第27話 一月 1
一月三日、小雪舞う薄曇りの空の下、愛美と雄介は北海道神宮へ来ていた。
久しぶりの、そして今年初めてのデートが初詣で、何だか緊張する。並んで歩く雄介も心なしか、口数が少ないように思えた。
参拝客が多く、参道の入り口から奥の神宮へ着くまで長い列になっていた。進みは遅い。緩やかな上りの雪道が踏み固められ、滑りやすいアイスバーンに変化しているのも混み合う一因だ。滑り止め用の砂がまかれていても、それから踏み外せば足を滑らせてしまう。前を行く家族連れを横から追い越せず、二人はゆっくり歩いていた。
「っていうかさあー真冬日とかくっそ寒いよゆー、俺マフラー忘れて来ちゃったー最悪だから早くゲーセンとか楽器屋とか行こーよお」
背後からかけられた言葉に、雄介が一つ舌打ちする。それを汲み取ったような文句が、愛美の後ろから上がった。
「バカ、まだ拝んでないのに帰る気? 何のためにここまで地下鉄代かけて来たんだか判んないじゃん」
「えーじゃあさあーゆっきぃマフラー貸してよ」
「やだ寒い死ぬ。つうかおまいはビニール袋でも巻いとけよウザっ」
「ええええーカサカサするじゃんカサカサやだあー!」
田中がいつもの調子で騒ぐのをちらりと見遣ってから、雄介が口を尖らせた。
「……おい」
「うん?」
「何でコイツらまで誘ったんだよ?」
「あは……ふ、不可抗力?」
「はぁ? 何だそれ」
「うーんと、有希に初詣は? って聞かれて、雄介と行くって言ったら……」
「着いて来た?」
頷き返すと、雄介は不機嫌そうに眉を寄せた。
「ふーん……」
「ごめん」
「別に、怒るようなことじゃねえし。それににぎやかなのも嫌いじゃねえし」
仕方ねえな、と笑ってくれて、愛美も少しほっとした。
二人きりになりたいのは自分も同じだ。離れているぶん、会えた時には出来るだけ近づきたい。ほんの少し、手を繋ぐだけでもいいのだ。でも有希と田中の前で繋ぐのは恥ずかしかった。
彼も同じ思いのようで、小さなため息が聞こえた。
「あー、こんなんならバイト休めば良かった」
「何時から?」
「五時」
「そっか、あ、でも私も六時までには帰らなきゃなんない」
「あ、門限か」
「うん。そしてね、今夜やっと解禁なんだ」
「マジか!」
去年、無断外泊したペナルティがやっと終わる。とりわけ携帯電話が戻ってくるのが嬉しい。
「戻ってきたら一番にメッセするからね」
「おう! たぶんすぐ返信出来ねえけど、送って」
「うん」
「えー私にもメッセしてよ、愛美!」
「あっ俺も俺もーつうか去年の集合画像送るから今頃!」
後ろから有希と田中が割って入って来る。それに笑いながら、愛美は頷いた。
やがて露店の連なる参拝路を通り、やっと本殿の前の大路へたどり着いた。途中で大雑把に手を清め、参拝する。手袋を脱いで合わせた指先は、長い移動の間に冷たくなっていた。
目をつぶり、じっと願う。途中で腕を小突かれて目を開くと、隣の雄介が行くぞ、と示した。
「ナニそんな拝んでんだよ?」
「え? あー、うん。雄介と……」
「ん?」
「いや、やめとく。話したら叶わないかも知れないし」
「はぁ? つうか言いかけて止めるとかナイだろ」
「ふふふ。女子にはいろいろ秘密があるもんなんだよ、雄介くん」
「はあ? なんだよソレ」
困った笑顔で返されたので、苦し紛れにふふん、と胸を張って見せた。
雄介とずっと一緒にいたい――願いを口に出せば、ある意味逆プロポーズになってしまう。それはいくら何でも早すぎるし、何より恥ずかしい。
「あーおみくじ引こーよおみくじ!」
田中のはしゃいだ声に引っ張られ、皆で待ち列へ加わった。五分ほどで引けた百円のおみくじは「末吉」だった。
「あー俺すげー大吉だってー。ゆっきぃは?」
