第18話 Forestalling 1

 ピンク色のアロハシャツを着た吉見は一人で、ゴツい眉を思い切り寄せたまま、ハザードの店長室で荷造りしていた。時刻は午後五時を過ぎている。普段なら仕入れの真っ最中だが、今日は急遽臨時休業だ。いや、今後この店を開けることはないだろう。


「まったく、アニキの野郎ったら、疑い過ぎてヘマしちゃってさ。また物件探さなきゃなんないじゃない、あーもう面倒臭っ!」


 吉見は本来の口調であるオネエ言葉で、苦々しく呟いた。

 昨夜、浅田が慎吾──すなわちサトルを拉致し、取り逃がした。それを知らされたのは今朝方、浅田がミツル達と一緒に、ボロボロになって戻って来た時だ。サトルの身元はまだ調査中だが、倉庫に現れた彼の仲間が武装していたことから、何らかの組織の人間であることは間違いない。


「ふん、だからあと二、三日待てって、言ったのに」


 身辺調査が済んでからにしろと進言したのに「疑わしきは排除する」主義の浅田は、ほんの数時間の盗聴でサトルの拉致に踏み切った。中央暑の通称「ネズミ」が急に情報を売らなくなったのも、浅田をそうさせた理由の一つだ。


「あーあ、やっぱ帰って来なきゃ良かったわ」


 あのまま、タイでのんびり娼館を営んでいれば良かった。浅田の「故郷で一旗揚げる」的なオイシイ口車に乗らなきゃ良かった。所詮小悪党の自分は、女の股や粗悪な麻薬を小売して稼ぐ程度が似合いなのだ。

 溜息を吐きながら、机と棚からヤバい物を選び、段ボールに詰める。それからフタを閉めると、ノートパソコンも一緒に抱えて店長室を出た。すると通路を塞ぐように、スーツ姿の見知らぬ男が立っていた。


「こんばんは、いや、夜のご商売だから、この時間でもお早うございます、かな?」


 男は柔らかい物腰で、驚く吉見へ声を掛けた。

 顔付きは和風だが端正で、理知的な眼をしている。黒い短髪をワックスで纏め、着ているのは濃いグレーの、洒落たピンストライプのスーツだ。それに包まれた肉体は長身かつ均整が取れ、まるで男性ファッション誌から抜け出たようにキマっている。

 慎吾とはタイプが違うが、好みとしては充分ストライクゾーン──吉見はそう思いつつ、彼を無遠慮に眺めた。


「誰だ、アンタ?」

「店長の吉見さんですね? 海原中央暑の内藤です」


 内藤が薄い唇を歪めながら身分証明を見せた途端、吉見は険しい表情になり、鈍く光るポリスバッジを睨み付けた。


「ケーサツが何の用だよ? 令状もねえくせに、勝手に入って来やがって。不法侵入だろうが」

「失礼、ちょっと早急に伺いたいことがありまして。臨時休業なのに通用口が開いていたので、お邪魔した次第です」


 内藤はそう話しながら、吉見をフロアへ誘うように歩いた。

 本来なら捜査の公平を期すために、通常の聞き込みは最低二人で行うのがルールだが、がらりとしたフロアには他に誰もいない。本当に令状も持ってなさそうだし、これなら殴り倒して逃げられる──吉見はそう算段し、ニヤリと笑った。


「一人で来たのか、内藤さんよ?」

「皆、忙しいですから。警察は意外に人手不足でね。ところで最近、こちらの店で、売春斡旋が行われているらしい、と言う情報がありまして。つきましては、署へご同行願い……」

「はあ? 何言ってんだアンタ。そんな事ある訳ねえだろ」


 横柄に話の腰を折る。内藤は表情を変えなかった。


「なるほど。やましいところがないなら、ご同行頂いても差し支えありませんね?」

「任意なんだろ? だったらお断りだ。つうか、そんなのガセに決まってんだろ、証拠でもあるのかよ?」


 段ボールをカウンターの上に下ろし、吉見が凄みを効かせる。だが内藤はまったく臆せず、掛けていたノンフレームの眼鏡を外した。


「証拠? そんなもん、お前みたいな悪党になんか必要ねえだろ、このオカマゴリラが」

「なっ、テメエっ!」


 オカマとゴリラという悪口のダブルパンチに、吉見が一気にキレて殴り掛かる。それを紙一重でかわした内藤は、フロア中に響き渡るような大声で叫んだ。


「確保おおおっ!」


 途端に警棒を構えた警官がフロアへ雪崩れ込み、吉見をとり押さえる。呆気に取られた吉見は、ようやく自分がハメられたことに気付いた。


「ちょ、一人で来たって言ったじゃないの、この嘘つき!」

「一人で、とは言ってない。よく思い出せよ」

「ぐっ……汚い真似しやがって、この、サツのイヌが!」

「何とでも好きに呼べばいいさ。午後五時十五分、吉見政夫、公務執行妨害で現行犯逮捕する」

「はん、してみなさいよ。弁護士呼んで、すぐ不当逮捕で訴えてやるから!」


 悔しげに叫ぶ吉見の手首に、冷たい金属の感触が絡む。四方を警官に囲まれた吉見は、オネエ言葉でわめきながら連行されて行った。

 かなり強引な別件逮捕だが、今回は署長である京田直々の指示だ。内藤はスーツのポケットから携帯を取り出し、さっそく京田へ報告を入れた。


「内藤です。マルヒ(被疑者)確保しました。これから押収して戻ります」

「おっ、ご苦労さん。済まないねえ、自分のヤマもあるのに」

「いえ。ところで、あの、アイツは?」

「ああ、榊くん? 今、マル暴のヤンキーとお仕事中じゃないかなあ。何か伝言しとく?」


 京田の軽い問い掛けに、内藤の細い眉がヒクリと反応した。


「いえ……ああ、あの、一言だけ。たまには顔を出せって、伝えて下さい」

「君んとこに?」

「違います! 俺達は別に、そんなんじゃないですから」

「何がそんなんじゃないんだ。捜査一課に、って意味だろ? それとも別な話だったかな」


 意地悪な含み笑いが、携帯の向こうから洩れる。内藤はバツが悪そうに会話を切り上げ、携帯を閉じた。


(それにしても、またもや、あのヤンキーと組んでいるとは)


 内藤は少し思い込みが激しい性格で、日頃から慎吾のバックアップ(及び夜の相手)は自分にしか務まらないと固く信じていた。だが、最後に組んでからもう一年。以来さっぱりお役が回って来ず、何度か課長に直訴したが、曖昧に聞き流されるばかりである。


「この捜一のエースである俺様を差し置いて、何であのバカとばっかり!」


 捜査一課のエースだからこそ、危険な任務のバックアップから外されたのを、彼は知らない。

 思わず叫んだのを聞き付け、周囲の警ら達が驚く。内藤は地団駄を践むと、悔しげにカウンターを殴り付けた。

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