第16話 SUPERSTUPID 1

 楽しかった夏休みは駆け足で去り、再び灰色のような日常生活が戻って来た。それでも今朝の雄介は浮き浮きしていた。昨夜コウから朗報を受けたのだ。今年末に行われる国内有数の音楽イベント「ROCKARISE」へのオーディション推薦である。

 ROCKARISEは数年前から道内で開催されていて、およそ十組のメジャーバンドが参加し、二日に渡って行われる。その前座には現在活動しているインディーズバンドが四つ起用され、近年ではこれをきっかけにメジャーデビューするバンドも出て来た。

 インディーズバンド発掘の新しい登竜門として注目されつつあり、応募方法は一般公募ではなく、ライブハウスから主催者への推薦のみだ。今回はUGAの横田から声がかかった。こんなチャンスが訪れることなど、まったく予想していなかった雄介は、嬉しくてたまらなかった。

 とは言え、推薦されたから確実に出演出来るほど甘くはない。こうしてバンドを推薦しているライブハウスは他に幾つもあるし、それも全国規模だから、候補は優に五十を越える。あくまでも横田は橋渡しをしてくれるだけだと、コウは念を押した。


「まず先に音源審査。んで、十月末のライブ審査にパスした四組が出られる。ダグには確認とったが、お前も出す方向で良いよな?」

「勿論!」


 雄介は即答した。

 前回のツアーから良いことが続いている。この勢いで上って行ければ、将来的には本当にバンドで飯が食えるかもしれない。飛び上がりたい衝動を堪えながら、雄介はコウへ問い掛けた。


「詳しい日程とかは?」

「まだだ。それよか、まだタツに連絡ついてねえんだ。アイツ最近捕まらねえんだよな」

「じゃあ、俺からも連絡入れてみる」

「おう、俺に連絡よこせって、伝えといてくれ」

「ああ」


 了承し、通話を切った。そのままタツへ連絡したが、何度掛けても留守番電話のままで、一晩たった今になっても繋がらなかった。

 通学路を歩きながら、ちらりと左手首の時計を確認する。午前八時過ぎなら、おそらく職場にいるはずだ。携帯に出ないのなら最終手段である。躊躇なくタツの職場へ電話すると、応対に出た女性はすぐに取り次いでくれた。


「はい、水谷です」


 聞こえて来たタツの声は淡々としていて、いつもより低く掠れている。風邪でも引いたのか、それとも酒を飲み過ぎたのかと訝かしみながら、雄介は低く唸った。


「テメーこの野郎、何で電話出ねーんだよ」

「……は?」

「は、じゃねえよ!」

「ん? ああ、雄介か。何だ、深澤って誰かと思った。何か用か?」

「何か用かって、さんざん留守電に入れてんだろ。聞いてねえのかよ?」

「……ROCKALISEの件か。昨日の夜、横田さんに直で聞いた」

「え、何で横田さん? 会ってたのかよ」

「まあ、そう。ちょっと飲んでた」

「ふーん。じゃあ内容知ってんだろ。音源出すって事で、良いんだよな?」

「……ああ」

「何か歯切れ悪いな。スゲエ事じゃん、嬉しくねえの?」

「いや、そりゃ嬉しいさ。うん、じゃ、もう時間だから。またな」


 タツはそこであっさり通話を切った。

 嬉しいと言いつつも、感情がさっぱり伝わって来ない。雄介はそんなタツに違和感を覚えながら、学校へ向かった。


 いつものごとく活気のない教室に入ると、ある机の上に一輪の花が置かれていた。

 拾って来たような、薄汚れたジュースの缶に挿されているのは白菊で、まるで弔いのようだ。そして机には黒マジックでされたと思われる「しね、ウザイ」という大きな落書きがあった。

 机の横には、ショートボブの女子生徒が鞄を抱きしめたまま立っていた。顔は真っ青で、小刻みに震えている。相当、動揺しているようだ。

 いわゆるイジメであることは一目瞭然だったが、雄介は彼女と話したことがない。スル―しようとした矢先、愛美が教室に現れ、にこやかにこちらへやって来た。


「おはよー……ん?」


 愛美も気づいたらしく、机と花を見て、驚いたように目を大きくした。


「何コレ……安田さん?」


 立ちつくしている背に声をかけると、安田は弾かれたように教室を出て行った。


「あ、行っちゃったあ」


 くすりと笑ったのは、安田から離れたところに座る赤眼鏡だ。傍らにはキノコ頭もいて、意味深な顔をしている。それを見て、雄介はこの二人が犯人だと直感した。

 二人と安田の間に、どんな確執があるのかは知らない。だが、机上に菊があるのも嫌なものだ。雄介は大きなため息を吐くと、やおら花に手をかけた。そしてそのまま缶ごと、教室の隅にあるゴミ箱へ投げ入れた。


