第19話 Forestalling 2

 吉見がクラブハザードで内藤と対面していた頃、浅見は歓楽街の北端にあるマンションの一室にいた。

 ここは数あるヤサの一つで、ごく普通の賃貸マンションだ。ファミリー向けに作られた4LDKの一室には、クラブハザードで見つけた家出少年や少女に、クスリという枷を付けて住まわせている。

 浅田はリビングに置かれた黒革の応接セットにふんぞり返り、チカチカと光にかすむ両眼を冷やしていた。昨夜受けた閃光弾の後遺症が、まだ残っているのだ。


「畜生、汚ねえ真似しやがって、あのコソ泥が!」


 自分を棚に上げ、慎吾、つまりサトルと仲間達にそう吐き捨てる。八つ当たりで目の前のテーブルを蹴飛ばすと、来客を告げるチャイムが鳴った。

 腹心の部下である髭面――ヒデが迎え入れ、リビングまで案内してくる。浅田は大仰に歓迎しながら、現れたミツルとその部下に着席を勧めた。


「最悪な顔してるね。眼のダメージはどう?」

「大したことねえよ、つうか、テメエも良い恰好じゃねえか」


 返って来た嫌味に唇を歪めたミツルは、頭に包帯を巻き、左腕を首から吊っている。彼はサングラスの部下を傍らに立たせたまま、浅田と斜向かいになるようソファへ座った。


「吉見さんは?」

「ハザードを閉めに行った」

「そう。残念だね、せっかく基盤が出来てたのに。今回の失態は、一体誰の責任だろうね?」


 そうわざとらしく呟き、ミツルはにやにやしながら浅田を眺めた。


「別に、失態なんて大げさなもんじゃねえ。今、サトルとアイツ等を探してる。二、三日で見つけ出して、カタ付けてやるさ」

「そう、それなら良いけれど。我が国が欲しいのは、将来同志となり得るこの国の若者と、愛玩用ペットの安定供給だ。特に日本人のペットは、どの国の変態も喜んで、高値で買うからね。『ファーム』を作るのに、資金も時間も、かなり君達に投資してるんだ。ここまで来て出来ませんでした、っていうのは通用しないよ?」

「ガタガタ言うな、クソガキが。勘違いすんなよ、俺はお前と取引してるんじゃねえ。お前の後ろにいる、お偉い国家主席のオヤジと取引してんだ」

「我が国の総統様を、下賎な言葉で呼ぶな!」


 激昂したミツルの叫びに反応し、傍らのサングラスが銃を抜く。浅田も間髪入れずに立ち上がり、サングラスの構えたリボルバーの、円い弾倉部と撃鉄をがっちり掴んだ。これはマズい。浅田の手を振り払おうとするサングラスへ、ヒデが掴みかかった。


「くっ、離せ!」

「俺に銃を向けたな? 何なら、お前等殺して本国に報告してやったって良いんだぜ? ミツル、いや、キム特別諜報官様は、しくじって名誉の戦死を遂げられたってなあ! お前が崇拝してるあのオヤジにとって、お前等の代わりは幾らでもいるんだ。お前がここで死んだって、クソも痛くねえだろうよ、ハハハハ!」

「き、貴様! 我等を侮辱したな!」


 叫びながら立ったミツルが、懐に忍ばせていた軍用ナイフを抜く。それを浅田目がけて突き出す寸前、甲高い銃声が響いた。


「う……」


 浅田の右手に握られた銀の小型拳銃から、一筋の硝煙が細く立ち上っていく。その銃口が向けられた先には、じわじわと赤く染まるミツルの白い三角巾があった。

 掌に入る小型拳銃とはいえ、装填されているのは殺傷力の高い三五七マグナム弾だ。吊った左腕ごとミツルの体を貫通した弾は、少し離れた壁に小さな穴を穿っていた。


「馬鹿、め……我が、祖国が、黙っていない、ぞ……」

「知るか。いちいちウゼエんだよ、何が総統様だ、ボケが」


 冷たく言い放つ浅田の眼前で、ミツルは苦悶と恨みを浮かべたままソファへ崩れ、そのまま動かなくなった。


「う、うわあああ!」


 上官の死に動揺したサングラスが、ヒデを振りほどき慌てて逃げ出す。浅田はその背へ無表情に銃を向け、トリガーを引いた。


「ギャッ!」


 短い絶命の叫びとともに、サングラスが玄関の手前でばったり倒れた。

 何が起きたかと部屋から顔を覗かせる少年達へ、ヒデが乱暴に「見るな!」と怒鳴り付ける。それから各部屋を施錠し、死体を処理すべく、別所に待機している仲間へ召集を掛けた。