「私中吉。おーけっこう良いよ、思うように生きろだって」
「へえーあ、俺も似たよなこと書いてるぅー恋愛は困難あるがいつか叶わないでもないかも……ナニこれこの何となくな答えー?」
「ふーん。つうかおまいはどうでも良いわ。ね、愛美は?」
有希に訊かれて、愛美も自分のおみくじを読んだ。
「困難……早めに諦めよ」
「マジかっ!」
「ひっでー!」
有希と田中が腹を抱えて大笑いした。雄介までゲラゲラ笑っている。それを見ているうちにおかしくなって、愛美も一緒に笑った。
本当にひどいおみくじだ。
「そんなの当たんないってー俺なんか去年と一昨年おんなじの引いたもんー」
「うっわーさすがウザトっ」
「つうかそれスゲーわ、さすがウザト」
「へへーん! だから愛美っち気にしなくて良いよそんなの。ほら、結んで置いて帰っちゃえっ」
「そうだね、うん、そうするよ」
皆の温かなフォローが嬉しい。愛美はおみくじを出来るだけ細長く折り畳んだ。
おみくじを信じる訳ではないが、確かに雄介との恋は困難が多い。でも、彼とは気持ちが繋がっている。それさえあれば、きっとどんなことも乗り越えて行けるだろう。
「結んでやるよ」
雄介が手を伸ばしてくる。この手に託すなら、きっと悪い結果は当たらない。そう信じて、おみくじを差し出した。
「高いとこ結ぶと良いんだって」
「そうなんだ、知らなかった」
雄介は背伸びして、張り出した松の枝の高いところへおみくじを結んだ。
「ね、何か買う?」
有希が御守や破魔矢の並ぶ売場を指差した。そこも参拝客が群がり、何列も並んでいた。
「あー俺頼まれてんだよね親からーちょ待っててー買ってくるからぁ」
田中がそちらへ向かうのを見て、一瞬「縁結び」という言葉が愛美の頭を過った。
おみくじが悪かったから、せめてそれだけでも持ったほうが良いだろうか。
「雄介、どうする?」
迷いを問いに代えると、雄介はさらりと応えた。
「いや。俺ああいうの、あんま信じてねえから」
「じゃあ、縁結びとか買わない?」
「いい。つうかあれ、工場で大量生産してるアクセサリーみたいもんだろ。そんなんでご利益あんのかよ?」
「うっわーこのアホ」
話を聞いていた有希が、雄介をにらんだ。
「え、お前まさか信じてんの?」
「そうじゃなくてさあ、せっかく来たんだから、おそろのおみやげとかってならないワケ?」
「誰に?」
「あーもうこのハゲ。ぜんっぜん女心判ってないから! こんなバカほっといてもう行こ、愛美っ」
「え? あ……」
有希に腕を引かれ、呼び止める雄介を置いて本殿を出た。
参拝路へ戻ると、立ち並ぶ露店から美味しそうな匂いが流れてくる。あちこちに並ぶ客を避けながら、二人でゆっくり歩いた。
「ほんと雄介って判ってないよね。あんなカレシでホントに良いの?」
怒り半分、呆れ半分で有希が訊いてくる。きっと心配してくれてるのだろうと思いつつ、愛美は笑った。
「良いよ、私別に神道信仰してるわけじゃないし」
「ホントに良いの?」
「うん。それに確かに御守って、工場とかで作ってるし。買って持ってても別れるカップルもいるし」
「まあね」
有希は苦笑いしたあと、ふと小さなため息を吐いた。
「あのね、愛美。実は聞いてもらいたいことがあるんだ」
「うん、なに?」
「私の好きな人について」
「え、まさか田中くん?」
「いやあり得ないし」
「え、じゃあまさか」
「雄介でもないよ、安心して」
では一体誰なのだろう。他に自分の知らない誰かがいるのだろうか。
有希は露店の切れ間から参拝路を出て、薄く雪をかぶった松の木の下に愛美を誘った。
「あのね……ホントは一生言わないつもりだったの、でもさっき、おみくじ引いたじゃん」
「うん」