「バカバカしい、ショーガクセーじゃあるまいし」


 その言葉が聞こえたのか、赤眼鏡とキノコ頭が一瞬雄介を睨んだ。しかし、雄介と目が合うと、二人は慌てて目をそらした。


「雄介……」


 花を捨てるなんて、思い切った行動に出たものだ。心配そうな顔をする愛美へ、雄介は軽く眉を上げて見せた。そして素知らぬ顔をして、窓際にある自分の席へ着いた。目障りだから捨てた。それ以外の何物でもない。

 それにしても、こんなことは今までなかった。

 仲の良いクラスではないが、各々が良い意味で無関心であり、特定の誰かをいじめるような傾向はなかった。せいぜい例の二人が雄介の噂をしていたくらいで、それも長くは続かなかった。雄介が動じず、また例の二人もそれ以上、雄介に関わって来ようとしなかったからだ。しかし今回は、見るからに気の弱そうな安田をターゲットにしている、理由は判らないが、何とも意地が悪い。

 SHRのチャイムが鳴り、担任の佐々木が現れた。安田もそっと席へ戻って来たが、顔色は青いままだった。


「起立、礼」


 日直の生徒が覇気のない号令をかける。安田はまるで落書きを隠すように、抱えていた鞄を机の上へ置いた。佐々木に見られたくないようで、そっと鞄を持ち上げ、必死に消しゴムで擦っている。あれで文字をどれだけ消せるのか判らないが、出来るだけ目立たないよう身を縮めているのが痛々しかった。


  ◆


「何とか、出来ないかなあ」

「何を?」

「安田さんのこと」

「もしかしてお前、ずっと考えてたのか?」


 愛美の言葉に、雄介は少し驚いた。昼休み、例のごとく音楽室で昼食を摂っていたときだ。


「だってさあ、気になるじゃん」

「お前、安田と仲良かったっけ?」

「いやあ……話したこと、ない」


 愛美は少しバツが悪そうに答えた。

 それは雄介も同じだ。彼女はいつも一人静かに読書していて、クラスでは目立たない存在だった。そんな彼女のことを思いやるなんて、愛美は本当に優しくて良い子なのだろう。

 食べかけの弁当箱を持ったまま、愛美は小さなため息をついた。


「でもさあ、イジメみたいになってたじゃん。ああいうの、やだなって」

「じゃ、どうする? あいつらに止めろって言ってみるか?」

「うーん……雄介ならどうする?」

「とりあえず、関わらない」

「えー?」

「だって、安田に助けてくれって言われてねえし」

「それでいいのかなあ」

「じゃあお前は、俺が割って入れは解決すると思うか?」

「それは……うーん」


 愛美が答えられずに悶々とする一方で、雄介は自分のパンを食べ終わり、にやにやしながら愛美へ顔を近づけた。


「え、なに?」

「あーん」


 大きく口を開けて催促する。愛美は苦笑いしながら、自分の弁当箱から卵焼きを一切れつまみ、放り込んでくれた。

 冷えていても柔らかいそれを噛むと、ふんわりした幸せが口の中に広がって行く。今日も愛美の味だ。砂糖と塩だけのシンプルな卵焼きは、初めて食べた時から雄介の好物になっていた。


「ん、甘っ」

「え、マズい?」

「美味い」

「良かった。もう、食べたいならそう言ってよ」

「伝わるかと思って」


 愛美は頷きながら、少し照れたように笑った。

 まだ食べ続ける彼女へ椅子を寄せ、並べた肩をくっつけてみる。ご飯を頬張り、頬をふくらませている横顔が可愛らしくて、つついてみたり、肩に手をかけてみたりと、小さなちょっかいを掛けた。


