第30話 POSITION
一月二十日の練習は、すすきの近くにある貸スタジオ「STUDIO432」で行った。
ここは車を持たないタツと雄介の都合を考え、冬期の深夜に利用している。機材は古いがコンディションが良く、無料駐車場もあるので重宝していた。
「つうかよ、なんであのバカ来ねえかな」
ギターを背負ったまま、雄介は携帯の時刻表示をにらんだ。
昨日も電話して「練習は十時から」と念を押したのに、十一時を回ってもタツは現れない。このまま休むのだろうか。
「あームカつく。ほんっとだらしねえっつうの!」
「まあ、良いじゃん。タツやん自由人だから、本番にちゃんと来ればノープロブレムね」
タツの遅刻は珍しいことではないからか、ダグラスは気にする風もない。コウも彼の意見に頷いた。
「あのギターはナマモノだからな。ぶっちゃけ、俺ら三人がちゃんと出来てりゃどうとでもなるし」
「いやでもよ、俺、昨日も言ったんだぜ? なのに……」
「え、雄介、タツやんいないと寂しいの?」
「違っ、むしろ腹立たしいんだっつーの」
「どうして?」
「つうか、ギターいなかったら歌いにくいんだって。どこでアイツが勝手にやりだすか判んねえし」
「ふーん。苦労するね、雄介も」
ダグラスはクスクス笑い、座っていたパイプ椅子から立ち上がった。そしてベースを背負い直し、右の親指で遊ぶように弦を弾く。つられるように、コウも適当なリズムを叩き出した。
この二人は少し寛大すぎると、雄介はいつも思う。
確かに、本番でちゃんと演奏出来れば問題ないことは理解出来る。土台であるリズム隊とサイドギターがしっかりしていれば、例えタツが途中でコード進行から逸脱したとしても、曲としての格好は保てるのだ。
ただ、それはリズム隊とタツの関係においてであって、タツと雄介ではまた変わってくる。あまりにも不確定なギターフレーズは、気を許せば歌を食ってしまうことがあるからだ。
しかめ面の雄介を見て、コウがやれやれといった様子でポケットに手を入れた。そして携帯を取り出し、電話をかけた。
「おう、俺だ。どうしたよ? 練習始まってんぞ」
コウが気楽な調子で話し出した。タツにかけてくれたのだ。
「うん……そうか。判った、つうか連絡入れろよ。雄介心配してんぞ」
「してねえ!」
「ハイハイ。じゃあな、早く治せよ」
涼しい顔で通話を終えると、コウは携帯を戻した。
「風邪引いたってよ。今日は来れねえってさ」
「えー、タツやんが風邪なんて珍しいね」
「最近のはバカでも引くんだろ。雄介、これで納得したか?」
「別に。つうか風邪なら風邪って連絡よこせっつうの」
「喋るのもおっくうって感じだったぞ。とにかくだるいらしいから、引き始めかもな」
それなら寝ているほうが早く治ると、コウは弁護するように付け加えた。
具合が悪いなら仕方ないが、なぜ連絡の一つも寄越さないのだろう。やはりルーズだとムッとしていると、ダグラスが提案した。
「タツやん来ないんだったら、ちょっと早めに上がんない? 明日、朝の仕込み当番で早いんだよね」
「そうだな。俺もそのほうがありがてえ。じゃあ、あと三曲回して上がろうぜ」
「え、三曲だけ?」
「おう。そこで多分十一時半くれえだから、そのあと十二時までは自主練ってことで。どうよ?」
コウが座り直し、雄介に同意を求める。雄介はしぶしぶ頷き、マイクの前に立った。
来月半ばにライブが一本、そして来月末にはUGAを皮切りに、本州への遠征が控えている。それらのセットリストを充分に合わせたいし、平行して新曲も煮詰めたい。やること、やりたいことがたくさんある。なのにコウとダグラスがやたら余裕綽々なのは、バンドマンのキャリアの差なのかもしれない。
三曲合わせたあと、二人はスタジオ代を置いて帰っていった。雄介は残り、広くなったスタジオで自主練習した。
ギターを弾きながら二曲ほど歌う。室内に響く自分の音が寂しい。ふと「ぼっち」という言葉が過った。
