第22話 Counterattack 3
「あーやっと着いた、ったくこの馬鹿が、車パンクさせやがって!」
「すんませんっ!」
軽い軋みと共にドアが開き、真っ暗な玄関へ白々しい光が差した。苛ついた声と共に現れた二人組は、口調から察するにもっと早く来る予定だったようだ。下っ端らしき若い方は慌てて靴を脱ぐと、壁を手で探りながらリビングへやって来た。
「電気、電気……兄貴ぃ、スイッチどこっスかあ?」
「その先右っ側だ、違う、行き過ぎだ馬鹿っ!」
慎吾とタイガはそれぞれ身を隠し、成り行きを窺っている。そうと知らない男達は無防備にリビングへ入り、やっと照明を点けた。
「うわっ、何だこりゃあ!」
映し出されたのは、まるで強い地震に見舞われたかのように荒らされた室内だ。当然二人は驚き、思いっきり間抜け面を晒した。
「ひ、酷え……竜巻?」
「馬鹿野郎、室内で起こるかボケ!」
「痛てっ!」
若草色のサマーセーターを着たパンチ頭が、年若い紫シャツの頭を引っ叩く。それからようやく辺りを見回すと、ガラステーブルがずらされているのを発見して叫んだ。
「畜生、パソコンねえぞ! おいカズ、ぼさっと突っ立ってねえで探しやがれっ!」
「お、オスっ!」
紫ジャンパーことカズが、床に散らばる物を片っ端からひっくり返し、ラグの下にまで潜る。それでもパソコンは見つからず、カズはパンチに指示されて他の部屋へ探しに行った。
「ヒイッ!」
「どうした!」
「あっ、兄貴ぃ……マ、マヨネーズが!」
床に転がったチューブを思い切り踏んだらしく、カズは足の裏をベタベタ粘らせながらリビングへ戻って来た。
「うわ汚ねっ、ホント使えねえなテメエは」
「すんません!」
「早く拭け!」
「オス!」
カズが半泣きになりながら、靴下を脱ぎ洗面所へ走る。それを呆れ顔で見送ると、パンチはズボンのポケットから携帯を取り出し、浅田の番号へ掛けた。
繋がるのを待ちながら水槽へ近づき、魚たちを見つめる。背後から変な呻き声が聞こえたが、またカズが何かやらかしたのだと思い、振り返らずに怒鳴った。
「おい、アレ持って来い!」
「は?」
「アレだアレ、早くしろ。じゃねえと素手でやらせっぞ!」
「ああ? テメエがやれよ」
「なんだとゴラァ!」
生意気な返事に威勢良く吠えて振り返ると、カズより遥かに凶暴そうな男──つまり、タイガがすぐ後ろに立っていた。同時に、ちょうど胃の真後ろに固い感触を押し付けられる。
「ぐ……っ」
左手に持った携帯から、呼び出し音が聞こえてくる。タイガはパンチから携帯を取り上げ、床に落として勢い良く踏み潰した。
「死にたくなかったら騒ぐな」
「畜生……何モンだ、テメエ」
「コソ泥でーす」
水槽に向かってホールドアップさせられたパンチの耳に、軽い声が飛び込んでくる。思わず半分振り向くと、床へ倒れたカズの横で、慎吾がニコニコ笑っていた。
「なあ、さっき素手でやらせるとか言ってたな。その水槽の中、何かあるのか?」
「……知るか」
パンチが低い声でシラを切ると、タイガは無言でそのチリチリ頭に銃口を乗せ、いきなり発砲した。
「ヒィッ!」
「次はマジにブチ込むぜ」
髪が焦げる嫌な臭いと熱い銃弾の衝撃で、頭のてっぺんがじんじんする。撃ち込まれた銃弾がその衝撃を表すように、前方の白壁に深い穴を穿っていた。脅しが単なる脅しでないことを感じ、パンチが思わず身震いする。慎吾はそんな彼に近づき、優しく問い質した。
「そんな怖がるなよ。ちょっと教えてくれたら良いんだ」
「誰が答えるか、ボケが!」
「じゃあ、テメエは殺す。俺らの面、見ちまったからな」
タイガが無慈悲に言い放つと同時に、左右の後頭部に銃口が押し付けられる。淀みも迷いも感じられない素早さに恐怖したパンチは、膝をガクガク震わせて叫んだ。
「判った、な、何でもするから、だから撃つな! 先月三人目のガキが生まれたばっかなんだっ」
「……そりゃおめでとう。じゃ、話して」
「鍵だ、鍵! 金とブツのある場所のヤツだ!」
「そうなんだ。じゃついでに取ってくれ」
「え、まさか、素手……?」
「撃たれるよりマシだろ? 俺等、あんま時間ないんだ。早く、な?」
慎吾が軽く頼む傍らで、タイガはパンチの首根っこを掴み、上半身をぐいと水槽へ押し付ける。パンチは歯軋りしながらタイガを睨むと、いよいよ右手を水中へ入れた。
『ピラニアと言う魚は、刺激さえしなければそうそう簡単に食い付かない』
