第40話 innocent in a silent room 3

 四月下旬の金曜日は晴れ渡る快晴だった。

 太陽が天頂に上ったころ、コウとダグラス、そして横田の三人はタツのアパートを訪れていた。

 管理会社の社員立ち合いのもと、鍵を開けて入ってみると、室内は意外にもがらんとしていた。もっと雑然としていることを想定して段ボールやゴミ袋を大量に用意してきたのに、正直拍子抜けだ。

 終わったら連絡を、と言い残して社員が帰ったあと、ダグラスが不思議そうに首を傾げた。


「もしかして、家宅捜索で全部持ってったのかな?」

「いや、その時押収されたもんは、そこの段ボール二つだけだったはずだ」


 コウは床に置かれた段ボールを指し示した。遺骨とともに清称寺へ届けられたものだ。


「ってことは、タツやんが自分で片付けたってこと?」

「おそらく、そういうことだろうな……」

「引っ越し途中だったのかな」

「さあな、俺は聞いてねえよ」

「僕も、まったく」


 コウとダグラスは顔を見合わせたあと、横田を見やった。しかし横田も知らなかったようで、頭を左右に小さく振った。

 部屋にはテーブルやソファがなかった。パイプベッドにはむき出しのマットレスだけが残り、食器や小型家電、服や雑貨も見当たらない。あるのは幾つかの録音機材に、バイクの鍵と書類、エフェクター、そしてハードケースに収められたハミングバードだ。まるで生前整理したように厳選されていた。

 ひょっとしてタツは、最初から死ぬつもりだったのだろうか。


「まさかな……」


 イヤな考えだと否定しながら、コウは押収品の段ボールを開けた。

 二つのうちの一箱には、大量のCD、DVDディスクと幾つかの記録媒体が入っていた。中にはサイレントルームのアルバムのマスター音源もあった。

 どれもケースに収められ、中身が一目で判るようにメモが入れられている。普段のタツのいい加減さからは想像のつかない、几帳面な文字が並んでいた。

 もう一つの段ボールをダグラスが開けようとしたとき、不意に玄関のドアが開けられた。

 雄介だった。


「ワオ、雄介! 調子ダイジョブなの?」

「ああ、何とか」


 雄介は穏やかな表情でダグラスへ頷き、靴を脱いで上がってきた。


「良く来たな」

「うん、連絡サンキュ」

「おう」


 コウに挨拶したあとで、雄介は横田へ会釈した。横田は嬉しそうに笑い、一つ頷いた。

 部屋の中をぐるりと見回したあと、雄介はまたコウを見やった。


「もしかして、もう終わったのか?」

「いや、今来たところだ」

「そっか。すげえ片付いてるな」

「あいつが自分でやったみてえだぞ」

「ふーん……じゃあ、あんまやることねえかな?」

「そうだね。て言うか、もっとゴミとかたんまりあるって、ドキドキしてた」


 ダグラスの言葉に、コウと横田も頷いた。雄介は小さく笑ったあと、壁際に置かれたハミングバードを見やった。


「……やっぱ、あのバカホントに死ぬ気だったんだな」

「どういうことだ?」

「言ってたから。あの時、俺をヨウジと間違えて、死んでくれ、俺も一緒に死んでやるって」

「え?」

「おかげで殺されかけた。マジバカ」


 雄介から明かされた真実に、三人は唖然とした。


「そんなことがあったのか……」

「うん。でも何でタツは、ヨウジを殺そうと思ったんだろ。ヨウジってあいつの友達だろ?」


 雄介の問い掛けに、三人は顔を見合わせた。まるで何かを迷うような雰囲気に、雄介が眉を寄せた。


「何かあったのか?」

「雄介、お前ヨウジを知ってるのか?」

「ああ。一度だけ見たことがある。バンド組む前の話だけどな」

「紹介されたのか?」

「いや、たまたまタツに連れてかれた店にいたんだ。こんなクソガキとバンドやるのか、って、タツにケンカ売ってた」

「そうか……」

「ヨウジがどうかしたのか?」

「実は、タツの骨を持ってかれた」

「え?」


 驚く雄介へ、コウは事の顛末を話して聞かせた。


「マジか……警察は? 取り返せねえの?」

「……ヨウジ、ウチの寺から逃げ出したあと事故起こしてよ。火が出て、車ごと燃えちまったんだ」

「え……?」


 壮絶な最期を知らされ、さすがに雄介も驚いた。

 一緒に乗っていた派手スーツは脱出して無事だったが、ヨウジは間に合わなかったそうだ。


「骨を抱いたまま燃えるなんて、ヨウジは相当、タツに執着してたんだな……」


 横田の呟きが重く響いた。

 葬儀で見たヨウジの執着は、思い出すたび恐怖を呼ぶ。もしかしたら、タツはヨウジのそんな性質にどうしようもなく追い詰められ、最後の手段としてヨウジを殺そうとしたのかもしれない。

