第23話 Escape 1

 いまだ例のヤサに潜伏する浅田へ連絡が入ったのは、慎吾とタイガがマンションから逃げ出して直ぐのことだった。


「発見しました、サトルと、例のマル暴のヤンキーっス!」

「やっぱりな。どっちに逃げてやがる?」

「多分、街中へ向かってるかと」

「そうか……絶対ェ逃がすな、必ず捕まえろ!」


 浅田は叫ぶと、キッチンの陰でカップ麺を啜っていたヒデを呼び付けた。


「いいか? 掻き集められるだけ兵隊集めて、車十台以上揃えろ。全員にチャカも持たせろ」

「ウフッ!」


 ヒデは慌てて麺を飲み込むと、早速関連の暴力団に連絡を取り、あっという間に四十人ほどの私兵を集めた。それから自分の舎弟頭に連絡し、武器と車の手配をした。

 浅田はその間考え込んでいたが、すぐにタブレットを操作し、市街地のマップを表示した。縮尺を操りながら、自分のマンションから街中、つまり歓楽街方向へ向かう大まかなルートを探る。すると再び携帯が鳴り、先ほどとは別な手下ががなり声で叫んだ。


「浅田さん、やられました! パソコンも鍵もなくなってるっス!」

「ふーん。じゃあ、盗まれたモンと奴等――もう死体で良いから、必ず回収して来い。ヤツ等の行き先は恐らく海原中央署だ。車で先回りして、絶対に行かせるな」

「オス!」


 迎撃の指示を二、三伝えたあと、浅田は隣の仮眠室へ行き、クローゼットを開けた。そこには黒革のゴルフバッグがあり、中にはライフルにショットガン、匕首、サバイバルナイフなどが納められている。ざっと中身を確認してから、浅田はバッグを持ってリビングへ戻った。


「俺も出る」


慌てて近寄って来たヒデに低く唸る。するとヒデは目を見開いた。


「待って下さい、それは……」

「ああ?」

「吉見さんも捕まったし、浅田さんまで何かあったら、組織のアタマが……」

「黙れ! テメエは言われた通り動いてろ、タコが!」


 口答えするなと、浅田にバッグを押し付けられた後、平手で頬を張られる。こうなれば浅田は下っ端の言うことなど聞き入れない。むしろ、意見などしようものなら殺されかねない。ヒデは痛みに顔をしかめながらも、慌てて玄関へ走り、浅田の為にドアを開けた。


 浅田が動き出した一方で、慎吾とタイガはオフィス街を全力で走っていた。勿論、ヤバい追っ手付きである。


「待てゴラア!」

「待てるかダボがぁ!」


 周囲には帰宅途中のサラリーマンやOL、学生らが歩いている。その間を縫うように走りながら、慎吾は背後に響く怒号を振り返った。


「ヤベ、増えてる」

「ああ?」


 最初は二人だった追手が、いつの間にか四人になっている。このままだと、次に振り向けば八人に増えているかも知れない。タイガは少し考えると、ズボンのポケットから携帯を取り出し、慣れた様子で三桁の番号を押した。


「ちょ、もしもし警察ですか? 助けて下さい! 今、街で包丁持った人が暴れてるんですう! 早く助けて、刺されちゃう、場所は――」


 いかにも恐怖に切羽詰まった声で現住所を告げると、タイガはニヤニヤ笑いながら携帯を戻した。


「まさか、通報?」

「おう、どうせ応援なんて、出やしねえんだ、だったらこうして、大っびらに呼びつけてやるぜ!」

「あんなガセ電話で、出て来る、かよ?」

「出て来るさ、ほら、そこらの防犯カメラから、見えてる筈だ」


 そう言いながら、少し離れたところに立つ街頭防犯カメラを顎の先で示す。それからタイガはそちらへ走り寄り、腰に着けたホルダーから両刃の軍用ナイフを抜いた。


「どけゴラアアァ!」

「きゃあああ!」

「何だ、うわっ!」


 怒号と刃物に気づいた通行人達が、蜘蛛の子を散らすように逃げる。その中の数人が慌てて携帯でどこかへ連絡するを見て、タイガは満足そうにナイフを収めた。この状況で、複数の回線から通報が入れば緊急出動が掛かる。それを見込んでのパフォーマンスだ。

 慎吾は呆れたように力なく笑った。だが次の瞬間、ふと眼を泳がせ、がくりとつんのめった。


「おい!」


 タイガの声にハッとし、辛うじてアスファルトに左手をついて転倒を免れた。だが、これ以上走り続けるのは無理そうだ。

 慎吾の限界が近いと見たタイガは、しゃがみ込んだ彼を背に庇い、追って来た四人と対峙した。


「待てコラァ!」


 手前に立った黒シャツと青アロハは、どちらも手に短刀(ドス)を握っている。後ろから左右に拡がった二人も、懐に飲ませた武器に手を掛けて殺気を放っている。タイガはゆっくり右足を引いて構え、距離をじりじり詰めて来る四人を睨みつけた。