「なんか、つまんねー……」
肩に食い込み始めたギターを抱え、ため息とともにパイプ椅子へ座り込んだ。
田中の家が戸建のおかげで、タツの部屋よりも大きな音で練習出来るようになったが、やはりスタジオが一番楽しい。出力の大きなアンプやマイク用モニターは、ライブに近い感覚を体感出来る。
だからこそスタジオ練習は大切にしたいのに、今日のように中途半端だとフラストレーションが残る。
それをぶつけるように、立ち上がってマイクへ向いた。深く息を吸い、力一杯の雄叫びを上げる。声はマイクを通ってノイズを生み、鼓膜をびりびり震わせた。
◆
その後、二十四日にも同じスタジオで練習を行った。
タツは時間通り顔を見せたものの、調子が悪いと一時間ほどで上がり、残りの一時間は再び自主練習になった。
「つまんねー、練習……」
前回のごとく、最後までスタジオに残っていた雄介は、ギターをしまいながらこぼした。
コウとダグラスはタツを心配しながらも、あっさり自分達の生活へ戻って行った。余裕があるのだ。そしてきっと、練習不足をカバー出来るだけの自信もある。
余裕がないのは自分だけ、必死なのも自分だけ――そう思うと、言いようのない気持ちになってくる。十二時前にスタジオを出た雄介は、小雪の舞うなか、携帯を取り出した。
『いま、何してる?』
愛美へメッセージを飛ばした。
しばらく待ったが返信は来なかった。既に眠ったのかもしれない。諦めながら歩き続けるうち、小雪が吹雪に変わって来た。ジャンパーのフードをかぶり、衿元を閉める。頬までマフラーに埋め、背を丸めた。
寒い。とにかく寒い。
最短距離で帰るよう、すすきのの東側から、ネオン輝く界隈へ入った。このまま西へ抜けると、田中の家まであと少しだ。途中、五条の交差点が見え、ついそちらへ回った。
吹雪で濁る空の下、実家のあるくすんだビルを見上げる。自室の窓は相変わらず、向かいのビルに設置されたネオンに染まっていた。
妙に懐かしく、少し寂しい。
戻りたいとは思わないが、あそこで暮らしていたことが、遠い過去のように感じられた。
「さむ……」
自分で選んだ道だ。後悔するにはまだ早く、後戻りするには既に遅い。まだ何も成し得ず、行先はこの空のように見えない。それでも今は、選んだ道を進むしかない。
強い風雪に背を押され、雄介は歩き出した。
踏みしめる雪がか細く鳴く。気温が下がって来ている。おそらくマイナス十度近いだろう。まだまだ下がるだろうから、早く帰らねば凍ってしまいそうだ。
すすきのの西側まで来て、再び濁る空を見上げた。吹雪はいつか晴れる。それを示唆するように、束の間、雲の向こうに霞んだ三日月が見えた。
◆
タツから連絡が来たのは、それから更に三日後の、二十七日の昼間だった。
「ライブ行くぜ、明日Zeppにクロスフィア来んだろ」
タツは良い調子で、雄介が必ず頷くだろうという確信を持って告げて来た。
クロスフィアは欧米を中心に活動する日本のバンドで、ハードなスクリームとラウドサウンドに、カオスな映像とポップ寄りのキーボードをブレンドした斬新なバンドだ。三年前からいわゆる逆輸入の形で人気に火が着き、雄介とタツもいくつか音源を持っていた。
一度生で観たいと願いつつも、今回のZeppのチケットは五千円で、今の雄介にとって高額だった。
「あー、すげえ観たいけど、俺いま金ねえわ」
「だと思った。貧乏だもんな」
「テメエが言うかよ」
同類だろう、と息巻くと、タツは得意気に笑った。
「しゃあねえな、今回はオニーサンがおごってやんよ」
「マジか! つうかアンタ、そんな余裕あんのかよ?」
「ふふん、大人なめんなよ?」
何だか得意気である。
若干訝しく思ったが、練習で迷惑を被ったし、クロスフィアは果てしなく魅力的だ。
「……ヨロシクお願いシマース」
「おう。任せとけ」
タツの思い通りに頷いたことを悔しく思いつつも、待ち合わせ場所と時間を決めて通話を終えた。
