第17話 Rest 2

(失敗したぜ……)


 暗い部屋の壁際に置かれたダブルサイズのベッドで、慎吾と並んで天井を眺めながら、タイガはひときわ眉を寄せていた。

 勢い良く連れて来たのは良いが、気付けばパンツをはき忘れていた。普段から裸で寝ているし、男同士だから気にしなくても良いだろうとも思うが、寝ているうちに腰のバスタオルがはだけ、うっかり朝立ちでもしようものなら、さすがにバツが悪い。

 しかも三階には他に三部屋もあるくせに、ベッドがあるのはここだけで、客用の布団もない。せいぜい隣に布団でも敷いて寝てやろうと思っていたタイガは、このシチュエーションに戸惑っていた。


(同じベッドで寝て朝立ち……まるで俺がヤル気満々みてえだろ。やっぱ、いっぺん起きてはいてくるか)


 下らない想像に、タイガがもぞもぞ体を動かす。それが合図のように、慎吾が天井を眺めたまま口を開いた。


「なあ、タイガ」

「ああ?」

「俺のこと……気持ち悪いだろ」

「はあ? 何じゃそりゃあ」

「だって……俺はゲイで、しかも相当汚れてるし。さっきだって……見ただろ?」


 そう訊かれればごまかしようもない。タイガはしぶしぶ、小さく頷いた。


「辛かったな……スゲエ痛そうだし」

「気、使うなよ。アンタいわく、俺は生きてるんだから……それにああいうの、初めてじゃ、ないし」

「……え?」


 思わず驚いたタイガへ、慎吾は天井を見つめたまま笑った。


「二年前も、そうだったんだ……だからもう、何があっても、今更同じ、っていうか……」


 慎吾はタイガをゆっくり見やった。


「マンションは撤去された。アンタの仕事も、もう終わりだ。ここからは俺が、一人でやる。だから、少し寝たら、出来るだけ早く署に戻ってくれ」


 命令するでもなく、頼むわけでもない、静かな口調だ。だがタイガはまったく納得しなかった。

             

「ハァ? 何カッコイイことぬかしやがんだよ。テメエのバックアップは俺だ。それは奴等を逮捕するまで変わらねえし、終わらねえんだよ」

「帰属命令を破っても、か?」


 その問いに、タイガははっとした。恐らく、命令を出させたのは慎吾だ。タイガの性格を見越して、万一の際には有無を言わさず安全圏へ送り返すハラだったのだ。だがそれに乗るわけには行かない。正直降格はイヤだが、ここで志を曲げれば自分が一生後悔する。


「そんな命令に、何の価値がある?」


 動揺を隠して突っぱねる。すると慎吾は穏やかな声で諭して来た。


「訓告、減給、下手したら、免職とは言わないまでも、降格だってあり得る。アンタ、ヒーローになるんだろ? だったら……」

「ガタガタほざくな、慎吾。俺はもう決めたんだよ。お前の気が済むまで、とことん付き合ってやるってな。浅田達をブチ殺すまで、俺が傍にいてやる。お前と一緒に、泥かぶってやる。だから小細工するな。俺にだけは、本音を言え」


 マル暴仕込みの睨みを利かせ、ぐっと慎吾を見やる。すると彼は束の間唇を噛み、背中を向けた。


「……格好良いこと言ってんのは、テメエのほうだろ、バカ」

「バカか、そうかもな。やっぱ俺、ヤンキーだからアタマ悪りいかも」


 本音を言えと言ってしまった手前、自分も本音を吐露してみる。すると慎吾は背を向けたまま笑い、そのうち洟を一つすすった。


「ありがとう、タイガ……本当に、ありがとう」


 最後の方は涙声だった。

 慎吾は声を殺して泣いていた。包帯とガーゼと湿布薬だらけの体を丸め、洩れる嗚咽を必死に隠している。それを知ったとたん、タイガに突然強い衝動が沸いた。


(抱き締めてやりてえ……!)


 理由などない。ただ、少しでも慎吾を助けてやりたかった。

 がばりと上半身を起こし、左腕を慎吾の頭の下へ突っ込み、背から強引に抱き寄せる。一瞬ビクリと身を震わせる慎吾に構わず、足まで絡めてすっぽり抱き込んだ。


(何してんだ、俺は! コイツ野郎だぞ、しかも榊慎吾だぞ!)


 理性がそう抵抗するが、感情は相反し加速していく。鼻先で香るシャンプーと、触れあう体温が油を注いだ。こんなに純粋な気持ちで他人を抱き締めたのは、何年振りだろう。感触が女よりも固いが、今のタイガにとってそれはほんの些細なことだ。

 慎吾が驚いて振り返った。


「ちょ、た、タイガ?」

「ウルセエ」


 振り向いた慎吾を迎えるように、タイガも半身を起した。ちょうど、真上から顔を合わせる格好になる。まばらに生えた髭は薄く、肌は意外にキメ細かい。まっすぐ見上げて来るブラウンの瞳がやたら綺麗に見えるのは何故か考えながら、傷の残る薄い唇に口付けた。


「……!」


 息を飲んで固まった慎吾のそれは、意外に柔らかくて温かい。軽く合わせただけで離すと、タイガは再び転がり、慎吾を背から抱き締めた。


「タイガ……」

「喋んな、畜生が」

「……痛い」

「へ? あ、わ、悪い」


 いつの間にか、力一杯抱き締めていたようだ。慌ててタイガが手足を緩めると、慎吾は小さく訊いて来た。


「一体、何のつもりだ」

「何が」

「……キス」


 訊かれても、正直自分でも良く判らない。


「はあっ? お、おまじないだバカ野郎、アレだ、良く眠れるっちゅうヤツだ」

「おまじない?……俺はガキかよ」

「笑うな! だからとっとと寝やがれっ」


 苦しい一喝をカマすと、慎吾は小さく笑いながら、そっと体を預けて来た。そして寝心地の良い場所を探るように、もぞもぞ動き、すぐにタイガの顎の下へぴったり収まった。彼が洟をすするたび、腕に乗せた頭が少しずつ重くなっていく。やがて五分も経たないうちに、穏やかな寝息が聞こえて来た。


(俺、何で、キスしちまったんだ? つうか、何で今、反応してんだ?)


 慎吾の匂いを吸い込むたびに、何かがじわじわ下腹に溜まって行く。まったく眠れない。それどころか、大事なムスコがむっくり起きかけている。


(違うぞこれは疲れマラだ疲れマラ、絶対ェそうだそうに違いねえ他に何がある!)


 友情か同情か、はてまた恋情か、まさかの劣情か。どれなのか、どこからが境界なのか区別がつかない。堂々巡りの自問自答に、納得行く答えは見つからなかった。

 窓の外からは鳥のさえずりと、起き出したご近所の爽やかな挨拶が聞こえる。すっかり目が冴えてしまったタイガは、顔をしかめながら、顎をくすぐる慎吾の髪を撫でた。

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