「シねえっ!」

「ウラアアァ!」


 黒シャツと青アロハが、タイガの腹目掛け、同時に刃を突き出す。それを軽いステップで鮮やかにかわすと、今度は一番右にいたサングラスが右手の短刀を振りかざした。

 タイガは一瞬早くサングラスの懐へ飛び込み、上げられた右腕を掴むと同時に,サングラスの顎へ頭突きをかました。


「ふぐっ!」


 脳が揺れ、瞬時に失神したサングラスが白目を剥いて倒れ込む。その手から短刀を奪い、タイガは再び襲い来る刃に対抗した。

 突き出される黒シャツの刃を右に弾き、すれ違いざまに、その延髄へ短刀の柄を打ち込んだ。続けて青アロハが、こちらの喉元を狙って来る。その切先を力で弾き返し、タイガはアロハの胸骨へ左拳を叩き込んだ。


「ぐあっ!」

「ぎゃっ!」


 訓練されたタイガの動きは素早くなめらかに、二人を一発で地に沈める。最後の一人となった茶髪は思い切りビビりつつ、懐からマカロフを取り出した。


「う、撃つぞゴラアっ!」


 妙に裏返った声と晒された武器に、周囲から悲鳴が上がる。刺激されたのか、茶髪の銃口が大きく震えだした。不安定で、とても撃てる状態ではない。そしても強引に発砲すれば、弾はどこへ飛ぶか判らない。


「止めろ!」

「ううう、うるせえっ!」


 タイガに一喝され、茶髪はぶるぶるしながらトリガーに指をかけた。

 事を眺めていた群衆が、現実離れした展開に慌てふためく。恐れをなした者が逃げ出す一方、夜空から黒い影が次々に飛来した。


「うわ、ヒイッ! 何だよこりゃあっ!」

「ガアアアッ、テキ、ハッケーン、トツゲキー!」


 何と、現れたのはグラディウスとその一群だった。

 黒い翼は闇夜に紛れて正確には把握できないが、羽音の大きさと鳴き声から、数十匹はいると思われる。それらの攻撃はすべて、茶髪一人へ向けられた。


「な、何でカラス?」

「ヒッチコックかよ!」

「怖っ!」


 異常行動とも取れる烏達の出現に、群衆はおののきながらも身を屈め、頭を庇いながら成り行きを見ていた。


「うわ、ぎゃあっ! たす、助けてえっ!」


 数十のクチバシと鋭い爪の攻撃に、茶髪は頭から血を流しつつ逃げ出した。必死に全力疾走する背へ、烏達の攻撃が執拗に繰り返される。何とも恐ろしく、ある意味オカルト的な光景だ。それを携帯に収めるべく、群衆の一部が好奇の表情で、画像を撮りながら追い掛けていった。


「誰も助けない……いや、助けられねえか」


 慎吾は苦笑しながらゆっくりと立ち上がり、一つ指笛を鳴らした。すると群れの中からグラディウスが飛んできて、すぐ目の前に降り立った。


「ありがとう、グラディウス。もう大丈夫だ」

「シンゴ、タスケル、シゴト!」

「ああ、助かったぜ。お前はホントに頭が良いな」

「クエッ!」


 慎吾の賛辞に対し、グラディウスは得意気にクチバシを上げ、尻尾を大きく広げてみせた。


 気づけば遠くからパトカーのサイレンが、そしてそれと同じ方角から、再び浅田の手下らしき連中が近付いてくる。


「オラ、行くぞ。せっかくグラディウスが助けてくれたんだからよ。テメエももう少し頑張れや」


 タイガは慎吾の右腕を引くと、そっとビルの間の小路へ移動した。

 一丁移動し、別な路へ出る。足早に交差点近くまで行くと、そこにちょうど信号待ちで止まっていた、オフロードタイプのバイクが目に入った。色鮮やかなジャンパーを着た運転手が跨る車体には、リアシートが付いている。排気量も中型程度はありそうだ。

 タイガは素早く走り寄り、運転手の肩を軽く叩いた。


「警察だ。悪いが、ちょっと貸してくれ」

「へっ? アンタ、何言ってんだよ」

「ごめんな、今ちょっと急いでるから。後で、中央署の京田署長んとこまで、取りに来て」

「はあっ?」


 にこやかな顔付きとは裏腹に、慎吾が左脇の拳銃をちらりと見せる。するとバイクに跨っていた若い男は真っ青になり、弾かれるようにシートから降りた。


「四○○か。ま、街中逃げるにゃ手頃かもな」


 タイガがハンドルを握り、リアシートに慎吾が乗る。軽く吹かして発進しようとするところへ、怒号とともに銃声が響いた。


「早く!」

「判ってるってえの!」


 発進し始めた車列へ、無理矢理割り込んだ。そして車間を縫い、歓楽街へスロットルを開けた。ちょうど対向車線を走行してきたパトカーの群れが、二人の停止を求めてがなりたてる。追いかけようと次々Uターンする最中、暴走してきた浅田の手下達と鉢合わせし、道路そのものを塞ぐほどの騒動になった。

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