 様々な状況を鑑みて、これが一番納得が行く。しかし二人が亡くなった今、真実は闇の中だ。


「悲しいね、ヨウジって……」


 横田が洟をすすり上げ、ポケットからティッシュを出す傍らで、ダグラスが深いため息を吐いた。


「……人の想いって、こじれると命を落とすこともあるんだね」

「かもな……さあ、話はこのぐれえにして、コイツも開けようぜ」


 コウは残った段ボールへ近寄り、ガムテープの封をはがした。

 こちらも中身のほとんどは音源と記録媒体だ。その他、逮捕された当時に着ていたものや財布などの所持品、そして封筒が五つあった。中身を確認すると、すべて金と領収書が入っていた。


「この封筒全部、色々売っ払った代金だな」

「いくらあるんだ?」

「えーと……大体、三十万くれえ、かな?」

「マジか、大金じゃん……」


 簡単な葬儀が出来る程度の金額だ。タツは何を望んで用意したのだろう。

 本来ならこれらすべてをタツの親族へ渡すのだが、事情を踏まえて、ここで形見分けすることにした。

 それぞれ希望を募り、ほとんど重複することなく分けた。横田はスカジャンとジッポを、コウはバンドのアルバムのマスター音源と一部の機材を、ダグラスは財布と一部のエフェクターを、そして残りは雄介が持ち帰ることになった。


「つうか金も分けなくていいのか?」

「良いだろ。そもそもお前はこれでも足りないくらいだからな」


 それは雄介が被った痛みへの慰謝料という意味だ。コウの言葉にダグラスと横田も頷いた。


「ただ、悪いがバンドの金はタツの葬儀代に使わせてくれ」

「いいよ、使ってよ」

「うん……じゃあ、こっちは遠慮なくいただきます」


 皆の好意を、雄介はありがたく受けた。

 話がついたところで、持ち帰る荷物を運び出し、室内を清掃した。引き取り手のないベッドの処分はコウが請け負った。


 二時間ほどですべての作業が終わり、仕事のあるダグラスと横田は先に帰っていった。結果的に一番荷物の多くなった雄介を、車で来ていたコウが送り届けることになった。

 窓を閉め、忘れ物がないか確認してから管理会社へ退出の連絡をすると、あとで向かうので鍵を開けたまま帰って良いとのことだった。


「ここ、何もないと広いんだな」


 玄関で靴を履いたあと、雄介は改めて室内をぐるりと見回した。その目にはある種の感慨が浮かんでいた。


「いつ来ても狭くてさ。いっつも、酒瓶と脱いだ服とエフェクターとか広げっぱなし。あいつ、片付けとか知らねえと思ってた。しかも食い物とか、米はおろか、パンも、カップ麺すらねえんだぜ? 普段一体何食ってたんだか。何かムカつくから、コウさんとっから戻ってきた時、すっげー辛いカレー作ってやったんだ。それ食って怒ってたな、あいつ甘口しか食わないから。あんなナリでタトゥー入れてたくせに、甘口だぜ? お子様だろ、まじウケるわ」


 楽しかった日々を思い出し、くつくつ笑っている。雄介がタツとの思い出を楽しそうに語るのは、事件以来初めてだ。

 とりとめなく語ったあと、雄介は深いため息を吐いた。


「この部屋には、それなりに思い出があったな……たくさん泊めてもらったよ。でももう、来れないんだよな」

「そうだな」

「……寂しくなるな」

「ああ。なあ、雄介」

「ん?」

「タツの骨だがな、ほんの少しだけあるんだ」

「え?」

「ヨウジがいくつか落として行きやがった。うちの寺に無縁仏として納骨したんだ。もしそのうち気が向いたら、拝んでやってくれねえか?」


 拒否されても仕方ないことを、僧侶として、そして友人として願い出た。

 死んで罪滅ぼしが出来るわけではない。自ら命を絶つことは罪にも等しい。それでも、自死を選んだタツが不憫だった。

 雄介はしばらくコウを眺めたあと、苦笑いしながら洟をすすった。


「誰が拝んでやるかよ。俺、絶対タツのこと許さねえから。あんだけやらかして、勝手に死にやがって。ホントふざけんなだろ、一生恨んでやるから」

「そうか……そうだな」

「だろ? 絶対、許さねえから……」


 言葉が震え、雄介はそれを隠すように俯いた。拳を固く握り、嗚咽を堪える肩が震えている。目頭が熱くなるのをごまかしながら、コウは雄介の頭を二つ、あやすように撫でた。


 玄関を出てもう一度、何もなくなった部屋を眺めた。


「さよなら……」


 雄介が、ほとんど唇を動かしただけの、吐息のような別れを告げる。コウは心の中で拝みながら、少し軋むドアをゆっくり閉めた。

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