第24話 Escape 2

 車線が減り、中央分離帯を挟んで片側二車線となる。夜空を見上げれば白く照らされた鉄骨と、ワイヤーに飾られた青いLEDがきらきら輝いていた。

 美海大橋である。。

 十年ほど前に作られた吊橋で、長さは千五百メートルを超え、この地域で最も大きい河川である海神川河口付近に掛かっている。夜間にはライトアップされ、若者の代表的デートスポットとしても有名だ。

 この橋の向こう側、つまり市の西側には官公庁を始め、もう一つのオフィス街や主要公共施設、住宅街が広がっている。そしてここを超えれば、すぐ右側に中央署があった。


 対向車線を、サイレンを鳴らしたパトカーや事故処理車、覆面がすれ違う。それを横目で見ながら、タイガが首を傾げた。


「俺らノーヘルなのに、シカトかよ!」

「今、それどころじゃねえだろ……いや、来るぞ!」


 目を凝らせば、一旦橋を渡りきったパトカーの回転灯が幾つか、遥か遠くでUターンするのが見える。ここまで来て身内に捕まるのも何だと、タイガがスロットルを開けた途端。橋の向こうからやって来るヘッドライトが二対見えた。


「まさか、逆走?」


 タイガは一旦バイクを停めると、慎吾へ問い掛けた。


「待ち伏せされてたな……そろそろ真打ち登場ってとこか」

「ふん、ゲームのラスボスかよ」


 憎々しくもらした慎吾へ、タイガは不敵に微笑んだ。


「さて、どうするよ?」

「そうだな、とりあえずソッコー潰してゴールしようぜ」


 慎吾はにっこり笑うと、背負ったバックパックを探り、掌に収まるほどの手榴弾を出した。


「オイ、マジかよ?」

「威力は絞ってる。でも上手くすれば、あの変態を吹き飛ばすくらいは出来る。後始末は署長に頼んじまえば良い」

「オーケー。じゃ、一発カマしたれや、慎吾!」


 タイガは煽るようにエンジンをふかすと、背後から近付くサイレンに構わず、少し乱暴に発進した。ギアチェンジするたびにバイクが甲高く吠え、ぐんぐん加速する。目測およそ三百メートル。互いのスピードを考えれば、決して遠くはない距離だ。

 直撃出来なくても良い。だが、死なない程度のダメージくらいは与えてやりたかった。


「行くぜタイガ、猶予は五秒、投げたらすぐ回避しろ!」

「判ってるっつうの!」


 慎吾は右手に握った手榴弾のピンを噛むと、一気に引き抜いた。


「行けえええっ!」


 タイガに掴って腰を上げ、渾身の力で投げた。黒く小さな鉄塊がゆっくりと回転しながら、放物線を描いてヘッドライトの列へ吸い寄せられていく。その先で、左の車の助手席から誰かが身を乗り出し、こちらへ腕を伸ばすのが見えた。


(浅田……?)


 バイクの急ブレーキに体の浮くような感覚を覚える一方で、慎吾の脳裡に浅田の薄笑いが浮かんだ。嫌な予感がよぎる。すると発砲音がかすかに響き、タイガが大きく体を震わせた。


「ぐっ!」

「タイガ? おい、タイガ!」


 返事はなく、彼の体の力が抜け、ハンドルから手が離れる。バランスを崩した車体が傾がっていく中で、慎吾はタイガが狙撃されたことを悟った。


「うあああっ!」


 のし掛かるタイガを背から抱えた状態で、バイクが完全に倒れる。二人が勢い良く放り出されたと同時に、真っ白な閃光が辺りを包んだ。


「うっ!」


 直後、鼓膜を破る勢いで衝撃と熱が襲って来る。

 視界も聴覚も奪われ、全身を飛ばされ、天地すら見失った。


「うっ、ぐ、あっ……」


 どこまで転がったか判らない。かすむ意識を必死に繋ぎながら目を開けると、夜空が黒く燻されていた。少し離れた橋上では、近付いていた車が一台、中央分離帯上にひっくり返って炎上していた。


