第36話 世界の終わり 1

 雄介から帰郷の知らせを受けた三日後、コウとダグラスは彼の家へ向かっていた。

 今まで移動に活躍していたハイエースはまるで役目を終えたかのように、東京から戻る最中に壊れてしまった。したがって、今日は寺の檀家回りに使っている黒い軽自動車に乗ってきた。

 幹線道路の流れが悪いうえ、前に走るトラックの荷台から木材が飛び出していて、距離感が掴みにくく走りにくい。さらに何度も信号に引っ掛かり、コウがイライラしながら木材の先に結ばれた赤布を睨んでいると、フロントガラスに水滴が落ちてきた。


「雨……降ってきたね」


 ダグラスが助手席の窓から空を見上げた。天候と同じように表情も冴えない。

 また赤信号に引っ掛かった。

 車内に満ちた重い雰囲気とは裏腹に、カーステレオから激しいビートが流れ出した。

 爆音の塊に乗って世界の終わりを叫ぶ声が、心をチクチクと攻撃してくる。ミシェルガン・エレファントの別なアルバムを選べば良かったと悔やみながら、コウは音量を絞った。


「ねえコウさん」

「ん?」

「僕、手土産にプリン作ったんだけど、雄介食べると思う?」

「普段なら喜ぶだろ。あいつ甘いもん好きだから」

「今なら?」

「……さあな」

「だよね……」


 ため息とともに、ダグラスは後部席に積んだ花柄の紙袋と雄介の荷物を見やった。

 雄介に会うのはあの夜以来だ。

 あれから色々なことがありすぎて、たった三週間ほどの期間が数年にも思える。それほど自分たちを取り巻く世界は変わってしまった。

 バンドを失うことは、コウもダグラスも初めてではない。それは時に自主的であったり、他のやむを得ない事情だったりと様々だが、今回はどれとも違った状況だった。身を裂かれるような苦境へ追い込まれ、希望も気力も根こそぎ奪われた。


「コウさん」

「ん?」

「僕、何かまだ信じられなくてさ」


 ダグラスは窓へ顔を向けたまま、膝の上で両手の指を組んだ。


「雄介に何て言おう、とか、これからどうしよう、とか……全然わかんないよ」

「……俺もだ」

「だよね……」

「ただ、いずれは話さなきゃならないことだ。話して、乗り越えて行かなきゃならないのは皆同じだろ」

「うん、そうだね……乗り越えなきゃね……それに一番大変なのは雄介だよね」


 組んだ手をぐっと握りしめ、自分に言い聞かせるように呟く。コウも頷きながら、少し充血した目でまっすぐ前を睨んだ。


 車は札幌新道から南方面へ向かい、ビル街をしばらく走ったのち、昼下がりの繁華街へ入った。平日のこの時間は道も空いている。碁盤の目の区画を通り、複雑な一方通行を避け、少し遠回りしてコインパーキングに停めた。


「あいつん家、南五条だよな」

「そう。あ、肉まん屋さんある。食べたいな」

「開正楼か。あそこの牛まん美味いんだ。帰りに寄るか」

「うん、イイね」


 他愛ない言葉を交わしながら、二人は荷物と楽器を手分けして持ち、ネオンの消えた繁華街を歩いた。

 雄介の自宅があるビルはすぐに見つけられた。暗い階段を上って目的のドアへ到着すると、コウはちらりとダグラスを見てからチャイムを押した。するとドアの向こうから恭二が顔を出した。


