第18話 SUPERSTUPID 3

 翌日、愛美は不安な気持ちで席に着いていた。

 昨夜何度かメッセージを送ったが、いまだ雄介から返信がない。早く会いたくて、いつもより少し早いバスで登校したのだが、彼はまだ来ていなかった。

 そのうちに予鈴がなり、SHRを経て一時間目が始まる。連絡が入っていないか、何度も携帯の画面を確認しながら迎えた二時間目の終了間際に、ようやく雄介が現れた。


「雄介、おはよ。大丈夫?」

「悪りい、実はちょっと色々あってよ」


 授業が終わってから問い掛けると、答えた彼の表情はひどく険しい。愛美はますます心配になり、彼の隣へ座って声をひそめた。


「何があったの?」

「昨日の夜、あのバカの事で呼ばれたんだ」


 雄介は憎々しげに眉を寄せ、大きな溜息を吐いた。

 昨夜、バイトを抜け慌てて帰宅した雄介は、まず恭二と揉めた。リビングで取っ組み合いをしていると、再び警察から連絡が入った。タツの事件に関する事情聴取の要請である。

 制服を着替える間もなく警察署へ出向いたが、待っていたのはまるで容疑者のような扱いだった。タツが留置場で暴れたのも、警察側の心象を悪くしていたようだ。担当の刑事は関係のない雄介を、同じバンドのメンバーだからと言うだけで強くなじった。


「アイツ、俺が殴り掛かるのを待ってるみたいだった。何とか我慢したけど、メンバーや他の連中まで悪く言いやかって」

「そう、だったんだ……」


 愛美は悔しげに拳を握る雄介を、切ない気持ちで見つめた。

 雄介はただ真剣に自分の夢を追い掛けているだけなのに、どうしてこんな迷惑を掛けられねばならないのか。もしギタリストがあの男でなかったら、こんな思いをしなくて良かったはずだ。

 離れるなら、早い方がいいのではないか。そんな思いが、つい溢れた。


「ねえ、雄介……タツさん、危険じゃない?」

「ああ?」

「こんなことになっちゃってさ……私、あの人が怖いよ」

「……」

「他のみんなは何て言ってるの?」

「……」

「もしも、もしもね、雄介。離れるなら、早い方が良くない?」


 雄介の拳が、ぴくりと動いた。


「ギターの上手い人って、一杯いるしさ。ライブもたくさん、入れてるんでしょ……」

「……セエ……」

「え?」

「ウルセエっ!」


 鋭い叫びとともに、雄介が机を思いっきり蹴飛ばした。途端に男子生徒が座っていた椅子に激突し、けたたましい音を発てる。男子生徒は驚いて飛び上がり、少し離れたところにいたクラスメイトが一斉にこちらを見た。


「お前に、アイツの、バンドの何が判る? 部外者のクセに、知った顔してゴチャゴチャ言うんじゃねえよ!」


 吠えると立ち上がり、自分の椅子を蹴り倒した。

 愛美はただ驚きと怖れに目を見開いたまま、拳を握りしめた雄介から目が離せなかった。

 怒っている。いや、自分が怒らせたのだ。彼の気持ちを考えず、自分の思いを押し付けてしまった。

 周囲のクラスメイトがざわめき、口々に何かを囁き出す。雄介は愛美を一瞬睨みつけたが、すぐにそっぽを向き、教室を出て行こうとした。そこへ担任である佐々木が、タイミング良く顔を覗かせた。


「深澤、来てたのか。ちょっと」


 教室の状態を確認もせず、すぐに廊下へ戻って行く。手招きされた雄介は舌打ちを残し、教室を出ていった。


「あ……」


 向けられた背が、強い拒絶を告げているようだ。すぐに謝らなければ、と思いながらも、足が震えて思うように動かない。よろめきながら立ち上がり、何とか教室を出て見ると、雄介は既に中央階段の近くだった。


「雄介!」


 叫んだ声は裏返り、廊下に出ている生徒達が何かと顔を向ける。しかし雄介は振り向かず、佐々木に続いて中央階段を降りて行った。


 その後、中休みを経て三時間目が終わっても、雄介は教室へ戻って来なかった。

 四時間目の授業は、視聴覚室への移動が必要だった。彼の逆鱗に触れてしまった事を後悔しつつ授業を終え、愛美が教室へ戻って来ると、彼の鞄は既になくなっていた。どうやら早退してしまったようだ。


「雄介……」


 昼休みを迎え、少しだけ雰囲気の和んだ教室で謝罪のメッセージを書いてみるが、なかなか上手く書けない。グラウンドでボールと戯れる生徒達を眺めながら、愛美は深い溜息を吐いた。


