第16話 Rest 1

 ハマーはそのまま裏道を通り、海原市郊外へ向かった。

 郊外へ差し掛かった辺りで、荒木は白いミニバンに乗り換え、真澄を連れて馴染みの医師の元へ向かった。その後、金城らも黒のセダンに乗り換え、再び移動を始めた。


「真澄さん……出血は酷いけど、脈もしっかりしてるし、きっと大丈夫です。それに僕の掛かり付けの先生は、モグリだけど超一流ですから」


 ステアリングを握る金城が、助手席に座るタイガをちらりと見た。彼は窓の外を眺めたまま、小さな溜息を吐いた。


「……恩に着るぜ、金城」


 愛想のない一言だが、タイガの精一杯の感謝だ。それを感じたのか、金城は少しだけ微笑んだ。


「いえ、慎吾さんのためですから。虎屋さんのためじゃないですからね」

「判ってるっつーの……」


 タイガが小さく唸りながら、ポケットで震えだした携帯を取り出した。表示された着信先を見て、取らずに戻す。携帯はすぐに黙り、また震え出した。


「出なくて良いんですか?」

「ほっとけ。つうかお前にゃ関係ねえだろ」


 ぶっきらぼうに金城を突き放し。タイガは再び窓へ目をやった。金城も黙りこみ、バックミラーで後部席の慎吾を窺う。彼はまだ覚醒していないようだった。


 それからしばらく走り、とある住宅街へ入った。

 歓楽街から一時間ほど離れた、海が近く閑静な新興住宅街だ。現在およそ九百戸あまりが済み、まだまだ拡張中で、三年後には海原市の新しいベッドタウンになる予定だ。

 ヨーロッパを模した、美しい石畳のメインストリートから山側へ向かう。ちょうど二丁行くと、角地に可愛らしい白壁の三階建てがあり、金城はそこの一階の車庫へ乗り入れ、シャッターを下ろしてから内玄関を開けた。


「陽が上るまでは、静かにしてて下さい。ご近所迷惑になりますから」


 そう注意する金城へ適当に頷きつつ、タイガは慎吾を支えて内玄関へ入り、二階のリビングへ上がった。

 リビングに入ると、金城は遮光カーテンを引き、対面キッチンの小さな照明を灯した。カントリー風の室内は広く、大きなテレビと白木のローテーブル、茶色のカウチソファが置かれている。タイガはローテーブルを足で押しやり、慎吾をカウチソファへ寝かせた。


「痛むか?」

「まあな、でも、大丈夫だ」


 意識は戻ったが、慎吾の顔色は悪く、体はいまだ震えている。金城はそんな彼を気にしながら棚を開け、救急セットを引っぱり出した。


「暗くてすみません。あまり目立たない方が良いでしょうから」


 声までひそめる金城へ、タイガがあちこち覗きながら訊いた。


「ここ、誰ん家だよ?」

「僕んちです。たまにこっそり来てるんです」

「テメエの? 別荘かよ」

「別荘と言うより、小屋かな」

「小屋? 俺の実家よりよっぽどキレイで広いクセに、小屋だと?」

「あ、気に触っちゃいました? 別に深い意味は全っ然ないですから、聞き流して下さい」


 ムカツく返事へ、タイガは舌打ちで返した。一体、この男はどれだけ金を持っているのか。

 タイガが思い切り眉を寄せているかたわらで、金城は慎吾の傍へ座り込んだ。



「痛みます? やっぱり榊さんも、医者に診て貰った方が良いんじゃ……」

「俺は平気だ。それより金城、浅田の本宅、突き止めてくれ。間に合えば、ミツルの素性も。それから泥棒の用意と、目立たず携行出来る小型武器をいくつか。期限は明日の、午後二時まで」

「え?」


 金城が思わず訊き返すと、慎吾は低く応えた。


「お前が出て来たってことは、向こうにも相当ダメージ負わせたんだろ? 早く動けば、それだけコッチが有利……必ず潰してやる、あの腐れ外道」

「そんな、明日動くなんて無理ですよ。だってその体じゃ」

「うるせえ! やれ俊二、今すぐだ!」


 慎吾は起き上がり、金城を真正面から睨み付けた。


「あなたって人は……ここで、名前を呼ぶなんて」


 拒否を許さぬ強い視線に、金城は唇を噛んだ。傍にいて、浅田に受けた傷と屈辱を少しでも癒してやりたかった。でも彼が自分に望むのは、そんな生温かさではない。

 しばし瞑目し、複雑な思いを無理矢理押し込める。それから金城はゆっくり立ち上がり、慎吾へ背を向けた。


「判りました、必ず。タイガさん?」

「アァ?」

「慎吾さんをお願いします」

「おう」

「絶対エッチなことしないで下さいね」

「シバくぞコラ」


 タイガがあからさまにイラつく。それを見て、金城は鼻で笑いながらリビングを出ていった。

 やがて階下で車のエンジンがかかり、シャッターが開閉する。金城が走り去ると、慎吾は急に口を押さえて立ち上がった。


「オイ、大丈夫か?」

「……シャワー、浴びてくる」


 慎吾は顔を伏せたまま、差し出したタイガの手を避け、おぼつかない足取りでリビングを出ていった。


 二十分ほどして戻って来た慎吾を捕まえ、無理矢理ソファへ座らせると、タイガは傷の手当てをしてやった。

 バスタオル一枚を腰に巻いた慎吾は、体中痣や擦過傷だらけだ。しかし幸いにして、骨折やヒビはない。薬を塗ってガーゼを当て、あちこちに湿布を貼る。それから手早く包帯を巻くと、タイガは少しおどけた声を上げた。


