第25話 Expration

 日付も変わり、事故・事件の処理が一段落したころ、慎吾とタイガはようやく留置場から放免され、中央署内の医務室にて傷の手当てを受けていた。


「いやー今回はすごかったねえ! 二人とも、良く無事に戻って来てくれたよ。証拠もバッチグーだし、犯人も捕まえたし、さすが榊くんだ、うん!」


 パイプ椅子に座った京田は、二人の成果に至極ご満悦だ。向かい側では慎吾が医師の診察と傷の治療を終え、男性看護師から数本の注射を受けていた。化のう止めと鎮静剤、栄養剤である。

 タイガは少し奥まったベッドに、仏頂面で腰掛けていた。水色の、よく病院で貸与される病衣の下だけ穿き、上半身は裸だ。しっかりと筋肉の付いた逞しい左肩には、より厚く包帯が巻かれている。そこには防弾チョッキ越しの被弾による酷い痣が残っていた。

 処置をすべて終えた慎吾が、もぞもぞ病衣をはおる。そしてしばしタイガを見つめた後、決心したように口を開いた。


「署長、俺、もうモグリ辞めま……」

「あ、そうそう! 今回二人とも頑張ってくれたから、二週間分有給あげるよ」

「二週間……」


 何とも言えない表情を浮かべる慎吾へ、京田は明るい口調でまくしたてた。


「榊くん達が頑張ってくれたお陰でさ、街の中でたくさん事故があったり、一般人のバイクがオシャカになったり、美海大橋周辺が原因不明の爆発で通行止めになって、すんごい数のクレームが署に来たりしたけど、ぜーんぶ揉み消したから。勿論、マスコミには見なかったふりしてもらうしね。安心して良いよ。明日も堂々とお天道様の下を歩けるからね!」

「うっ……」


 柔和な笑みに、脅しのような鋭い光が入るのを見ながら、慎吾はそれ以上何も言えなくなった。

 言葉尻は優しい。だがその裏には「こんなに壊しやがって、一体賠償金と修理費でどれだけかかると思ってるんだ、しかもあの橋を汚したせいで、ボンクラ国交省のご機嫌もとらなきゃならないんだぞ、ボケが!」と言う意味が込められている。

 確かに今回は私怨もあり、色々派手にやりすぎたかもしれない。潜入捜査は文字通り、静かにやるものである──反省する慎吾を見て、タイガは舌打ちした。


「つうかよ、署長。組織のキマリとか、体面がどうとかってのは、ここのアタマであるアンタにとっては大切かも知れねえけどな。俺は忘れねえぜ、アンタがコイツを、慎吾を見捨てようとしたことをな」


 真正面からタイガに睨まれた京田が、一瞬厳しい眼をしたのに気付き、慎吾は慌ててフォローを入れた。


「タイガ、それは良いんだ。俺も判ってることだし……」

「テメエが良くても、俺は良くねえ。こういう組織の上司ってのは、部下を育てて、守ってナンボだろ。違うか、署長さんよ?」


 静かに、かつ低い声でタイガが問い掛ける。

 手当てを終えた看護師と医師が、気を利かせて部屋からそっと退出していく。軽い会釈の後、ドアがぴったり閉められてから、京田は寂しげな笑みを浮かべた。


「……確かにそうだ。君の言うことは正しいよ、虎屋くん。きっと人として間違っているのは、僕の方だ」


 そうあっさり頷き、降参だとでも言うように肩をすくめて立った。それから傍らにあった茶のボストンバッグを、タイガへ差し出した。


「はい、これ。逮捕された時に君達が持ってたもの全部。あ、パソコンだけはコッチで貰ったからね。その他はまた、あの情報屋さんに返すんだろ?」

「あ……」


 金城が話題に上ったことで、一瞬対応に戸惑ったタイガに代わり、慎吾が横からバッグを受け取った。中身を確認すると、金城が調達した武器類の他、浅田の部屋から持ち出した札束も入っていた。


「ありがとうございます。いつも目を瞑ってくれて」

「君等には苦労かけてるからね。正直、こんな任務を誰かにやらせるのは、とても申し訳ないよ。でも、こうして裏世界に食い込まなければ抑止出来ない犯罪も、山ほどあるんだ」