  ◆


 愛美が思い悩んでいた頃、雄介はバスに揺られながら、さっきの顛末を思い出していた。


 教室から佐々木に呼び出され、連れて行かれたのは生徒指導室だった。

 中で待っていたのは教頭と、生徒指導係である合田だ。そこへ佐々木と雄介が加わり、昨夜の事情聴取に関して詰問された。

 合田は常日頃から、生徒に対し権力や腕力をひけらかす傾向のある教師だった。柔道部顧問ということもあり、体育の、特に武道の時間ともなれば、生意気な男子生徒に技を掛け嫌がらせするような卑怯さも持っていた。そんな合田にとって、今の雄介は格好の餌のようなものである。案の定、タツと同罪ではないかと疑いを掛け、バンド活動やアルバイト、更に雄介が片親である事に問題があるのだと、延々とあげつらった。

 佐々木は雄介の味方であったが、一介の教師が合田を制御出来るはずもない。傍観する教頭の前で、間に割って入った佐々木を押し退けると、合田は凄みながら雄介の胸倉を掴み、ぐいぐい揺さぶった。


「お前みたいなバカがいるから、社会がダメになるんだ!」


 その瞬間だった。雄介が、合田を思いっきり突き飛ばした。

 元々短気なうえに、タツへの怒りを抱えたまま恭二ともめ、警察から屈辱的な聴取を受けた。そして今朝の、愛美との悶着――雄介の忍耐は限界だった。そこで合田になじられ、一気に腸が煮えくりかえった。

 結果、その場で教頭から無期停学の仮処分が下された。


 後から考えれば、特進に自分のような生徒が混じっているのも、学校側は疎ましかったのかも知れない。成績が良かったから今まで黙っていたが、問題が発生した途端、すぐ切り捨てに掛かったようにも思える。

 もしそれが真実なら震えが来るほど悔しいが、教師を突き飛ばしたと言う事実は何を理由にしても取り消せない。雄介は、今まで頑張って積み上げて来たものが全部崩れてしまったような無力感に捉われていた。


 とりあえず自宅近くまで戻って来たが、まっすぐ帰る気になれず、そのまま街中へ出た。

 昼下がりの街路をあてもなく、雑踏に紛れて歩く。行きつけの楽器店を通り過ぎ、その近くのゲームセンターを通りかかったあたりで、店内から五人ほどの高校生が笑いながら出て来た。

 連中はとある工業系男子高校の制服を着ており、見るからに不良っぽい。その中の一人と雄介の肩が、すれ違いざまに軽く当たった。


「痛ってえな、コノヤロ」

「……」

「何だテメエ? 謝れコラ」


 雄介より少し背の高い、茶髪のリーゼントがそう唸る。雄介が何も答えないまま俯いていると、連中はそっと目配せし合った。

 五人は雄介を囲むようにして、近場の人気ないガード下へ連れて行く。そこで彼を壁際に追い詰めた。


「なあ、殴られたくなかったら、カネ出せや」


 凄みを滲ませた笑顔で一歩つめ寄るが、雄介に反応はない。いらついたリーゼントがさらに近づき、彼の胸倉を掴んだ。


「聞こえてんのかよ? さっさと出せ……」

「……触んな」

「ああ?」

「汚ねえ手で触んなって、言ってんだよ!」


 叫んだ瞬間、雄介はリーゼントの鼻へ頭突きをかました。のけぞり崩れた後ろから、怒りに顔を歪めた連中が殴り掛かる。雄介は一人目を鞄で殴り倒し、二人目の腹めがけ、蹴りを入れた。

 くぐもった打撃音が幾度も響き、そのうちに連中が一人ずつ地べたへ沈む。振り向きざまに放った裏拳で、背後から迫った一人の顎を捉えて沈めたあと、雄介は鋭い叫びを上げながら最後の一人を殴り倒した。