「あれ見て、やっぱり自分に正直で行きたいな、って思って」
「そうなんだ」
「うん……」
有希はちらりと愛美を見て、束の間目を伏せた。そして決心したように顔を上げ、再び愛美を見つめた。
「びっくりしないで聞いてくれる?」
「うん」
「私ね、愛美が好きだったの」
「……へ? え?」
一瞬理解できず、有希の顔をじっと見つめた。すると彼女は困ったように笑った。
「あ、やっぱびっくりしてる、よね」
「え、う、うん。ごめん、それ、全然予想してなかったから……」
「だよねえ、だから言わないでおこうと思ったんだ。でも、黙ってるのもちょっと苦しくてさ。このまま一生、こんな思い抱えて、愛美と友達でいるのかと思ったら、自信なくなっちゃったんだ。だから、思い切って言ってみた」
「……」
「ごめんね。気持ち悪いよね、こういうの」
「ううん、気持ち悪いとかはない。ただびっくりして……その、なんて言うか、今まで女子に言われたこと、なかったから……どうしたら良いのか」
思ったままをたどたどしく伝えると、有希がぷっ、とふき出した。
「だよねえ! だって見るからに愛美、恋愛経験少なそうだもん」
「あーそれ言う? いや間違ってないけどぉ」
「間違ってないんだ!」
声を上げて有希が笑う。真剣な内容の話をしていたはずなのに、こんなに明るく笑っている。でもそのほうが気楽だ。
真剣に告白されても、彼女の気持ちに応えることは出来ない。
ひとしきり笑ったあと、有希は小さく頷いた。
「あーウケる。やっぱ愛美、イイよね。で、さあ」
「なによー」
「もう怒んないのっ。一つ、お願いがあんの」
「ん?」
「この気持ちにケリつけたいんだ。これからずっと、愛美と友達でいたいから、私をちゃんとふって欲しいの」
「え……いい、の?」
「うん。サクッとやってよ」
有希は穏やかに微笑んだ。
それがどんなに彼女にとってつらいことか想像すると、正直腰が引ける。どんな言葉なら傷つけずに済むか考えたが、上手く見つからない。
有希を窺うと、微笑んだまま待っていた。
「……判った」
頷くしかない。
一つ深呼吸して、正面から彼女を見つめた。真剣に、思ったことを伝えるしかない。もしそれで有希を傷つけ、彼女が離れていったとしても、今、自分に出来るのはこれしかない。
「ごめんね有希。私……有希の気持ちには応えられない」
告げた瞬間、彼女は微笑んだまま頷いた。でもその瞳は徐々にうるみ始めた。
きっと傷ついている。けれどもう、中途半端には出来ない。
「私、有希と……女の子と恋愛は、出来ない」
「うん」
「でもこれは判って。有希は、大切な親友だよ。何があっても、どこにいても」
「うん」
「残酷だよね、ごめんね、こんな言い方して」
「ううん……ありがとう、ちゃんとふってくれて、ありがとう」
有希が、笑った。
目にたまった涙が、左の目尻から一粒だけ滑り落ちた。それはちょうど射した薄日に煌めいて、胸に刺さるほど美しい。つい胸を押さえた愛美の前で、それはすぐに拭い去られ、散っていった。
「あースッキリした! ホント、スッキリしたよ。これで、愛美への気持ちはおしまい。改めてよろしくね、親友!」
「うん、よろしく!」
差し出された右手に、しっかり握手した。伝わってくる力強さが、また新しい友情を結んでいくように、愛美には思えた。
「あーやっと見つけたあ! ひでーじゃん置いてくなんてひでーくっそ惚れるぅ」
田中がこちらへ急いでやって来た。すると有希は、いきなり茶色の頭を叩いた。
「痛てっ!」
「もーウザトのバカ、どんだけ時間かかってんのよっ」
「ええーだってたくさん並んでんだもんーつうか待っててって言ったじゃんー助けてゆー、ゆっきぃ怒ってるぅ!」