「あー、スッゲ楽しみ!」
このところ沈みがちだった心が一気に盛り上がる。まずは明日の居酒屋のバイトをどうにかせねばならない。
交代できるバイト仲間を探すべく、雄介は携帯をタッブした。
◆
クロスフィアのライブは最高に刺激的だった。
サウンドとパフォーマンス、そして映像が一体となり、ホールの観客はクロスフィアの世界に引き込まれ、思うままに翻弄された。
その場にいた全員が手を挙げ、叫び、自然に渦へ巻き込まれてもみくちゃになる。一気に体温が上がるような、熱狂的なライブは久しぶりだ。
自分もいつか、あのステージに立ちたい――客電が点灯し、熱い余韻が霧のように残るホールで、雄介は憧れを握り締めた。
ライブ終了後、疲れた腹が減ったとゴネるタツに引っ張られ、最寄りの居酒屋へ入った。店は和風居酒屋でサラリーマンが多く、酔いの回る時間帯なのも手伝って賑やかだった。
案内されたカウンター席で、雄介がメニューの値段を見て悩むのをよそに、タツはさっさとスタッフを呼び、生ビール二つと串や揚げ物などを数品、メニューも見ずに頼んだ。
「おい、そんな頼んだって、マジ俺金ねえぞ」
「あー、気にすんなよ、全部俺のおごり」
「はあ? マジに?」
「おう」
やたらタツの羽振りが良い。そんなに給料を貰っているのだろうか。
何にせよ、気分良くおごってくれるなら拒む理由はない。雄介はありがたくいただくことにした。
ほどなく運ばれて来た小ジョッキを、互いにぶつけあってからあおる。汗をかいて渇いた体に、爽快な辛さと刺激がうまい。
「あー、すっげー良かった、クロスフィア。やっぱナマだよなあ」
「うん。ホントにすげかった。観られて良かった。タツさん、あざーっす!」
「おう、敬え」
「へへーっ」
雄介が拝むふりをすると、タツは偉そうに胸をはった。
思えば今日のように、何から何までタツが持つのは初めてだ。申し訳ないと思いつつも、ライブで運動したせいか、さっそく腹の虫が無遠慮に騒ぎ立てる。それに気づいたのか、タツは来る皿をすべて雄介へ寄せた。
「ほら」
「ん、サンキュ。つうかアンタは?」
「あー、焼鳥と酒ありゃいいや。つうか飲みてえし」
「腹減ったとか言ってたのに?」
「いやあ、ビールで落ち着いたわ。あ、オネーサーン、山田錦ちょーだーい!」
タツが二杯目の注文を入れた。一杯目のビールはほぼイッキ飲みである。毎度のごとくハイペースだ。ほどなくして五十代と思われる女性スタッフが酒を運んできた。もっきりとも呼ばれる、桝に入ったグラスになみなみと注がれているスタイルだ。
タツはこぼれるのもお構いなしに、グラスを持ち上げて飲んだ。
「くーっ、うめー! 飲む?」
「いやいい」
「えー、うまいのに」
「ビールでいい」
「ふーん。日本酒ダメかよ」
つれねえな、と言いながら、タツは桝の中の酒をグラスへ注いだ。
大人の仕草だ。普段意識していないが、こういうふとした瞬間に年齢差を感じる。ついじっと見るうち、タツの左手首に見覚えのない模様を見つけた。
「何だよソレ、もしかしてタトゥー?」
「ん? あ、コレか」
指摘に応え、タツが左袖を肘まで引き上げた。現れた腕には、巻きつくように彫られた蛇があった。肌に刺された墨は深い黒と朱で、今にも獲物を食わんと牙を剥いている。
「うわ、すげー……」
「サイドワインダー、だってよ」
「サイドワインダー?」
「ガラガラ蛇らしいぞ」
「らしいぞって、自分で選んだんじゃねえの?」
「んー、気づいたら、ここにいた」
「はあ? 何だよそれ」
「友達んとこで、ベロベロに酔っぱらってよ。俺が潰れてる間に、そいつがふざけて掘りやがった」
「ふざけてって、そんな……誰だよその友達?」
「たぶんお前の知らないヤツ?」
とんでもない友達だ。
肘から手首にかけての、かなり大きな絵だ。彫るにはそれなりの痛みを伴うと聞くから、気づかないわけがない。タツは曖昧に笑いながら、蛇の背にある鮮やかな幾何学模様を指でなぞり、袖を直した。