「あ、えっと、何か面白い取り合わせだけど、雄介のバンドの人たち、だよね?」


 あらかじめ来客があるのは聞いていたようだが、僧侶と一見外国人という組み合わせに少し驚いたようだ。コウとダグラスが名乗ると、恭二は頷いて中へ誘った。


「狭くてごめんねえ」

「いえ……深澤さん、このたびは申し訳ありませんでした」

「ん?」

「俺がもっとしっかりしてたら良かったんです。申し訳ありません」


 コウは深々と頭を下げた。続けて、背後に立ったダグラスも頭を下げる。恭二は二人を眺めたあと、ふと真顔になった。


「……ありがとうございます。頭上げて下さい、そのお気持ちだけで充分です。憎むべきは犯人ですから」

「……すみません」


 犯人を憎むのは親として当たり前だ。同じように、二人にも憎んだ時期がある。しかし犯人は、今まで共に音楽を創ってきた仲間でもあった。

 もう戻らない日々が脳裏を駆け巡り、複雑な思いが溢れそうになる。それをどうにか押し込めながら、コウとダグラスは頭を上げた。


「雄介、部屋にいます。掃除とかしてないけど、目瞑って下さいね」


 恭二は笑顔を浮かべたあと、雄介の部屋のドアをノックした。中で気配が動き、やがてドアがゆっくり開いた。


「……いらっしゃい」

「おう、久しぶりだな」

「ああ……どうぞ、狭いけど」


 招きに従って部屋へ入ると、CDや雑誌を整理していたようで、本棚の横に段ボールが幾つか積んである。二人は楽器と荷物を下ろし、段ボールの脇に置いた。


「あ、ありがとう。預かっててくれて」

「いや。つうかカバン開けてねえから、洗濯もん腐ってるかもな」

「マジか。開けんの怖えな」

「シャツとか、緑の水玉模様になってたら諦めろ」

「うわそれキッツー」


 雄介は苦笑しながら、カバンだけ段ボールの上へ置いた。

 普段通りを装っているが、顔色があまり良くない。ちゃんと寝食出来ているのか心配しつつ、コウは雄介が開けてくれたスペースへ胡座をかいた。


「あ、雄介。プリン作ったんだけど、良かったら食べて」


 ちゃっかりベッドの端をゲットしたダグラスが、雄介へ紙袋を渡した。


「マジか。サンキュ、美味そうだな。あとで妹帰ってきたら一緒に食うわ」

「うん。て言うか、妹いるんだ。幾つ?」

「もうすぐ十五」

「へえー! イイね妹。きっとキュートなんだろうな」

「キュートよかキャラクターって感じだな。キャラ濃いから」

「そうなんだ。面白そうだね」

「まあ、ある意味そうだな」


 ダグラスとやり取りしながら、雄介が少し笑った。緊張しているのか、笑顔が硬いように見えた。


「体どうよ、雄介?」

「ん……大丈夫」

「飯食えてるか?」

「ああ」

「眠れてるか?」

「ああ、たぶん」


 雄介は少し迷うように目を泳がせた。


「まだ、病院つうか、カウンセリング通ってるんだ。たまにだけど」

「そうか」


 それは眠るための薬を処方されているという意味なのだと、コウは理解した。

 話すのはまだ早いだろうか。腫れ物に触るようにはしたくないし、バンドに関する件は雄介も既に察しているはずだ。けじめをつけるためには、自然消滅よりも最後の意思確認をしたほうがお互いに良い。

 ただ現在、恐らくもっとも重要で、もっとも聞かせたくない件をどうすべきか――コウが黙りこんだのに堪えかねてか、雄介がふっと息を吐いた。


「今日は、バンドの話もしに来たんだよな」

「まあな」

「ぶっちゃけ、解散?」


 さらりと結末を訊いた雄介へ、コウが薄く笑った。


「さすがに、他のメンバー入れて続けるのは難しいだろ」

「そうだね……他人が加わった時点で、サイレントルームの音じゃなくなるしね」


 ダグラスも諦めた顔で頷いた。


「だよな……じゃあ、解散、てことで」

「おいおい雄介、それはリーダーの俺がエラソーに宣言するもんだろ?」

「マジかよ、つうかそんなん知らねえよ、早いもん勝ちだって」


 自然に笑いが湧き、それぞれ身構えていたのが和んで行く。それと同時に何とも言えない寂しさがこみ上げて来るのを全員で感じた。

 今、サイレントルームは終わった。すべての情熱を傾けて走ってきた結末は、あまりに呆気なく訪れた。


「いつも思うけど、呆気ないよね、バンドがなくなるのって。でもすごい楽しかったよ、サイレントルーム。クラックの頃よりずーっとワクワクした」


 ダグラスが笑顔で告げると、コウも頷いた。


「毎回毎回、ライブのたびにアレンジ変わるし、どんどん新曲出来て覚えなきゃなんねえし。マジ大変だったけどすげえ楽しかったな」

「だよね! ねえ雄介、初めてスタジオ432で顔合わせしたとき覚えてる? すごいキンチョーしてたよね」

「そりゃするだろ、俺あん時まだ中坊だぜ? 皆オトナだしキャリアすげえし、正直やってける気がまったくしなかったわ」

「そのわりに生意気だったよな」

「うんうん、歌もギターもすごく上手くなったけど、そこは変わんないよね」

「うっせーよ、つうか最初に言いたいことはガンガン言えって決めたの、コウさんだからな」

「あっ、俺か。その節は失敗したなあ。もっとリーダーを敬え、にすりゃあ良かった」

「それちょっと無理」

「だまれこのクソガキ」


 ふざけた雄介へ、コウがわざとしかめ面をして見せる。ダグラスは相当ウケたようで、手を叩いて大笑いし、つられてコウも雄介も声を上げて笑った。そうしてしばらく和やかにしていたが、そのうちに雄介がため息を吐いた。


「ごめん……二人とも」

「ん?」

「こんなことになって。俺、あん時、コウさんの言うこと聞いとけば良かった……」


 膝の上で握りしめられた拳が震えている。雄介の無念さが痛いほど伝わって来た。


「ううん。悪いのは雄介じゃないよ、僕だって全然考えてなかった。僕、呑気にご飯食べてたんだ。ごめんね雄介、一緒に行けば良かったよ。そうしたら少なくとも、雄介がケガしないで済んだんだ」