「つうか、むしろ威力倍増、してねえ……?」


 頭に蝉が入り込んだのではないかと思うほど、耳鳴りが酷い。唾を飲み込むと、ヘリの飛行音がようやく聞き取れた。


「た、タイガ……」


  目で探すと、二メートルほど離れた場所に、瞼を瞑ったまま仰向けで倒れている。慎吾は全身の痛みに堪えながら、ズルズル這うように近付いた。


「生きてる……」


 全身ぼろぼろで、顔は煤けて真っ黒だ。だが呼吸も脈もしっかりしていて、手足も折れていないようだ。


「タイガ、おい……起きろって」


 肩を揺すると、低いうめきと席が出る。意識が戻りそうだと慎吾が安堵した矢先、鋭い発砲音と共に、背に突き刺さるような強い衝撃を受けた。


「がっ!……あ、う」


 激痛と痺れが体中に響き、堪らずタイガの上に突っ伏す。呼吸もままならず、痛みに視界がブラックアウトしかかる。そんな慎吾の背後から、ヒステリックな高笑いが響いた。


「ざまぁ見ろ! このサツの犬どもが。俺に楯突くなんざ、百年早えってなァ、ハハハハハ!」


 ──浅田だ。

 苦しさに堪え声の方へ眼を遣ると、浅田は着ているシャツとズボンに大量の血を滲ませ、ふらふら近づいて来た。


「一丁前に、防弾チョッキなんか着やがって……」


 薄く硝煙を纏うマカロフをわざとちらつかせ、炎と血に染まった顔で笑う様子はまるで悪鬼のようだ。


(殺らなきゃ、殺られる……)


 慎吾が歯を噛み締めながら、ベレッタへ手を掛ける。抜いて構えようと藻掻くうちに、浅田が立ち止まり慎吾の頭へ銃口を向けた。


「終わりだ、サトル。シねや!」

「待てえ、武器を捨てろーっ!」


 浅田が慎吾の頭に狙いを定めた瞬間、遠くから叫びが聞こえ、ブーツの足音が複数走り寄って来る。その一方で、浅田の背後からヒデが走り寄り、彼を捕まえた。


「浅田さん、ヤバいっす、早く!」

「ウルセえ! 放せコラ、ブッコロすぞ!」


 ヒデは喚く浅田を無理矢理引き摺り、燃える車の向こうにある黒いミニバンへ押し込めた。それから運転席に飛び込み、急いでエンジンを掛けた。だがボディはあちこち凹み、フロントガラスにはヒビが入り、後ろのバンパーは右側が落ちている。ミニバンはそれを引きずったまま、火花を散らしながら逃走し始めた。


「海6、海9、前方待機中の隊へ状況報告および、逃走車追尾! 海8は、容疑者二名確保する!」

「了解!」


 五十過ぎくらいの小肥り巡査が、周囲の警らにそう指示を飛ばす。すると若い警らが四人パトカーへ戻り、二台に分乗して浅田達を追った。

 浅田達の乗るミニバンは、既に橋を渡りきろうとしていたが、すぐ先にはパトカーと交通機動隊の、強固なバリケードが待っている。強行突破は難しいだろう。

 小肥り巡査は部下二人を引き連れ、手錠を出しながら慎吾へ近付いた。


「武器を捨てなさい! 道路交通法違反並びに銃刀法違反で、あなた方二人を緊急逮捕します」

「えー? ちょ、タイガ、マジ起きろって。俺達、逮捕だってよ」

「ゲホッ、ガボッ、ああ? 何だと……痛ててっ」

「また留置場かよ、ヤだなあ」

「なにっ、お前は再犯か、この親不孝者めが!」


 慎吾の軽い発言に、小肥り巡査は眉を吊り上げ、まるで息子を叱る親父のごとく説教を始める。


(あの、俺達、仕事頑張っただけ、なんだけど……)


 だが、この場でそれを説明するわけには行かない。慎吾はがっくり項垂れると、警ら二人に担ぎ起こされたタイガと共に、黒い金属のワッパと説教を頂戴した。

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