

 またもや口から心臓が飛び出しそうだ。

 銅賞は最後に演奏した音大出の社会人、銀賞はあのメフィストワルツだった。彼が銀なら、自分が金賞を取るのは非常に難しい。膨らんだ緊張がしぼみ、つい情けない顔で真由美先生を見やると、先生は微笑みを返して来た。


「悔いのない演奏だったんでしょ?」

「……はい」

「それが一番よ」


 先生の言う通りだ。

 ここまでやったのだ。結果が伴わなくても、父に少しは判ってもらえたと思う。その上でなお進路を定めてくるなら、それもまた仕方ない。

 そして何よりも、雄介に聴いてもらえた。それだけでもコンクールに挑戦した意味がある。

 審査員が最後の受賞者を呼んだ。


「金賞――」


 呼ばれたのは愛美の名ではなかった。

 やっぱり、という気持ちが押し寄せてくる。

 簡単でないことは判っていたし、このコンクールが全国レベルだというのも知っていた。それでも現実に「力不足」を突きつけられると辛い。あれだけ努力しても越えられない壁があるのだと思い知らされる。


「大丈夫?」

「えっ、あ、大丈夫です……」


 真由美先生に心配させないように笑おうとして、瞼で押さえていた涙が溢れた。慌てて手の甲で拭うと、先生が黙ってティッシュをくれた。

 ステージで金賞の授与が終わり、盾と賞状を抱えた全員が客席を向いて並んでいる。お祝いの拍手が沸き、それが収まったところで、審査員が再びマイクへ向かった。


「今回はもう一つ、特例で賞があります。審査員奨励賞、樋田愛美さん」

「……え?」


 今、聞こえたのは幻だろうか。


「愛美ちゃん、愛美ちゃん早く行って!」


 真由美先生が一気に舞い上がり、半腰になって愛美を立たせる。愛美は信じられないまま、スタッフに導かれステージへ上った。


「審査員奨励賞、樋田愛美さん」

「は、はい」


 審査員長を務める白髪混じりの男性は、まるで孫を見るような優しい表情で愛美と向き合った。


「荒削りながらも、大変情熱的で素晴らしいベートーベンでした。その情熱を持ち続け、より磨き上げてください。これからを楽しみにしています」

「……はい!」


 贈られた言葉に励まされ、嬉しい涙が滲む。金賞は遠かったが、少しだけ認められた気がした。

 審査員長から賞状を受け取り、頭を下げる。そして受賞者の列の一番端に立ち、改めて客席を見回した。

 そこに座る誰もが、こちらへ惜しみ無い拍手を送ってくれる。客電が灯された下で、手前に座る真由美先生の興奮した笑顔と、奥の端席で手を振る有希達が見えた。

 感慨深い光景だ。


「今回のコンクール、特に上級グレードは例年に比べ、非常にレベルの高いものでありました。各賞で甲乙つけざるを得ませんでしたが、その差は非常に小さなものであったと言えます」


 審査員長が、手短に講評を述べる。便宜上優劣はつけたが、ここに集う皆が、これからも長く音楽を愛することを望む、という言葉で締め括られた。

 再び割れんばかりの拍手が起こり、受賞者全員で感謝の一礼をした。

 長い一日だった。そしてとても濃い一日だった。半ば放心しながら、愛美はステージの上でコンクールの余韻を噛み締めていた。



 真由美先生と別れ、愛美はひとり自宅へ戻って来た。有希からも誘われたが、今日はもう疲れたから、と断った。

 暗い玄関から蒸し暑いリビングへ入り、照明を点ける。昼から水分しか取っておらず、腹が空いているはずなのに食欲がない。途中で買ったコンビニ弁当をテーブルの上に置いたまま、空気の入れ換えもせずに自室へ向かった。

 部屋に入り、灯りを点け、荷物を放り出して窓を開けた。こもっていた昼間の暑さが抜け、爽やかな夜の風が入ってくる。

 今日は本当に疲れた。

 重い体をベッドへ転がし、マクラヘ顔を埋める。愛用しているシャンプーと自分の体臭に、やっと帰って来たことを実感すると、心がビクリと疼いた。


「うっ……うう、うわああああ!」


 マクラに口を押し当て、思いっきり泣いた。

 精一杯頑張った疲れと、雄介が聴きに来てくれた嬉しさと、金賞を逃した悔しさと、奨励賞をもらった驚きと、そして雄介と終わってしまった喪失感がいっぺんにやって来て、体の中で怪獣になっていく。それが暴れて吼えるのに任せて自分も叫んだ。


「ばか、ばか雄介、バカヤローっ、私の青春返せーっ!」


 思いつく限りの悪口を叫び倒す。誰かに聞かれたら通報されそうな勢いだ。手足までバタバタしながら叫んでいると、やがて怪獣は縮んで、すっかり可愛らしい爬虫類の子供になった。


「……あー、すっきりしたあ」


 大きなため息を吐き、ゴロリと仰向けになった。

 すべて吐き出した心は空っぽになり、涙もだいぶ止まっている。きっと髪も顔も、ワンピースもぐちゃぐちゃだ。でもこのまま寝てしまおう。今日はそれでいい。

 大の字で、体が少しずつベッドへめり込んで行く感覚に身を委ねる。


「さよなら、雄介……」


 瞼を閉じても、もう彼の面影は見えない。すぐに眠りがやって来て、愛美の意識は途切れた。

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