第20話 Counterattack 1
夜の帳が辺りを包み始めた、同日の午後七時三十分。慎吾とタイガ、そして金城は、歓楽街から車で十分ほど離れたオフィス街にいた。
吹き上がる風が、二十階建てのビルの屋上に立つ三人へ強く当たる。ちょうど腰ほどの高さがある柵から地上を見下ろせば、周囲のビルや看板、街灯に至るまでが煌光を放ち、行き交う車のライトやテールランプが一層華やかさを添えていた。
普段着の、綿シャツにジーンズという出で立ちの金城に対し、二人は薄手の黒いツナギにベストを着ている。それは防弾効果を持つケプラー製で、あちこちに付いたポケットには、ナイフなどの武器や極細の強化ワイヤー、その他様々な道具が装備されていた。勿論、金城が用意したものである。
タイガは用意されたべレッタに弾倉を突っ込むと、スライドを引いて装弾した。
「ふーん、これ、正規モンのM92だろ。一体どっから買い付けたんだよ」
「秘密です」
教える義理はない、と眼で語る金城を一瞥すると、タイガは背を向け、銃口を宙に向け両手で構えた。
バランスも、重さも程良い。手の大きなタイガにスリムなフォルムは少し物足りないが、護身用として携行するには充分だ。
試し撃ちしたいのをこらえ、安全装置を確認し、左脇のホルスターへ収める。それから額に貼りつく前髪をかき上げ、近くに立つ慎吾へ呼び掛けた。
「風、結構強えな。イケるか?」
「勿論。狙撃の成績は良い方だったんだ」
慎吾は見てろと言わんばかりに口端を上げた。
「ねえ、ホントにココから行くんですかあ?」
慎吾の隣に立つ金城は、どうやら高いところが苦手らしい。情けないほどへっぴり腰で下を覗き込み、悲鳴を飲み込みながら一気に三歩も後ずさった。
「だ、だって、人があんな小さいんですよ? 落ちたら死んじゃいますよ、本当に危ないって!」
「大丈夫だ。それに下から入るんじゃ、セキュリティがあるから却って面倒だって、アンタも知ってるだろ」
慎吾は金城にそう言いながら、およそ二百メートル余り離れて建つ、十八階建の高級マンションを指差した。
そこは五階までがテナントスペース、その上は賃貸及び分譲マンションとなっている。そして浅田の部屋は十七階、向かって一番右の角部屋だ。金城の調べによると、佐藤ナントカという架空名義で借りているらしい。
ベランダの両端は壁だが、都合が良い事に中央部分は鉄製の柵がはまっている。部屋は消灯したままで人気がなく、泥棒に入るには好都合だ。さらに周囲の部屋の半分は不在、もう半分は在宅だが、まだ残る暑さを嫌ってか、窓はどれも閉められている。これなら多少物音を発てても、気付かれにくいだろう。
「んじゃ、始めるか」
慎吾は柵の上に設置したワイヤー用小型リールを確認すると、足元に置いてあった改造ライフルを手にした。
「ベースはドラグノフか。ロシアの銃なんて誰の趣味よ?」
「俺の趣味。SATん時使ってたPSG―1より軽いし、わりと改造しやすいんだ」
「あんま精度良くねえって聞いたぞ」
「この距離なら大丈夫。別に、精密射撃する訳じゃないしな」
慎吾は応えながら、改造された銃身の先端に銛のようなパーツを付けた。そのパーツから黒色の細いワイヤーが伸び、その先はリールに巻かれている。慎吾はリールのすぐ左側に立ち、柵から身を乗り出し下方へ構えた。狙うは浅田の部屋のベランダ、鉄製の柵である。
緑の十字LEDが浮き出た高感度スコープを右眼で覗き、チークピース(頬あて)で視点を固定する。風下に流されることを意識し微調整を加え、じっと待つ。数十秒ののち、ふと風が緩んだ瞬間に、慎吾の指がトリガーを引いた。