以前テレビで専門家がそんなことを言っていたと、パンチは温い水中を探りながら必死に考えていた。
水槽内のピラニア達は、腕に近寄って来るものの、ただ興味深々に見ているだけのようだ。絶対に噛まれないと強引に思い込みながら、パンチは肩近くまで腕を突っ込み、難破船のオブジェに手を掛けた。
ぐいと手前に転がす。すると敷かれた真っ白な砂が舞い上がり、まるでスノードームのように降りしきる。しばらく砂の奥を掻き回し、ようやく小さな金属片らしきものが入ったビニール袋を摘まみ出した。
「はあ……」
これで恐怖から解放される。そう安堵の溜息を洩らした瞬間、一匹のピラニアがパンチの腕をつつき、急に噛み付いた。
「うぎゃっ!」
「落とすな、そのまま引き上げろ!」
「ぐ、ああっ、ひいいっ!」
穿たれた噛痕から洩れる血に誘われ、ピラニアが群がり、次々噛み付いてくる。パンチが慌てて腕を引き上げると、よほど飢えているのか、何匹も噛みついたままでピチピチ跳ねていた。
「取って、取ってくれ、頼む!」
「取っても良いけど、無理に剥がすと、かえって傷が広がるぜ? どうせ一分もしたらくたばるんだ。もうちょい我慢しろよ」
慎吾は冷静に応えると、動転して暴れるパンチからビニール袋をもぎ取った。
「ご苦労さん。で、コレどこの鍵?」
「東、東埠頭のっ、第四十一と、新東日本銀行の、貸金庫……うあっ、あっ、ああっ!」
「そっか。ありがとな、後はあのマヌケと休んでて良いぜ」
パンチが悶絶しながら、まだ元気良く食い付いたままのピラニアと戦っている。慎吾は野性の生命力に内心驚きながらも、べレッタの銃底をパンチの項に叩き込んだ。
気絶させた敵二人を豹柄のラグで簾巻きにすると、慎吾とタイガは戦利品を手に浅田の部屋を出た。これだけあれば、潜入活動の成果としては充分だ。あとは迅速に海原中央署へ戻れば、今回の任務は完了である。
来た時と違い、今度は堂々とエレベーターを降り、正面玄関から退出する。外部からの無断侵入を拒むこのマンションのセキュリティも、逆に内部から外部へ移動する際には無防備だった。
「さあて、タクシーでも拾うか?」
「優雅にドライブして署へ乗り付けるって? それも悪くないな……」
タイガにふざけて応えた慎吾が、辺りを見て急に険しい表情へ代わる。つられたタイガが目を遣ると、大型のセダンやワンボックスが次々に到着し、中から人相の悪い男達がぞろぞろ降りて来た。
「タイガっ」
慎吾の指示に従い、玄関横にある植え込みの陰へ慌てて身を隠す。敵の人数は、ざっと見積もっても十人以上だ。今すぐ逃げようと動けば、そのほうが発見されやすい。気配を消して潜んでいると、黒スーツを着た若者が辺りを見回し、どこかへ電話し始めた。二言三言交わし、通話を切る。それから右手を上げ、仲間へ指示を飛ばした。
「テメエ等、上がるぞ!」
見張りの二名を外玄関へ残し、他が急ぎ足でマンションへ入って行く。あとに立つ見張りは、それぞれ懐に銃を隠し持っている。タイガは隣の慎吾へ小さく呟いた。
「思ったよりも展開が早いな」
「さっきのパンチの電話で気づいたか。あの変態野郎、カンが良いってえのか、何つうか。取り敢えず、ここから逃げようぜ」
「どこまで逃げるよ?」
「そりゃあ、署まで。だろ?」
慎吾は不敵な笑みを浮かべると、タイガを見つめた。
ここからゴール、すなわち海原中央署までは少し離れている。ルートは二つ、大きく回し信号の少ない山側のバイパスを走るか、このオフィス街から歓楽街を真っ直ぐ抜け、美海大橋を渡るかだ。
距離としては大橋を渡る方が近い。だが混み合う街中を通るため、上手くやれば追っ手をまけるが、下手をすれば周囲に危険を及ぼす可能性もある。
「で? 潜入のプロはどう逃げんだよ」
「そうだな。やっぱ最短距離で、街中突っ切るか」
「ふーん。ま、俺も回り道はキライだ」
「撃たれてもビビんなよ、タイガ」
「お前こそ、根性で走れよ」
鋭くも、信頼に満ちた互いの視線が束の間絡み合う。タイガは足元に転がっていたコーヒーの空缶を掴むと、自分たちの隠れている植え込みとは別の方角に向かって放り投げた。
「誰だ!」
一瞬見張りの意識が、向こうに落ちた「音」に捕われる。その隙に慎吾とタイガは植え込みから飛び出し、一目散にオフィス街へ逃げ出した。
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