「やっとかさぶた取れたんだ。クッソ痒かったぜ」
「かさぶた、って、いつ彫ったのよ?」
「んー、いつだ?」
「俺に聞くなっ」
彫り痕の治りを考えれば、十日から二週間ほど前だろうか。そこで雄介はあることに思い当たった。
「まさかテメエ、これで具合悪かったのかよ!」
「へ? いや、ホントに風邪?」
「何でギモンだよ? つうか彫ったら熱出るんだろ?」
「お、良く知ってんな。エライエライ」
「バカ、もうバカタツ!」
タツのごまかし笑いが憎たらしい。雄介が箸を放り出し、なお文句を言おうとした時だった。
「イレズミ自慢かよ、バカじゃねえの?」
騒々しさの中から、嘲るような声が聞こえてきた。
はっとタツの顔を見ると、気づかないのか、うまそうに焼鳥をかじっている。雄介は少しほっとしながらも、ゆっくり周囲を見回した。
――いた。
通路を挟んで、タツの左斜め後ろに座った中年のスーツ男だ。
かなり酔っているようで、よれたワイシャツの衿を緩め、真っ赤な顔をしている。座った目でこちらを無遠慮に眺め、連れの同僚らしき二人に、甲高い声で話していた。
生理的に、シャクに触るタイプだ。
スーツ男は雄介が見ているのに気づいて、また声を上げた。
「あんな見えるとこに彫っちゃって、最近の若いのはナニ考えてんだかよお。あれはまともな仕事なんか就けないよねえ」
わざと聞こえるように、大声で笑う。
喧嘩を売るならタツ以外にしてくれ、とムカつく一方で、タツが彼らに気づかないことを心から祈った。こんなところで喧嘩になれば、面倒この上ない。
「あ、そういやさ。ライブの三曲めのオーフェン、すげえカッコいいアレンジだったよな」
なるべくタツの気を引きつけようと、次々話題を上げる。タツは笑顔で応えていたが、スーツ男が四度めの大笑いをしたとたん、グラスの残りを一気にあおり、跳ねる勢いで立ち上がった。
「うるせえぞ腐れリーマンが!」
叫びとともに、タツがスーツ男へダッシュした。まさかこのタイミングで来られると思っていなかったのか、スーツ男が青くなる。及び腰になった隙に、タツが男を捕らえた。
「テメ何チョーシ乗ってんだんだよ、アア?」
「はっ、放せこのチンピラっ」
胸ぐらを掴まれながら、スーツ男が必死に虚勢をはる。連れの同僚たちが割って入ろうと立ち上がり、店中の客が何事かと注目してくる。
「くっそ、まだ食ってる途中なのに……」
大急ぎで唐揚げをほおばると、雄介はタツの元へ走った。そしてタツの背にへばりつき、誰も殴れないよう羽交い締めした。
「クッソ放せコラァ!」
「やめっ、待てっ!」
「お客様、どうされましたか、お客様!」
「すいません、ちょっと酔ってて!」
何とかタツを抑えながら、駆けつけた男性スタッフに謝る。それに気づいたタツがまた叫んだ。
「アイツが悪りーのになんで謝る!」
「キレんな、頼むからキレんなって!」
「うっせー、つかコロすぞテメエ!」
「ひっ、やっ、やってみろよこの野郎っ」
タツに凄まれたスーツ男が情けなく叫び、すぐに警察を呼べと騒ぐ。雄介は必死にタツを引っ張り、何とか店の外へ出した。
せっかく楽しくやっていたのに、スーツ男さえいなければこんなことにはならなかった。そしてタツに聞き逃すだけの余裕があれば騒ぎは起こらなかったのだが、こうなったら引くしかない。警察を呼ばれれば、どうみても金髪刺青のほうが疑われるのだ。
「ふざけんな、クソ野郎!」
「もう怒んなって!」
急いで閉められた店の戸を、タツが蹴ろうとする。すんでのところで腕を引いて止め、かろうじて掴んで来た上着をタツの肩に掛けた。
ドタバタに乗じて支払いもしなかった。これで、この店には二度と入れない。
「あんな一般的デブに構うなよ、タツ。せっかく良いライブ観て来たんだからよ」
「……」
「機嫌直してくれよ、頼むから」
「……」
「なあ、タツ」
穏やかに呼ぶと、タツは掴まれた腕を振りほどき、背を向けて歩き出した。とりあえず収めてくれたようだ。