 ダグラスが泣きそうな顔で雄介を見つめている。雄介は頭を振って否定したあと、両手で顔を隠すように覆った。


「何を言っても遅いがな、雄介、本当にすまない。俺が甘かった」


 ありきたりの謝罪しか出てこない自分を腹の中で罵りながら、コウも雄介を見つめた。

 雄介はしばらく顔を覆っていたが、一つ鼻をすすってから涙を拭い、顔を上げた。


「……二人は悪くねえ。仕方ねえよ、誰も、俺だって、想像出来なかったんだから……そう、だろ?」


 言葉が揺れ、雄介が必死に堪えているのが判る。

 起こってしまったことは取り返しがつかない。なら、少しでも力になりたい。

 コウは雄介をぐっと睨みつけた。


「雄介、溜め込むな。傷は自分で治すしかねえが、話だけなら俺らも聞ける。眠れねえほど辛いなら吐き出せよ」

「でも……」


 言い淀む雄介の隣で、ダグラスは何かを決心したように、大きく深呼吸した。


「……あの夜ね、雄介を見つけたとき、僕ぶっちゃけ、もう死んでるんじゃないかって思った。そのくらい真っ青で、冷たくて、ぐったりしてた。コウさんがタツやんを引き剥がして、ボコボコに殴ってたよ。タツやんは雄介の名前を呼びながら、ずっと泣いてたんだ」

「……聞きたく、ねえ」


 雄介がまた顔を手で覆った。肩が細かく震え出し、何かから逃れるように身を縮めている。ダグラスは迷うようにコウを見やった。応えるように、今度はコウが口を開いた。


「……雄介、俺らは、お前が生きててくれて、本当に嬉しかったんだ」

「……」

「救急車が来るまで、ダグがお前を毛布でくるんで、ひたすらさすったんだ。そしたらお前、うっすら目を開けた。すぐに気ィ失っちまったけど、俺、正直泣いたわ。お前が生きてたって嬉しさと、自分がどんだけ甘かったのかって後悔とで……こんなんじゃ、坊主もリーダーも失格だよな」


 話しながら、コウも泣きたくなった。ダグラスは既に涙を溢し、部屋にあるティッシュで鼻をかんでいる。やがてティッシュはコウへ渡り、雄介のそばへ置かれた。


「後悔したってしきれねえよな、俺も、ダグも、そして多分、アイツも……」


 もう、コウは言葉が見つからなかった。

 実は一昨日の真夜中、タツは拘置所で自殺を企てた。そして今も生死の境を彷徨っている。

 この事実を、こんな状態の雄介にはとても言えない。ダグラスも同じ思いなのか、その件には触れなかった。


「……うっ、う、ううっ」


 背を丸め、雄介は苦しそうに泣き出した。ダグラスがティッシュを二枚取って差し出すと、雄介はおずおずと受け取って顔に当てた。洟をすすり、深いため息を吐く。もう一度大きく息を吸い、自分を落ち着かせるように長く息を吐いた。


「……もうすぐひと月経つのに、いまだに思い出すと、怖いんだ……」


 声が震えていた。


「アイツ、途中から蛇男になって……笑ったり泣いたりして、ワケ判んなくて、気持ちも体もぐちゃぐちゃになって、それでも終わらなくて……このまま俺、死ぬんだって思った。いや、死んでもいいって思ったのかもしれない、もしかしたら、死にたかったのかも……よく、判らないんだ、ぶっ殺してやりたいくらい、すげえムカついてるはずなのに、全部忘れたいのに……時々、楽しかったこととか思い出したりするんだ……何でだろ、何で……」


 嗚咽とともに紡がれた言葉はところどころ不明瞭で、意味が掴めない部分もある。それでも雄介が必死に話すのを、二人はただ頷きながら聞いていた。


「アイツのせいで、何もかもダメになったのに……二度と面も見たくねえはずなのに、今度会ったらボコってやるとか……土下座させてやるとか……考えるんだ……会いたくもねえのに、何で、なんで……」

「雄介……」


 ダグラスが労るように、雄介の背へ手を伸ばした。指の長い大きなてのひらが触れた瞬間、雄介は緊張したように震え、身を固くした。


「雄介、良いんだよ。自分に素直で良いんだ。今はジョーシキとか、誰かの決めたボーダーに従わなくても良いんだ。辛かったね……頑張ったね、ホントに」

「ごめん、ホント、ごめん……二人とも、ごめん」


 ダグラスに背をさすられ、雄介は一層泣き出した。

 せめて流した涙の分だけ、心の傷が塞がってくれることを祈るしかない。二人は千切れるような痛みを覚えながら、ただ雄介を見つめていた。


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