「うっさい。つうか、雄介!」
「は?」
田中に遅れてのんびりやってきた雄介へ、有希はズカズカ歩み寄った。そして彼の巻いている黒いマフラーをつかみ、ぐっと引っ張った。
「ぐえっ、な、何?」
「私、愛美にふられたから。だから、アンタももう少し頑張ってよ」
「へ?」
「私の大事な親友を泣かせたら、マジでブチ倒すよ。判った?」
有希が真剣な顔で、小声で伝えて来る。その様子から、自分たちがちょっと離れた隙に、彼女と愛美との間に何があったのか、瞬時に察した。
過去には自分のカノジョであり、今は親友といっても過言ではない間柄だ。性格も、行動も、お互いに大体は予想できる。
束の間、雄介は有希を見つめ、そして頷いた。
「判った」
「頼んだよ、あの子のこと」
言葉は少ない。しかし託された気持ちは重い。
有希は吹っ切れたような、晴れやかな笑みを浮かべて手を離した。そして田中へ近寄り、コートの袖を引いた。
「さ、言いたいことは全部言った。よしウザト、二人でカラオケ行くぞーっ」
「え、うん良いけど、何があったのどうしたのどうなったの?」
「んー、気にしなくって良し。じゃあ愛美、またね!」
「え……?」
驚いた顔で、愛美が手を伸ばす。有希はそれに大きなバイバイで応えた。
「帰るよ、あとは二人でごゆっくりー!」
「えーここで別れんのー? 一緒に歌い行こーよぉ」
「バカウザト、そんなだからおまいウザいんだよ、ちょっとは察しろってえの!」
「えー何を? ねえねえ何をーちょ待っ、待ってええぇっ」
名残惜しさ丸出しの田中を引きずり、有希はにこやかに去って行った。
気をきかせてくれたのだ。
「バカだなあいつら、マジに」
雄介が手を振りながら笑っている。それにならって、愛美も手を振った。
有希の気遣いが申し訳ない。でも、察して二人の時間をくれたのがありがたい。
「有希って、強いよね」
「ああ、そうだな」
「そんで、イイ女だよね」
「ああ」
「私が男だったら、彼女にしたいな」
「そうだな……はあっ?」
意表を突いた言葉だったのか、雄介が素っ頓狂な声を上げ、慌てて愛美を見つめた。
「何だそれ、どういう意味だよ?」
「何でもなーい。ニブイ男子には秘密ぅ」
「おい、ちょっと!」
伸びて来る雄介の手をかわし、賑わう参拝路を先に歩く。すぐに雄介が追いついて、左手を取られた。
「ニブくて悪かったな。つうか、俺そんなニブいか?」
「ふふふふ、そこらへんはノーコメント」
「うわ、何か腹立つなソレ」
口を尖らせながらも、取った左手を離さずに繋ぎ直して来る。せっかくだから、と愛美は手袋を外し、改めて手を繋いだ。
「あったかいね、雄介の手」
「実はポケットにカイロ入れてる」
「マジ? 意外に女子力高いね」
「イヤイヤ、そんなことなくってよオホホホ」
「わあ、ゆう子ちゃんだあ。今年はそのキャラで行くの?」
「行くわけねーだろ。つうか一緒にボケんなよ、何かツッコめ!」
少し照れたように、雄介はそっぽを向いた。
それから露店を少し冷やかし、地下鉄駅近くのファストフード店で休憩した。頼んだバーガーセットを食べながら話をしていると、あっという間に時間が過ぎ去った。
「あー、腹いっぱい。あ、そういやライブの話」
先に食べ終わった雄介が、まだポテトをかじっている愛美へ告げた。
「二月のケツに東京と、そのまんま三月頭に大阪回ってくる」
「マジ? また向こう決まったんだ!」
「ん。あと四月に地元二本、そんでゴールデンウィークはもしかしたら、道内回るかも」
「すごいね、ツアー続くね」
「まあな。忙しくなるかな……なるな、たぶん」
「そっか」
バンドが忙しくなるということは、その資金調達のためにバイトも増えるだろう。