 一通りの手配が終わると、ヒデは渋い顔で、ソファでふんぞり返って一服する浅田へ尋ねた。


「浅田さん、向こう、どうします?」

「別に。さっき言っただろ、こう伝えとけ。御国の諜報官二名殿は、対抗する日本の組織に謀殺されたと。後で、サトル達を捕まえて差し出せば問題ねえだろ。これからの取引は、向こうの窓口と直接やりゃ済む話だ」


 浅田はこともなげに言い放つと、銃をテーブルの上へ置き、胸ポケットで震え始めた携帯を手にした。


「もしもし、浅田さん?」


 聞こえて来たのは、子飼いの情報屋のダミ声だ。浅田は紫煙を吐きながら、その報告を聞いた。

 結局、サトルの身元は良く判らなかった。だが彼を拉致し、車で店を出た時に駆け付けた男の身元は割れたようだ。画像の解析結果はメールで送ると告げたあと、情報屋は一つ咳払いして、言いづらそうに続けた。


「浅田さん。悪いけど、この件はここで手を引かせて下さいよ」

「はあ? 何だそりゃ」

「いやね、情報屋には情報屋の決め事っていうか、狭い世界なんで色々面倒もありましてね。ちょっと関わりたくない相手が出て来たんですわ」

「何だ、高けえ金払ってんのに、依頼した仕事ホカすのかよ? テメエ、いっぺんシメてやろうか!」

「勘弁してください、今回は頂いた前金も、耳揃えて返しますから。ほんとね、この世界、逆らうと生きていけない、元締め的相手って言うのがいるもんでね。ほら、浅田さんも判るでしょ? そんな訳で、本当に申し訳ない」


 情報屋は一気にそう言うと、浅田が引きとめるのも構わずに通話を切った。


「馬鹿野郎、このクソッタレが!」


 悪態を吐きながら、ソファへ携帯を思い切り投げ付ける。するとそれに応えたように、リビングの隅に置かれたタブレットが震え、メール受信を知らせた。すぐさまヒデが近付き、メール画面を操作してから、浅田へ差し出す。浅田はそれをひったくり、画面を見て唸った。


「マル暴、だとお?」


 浅田の眉間に深い皺が刻まれる。そこにはタイガの顔写真と個人情報が、事細かに記載されていた。

 タイガの画像は、サトルを拉致した車に着けたドライブレコーダーから回収した。それを情報屋に渡したのだが、風体がチンピラのような、ヤンキーのような様子だったから、どこかの裏組織の人間だろうと踏んでいた。とんだ見込み違いである。

 この分なら、サトルもおそらく警察官だろう。始末の悪い相手を取り逃がしてしまったことが発覚し、思わず舌打ちが出る。だが彼が仲間に奪還されてから、既に半日以上が経過しているのにも関わらず、事件は公にならない。と言うことは、警察側でも何か公に出来ない事情があるのだ。

 浅田はそこまで考えると、先手を打つべく立ち上がった。


「おい、誰か三人連れて、この野郎のヤサ行って来い! いたら拉致って来い、いなかったら手掛かりがねえか探せ。後、もう二人に俺の本宅行かせて、パソコンとカギ取って来い! それからお前は他の情報屋とネズミに連絡取れ、サツが今どんな動きをしてるか、何でも良いから訊き出して来い!」

「オス!」


 指示を聞いたヒデは、少し青ざめた顔をしながらも、足早に部屋を出て行った。


「あのクソ野郎、俺をナメやがって」


 探偵だと嘘を吐き、自分に助けを乞うた姿が演技だったのかと思うと、再び腸が煮えくり返る。だがかなり痛めつけたから、二、三日はどこかに隠れているだろう。

 動き出す前にいぶり出し、死ぬまで嬲ってやる――そう思いながら、浅田は不敵に笑った。



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