バシュ、と低く鋭い音を発し、パーツが一直線に目標へ飛ぶ。同時に横のリールが空を切る音を発て、すさまじい勢いで回転した。瞬く間にパーツが柵の隙間を潜り、ベランダへ達する。その直後、衝撃で六本の鋭い鉤爪が開き、跳ね返って柵とワイヤーにしっかり絡み付いた。
ガチリと大きな音を発て、リールの回転が止まる。ワイヤーはたわみながらも、数メートルの傾斜をつけて、見事に浅田の部屋のベランダへ繋がれた。
「よっしゃ!」
「おおっ、やるなあ慎吾!」
「さすが榊さん、お上手です……って、ちょっと待ったあ!」
金城は思い切り顔を歪め、タイガへズカズカ歩み寄った。
「ちょっと虎屋さん、今、何て呼びました?」
「はあ?」
「今、榊さんのこと名前で呼んだでしょ。どうしてですか、何でですか、理由を即、述べて下さい!」
真剣に、そして非常に怒っている金城を見て、タイガは眉を寄せた。
「何だよ、コイツを名前で呼んで何が悪いよ?」
「何があったかは、後でゆっくりと聞かせて頂きます。でもね、虎屋さん。絶対エッチなことしないでって、僕、言いましたよね!」
瞬間、タイガの目が泳いだ。
「はああぁっ? うっ、ウルセエ、俺がそんな事するかよっ。第一、慎吾の体見ろ、そんな場合じゃねえだろうが!」
「嘘が下手ですね、虎屋さん。顔赤いし、やっぱイカガワシイ事考えたんだ」
「考えるか馬鹿、いい加減にしやがれっつうの!」
「いーえ、良いですか? 慎吾さんはスイッチが入ったら、あんな傷なんか関係なく、とことん盛るんです! だから絶対に……」
「ちょっと待て。誰がとことん盛るって?」
ふと満ちた寒々しい殺気に、タイガと金城が目をやる。そこには慎吾がドラグノフを担ぎ、今にも殴りつけん勢いで二人を睨んでいた。
「この馬鹿共が、俺をネタにエロコントやってる場合かよ! ほら金城、アンタの仕事は終わりだ。下でアラッキー待たせてんだから、さっさと帰れ! タイガ、ワイヤーの端始末してアッセンダ―用意しろ。侵入するぞ!」
「へいへーい」
やる気のなさそうな返事とは裏腹に、タイガは二人から離れ、ワイヤーをリールから外して柵へがっちり固定する。その間に慎吾は金城へ近寄り、まだ熱の残るドラグノフを手渡しながら、申し訳なさそうに見上げた。
「ごめんな俊二──本当は凄く感謝してる。アンタがいなかったら、俺はもう何度も死んでるから」
「慎吾さん……」
「いつもありがとう。全部終わるまで、もう少しだけ待ってて」
「……はい」
いつもはつれないくせに、こんな時に優しい言葉を掛けるのは狡いと思いながらも、つい嬉しくなり頷いてしまう。すると慎吾は片手で金城の首を抱き寄せ、ほんの触れるだけのキスをした。
「慎吾さ……」
「じゃあな。うろうろしてんなよ。これ以上、ゴタゴタに巻き込まれたくないだろ?」
慎吾は微笑むと、金城の手からバックパックを受け取り、背を向けて黙々と作業するタイガの方へ歩き出した。その左腰にはワイヤー用の滑車がついた、通称アッセンダーと呼ばれるパーツが揺れている。これでワイヤーにぶら下がり、一気に浅田の部屋まで滑降するのだ。
「行くぞ、下見てビビるなよ、タイガ!」
「テメエこそ、途中でくたばんなよ。この意地っ張りが!」
金城の目の前で、二人は柵を乗り越え、ワイヤーを挟んで僅か三十センチのヘリに座り込んだ。それからワイヤーにアッセンダ―を装着し、程なく慎吾の姿が夜の中へ落ちる。その後二十秒ほどして、今度はタイガが消えた。
「待って、ます……」
人気の消えたビルの上で、しばし夜空と眼前のマンションを見つめたあと、金城は残されたドラグノフとリールを革のバッグへ収納し、足早に屋上から姿を消した。
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