愛美も、冬休みが終われば学校に時間を取られる。大学受験対策も、三月の修学旅行後は本気でやらなければならない。強制的に中断されてしまったピアノも再開したい。
この先どのくらい、会える時間を作れるだろうか。そしていつ、雄介は学校に帰ってくるのだろうか――ポテトを噛み砕きながら、一抹の不安が心を過った。
「ねえ、雄介」
「ん?」
「停学って、その後どうなったの?」
「……わかんねえ」
「え?」
つい訊き返すと、雄介は目を反らした。
「ウチ出てから親父と話してねえから……つうか俺多分、学校辞めるわ」
「え……辞める、の?」
「ん……いろいろ考えたけど、あそこに戻って頑張る意味が、今もうなくなっちまってさ」
「……」
「停学なってからの日数考えたら、戻れたとしても、たぶんダブるし。元々ダブったら退学するって親父と決めてたし、親父も俺を勘当しちまったから、今さら学校戻れなんて言わねえだろ」
「……そっか」
思わずため息が出た。
あの楽しかった日々は、もう帰って来ないのだ。そう思うと、何とも言えない寂しさと悲しさが沸いてくる。
雄介の言っていることは判る。判るが、簡単に納得するにはわだかまりが残ってしまう。
「ちょっと、寂しいなあ」
つい溢すと、雄介が済まなそうに眉を寄せた。
「……ごめんな」
「ううん」
「クラス、その後どうよ?」
「前より居心地良いよ。赤眼鏡、大人しくなったし、友達出来たし」
「マジか。誰?」
「やっちゃん、あ、安田さんに、青島と田浦、それから三島、山岸と……」
数々名前をあげると、雄介の顔が曇った。
「なに、野郎多くね?」
「ん? ああ、だってクラス、男子の方が多いじゃん」
「そうだけどよ……」
「え、もしかして何か嫉妬とかしてる?」
「そんなんじゃねーっつうの」
拗ねたようにそっぽを向いた雄介が、子供のようで少し可愛い。愛美がくすくす笑っていると、雄介は不機嫌な顔をしたまま訊いてきた。
「キノコ頭は?」
「まだ来てないよ。不登校中」
「ふーん、ま、アイツは一生来なくていい。もし来たら知らせろよ、俺必ずガッコ行くから」
「あ、あははは……わかった」
「絶対な」
雄介は念押しすると、憎々しげに舌打ちした。
愛美が階段で突き落とされた一件に、雄介はいまだ怒っていた。話をした当時などはキノコ頭の自宅を襲撃するとまで騒ぎ、田中と必死に止めたのだ。
キノコ頭は嫌いだが、雄介に殴られるのはさすがに可哀想だ。もし登校して来たとしても、雄介には黙っているつもりである。
「あー、やっぱガッコ行こうかな」
「マジ? じゃあ家に帰るの?」
「……それは、ごめん」
「だよね」
やっぱり、雄介はバンドは辞められない。
また少し悲しくなったが、雄介に悟られないよう、飲み物を飲んでごまかした。
「ガッコで一緒じゃなくても、俺ら、ちゃんと繋がってるから」
「雄介……」
「どこにいても、何をしてても。お前と一緒に作ったあの曲があるかぎり、俺は絶対にお前を忘れないし、きっとお前も俺を忘れない。だから、そんな顔すんなよ」
「……何か、歌詞になりそうだね」
「ん?」
「今の言葉」
「そうか?」
「うん。そしてちょっと、キザ」
「黙れ。あー、これでも頑張って、イイコトいったつもりなんだけど」
苦笑いとともに大きな手が伸びてきて、額を軽く弾かれた。優しい感触は、初めて過ごした夜と同じだ。そこからじんわりと温もりが広がり、つい泣きたくなる。
好きだから少し苦しくて、そして嬉しい。涙はそれぞれの感情の合間にあって、どれかが膨らむと溢れて来る。
今溢れそうなのは嬉しい涙――愛美は自分に言い聞かせ、雄介へ微笑んだ。
「そうだね。うん、大丈夫。ほら、他の学校に通ってるカップルとか、遠距離のヒトだっているしね」