 京田は小さな溜息を吐くと、ブラインドが閉められた窓へ近寄り、まだ闇深い街をそっと覗いた。


「今は判って貰えないかも知れない。でも、いつか虎屋くんが出世して、マル暴の課長になったら。その時にはきっと、僕の気持ちが判ると思うよ」

「さあ、ホントに判るんスかね?」


 微笑む京田に対し、タイガは怪訝な表情を浮かべている。慎吾はクスクス笑い、タイガの肩を叩いた。


「つうか、タイガがマル暴の課長になるなんて、何百年先の話だよ」

「痛って! オイコラ、何百年って、馬鹿にしてんのかこの野郎!」

「してないって、ヤンキー」

「ヤンキー言うな!」

「仲良くなったんだねえ、君達。良かった良かった」


 罵り合いからドツキ合いを始めた二人を眺め、京田は優しい笑みを浮かべながら、医務室のドアへ歩み寄った。


「これで今回の任務は終了だ。今夜はもう当直の連中しか残ってないから、明日の朝までは静かだよ。ゆっくり休んでって」

「ありがとうございます」

「はあ? 俺は帰るぜ、クスリ臭えのは苦手だ」

「え……帰るのか?」


 タイガの言葉に慎吾が一瞬驚いたような、寂しげな顔をする。それに気づいた京田は珍しそうに慎吾を見つめた後、ニヤリと笑った。


「あ、虎屋くんザンネーン。君んち犯人達に荒らされて、鑑識待ちの立ち入り禁止になってるから、帰っても入れないよ」

「はあああっ! あ、荒らされたってえ?」

「うん、明日の昼には作業が終わって入れると思うけどね。ま、この際、休み中に引っ越ししちゃいなよ。ヤサが割れると狙われやすいし、それにほら、偶然あそこで、一束拾ったんでしょ? それだけあったら、新しい部屋の契約も足りるよね?」

「うっ……」


 浅田の百万円をネコババした件も見逃してくれるようだ。京田が仕掛けたオトナの駆け引きに、タイガは黙りこむしかなかった。


「じゃ、ごゆっくり」


 京田はタイガと慎吾を交互に見やると、ヒラヒラと右手を振りながら出て行った。


「……マジかよ」


 一体いつの間に住処を割り出されたのか、と悔しげに歯噛みするタイガへ近寄ると、慎吾は向かいの空きベッドへ座って拝むように手を合わせた。


「ごめん……どこかでアンタの身元がバレたんだな。俺のミスだ。アンタに頼り過ぎたから」

「んなこと、ねえよ。俺も足りなかったんだ。慌ててたから、ツラ隠すの忘れてたし」


 今になって考えると、慎吾が拉致された時、クラブハザードへ駆け付け、黒いミニバンと遭遇したことが一番疑わしい。顔を出したまま接触したのはあそこしかないのだ。

 軽率だったとバツが悪そうに頭を掻くタイガへ、慎吾は頭を左右に振った。


「今回はホント助けられた。アンタがいたから、俺はこうしていられる」

「ふん、エライ殊勝じゃねえかよ。だから言っただろ? 俺様と組めるなんて、ラッキーだってよ」


 慎吾を助けたい一心で動いたことを隠し、あくまでも高飛車な調子で笑って見せる。そんなタイガへ、慎吾は眠そうに目を擦りながら笑った。


「ふふ、ホントラッキーだった。アンタのその強引なトコとか、そのクセ優しいトコとか……何だか、すごく頼もしくて」

「だろ?」

「ああ、だから……ヤバいんだ」

「何が?」

「これ以上一緒にいたら、俺──惚れちまうかも」

「……へ?」


 ドキリ、と鼓動が高鳴り、思わずタイガが目を見開く。慎吾は照れたような、困ったような表情でベッドから立ち上がった。


「あー、やっぱ俺、もう行くよ」

「行くって、ドコへだよ?」

「借りたモノ返しに。多分、待ってると思うし」


 敢えて誰とは言わない。だがそれが金城だと察すると、タイガは見る見る眉を寄せ、慎吾の腕を捉えた。


「待てよ。アイツ、別にお前のカレシじゃねえんだろ?」

「ああ」

「だったら……今夜は行くな」

「え?」

「おっ、俺をこんなクスリ臭えトコに、一人で置いてくなよ」

「じゃ、一緒に行く?」

「そうじゃねえっ……ああクソッ、何て言えや良いんだよ!」


 タイガは悔しげに叫ぶと、立ち上がって慎吾を抱きしめた。

 放したくなかった。そして、他の誰かの許へ行かせたくなかった。それはさながら、恋敵から好きな女を奪う気持ちに似ていた。


(一体どうなっちまったんだ、俺は!)