「よし、ミイラ男完成だぜ! ツラにも包帯巻きゃあ、完璧だな」

「放っとけ。つうかアンタ……何で、助けに来た?」


 慎吾が顔を伏せたまま、力なく問う。タイガは先ほど探し当てた新品の服や下着を渡しながら、逆に慎吾へ問い掛けた。


「何だよ、遅えとか文句言ってやがったくせに。助けて欲しくなかったのかよ?」

「そう言う訳じゃ、ないけど」

「なら、良いだろうが。ほら、グダグダ言ってねえで、さっさと寝ちまえ。ベッド、上にあるんだろ?」


 タイガは右の親指で上階を差すと、シャワーを浴びにさっさとリビングを出た。

 短い廊下を行くと、突き当たり左手に風呂場とトイレ、洗面所がある。タイガは風呂場前のユーティリティで服を脱ぎ、風呂場へ入ってシャワーのコックを捻った。


「温い……温すぎだぜ」


 温度を上げ、頭のてっぺんから熱いシャワーを浴びた。

 何度も掌で顔をこすってから、今度は後ろを向く。首の付け根へ湯を当てながら、今夜の件を反芻した。

 ──拉致された慎吾を助けるために、金城の力を借りるしかなかった自分が、情けなかった。そして倉庫へ突入した時目にした、慎吾の無残な姿があまりに痛々しかった。


(正直、俺が同じ目に遭ったら、アイツみてえに強くいられるかどうか……つうか、ケツの手当てしてやらなかったな)


 慎吾には見せなかったが、タイガは内心動揺していた。そして不謹慎にも彼の尻を心配していたが、それを口にするわけにもいかない。


(それにしても、いよいよ連絡来ちまったか)


 髪を洗い、体にボディソープを塗りつけながら、タイガは舌打ちした。

 先ほど数回あった着信は、マル暴の課長ことオヤッサンからだった。慎吾が入浴した隙に改めて確認すると、留守電にダミ声で一言「明日までに帰って来い」と残されていた。

 明日の朝、署へ顔を出さなければ、おそらく命令違反で何らかの処分を受けることになるだろう。だが、それでも良いとタイガは思った。

 一時のこととはいえ、慎吾は任務が終わるまで大切な仲間だ。そして真澄も然り。彼等が受けた暴力(借り)は浅田を、ひいては背後の組織を潰すことによって返すのがスジだ。

 殴り倒し逮捕したい衝動を堪え、せっかく浅田を泳がせたのだ。何としても、この任務は完了させねばならない。


(お前が納得行くまで、とことん付き合ってやるぜ、榊)


 タイガの表情が、にわかに鋭さを増す。握られた拳に力がこもった。



 タイガがバスタオル一丁でリビングに戻ると、慎吾は服を着てソファに座っていた。

 先に寝るよう勧めたのに、この期に及んでも言うことを聞かない男だ。タイガは呆れつつも、カウンターテーブルの奥にある冷蔵庫へ向かった。


「うお、デカッ……何じゃこりゃあ」


 まるで業務用並に大きい冷蔵庫を開けると、中はコンビニの飲料コーナーばりに、様々な種類のペットボトルが詰まっている。タイガはスポーツドリンクを二本取り、足でドアを閉めてリビングへ戻った。


「何で寝ねえんだよ?」

「……」

「明日、忍び込むんだろ? だったら寝とかねえと、途中でくたばるぜ」


 軽く睨みながら、スポーツウォーターを差し出す。慎吾が無言で受け取り、フタを開けてゆっくり飲んだ。一方でタイガは一気に半分流し込み、満足そうなゲップを洩らした。

 それからリビングの棚を漁り、ライターと、金城が買い置きした煙草を探し出す。勝手にパッケージを開けて一本くわえると、慎吾が無言で手を出した。


「一服したら寝ろよ」

「アンタが寝ろ。俺は起きてる」

「はあ? お前が寝ねえでどうすんだよ? そのボロクソの体でよ」

「うるせえ」


 慎吾ほ小さく応え、手渡された煙草をくわえた。


 煙草を吸い終わった後も、慎吾はソファから動かない。テレビ横に置かれたシンプルなデジタル時計が、五時四十分と表示しているのを見て、タイガは思い切り眉を寄せた。


「おい、俺は寝るぞ」

「ああ、そうしてくれ」

「テメエも寝やがれ」

「嫌だ」

「何だと? こんな時くれえ言うこと聞け、このバカが」


 その言葉に慎吾は目を上げたが、再び俯き、薄く笑った。


「眠れないんだ」

「へ?」

「怖くて……眠ったら、また夢を見るから」

「……」

「だからアンタは、俺のこと気にしないで、ちゃんと寝てくれ」


 タイガは再び黙りこんだ慎吾を眺めていたが、おもむろに洗いざらしの髪を両手で掻き上げ、口を曲げた。


「ウルセエな、ガタガタ言うな。寝ねえなら、俺が強制的に寝かせてやる」

「へ?」

「来やがれバカ!」


 まるで叱るように叫ぶと、タイガは慎吾の手を掴み、強引にリビングを出た。


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