警察沙汰にならなくて良かった。そっと胸を撫で下ろし、雄介も後に続いた。
タツの足取りは裏路地を抜け、すすきのの中心へ進んで行く。六条まで行き、東へ向かえばタツの部屋方面だ。途中、通りすぎたビルに表示された時刻は十一時になろうとしていた。
もしかして大人しく帰るのかと思いきや、タツはもう一件行くと言い出した。
「いや、俺そろそろ帰るわ」
「は? それないっしょ雄介くん。酒足りねえよ。この腹立たしさはもうちょい飲まねえと、流せねえっつうの」
むくれた顔でタツが唸った。やはりまだ苛立っている。
「俺明日朝から単発のバイトあるし、アンタも仕事あるだろ? それにもう、モメんのイヤだし」
「はあ? べっつに俺悪くねえって」
「そうだけど、あんなバカとかイチイチ相手にすんなよ。来月ライブとか、ツアーもあるんだぜ?」
「……」
タツは死んだような目をして、雄介を見つめた。そしてクスクス笑い始めた。
「だよな。お前、そのために家まで出たんだもんな。そりゃあ必死な訳だ」
笑い声が次第に大きくなる。
なぜタツはここで笑うのか。雄介も苛立ってきた。
「必死で悪いかよ。つうかよ、テメエがモメ事起こす度に、こっちは迷惑かけられてんだよ。俺はただ、フツーにバンドやりてえんだ。つうか笑ってんじゃねえよ!」
笑い声を大声で消してやりたかった。しかし雑踏が振り向いただけで、タツにはまったく効果がない。
タツはしばらく笑っていたが、それも次第に収まり、一つため息を吐いた。
「そんなに迷惑ならメンバー替えりゃ良いだろ」
「はあ? 何言ってんだテメエ」
「そこそこ名前も売れて来たし、今のサイレントルームに入りたいギターなんて山ほどいるんじゃね?」
「はあ?」
「俺よか、もっと真面目で良いギター入れりゃ良いって言ってんだよ。そうすりゃ佐倉達みてえになれるかもな」
「タツ!」
ここへ来て、この男は何て酷い言葉を吐くのだろう。
何のために出所を待ったのか、何のために家を出たのか。その意味がタツにも伝わっていると思っていたのに、この体たらくだ。
一気に頭に血が上る。抑えきれずに、雄介はタツの胸ぐらを掴んだ。
「ふざけんな、このバカ野郎!」
怒りに拳を握り、振りかぶった矢先、ふとタツが微笑んだ。
「ああ、だよな……」
悲しみとも嬉しさとも取れる不思議な表情に、穏やかな呟きが添えられる。
どういう意味の肯定だろうか。雄介がたじろいだ瞬間、タツに拳を押さえられた。
「あっ、でも殴られんのは勘弁。痛えのやだし」
「なっ、くそっ、この、放せコラっ!」
「ハハハハハハ!」
タツがまたゲラゲラ笑い出した。さっきの表情は消え、今度は憎たらしい笑顔になっている。当然雄介はなお怒り、そのまま揉み合いになった。
「くっそテメエ、マジムカつく!」
「あー、やっぱやーめた! ポン酒も飲めねえガキ連れてたら、女も引っかけられねえっつうの」
「引っかけんなよ、ウチ帰れよ!」
「やーだー」
どこまでも言うことを聞かない。
取られた拳を振りほどこうともがく。そのうち足が滑り、バランスを崩した。
「うわ!」
「やべっ!」
二人で転倒しそうになり、とっさに突き飛ばされた。やられた、と思う間に、雄介は踏み固められた雪の上へ尻から派手に転がった。
「ってえ、クッソ……」
ぶつけた尻がとても痛い。ついでに背中も痛い。こんな転び方をしたのは久しぶりだ。
冷たい雪を掴みながらようやく起き上がると、すでにタツの姿は見えなくなっていた。
突き飛ばしたあげく逃げたのだ。
「マジかよ……信じらんねえ、あのクソ野郎……」
小学生並みのやり口、しかもかなり情けない状況だ。
雄介は呻きながら立ち上がった。そして尻と背中の雪をほろいながら、次にタツと会ったら必ず雪に埋めてやることを、固く心に誓った。
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