「ちょ、おい……っ!」


 力任せに、ベッドへ押し倒した。このまま抱いてしまいたい――そんな衝動が、ふつふつとわいた。

 同性に対してこんな感情を抱いたのは初めてだ。むしろ少し前まで、男同士に恋愛感情が生まれることすら理解出来なかった。だがこうして慎吾を想い、あまつさえ欲情するなんて、自分も実はゲイだった、ということだろうか。


(待てよ、女もイケるから、正確にはバイか? 俺って結構器用なんだな……いやいやいや、今そんなこと考えてる場合じゃねえだろ自分!)


 腕の中に捉えた慎吾は、振りほどきはしないものの、対応に困っているようだ。顔を覗き込めば長い睫毛の下で、ブラウンの瞳がタイガを映していた。


「タイガ……?」


 応えずに、タイガは慎吾の顎を軽く上向かせ、口づけた。


「ん、っ」


 皮膚の薄い、柔らかく湿った肉を食み、乾いた傷痕を舌で優しくなぞる。すると慎吾は小さく唾を飲み込んで、離れようと小さく身を捩った。


「タイガ、今、こんなことされたら、俺……」

「歯止めが効かねえってか? 上等だぜ、とことんサカッて見せろよ。最後までキッチリ、付き合ってやるから」

「それって、どういう……だってアンタ、男はキライだったんじゃ」

「ああ、けど何故か、お前だけは特別らしいぜ」


 タイガは吐息で告げながら、彷徨う慎吾の右手を取り、自分の下腹へ導いた。


「……本気?」


 おそるおそる触れ、その硬い感触に慎吾の頬が染まる。恥かしげな表情が何とも愛しい。タイガは慎吾の左耳を舌で弄び、軽く歯を立てた。


「ん、タイガ……」


 呼ばれて口付けると、今度は逃がさないとでも言うように、慎吾の左腕が首へしっかり絡み付く。薄く長い舌がタイガの唇を割り、誘うように前歯をなぞる。それを捉えて軽く吸うと、慎吾は気持ち良さそうに瞼を閉じ、鼻にかかった甘い吐息を洩らした。



 ベッドの上で、身に着けていた服をすべて脱ぎ捨てた頃には、タイガの心の隅に残っていた背徳感や戸惑いは、全部どこかへ消えてしまっていた。と言うか、そんな些細な事はかまっていられなくなった。

 ぶっちゃけ、慎吾はかなりの手練れだった。

 最初はタイガのリードであっけなく達した。だがその後はまるで妖艶な娼婦のように、攻めに転じて来たのだ。経験も多いから当たり前なのだが、タイガはあっと言う間に組み敷かれ、もてあそばれ、最後の防衛線でギリギリの攻防を余儀なくされた。

 初めてのエッチで、手技舌技に攻められてうっかり出すなんて男の恥――そんなどうでもいい個人的こだわりが、天国へ至る最後の一歩をどこまでも阻む。マウントポジションを取った慎吾はそれを知ってか、艶のある笑みをタイガへ向けた。


「我慢、しなくていいのに」

「はあ、我慢、なんか、してねえっつうの」

「そう……なあ、タイガ」

「ん?」

「俺に、挿れたい?」


 足の間から刺激的な言葉が飛んで来た。


(キタ、ついにキタぜこの瞬間が!)