「もう、止めてよぉ。食べられないって」


 咀嚼中の頬にキスしようとして、さすがに笑いながら拒否された。

 きっと彼女が今、自分の一番近くにいるのだと思う。一緒にいることが自然に思えるような相手は、バンドのメンバーや家族を除いては、彼女が初めてだ。

 何を飾る必要もない、ありのままの自分を、彼女は受け入れてくれている。そして彼女もきっと、飾らない素顔を見せてくれているだろう。

 弁当を食べ終わり、片付けを済ませるのを待って、手を繋いでみた、今度は彼女もしっかり握り返してきた。


「明日、ウチ寄る?」

「うん、行こうかな。お父さんとカスミンは?」

「佳澄、部活。親父は基本早出だから」

「そっか……」


 愛美の頬が少し赤くなっている。誘いの真意に気づいてくれた証拠だ。

 二人きりの貴重な時間を想像すると、自然にドキドキして来る。それを隠しながらキスを交わそうとした矢先、こちらへやって来る足音が聞こえた。


「あー見っけ! なーんだ、こんなとこにいたの?」


 慌てて離れた二人の背後で、ドアが開けられ、有希の声が響いた。


「教室覗いたらいないし、メッセージで呼んでも未読だし。もう、二人でなに密会してんの?」

「昼飯食ってた」

「へえ、良いな。私も混ぜてもらおっかな。つうか何でそんなにくっついてんのよ」

「寒いから」

「は? どこが。アホじゃね?」


 半袖姿の雄介を軽く睨みながら、有希は愛美の隣に座り、彼女の腕を軽く引っぱった。


「ほら、離れて。近くに寄ると雄介のアホがうつるよ」

「あははは、有希、お昼は?」

「食べた。ちょ、愛美さあ、明日ヒマ? 服見に行きたいんだけど」

「あー、ゴメン。明日ピアノだ」


 愛美がとっさに断ると、有希は残念そうに眉を寄せた。


「えー? またピアノなんだ。レッスン増やしてんの?」

「うん、ちょっとね」

「ふうん、ヤる気なんだ。もしかして、コンクールか何か?」

「え? あ、うん。ちょっと真面目にやろうかなって」

「そっか。じゃ、しょうがないな。週末アフロのライブだから、新しい服欲しかったんだけど」

「ごめん。また今度、付き合うね」


 愛美が申し訳なさそうに手を合わせている傍らで、雄介は素知らぬ顔をしてお茶を飲んだ。

 有希には悪いが正直、邪魔が入った気分だ。心の中で舌打ちしていると、愛美がお茶に手を伸ばした。


「なによ、また回し飲みしてんの?」

「え、ああ。買いに行くの面倒くさくって、雄介の貰っちゃった」

「ふうん……」


 有希は愛美と雄介を交互に見たあと、妙に明るい調子で問い掛けて来た。


「つうかあんた達、夏休みになんかあった?」

「えっ な、何で?」

「だって、いつの間にか名前呼んでるし。なーんか、付き合ってるみたいフンイキ?」


 茶化すような言葉に、何故か愛美が黙り込み、そっと横目で窺って来る。その意味が掴めないまま、雄介は頷いた。


「そう。実は俺ら、付き合ってんだ」

「は? マジに?」

「マジ」

「ちょ、雄介……」


 愛美の言葉をスルーし、もう一度頷いてみせる。有希は知らなかったようで、軽くのけぞった。


「えー、いつから?」 

「夏休み、ツアー終わったあたりから」

「マジ? 全然聞いてないんだけど。何で言ってくんないのよ」

「……ごめん」


 愛美が溢した謝罪に、有希が眉を寄せた。


「何で謝んの? つうか、もしかして……隠してたの?」

「それは……」

「ふーん、隠してたんだ……やだ、めっちゃウケるわ」


 言葉とは裏腹に、有希は笑顔の消えた、複雑な表情で愛美を見つめている。その一方で、愛美は顔を伏せ、黙り込んでしまった。


「あーあ、ホント男のシュミ悪いよ、愛美。よりによってコイツかよー?」

「悪かったなシュミ悪くて。つうかお前、なんで怒ってんだよ?」

「別に怒ってないよ」

「怒ってんだろ」

「怒ってないってバカ! つうか、こういうのって相談とか、前フリとかあるじゃんフツーは!」


 有希が声を荒げたのを見て、愛美はますます小さくなった。


「ごめん、言おうと思ってたんだけど……」

「思ってた? それって結果的に隠してたってことじゃん」

「……ごめんね」

「もう良いよ、女なんて、彼氏出来たらソッチが一番だしね。あーあ、愛美は一番の仲良しだと思ってたのになあー。ホンット、残念」


 有希はクスリと笑い、席を立った。


「有希、待って……」

「用事思い出した、じゃあね」


 目もあわさず、事務的な言葉を置いて教室を出て行く。引き止めようと挙げられた愛美の手は、閉められたドアに拒絶された。


「……どうしよう……有希、すごく怒っちゃってる……」

「言ってなかったんだ、あいつに、俺達のこと」

「うん……言おうと思ってたんだけど、言えなくて。有希、ほら、元カノだしさ……」


 愛美は俯いて、小さく洟をすすった。

 女同士の付き合いには、色々な気遣いが必要なのだろうか。それとも、愛美は有希の本心を察していたのだろうか。答えの出ない疑問を抱きながら、雄介は愛美の頭を優しく抱いた。


「何か、ごめん。俺があいつに言ったら、良かったのかも」

「ううん、私が悪いんだ……そうだよね、知らないうちに親友と元カレが付き合ってたら、嫌な気分になるよね」

「俺は、田中と有希が付き合っても、全然気にならない」

「……それ、ありえないよ多分」

「だよな、俺もそう思う」


 腕の中から、涙に濡れた笑いが返って来た。


「俺、あとで有希と話しとくわ」

「ううん、私が話すよ。だって、親友だもん」

「そっか……」


 愛美がそう言うなら、任せた方が良いのかもしれない。そして有希にとっても、その方がきっと良いはずだ。


「大丈夫、わかってくれるよ、だって、有希だもん」


 自分に言い聞かせるように、愛美が呟く。雄介は切ない気持ちを隠して、そっと愛美の頭を撫でた。



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