「ん。それに、もうちょいしたら田中んとこ行くから。そしたらもっと、連絡取りやすくなるかも」
「え、引っ越すの?」
「んー、多分」
「まさかタツさんと、喧嘩した?」
恐る恐る訊くと、雄介はふき出した。
「喧嘩なんかしょっちゅうだし、そんな事じゃ仲悪くなんねえよ。つうかアイツ、俺がいると部屋に帰ってこねえから、さ」
「え、そうなの?」
「ん……多分、女連れてこれねえから、だと思う。やっぱさ、メンバーんとこに長くいると良くねえかなって、最近思って」
「ふうん……」
「友達どちょっと違うっつうか。プライベートで関わりすぎると、お互いいらないとこで気使うし」
「そっかー……じゃあ、今度は田中くんちか」
「ああ。アイツんち、共働きで親ほとんどいないから、いつでもいつまでもいていいって言ってたし」
「もし移ったら、毎日にぎやかそうだね」
「いいよ、黙らせるから」
雄介が拳を握ってニヤリと笑う。力業で黙らせるつもりらしい。それはそれでお互い大変なのではないかと思いつつ、愛美は曖昧に頷いた。
帰宅の時間になり、二人で地下鉄駅へ向かった。
ホームへ行くと、タイミング良く地下鉄が入ってくる。それに乗り、ドア横の空いた場所へ移動した。
車内に響く轟音に遮られ、会話がしづらい。お互い自然に黙り、窓の向こうに流れる味気ない景色を眺めた。
片耳ずつはめた雄介のイヤホンから、ブラッドサースティブッチャーズの「一月」が流れて来る。騒がしく穏やかで、優しく狂おしい。相反する何かが耳から沁みて、このまま遠くへ行きたくなる。つい繋いだ手を握ると、雄介も握り返して来た。
雄介は大通駅で降り、愛美はその五つ先の駅で降りる。ひた走る地下鉄は定刻通りだ。十分もしないうちに、大通駅到着まであと三分の表示が出た。
「あ、そういや、これ」
「ん?」
「開けてみ?」
雄介が白い小袋を差し出した。受け取ってみると、中には柔らかいものが入っていた。
袋は神宮のものだ。もしや、こっそり買ってくれたのだろうか。
「あー、ありがとう! でもどうして?」
「いや、お前欲しかったかなって。それにお揃いのもん、まだ何もねえし」
ボソボソ話す雄介へ頷きながら、愛美は縁結びの御守をまじまじと眺めた。
対になったそれは紫と朱の巾着型で、金の組紐が着いている。早速パッケージを開け、紫を雄介に渡した。
「ま、おまじないってことで」
「ふふふ、やっぱ信じてないね」
「まあな。でも、お前と一緒に持つなら特別かも」
「うん。ありがとう、大事にするよ」
見上げると、雄介は少し照れた笑顔で愛美の頭を撫でた。
嬉しかった。自分を気にしてくれた証だ。
プレゼントをたくさん買ってほしいと思ったことはないけれど、この縁結びは買って貰えてとても良かった。思い入れの生まれる贈り物は、消えない記憶と幸せをくれる。
「わ、どこに着けよう」
「カバンとか? 」
「落としそう」
「じゃ財布」
「引っかけて壊れそう」
「じゃあ携帯」
「見るたびニヤニヤしちゃうよ」
「えーとじゃあ、首から下げとけば?」
「いいね。じゃ雄介もそうして」
「判った。丈夫で長いヒモつけてパンツん中入れとくわ」
「うわあ、やだー!」
笑っているうちに、大通駅へ着いた。明るいホームは人で溢れ、地下鉄が停まるのを今かと待ち構えている。停車したのちドアが開き、雄介がホームへ降り立った。
「じゃあな。また」
「うん」
別れの抱擁の代わりに、視線を束の間絡める。そんな二人の間を、地下鉄のドアが無情に遮った。
地下鉄が発車する。手をふる雄介が遠く離れていく。愛美は御守を握り締め、泣きたいのを必死に抑えた。
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