「はあ、はあ、はあ……畜生っ!」


 最後に一声吠えると、雄介は放った鞄を拾い、苦しむ連中を残してガード下を出た。

 気付けば眼鏡はどこかへ吹っ飛び、拳と、一発食らった右頬が痛む。だがそれよりも、心のほうがはるかに痛かった。


 ◆


 バイトを無断欠勤し、雄介が家へ戻ったのは夜七時を過ぎていた。

 いつものように無言で部屋に入ろうとすると、リビングから恭二の声が掛かった。仕事で確実に不在である時間を狙ったのに、今夜は休んで待っていたようだ。


「おい、ドコ行ってやがった?」


 恭二はこっちへ来い、と顎で示す。雄介は仕方なく、リビングへ行った。


「……別に」

「喧嘩してきたのか?」

「……」


 恭二は息子の傷付いた顔を、ソファに座ったままじっと見つめた。

 いつもなら、喧嘩して帰って来た雄介を大仰に咎め、勝敗の結果をしつこく訊くのが恭二の迎え方だった。だが今夜は違う。相当怒っているのだ。

 キッチンに立つ佳澄は、エプロンの裾を掴んだまま、緊張した顔で事の成り行きを見守っている。恭二に促され、雄介は仕方なく向かい側へ座った。


「夕方、学校から連絡が来た」

「……」

「先生を殴ったんだってな」

「殴ってねえよ。ちょっと押したら、向こうが転んだんだって」

「本当か?」


 恭二がじっと見つめて来る。雄介はしばらく睨み返したあと、目を逸らした。


「合田先生、怪我したらしいぞ」

「あの筋肉バカがかよ。ざまあ見ろだな」

「何で、そんなことしたんだ」

「……」

「雄介、説明しろ」


 低い声と、鋭い目に催促される。説明するのも腹が立つが、言わねば判って貰えないだろう。雄介は一つ深呼吸して、恭二を見つめた。


「……我慢、出来なかった」

「何を?」

「あのクソ教師、最初っから俺を疑ってかかりやがった。お前も事件に関わってるとか、素行が悪いからだとか、挙句の果てに、良く知らねえクセに、ウチの事まで言いやがった。あいつら、俺の言うことなんて最初っから信じてねえんだ。だから――」

「殴ったのか?」

「殴ってねえ! 合田が先に胸ぐら掴んで来やがったんだって。これでも必死に我慢したんだぜ? でも」

「言い訳するな!」


 父親の鋭い一喝が、心に音を発てて刺さった。

 結局、恭二もそうなのだ。大人は誰も、自分の言うことをまともに聞いてくれないのだと思うと、乾いた笑いがこみ上げた。


「何、笑ってんだ」

「……テメエまで、俺のこと、信用してねえのかよ」

「そうじゃない。良いか、雄介」


 恭二はきつく眉を寄せると、低い声で諭した。


「どんなに腹に据えかねても、やっちゃいけないことがあるんだ。それをお前は、一時の感情に負けてやらかした。だがどうだ、それで何か解決出来たか? 出来ねえだろうが」


 まったく正論だ。しかし納得できない。

 そう言いたげに、雄介が歯噛みしながら恭二を睨み付ける。それを真正面から受け止めた恭二は、眉間に一層深い皺を寄せた。


「お前……バンド辞めろ」

「はあ? 俺は今までちゃんとやって来たぜ。成績も落とさなかったし、バンドで使う金も自分で稼いでる。アンタに言われた条件全部、ここまで守って来たはずだ」

「ああ、そうだ。だがな、今回は勝手が違う。警察沙汰になってるんだぞ」

「俺は、ソレとは関係ねえって」

「世間はそう見ないぞ。お前だってこの二日ほどで、それは身に沁みたはずだ。なあ、別に一生やるなって事じゃない。高校を卒業するまで、ほんの一年半だけ我慢しろって言ってるんだ」

「嫌だ」

「養われてるガキのクセに、親の言うことが聞けないのか」

「親? 別に血がつながってもいねえのに、父親面かよ」

「何だと?」

「お兄ちゃん! 言い過ぎだよっ」


 割って入った佳澄の声が震えている。これも、家で言ってはならないことだった。でももう、膨れ上がった何かが止められない。冷静に考えることなど出来なかった。


「俺は、バンドを辞める気はない。つうか、今辞められっかよ!」


 歯を剥く雄介に対し、恭二の額に血管が浮かぶ。テーブル越しにしばらく睨み合ったあと、恭二は遂に最後通牒を突きつけた。


「そうか。なら、出てけ。そこまでバンドやりたいんだったら、勝手にしろ」


 重く静かな言葉が、また心に刺さる。少しの間のあと、雄介は目を伏せた。


「……ああ、そうする」

「ちょっとお兄ちゃん、マジ?」


 佳澄が驚いて呼び止めるが、雄介は目も合わせず自室へ向かった。そして十分ほどしてから、大きなナイロンバックと楽器類を携え、私服で出て来た。


「七年間ちょっと、お世話になりました」


 投げやりな言葉を、黙って座る父親へ送る。恭二は眉一つ動かさず、じっと前を見ていた。


「お兄ちゃんっ、ちょっと待ってよ!」


 後ろから追って来た佳澄が兄妹喧嘩でそうするように、玄関で屈んだ雄介の脚を蹴る。いつもなら振り向いて悪態を吐くところだが、小さな笑いしか出なかった。

 こんな形で家を出ることになるなんて、考えもしなかった。だが、バンドは捨てられない。あれは自分の、そしてメンバーの、夢そのものなのだ。


「お兄ちゃん……?」

「ごめん、佳澄」

「え?」

「必要な物があったら、こっそり取りに来るけど……親父と、仲良くな」

「ちょ……何それ」

「じゃあな、元気で」

「……え、待ってよ……」


 立ち上がった雄介は荷物を持ち、振り向かないまま家を出た。


 過去に家出した時は、思いつく限りの悪口雑言を吐いて出て行った兄が、今日は静かな言葉を残して去って行く。これは単なる家出ではなく、俗に言う「勘当」なのだと佳澄が気付いた時には、ドアは小さな軋みを発てて閉じた後だった。

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