 返事より先に、慎吾の唇に捕えられた大切なムスコが、なおいきり立って主張する。だがタイガの良心がかろうじて待ったをかけた。

 


「そりゃ、まあな。でもお前、ケガしてるだろ。無理すんなよ」


 手を伸ばし、愛しむように頭を撫でる。正直、完全な虚勢だ。すると慎吾は嬉しそうに抱き着いて来た。


「優しいんだな、アンタって、本当に……」

「別に、お前が辛かったら、ソッチの方が困るからよ」

「タイガ……」


 名を呼ばれ、キスをねだられる。タイガは躊躇なく口づけ、舌をからめた。例えその口が、自分の体や股間を散々なめ回しているとしてもまったく嫌悪を感じない。むしろ興奮をあおって来る。このままコトに及んだらどれほど気持ち良いだろう。

 未体験の世界へ突入したい思いが、慎吾を抱く腕に力を込めさせる。すると慎吾が吐息で応えた。


「良いんだ、俺は痛みより、今すぐ……アンタとつながりたい」

「……良いのか?」

「ただ、用意して欲しいものがあるんだ」

「何だよ?」

「ゴムと、ローション。なかったらオイルとか、コールドクリームとかでも……意味、判るよな?」

「ああ。待ってろ、今すぐ探してやる」


 静かな口調とは裏腹に、タイガは飛び上がる勢いで起き上がり、裸でベッドから降りた。

 急いで探さねばならない。そして例え個人のロッカーをこじ開けてでも、絶対に手に入れなければならない。据え膳食えぬは一生の後悔なのだ。そう自身を鼓舞しながら、タイガは棚から机から、あらゆる場所を探しまくった。

 十分の探索の結果、薬品棚からワセリンが発見された。これは代用品として充分使える。だが、さすがにコンドームが見つからない。そもそも避妊具を医務室に置く必要がないのだから、なくて当然である。


「サランラップ……」


 机の引き出しから見つけた箱を一瞬眺め、すぐに放り投げた。

 鍵のない場所は探しつくした。あとは、アソコである。

 タイガは腕組みして五秒考えた末、泥棒装備のなかからバールを取り出し、医師の私物が入っているグレーのロッカーへ向かった。

 扉の隙間の、ちょうど鍵の横辺りに先端をぐっと突っ込み、一気にこじ開ける。恋(というか性欲)の偉大なパワーはロッカーをミシミシ軋ませて、スチール製の障害を排除した。


「……あったぜ」


 医師のロッカーを漁ると「超うすうすSP」と印刷されたゴールドのパッケージがごっそり出て来た。一体三ダースもどこで使うのかさっぱり判らないが、タイガはありがたく、そこから五つ拝借した。

これでやっと再開できると思うと、わくわくしてつい早歩きになる。


「待たせたな慎吾、さあ来やがれ……あれ?」


 背を向けて横たわる慎吾からは、何の反応もない。もしやと思って上から覗きこむと、彼はとても気持ち良さそうに、枕を抱いて眠っていた。


「ウッソだろ……オイ、慎吾」


 肩を揺すってみると薄く瞼が開き、ほんやりとしたブラウンの瞳がこちらを向く。そして安堵したような、無邪気な笑みを浮かべたあと、すっと瞼が閉じられた。


「オイ……」


 再び揺すったが、もう瞼は開かなかった。

 スイッチが入ったら、とことん盛ると聞いていたのに、何でこんなに安らかに眠ってしまったのだろう。


「マジかよ……こりゃあ蛇ならぬ、虎屋のナマゴロシだろうが!」


 アホなオチを叫んでも、まったく反応がない。タイガは涙目になりながら、慎吾の傍らに腰を下ろした。


(そうだよな……コイツ、死ぬ気で頑張ってたしよ……疲れてんだよ。寝ちまうのは仕方ねえんだよ。堪えろ、虎屋大河。ここは堪えるのが、男ってもんだ。これが最後じゃねえんだ、俺達はまだ、始まったばっかなんだからよお!)


 それに何よりも、普段は絶対に見せない、子供のように無防備な慎吾の寝顔を見ていると、何だか温かな気持ちになってくるから不思議だ。


「クッソ……幸せそうに寝てやがるぜ」


 ベッドの端に追いやられた上掛けを、そっと傷だらけの体に掛けてやる。それから深く眠る頬にそっとキスを落とすと、タイガは隣のベッドへ入り、とりあえず自分で一発ヌいた。


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